第37話 擬音のデコイと本物の気配
僕は、ベルさんが取り出した見慣れない形状の標的に目をやる。
それをベルさんから受け取り、まじまじと観察する。
ただの「球体」に見えるけれど、表面は小さな六角形が集まったハニカム構造で、無数の小さな穴が空いていた。
これはいったい、何でできているんだろう……。だけどいまは、素材よりも、機能のほうが重要だ。
「これ、スピーカー……ですか?」
「んー、当たらずとも遠からず、かしら。
これはね、記録した『プレイヤーの動作音』を響かせながら自由自在に転がり回るのよ。
それだけじゃなく、『ホログラムの霧』を発生させて、視界を強制的に5、6メートルまで遮断する囮よ」
「このアイデア、俺が考えたんだぜ。すげえだろ!」
「……で、それを形にした――発注したのは私。いいコンビでしょ?」
なんだか、二人して自慢し合ってる。
「それで、どうやって訓練するんですか?」
「説明しましょう。先日のカツミちゃんは、目隠しで視界という『嘘の情報』を捨てることで、発動条件の一つを満たした。そして、被弾の痛みの中で『絶対に外さない』という強い主観が、システムの演算結果を上回った……私はそう分析したわ」
「……はぁ?」
「つまり俺と、俺の偽物の音を出す『ボール』の中から、本物の俺だけを直感で見つけ出して撃つ訓練なんだよ。……たぶん」
言っている八代も半分は理解していないみたいだけど、僕の理解がそれを遥かに下回っているのは事実だ。
僕は自分なりに出した答えを、恐る恐る口にしてみる。
「えっと……そのボールが霧で視界を遮って、砂利を踏む音やコッキング音の『偽物』をばら撒く。その中から、本物のエイトを見分けて……なおかつ『凪』の状態で射抜く。……ってことですか?」
「話が早くて助かるぜ。よし、場所を変えるぞ。郊外の窪地だ」
八代がニヤリと笑う。それは、これから始まる「荒療治」への、残酷なまでに楽しげな合図だった。
セントラルシティを囲む、高い壁のすぐ外側。
いつも利用する北の12番ゲートではなく、寂れた10番ゲートから八代と二人、街の外へと出た。
「私はここで店番があるから。いい報告、待ってるわよ」
ベルさんはそう言って、いつものようにカウンターの奥から僕たちを軽やかに送り出してくれた。
昨日は一日ログインしていなかったから心配したけれど、今日の彼女はいつになく声に張りがある。
やっぱり、ただ忙しかっただけなんだ。
僕はその声に少しだけ安心すると、八代の背中を追って店を後にした。
そこはセントラルシティのやや北西に位置する、かつての物流拠点――開発が放棄された『錆びたコンテナヤード』が広がっている。
「いいかカツミ。前回の目隠しは静かな場所での『単発の音』だった。けど実戦じゃ、風の音もあれば、敵がわざと小石を投げる嘘もある」
積み上げられた巨大な鉄の箱が迷路のように入り組み、風が吹くたびに不気味な金属音を立てる場所だ。
「よし、始めるぞ。ルールは単純だ。
カツミが撃てるのは一発だけ。
これから1分間、霧の中に四つの足音が混ざる。今回俺は初弾装填はするけど、発砲はしない。
本物の俺を撃ち抜いたら合格、お前の勝ちだ。
デコイを撃っちまったり、何もできずに1分経ったら俺の勝ちだ」
「わかった」
僕はゴム弾を装填したM24のボルトを引き、重い一弾をチャンバーへ送り込む。
八代がそれを見てニヤリと笑い、三つの球体を同時に地面に転がした。
ササササ……。
すぐさま、シュッという鋭い噴出音と共に、球体から『ホログラムの霧』が勢いよく溢れ出す。
一瞬で僕の視界は、濃厚な乳白色の闇に飲み込まれる。
手を伸ばせば届くはずのコンテナの壁すら見えない。視認距離は説明どおり、わずか5メートル。
……静かだ。……いや、違う。
ザッザッザッ、と砂利を踏む音が聞こえた。前方。……いや、右か?
