悔しさ
誰かを応援する声が飛び交い、グラウンドは強い日差しが照り返す。まだ六月だというのに、じんわりと汗が滲むほどの暑さのせいだろうか? やけに頬を熱くなっていく。
二人とも相変わらず、楽しそうに俺について話していて、それがより一層俺の体温を上昇させていた。
(あの……流石に、幼稚園時代の話は恥ずかしいんだけど……)
望未が話しているのは、幼稚園の頃のことらしい。園外活動で外に出た時、川に落ちた子がいて、俺は、とっさに手を差し伸べた。けど、相手の方が体格が良くて、俺は支えきれず、そのまま一緒に水中へと落ちたのだ。
その話を聞いていると、恥ずかしすぎて思わず首筋を触ってしまう。それから頬を軽く手で仰いだ。そんな俺の気持ちなんて知らないまま、桜は、
「ふふっ、子どもらしくて、かわいいね」
なんて優しげに笑う。それが更に恥ずかしさを上昇させ、更に体温を上げる。……流石にその辺で勘弁してください……。
そんな願いが通じたのか、いよいよ綱引きが開催され、二人もそちらに集中する。歯を食いしばって、綱を引くクラスメイトを応援する。みんなのことを真剣な眼差しで見つめて。
「がんばれ~!」「が、がんばれ~」
と声を上げる。望未は、はきはきした声で、桜の方はか細くも可愛らしい声で応援する。その二つが重なって耳に届く。不思議と心が満たされると同時にどこか背筋が伸びる。
その声がクラスメイトにも届いたのだろう。背中を押されたように、一斉に綱を大きく引き、相手を引きずるように、じりじりと後ろに下がる。
そんな綱引きの結果は、大翔たちの活躍もあり、2位を記録した。先輩たちと即席のチームであの実力。さすが大翔だな。そう誇らしく思う。そんな彼は少し息を切らしながら、戻ってきた。
「流石だな、大翔!」
「連こそ、予選1位通過おめでとう!」
——パシン。
そういって二人して手を打ち合わせて、褒める。それがやけに心地いい。
現在の得点は、相手より三十点リードしている。かなり順調なペースと言えるだろう。その得点版を見て二人してにやりと笑う。
「……さて、次は俺の番だな」
「あぁ、また1位取るの期待しているぞ!」
拳を突き出しながら、にぃっと豪快に笑う。
「おう!」
俺も拳を突き出しながら、それに応えた。そんなやりとりを挟んで俺は100m準決勝に挑む。待機列の指定された位置に立ち、軽く息を整える。
しばらくして、他の選手もやってきた。その中で、自然と視線が引き寄せられる。隣に並んだ、今回最も警戒すべき相手に。その存在に、思わず俺は唾を飲み込んだ。
(……ごくりっ)
陸上部三年にしてエース。力也先輩。先ほどの予選では、手を振ってゴールをするほど余裕そうだった。その姿を見て思う。
(……絶対に本気にさせてやる)
そう心の中で呟き、静かに火が灯る。
対戦相手の彼を観察する。身長は182cmくらいだろう。ストライドは明らかに向こうが上。一歩ごとの距離はこっちが不利か。
体格の方は……うん、服越しに分かるほど、引き締まってしっかり鍛えられている。踏み込む力も強いだろう。そして、顔立ちは、スポーツ系の爽やかイケメンって感じか……。
……どうやら、彼は相当人気があるんだね。さっきから、女性陣の「力也先輩~!」という黄色い歓声が途切れない。その声に、ほんの僅かに集中力が乱れる。
当の本人も満更ではなさそうに手を振り返し、さらに「きゃー!」と歓声が弾けた。その様子を、周囲の男子がどこか面白くなさそうに見つめている。
……まあ、分かる。俺自身も頬が僅かに引きつっているのを感じるから。にしても、俺のことは眼中にもないって感じね。こっちばかりが意識させられて、非常にくやしい。なら——絶対に意識させてやる。そう意気込む。
俺は、ぐっと噛みしめていた歯の力を抜き、一度、深く息を吐いた。そうして、気持ちを落ち着けて意識を切り替える。やがれレースは開始、俺達の前の人達が走り終える。
順番である俺達は、位置につき、ピストルの音がなるのを待つ。
——パンッ。
スタートの合図と同時に、地面を蹴る。一歩、二歩、三歩。踏み出した、その瞬間。隣を走る影が、一気に前へ出た。
(……速い)
一瞬にして、一歩分置いていかれる。
(さすが、陸上部……)
そう認めざるを得なかった。けど、同時に心がどうしようもなく熱くなる、勝ちたい! そう地面を強くけり、その力を上半身へと伝える。さらに、肩甲骨から腕へ伝え、身体を加速させていく。
じりじりと、徐々に距離が縮まっていくのが分かる。
(あと、少し……!)
