第13話 赤タグの境界、あるいは死神の助走
10月9日
いつもどおりに15時半にオンライン授業が終り、まだ時間があるなと宿題も済ませてしまう。
今日は母さんは仕事があるからリビングには行かず、そのまま自分の部屋のベッドでゴロゴロしているうちに寝てしまった。
「安藤、生きてるかー」
不意にドアが開く音とともに、バタバタと八代が入ってきた。
その声に驚いて飛び起きる。鍵が開く音にも気づかないほど、深く寝入っていたらしい。
「わっ!? もうっ! ノックぐらいしてよ、八代! 一応、いまの僕は女の子なんだからさー」
「わりぃ。おばさんにスペアキー預かってるからさ」
「母さんも、お節介だよなー」
八代は一瞬だけきまり悪そうに頭を掻いたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「いいだろ、減るもんじゃないし」
「なにがだよー」
「だいいち、お前がチャット見てないからだぞ。『17時にダイブするからな』って入れたんだけどな」
「あ、ごめん。寝ちゃってたよ」
「無防備だなー」
「八代には言われたくないねっ」
八代は僕の変化を知りながら、以前と変わらない雑な態度で接してくる。
僕を過剰に「女の子」として特別視せず、ただの「安藤」として扱ってくれるこいつの無神経さが、いまの僕には何よりの救いだった。
「それより準備しろよ。17時過ぎにベルさんの店だぞ」
「わかったよ。すぐログインするから、八代も自分の部屋に戻ってよ」
「おう。じゃあな、あっちで」
八代が嵐のように去った後、昨日は椅子に座ってダイブしたけど、今日はベッドに横たわりヘッドセットを手に取った。
現実のこの身体は、自分のものではないような違和感に満ちている。
でも、あの世界の中なら――。
ログイン画面に映し出される『Sniper:A-Katsumi』だけが、いまの僕が唯一、胸を張って「僕だ」と言える姿だった。
僕は17時ちょうどに、ヘッドセットのログインボタンを押し込み、39キロの軽い身体と、7キロの鉄の棒が待つ世界へ向かう。
+++
『System Login. Identity confirmed: A-Katsumi. Welcome back to Central City』
(システムログイン。個体識別完了:A-カツミ。セントラルシティへおかえりなさい)
耳に心地よいシステム音声。僕は現実を脱ぎ捨てた。
ホワイトアウトが消えると、そこはセントラルシティの巨大な転送ロビーだった。
「……軽い」
体重7キロ差を昨日は感じなかったけれど、今日はそんな感覚も身についてきたようだ。
僕はロビーを走り抜け、迷路のような路地は用心深く歩くこと約4分。
重厚な鉄の扉が見えてくる。ベルさんの武器屋だ。
「こんばんはー」
といっても、この世界はいつでも『午後二時』の明るさだ。
僕は扉を押し開け、あの独特な火薬と機械油のニオイが混じった空気の中へと飛び込んだ。
「あ、来たわね。お寝坊さん」
カウンター越しに、ベルさんがニヤリと笑う。
その隣では、八代が誇らしげに、左腕に装着したばかりの小ぶりな円盾を軽く叩いていた。
「遅ぇぞ、安……あ、いや、カツミ。見ろよ、なけなしの10ゴールドでこれを手に入れたんだ。これでお前を守ってやるよ」
八代が手に入れたのは、防具としてベルさんの店で一番安かった中古の盾だ。表面には無数の傷があり、お世辞にも「大盾」とは呼べない代物。けれど、昨日のM16A4を持っただけの初期装備よりは、ずっと頼もしく見えた。
「遅くなりましたー。エイト、それ買ったの?」
「おう。俺の全財産を注ぎ込んだんだ。本当はさ、これが欲しかったんだけどな。いつかM16A4の下にこれを付けて、ドカンと一発かましてやりてぇよ」
八代がショーケースの奥、鈍い光を放つM203グレネードランチャーを指さす。
「残念だけど、それは中古でも100ゴールドはするわよ、エイト。あなたの持ってるその盾なら、10個買えるわ。弾だって1発その盾半分よ? って半分にできないけどねっ」
ベルさんの容赦ない指摘に、八代は「うっ……」と言葉を詰まらせた。
いまの僕たちにとっては、1発数千円の弾丸なんて、宝石を投げ捨てるようなものだ。
「だったら早く外に行って、レベリングしようぜ」
「うん、行こう、エイト!」
「ちょっと二人とも待ちなさいよ。まだ説明してないことがあるし、だいいち、カツミちゃんの腕が本物かどうか、レベリングに付き合うって言ったでしょ?」
カウンターを乗り出すようにして、ベルさんが僕たちを鋭い視線で制した。
「いい? 昨日話したけど、ゲートを一歩出ればあなたたちのタグは『青』から『赤』に変わるのは覚えてるわよね?」
「「はい」」
「まだ説明してないことは二つ。一つ目は武器を実体化させていないプレイヤーは、『緑』なの。これは、あんたたちみたいな新人を守るためにシステムが編み出した救済策なのよ」
「あー出たらいきなり撃たれるのを防ぐ……ってことですね」
「せーかい。で、二つ目は緑タグのプレイヤーを撃っちゃうと、自分は『黒』に変わって、システムから『賞金首』に指定されるの」
「賞金首……?」
隣で八代がごくりと唾を飲み込む乾いた音が、静まり返った店内にやけに大きく響く。
VR空間のはずなのに、喉の奥がヒリつくような渇きまで本物みたいだ。
「そう、賞金首。所持金は凍結、街のゲートは閉じられて一歩も中に入れない。死んだら……ってリスポーンするまでだけど、その所持金は倒したプレイヤーの物になるの。だから死ぬまで全プレイヤーから命を狙われる『歩く金塊』になる。これはログアウトしても継続されちゃうから、相当に厄介よね」
「「……っ!」」
ベルさんの冷徹な言葉に、僕と八代は思わず唾を飲み込んだ。
「ベルさん、もし賞金首になっちゃって、誰にも倒されずに生き残ったらどうなるんですか?」
僕が恐る恐る尋ねると、ベルさんは鼻で笑った。
「生き残る? 無理ね。セントラルシティを追放されて、補給も修理もできないまま、全プレイヤーが敵になるのよ。弾が尽きるか、武器が壊れるか、寝ている間に首を撥ねられるのがオチよ」
「救いはない、ってことか」
八代が顔を強張らせる。
「唯一の解除方法は、莫大な『贖罪金』をシステムに納めること。でも、凍結された口座からは一銭も出せないわ。つまり、外部の協力者に肩代わりしてもらうか、潜伏して稼ぎ出すしかない。……まあ、大人しく一度死んで、全財産を絞り取られるのが一番手っ取り早い解決策ね」
そんな状態にだけは、ならないようにしないとな。僕は心に刻んだ。
「分かってるわね? つまり、それ相応の覚悟が必要ってことよ」
「……はい」
「分かった、ベルさん」
僕たちの返事を聞くとベルさんは満足げに頷き、店の扉を閉めるとどこからかジャラジャラと出してきた太い鎖で、さらに厳重に戸締りをした。
最後に鍵の掛かり具合をもう一度確かめる。
「さあ、行きましょうか。ファースト・ミッションの始まりよ」




