第34話 二人の秘密、あるいは十月の静寂
「いらっしゃい。そのポンチョ、似合ってるじゃない」
「はい、あの『溶けちゃう』ポンチョだと長い時間着れないから、おととい獲得したゴールドの残金で買ったんです」
「『溶けちゃう』って、カツミちゃん根に持ってるー?」
「いやいや、そんなことないです。目立っちゃうでしょ? この髪。だから……」
「あはは、そうねー」
ベルさんはまた作業に集中する。視線を落としたまま、トリガーユニットから外した小さなピンを、ピンセットで慎重にトレイへ移していく。
「残金……あー、獲られちゃった残りね。絶対リベンジしなくちゃね!」
「はい!」
「そういえば、カツミちゃん。彼氏は?」
「へ? 彼氏?」
「彼氏よ、カレシ。エイトくん」
「あ、今日はまだ連絡とってないです……って、だから彼氏なんかじゃないですってば!」
「ふーん、そーお? ……で、今日は早いのね」
「はい、今日は17時まで時間あるんでセントラルシティをうろついてたんですけど、ベルさんに会いたくなって……」
「あら〜カツミちゃんったら、かわいいこと言ってくれるじゃない。うれしいわ!」
「えへへ」
座ってと、ベルさんは作業を中断し、いつものようにコーヒーを出してくれる。
僕は気になったことを聞いてみる。
「あの……日曜日なのに、あんまりお客さんいないんですね。それで作業を……お邪魔でしたか?」
彼女は「ふふっ」と微笑んだ。
「そんなことないわよ、大丈夫。M40A1のメンテ。
今日は日曜日でしょ? お店の常連さんのほとんどは今頃ハンティングか、PvPしてるわね。
平日でも店が混むのは、だいたい開店頃で、前の日に補充できなかった人かな。
昼間はずーっと暇で、混みだすのはカツミちゃんたちが帰った後。入れ替えみたいに混んでくるの。仕事が終わって、家でくつろいでるときにログインしてくるみたいね」
「そうなんですね……。でも、ベルさん高一なのによくそんな大人相手に武器屋をできるなんてすごいや。それに銃の知識半端ないですよね」
僕は平日も丸一日ベルさんが店にいることが気に掛かったけど、そのことは触れてはいけないような気がしたから、話を変えた。
「自宅は海軍基地のすぐそばなの。両親は民間人だけど基地の中で働いていて……あ、前にも言ったけど、二人ともアメリカ出身だから家では英語なんだけどね」
ベルさんは跳ね上げたルーペを指でいじりながら、遠くを見るような目をした。僕はなんとなくその目に意味があるような気がした。
「父は元海兵隊員なのよ。私が小さい頃に退役しちゃったんだけど、昔の話をよく聞かされて育ったの。だから、自然と私もM40A1が好きになったのね」
「へぇ、お父さんの影響だったんですね」
「ええ。でも、本物の銃の資料なんて絶対に外には持ち出せないでしょ? だから、市販のミリタリー雑誌や解説本を読み漁って勉強したの。あとは……やっぱり、このゲームのおかげね。データとはいえ『実銃』を扱えるんだもの」
ベルさんは手元の分解されたパーツに愛おしげな視線を落とす。
「日本語で言うでしょ? 『好きこそ物の上手なれ』って。私にとっては、ここが一番の勉強場所なのよ」
今は基地で民間人として働いているお父さん。
退役して、もう銃を手にすることはないけれど、かつて誇りを持って語ってくれた鉄の塊の記憶が、今のベルさんを形作っているのかもしれない。
「好きこそ物の上手なれ……」
ベルさんの言葉が、僕の胸に温かく、けれどどこか鋭く刺さった。
彼女は、自分の大切な生い立ちを話してくれた。この場所で銃と向き合う、彼女なりの理由を。
対して、僕はどうだろう。
最近、身体が女子化したこと。理由もわからず、鏡を見るのも避けていること。……そんな奇妙な悩みを、真っ直ぐに生きている彼女にぶつけていいんだろうか。
ベルさんが出してくれたコーヒーの湯気の向こうで、彼女はまた、愛おしそうにM40A1のパーツに視線を落としている。
何かを言いかけて、僕は結局、飲みかけのカップを握りしめることしかできなかった。
今の僕には、彼女が守っているこの「静かな時間」を、自分の得体の知れない不安でかき乱す勇気なんてなかったから。
……でも、彼女が僕を信頼して大切な話をしてくれたからだろうか。さっきは飲み込んだはずの言葉が、今度は自然と口をついて出てしまった。
「ベルさん……学校は、どうしてるんですか?」
ベルさんは一瞬、跳ね上げたルーペの奥で瞳を揺らしたけれど、すぐにいつもの穏やかな微笑みに戻った。
「私はね、ちょっと……事情があって、今はここが私の『教室』なのよ。カツミちゃんは?」
「僕は……不登校、なんです。今は家でオンライン授業を受けていて」
自分の不甲斐なさを吐露するような気持ちで、僕は視線を落とした。
一瞬の沈黙。
ベルさんは何も言わず、ただ優しく僕の頭に手を置いた。その手の温かさが、なぜだかひどく切なく感じられた。
「そう……。いいじゃない、オンライン。場所はどこだって。学べることはたくさんあるわ」
彼女の声はどこまでも優しかったけれど、その指先が微かに震えたのを、僕は見逃さなかった。
本当は、自分の身体に起きてしまった異変――『後天性女子固定化症候群』――のことも相談したかった。
僕の身体が、取り返しのつかない形で「僕」ではなくなってしまった、あの得体の知れない絶望。
けれど、自分の足で立ち、誇りを持って店を守っている彼女の前で、逃げ出すような弱音は吐けなかった。
……まだ、言えないな。
11月になれば、修学旅行で八代は三日間はログインできない。
そのときまで、この悩みは自分の中に閉じ込めておこう。