そう意気込むが、先にテープを切ったのは、先輩だった。差は、およそ一歩分。そんな僅かな差。なのだが、俺自身理解する。息を荒げながら酸素を必死に求める俺と、肩で規則的に息をする先輩。その差は圧倒的だった。
(……遠いな)
その事実に、少し落胆しながら、俺は肩を大きく揺らし、呼吸を整える。まだ熱を持った体のまま、少し落ち込んで戻ると、元気そうな声が後ろから聞こえた。
「惜しかったな、連」
背後から、明るい声。それに振り返る間もなく、大翔ががばっと肩に腕を回してきた。……重いっ。そう思いつつ返す。
「いや、全然だよ。あの人、まだ余裕あったし」
「そっか……で、決勝は勝てそう?」
……いや、さっき本気でやって負けたばかりなんだけど。そう言いかけて、やめる。大翔は本気で俺が勝てると疑っていない顔をしていたから。そのまっすぐさに、少しだけ毒気を抜かれ、冷静に返す。
「んー……正直、厳しいかな。たとえ全力でやっても勝てる気がしない。さすが短距離の選手って感じだ」
弱気とも取れる言葉。それでも、大翔は迷いなく俺を見つめる。信頼した視線で。
「それでも、全力は尽くせよ!」
「……あぁ、もちろん。勝ちにはいくよ。完璧なスタートを切れたら、勝てたなんてあるかもしれないしな」
口ではそう言いながらも、心のどこかでは負ける可能性が高いと冷静に見つめている自分がいる。それでも、気持ちまで引いたら、勝てるものも勝てないよなっ。
大翔を見ていると、自然とそう思う。少し気持ちを切り換えて、俺は大翔を明るく応援する。
「大翔の方も、障害物競走頑張れよ」
そう言って、拳を突き出す。
「おう! 1位を取ってくるから見てろ」
彼が俺の拳に突き合わせるように拳を合わせて、にかっと笑う。その笑顔が頼もしかった。同時に、元気も貰う。
きっと、弱気になっている俺を見て一番に駆け寄ってきたんだろうな。ほんと、人の機微に敏感なんだから……。そういえば、中学時代からずっとこんな感じだったな。なんて思いながら、胸の奥が熱くなる。
それからは、桜に望未。それに千夏達も「惜しかったね」と励ましてくれる。それと、陸上部の先輩相手に凄い接戦だったとも褒めてくれる。温かいな。なんて思いながら、大翔の障害物競走をみんなで応援した。
大翔は当然のように1位を取る。その有言実行する姿に。まっさきに俺の方に拳を掲げて嬉しそうに報告してくる姿に力を貰った。なら、最後くらい、勝たないとだよな……。そう静かに、決意を固める。
午前最後の競技。100m決勝。それは午後は騎馬戦にダンス、それにリレーといった主要なものがあるからこその午前のメイン競技。一番注目される種目の中心にいるのは当然のように、件の先輩だった。
緊張するか?そう問われたら、緊張するって答えるべきなんだろうな。そんなことを頭の片隅で思いつつ、俺は陸上部エース、力也先輩に視線をやる。
体格は俺と同じくらい。だけど、大腿四頭筋やハムストリングス。それに下腿三頭筋はかなり発達している。3年間で鍛え上げているのが良く見て取れた。
服の上からでも分かるくらい上半身も仕上がっている。それに比べて俺は、広背筋を鍛えているため、走るには少し重りになっている部分はある。
(……なら、それを踏まえてどう走るかだよな)
そう結論付けて、スタート位置に立つ。先輩はクラウチングスタートか。それに俺も習う。
クラウチングスタートのメリットは減速区間が短くなること。デメリットは訓練していないとスタンディングスタートよりも遅くなる点だ。そもそも50mまでならスタンディングスタートの方が速い。
理想でいうと、二つの中間あたりなんだろう。それがもっと理想的な重心の位置になる。それをもちろん、頭でも理解している。けど……心は違う。
どうしても先輩と同じ条件で、もう一度本気で勝負してみたい。それに従う。……なにより、そっちの方が気分が上がるし、後悔がない!!