ザッ、ザザッ、ザッ。
四方から『八代』が走る「足音」が響き始める。
デコイから拡散される擬音は、コンテナの壁に反射し、まるで四人の八代に囲まれているような錯覚を僕に与えた。
スコープを覗いても、映るのはただの白い霧だけだ。僕はスコープを諦め、M24のグリップを握りしめる。
「ほら、どうしたカツミ。棒立ちじゃ、ただの的だぜ?」
霧の向こう、どこからか八代の挑発するような声が響く。
その声すら、デコイが拾って増幅しているのか、位置が全く特定できない。
そうだ、周囲を警戒するには立射だけど、不安定だし、だいいちLPが持たない。安定性とのバランスが必要だ……膝射するしかない。
見よう見まねで覚えたニーリングポジションで、姿勢を固定した。
僕は目を閉じ、視界という『嘘』を捨て、聴覚と、肌に触れる空気の揺らぎ、八代の気配だけに神経を尖らせる。
どれだ……どれが本物の八代なんだ……!?
思考を加速させる。
デコイから流れる「記録された音」と、今、この場所で「生きている人間」を模しているアバターが立てる音。その差はどこにある?
その時、右後方からわずかなカチャリという音が聞こえた。
M16A4のセレクターを操作する、硬い金属の摩擦音だ。発砲はしないと言っていたはずなのに、八代がセーフティを解除した……?
けれど、その音はデコイからも全く同じタイミングで鳴り響いた。
……いや、待てよ。今の音、地面に響かなかった。「重み」が足りない。
デコイは球体だ。地面を転がりながら音を出しているに過ぎない。
けれど、八代が銃を構え、レバーを弾く時、体重は必ずどちらかの足に乗り、その圧力は砂利を介して地面に「重み」として伝わるはずだ。
耳で「聞く」んじゃない。地面を伝う、わずかな「振動」……いや、気配をとらえるんだ。
――見つけた。
9時の方向。何段も積まれたコンテナが作る、細い通路の突き当たり。
デコイの騒がしい「足音」に隠れて、静かに、けれど確実に「実在」する何かが砂利を噛んだ。
「……そこだ」
僕は『凪』へと意識を沈める。
閉じたまぶたの裏側、僕の脳裏には通路の奥、コンテナの影から今まさに踏み出そうとする八代の輪郭が、「赤と黒」の単彩の世界に鮮明な「熱」を持って浮かび上がっていた。
迷いなく、僕は両目を見開きM24の引き金を絞る。
ドゴーン!
M24の銃口から、暴力的な破裂音がコンテナヤードに鳴り響いた。
放たれた一弾は濃厚な『ホログラムの霧』を真っ直ぐに切り裂き、その軌跡だけが白い筋となって一瞬だけ世界に残った。
手応えが、あった。
「……ぐっ、痛ってぇ!」
霧の向こうで、八代の短い呻き声が上がる。
同時に、ハニカムの球体から噴き出していた白い霧が止まり、耳障りだった「足音」も、ぷつりと糸が切れたように消え失せた。
視界が急速に晴れていく。
視線の先――通路の奥に、八代が右肩を押さえてうずくまっていた。
「……マジかよ。本気で当てやがったな、カツミ……」
八代は顔を歪め、撃たれた場所をさすりながら、こちらを射抜くような目で見上げた。
「……おい。やっぱり、さっきもそれになってたぞ。スコープの奥で、眼が赤く光ってやがった」
「……そっか。やっぱり、また光ってたんだ。……できた、んだ」
胸の奥で、じわりと熱い達成感が込み上げてくる。
「……あ、それより大丈夫? かなり痛かったよね」
「あー、クソっ……合格だ、合格。……完璧すぎて、文句も言えねぇよ」
八代は毒づきながらも、どこか嬉しそうに立ち上がった。
アーバン・タクティカル・スーツの肩口には、被弾エフェクトが広がっていた。
「……よかった。デコイじゃなくて、本物の方で」
「当たり前だろ。あの中で俺を撃ったんだ。自信持てよ」
八代が痛むはずの右肩を回しながら、僕の方に走ってきて、左手で僕の頭を乱暴に撫でた。
ふと視線を横に向ければ、役目を終えたハニカムの球体が、ただの『ボール』に戻って砂利の上に転がっていた。
偽物の音に惑わされず、真実の重みを射抜く。
二人が言っていた「荒療治」の意味が、今やっとわかった気がした。
「よし、今日はここまでだ。……次はサプレッサーくらい用意しとけよ。今の爆音じゃ、一発で居場所がバレバレだぜ?」
「考えとく。ゴールドが貯まれば、だけどね」
僕は苦笑いしながら、泥のついた膝を払った。
見上げた『午後二時』の太陽は、相変わらず不気味なほど眩しく、僕たちの影を足元に縫い付けていた。