俺はにやりと口角を上げて、指定の位置に腰を下ろす。
「位置についてー」
その声で腰を上げる。
「よーい、パンッ——」
瞬間、弾かれるように地面を蹴り、俺の方が早く一歩目を足り出した。
(——勝つ!!)
10m付近までは確かに手ごたえがあった。けれど、数歩もすると、先輩が追い上げてくる。そして徐々に追い越される。
(——ッ!!)
ぐいぐいと前にでる先輩に負けまいと必死に食いつく。それでも、距離は、じわじわと開いていく。歯を食いしばり、足を踏み出す。先輩の走りに徐々にフォームも乱れた。それでも——。一歩踏み出し走る。
結局先輩はそのまま、ゴールした。俺よりもに歩分先に……。俺は肩で息をしながら、彼の方を見つめる。その振り返った先。今度こそ先輩は肩で荒く息をしていた。
全力で戦った。そうして、先輩を少しは追い詰めた。その達成感がある……とはいえなかった。ただ、ただ、悔しい。悔しくて、思わず拳を握り締めて、ぎゅっと歯を噛んで空を見上げる。
他の人が走る中、考えるのは自分の至らないこと。追い越されたことに動揺し、フォームが崩れた。それに、走幅も必要以上に広げてしまい、身体の連動も上手くいかなかった。ピッチももう少し短くした方がいい。
筋力があるならもっとスライド重視した方が良かったんじゃ……なんて頭の中でぐるぐる考える。それでも言いたいことは一つ。
(……マっジで、悔しい!!)
思わず、右の拳で太ももを叩いてしまう。その様子を、隣にいた力也先輩がふっと勝ち誇ったように見つめた。……っはぁ~、これ以上は勝負することもないし、切り換えよう。相手の表情を見て、冷静にそう思う。……うん、思える筈はないよね!!
結局俺は悔しい気持ちのまま、クラスメイトがいる場所へと戻って行く。
「連君、悔しそうですね」
「うん、普通に悔しいけど!!」
午後の休憩前、諸々の注意事項が始まる前。中間得点の発表が行わる中有明が声を掛けてくる。その様子をくすくす笑っている。
「笑うなよ」
「いいじゃないですか、それが体育祭らしさってものです」
どこか楽し気に語る、その様子に少しだけ気が抜ける。確かに誰かと本気で競って、負けて悔しい。一つのことに一喜一憂するのは体育祭らしいか……。
そう考え、肩の力が抜けた。先生のちょっとした、注意説明も終わり、ようやく昼食休憩になる。教室に戻り、そこでようやく俺の気分も晴れる。
そういえば、涼花が弁当作ってくれたんだよね~。中身は何かなっと……。そう最愛の義妹が作ってくれた弁当が入ったカバンに視線がいく。
俺は鞄を開け、大切な宝物を扱うように、俺はそっと弁当箱を手にする。気分が上がってくる中、大翔達と弁当を食べに行こう。そう思い、大翔達の近くに腰を下ろす。すると、慌てて駆け寄ってくる存在がいた。
「ちょっと、連!! 何か忘れてない?」
「……? ……!?」
その表情を見て、葵は呆れたように項垂れた。こいつ駄目だみたいな、表情で俺を白けた目で見つめる。……そういえば、望未の弁当をかけて午前中、競っていたんだった。
「……ってことは?」
「そういうこと、一位が同率で、大翔君と白峰さん。そして3位は連だよ。おめでとう!!」
そういって仰々しく拍手をする。……それは大翔の前でやってもらってもいい。クラスメイトの唇を噛んだ悔しそうな視線を一心に受けるから。なにより、「忘れてたなら、変われよ!」という怒気にもにた視線を感じる。
「大翔君はどうするの? 望未の弁当食べる?」
「ごめん、パス。これ彼女の手作りだから。さすがに、交換はできない」
「そっか、なら仕方ないね」
「じゃあ、白峰さんは……」
「私は一つ、貰おうかしら」
「なら、連と一緒に来てもらおうかな。いい場所も見つけたし」
「えっ……」
そういって、彼女に手を取られる。……うん、葵さんあなた朝言われたこと反省してませんね。そう思いつつ、望未たちと合流し、そのまま昼食へ向かう流れになった。
気づけば、桜や大翔だけじゃない。なぜかクラスの面々まで、ぞろぞろと後ろについてきていた。……なんだ、この流れ。そんなことを覚えながら、歩くのだった。




