羞恥心
体育祭の開会式。グラウンドに整列した生徒たちの列が綺麗に並んでいる。前を見ても、横を見ても、人、人、人と言った感じで、三年生の最後列なんて、もう霞んで見えるほどだ。
「いいねぇ……」
思わず漏れた自分の声に、じわりと熱を帯びる。朝から妙に高かった体温が、さらに一段上がった気がした。
ざわめきが、風みたいにグラウンドを流れる。誰かの囁き声がそこかしこから聞こえて、昂揚しているのが自分だけじゃないと分かる。
そんな皆の興奮を感じつつ俺も、視線を前に戻す。丁度、学園長の挨拶が終わり、生徒会長が壇上に上がるところだった。さっきまでのざわめきが、嘘みたいに引いていく。
生徒会長の圧倒的なオーラを感じてか、はたまた彼女の美しさについ引き寄せられたのかは分からない。ただ、みんなの視線が一点に集まっていくのを感じる。
(……さすが、6大美女が一人——香坂 結衣といったところか)
絹のように美しい黒髪。アーモンド形の目元には彼女の大人っぽい雰囲気と、意志の強さを宿しているように思う。誰に対しても誠実で真っすぐに向き合う。自分の中に絶対的なルールがある彼女は、時に校則も破るらしい。
そんな彼女がマイクに声を通した瞬間、ざわめきは完全に消え、代わりに、妙な緊張感だけが残る。誰も話すことが出来ない、そんな空気を裂くように彼女が口を開いた。
話す内容に特別なものがあるわけじゃない、ただ、言葉をどこで区切るのか、抑揚をつけてどう惹きつけるか。そういった細かな工夫がされていた。
”細部に神は宿る”。そんなことを場を俺は思い出しながら彼女の話しを聞いていた。みんなも彼女が楽しそうに話す言葉を聞いて、どこか期待を膨らまれせているように感じる。
楽しい一日になる。そう錯覚させる何かが彼女にはあった。
気づけば、さっきよりも少しだけ前のめりになっている自分がて、鼓動が早くなっている。やがて、彼女が挨拶を終えた。壇上をすぐに去ると思っていた彼女は、ふいに顔をずらし、こちらを向いた。
一瞬。ほんの一瞬だけ、視線が合う。彼女は満足そうに、ふっと表情を崩して、再度正面を向く。何事もなかったかのように。
(……気のせいか?)
距離もあるし、人も多い。そう思考では理解しているのに、妙に引っかかる。ふっ……さすがに、気にしすぎだな。そう結論付け肩の力を抜く。すると……
「今、絶対俺の事見たよな」
「いや、俺だろ!」
すぐ側でそんな言い争いが聞こえてくる。
(…………)
もしかして、俺も同じこと考えてた感じだよね……。どこか取っ組み合いになりそうな空気の男子たち。
それを冷めた目で見下ろす女子たち。その光景を、すぐ近くで眺めている俺は途端に恥ずかしくなってくる。恥ずかしすぎて、顔が熱が出たんじゃないかと錯覚する程熱い。
いや、冷静に考えればあの距離で、あの人数で。視線が合った、なんて、勘違いにもほどがあるとわかる。……いや、だって、目が合った瞬間、微笑んだ……気がしたんだよ。ほんと……。
自分で言っていて、やけに空しくなる。ふっと空を見上げ、照り返す日差しに眩しさを感じる。夏のような熱さを含んでいないはずなのに、何故か急激に体温が上がっていくのを感じた。
誤魔化すように、顔を手で覆って。一度だけ息を吐いてから、正面を向き直った。冷めやらぬ体温を感じる中、選手宣誓、続いて準備体操へとプログラムが進む。体を動かすたびに、少しずつ余計な思考が削ぎ落ちていく。呼吸が整い、意識が"今"に戻ってくる。
(……瞑想かな?)
そんなことを思いつつ、いよいよ体育祭が始まった。
最初の競技は、100メートル走。自分が参加する競技になるため、席から移動するために立ち上がる。すると、すぐ近くから声がした。
「頑張って来いよ、連」
振り向けば、大翔が拳を突き出していた。軽く笑って、それに応じる。
「もちろん。1位を取ってくるよ」
「おぅ!」
大翔と二人、不敵な笑みを浮かべて、意志を確認するように頷く。
「頑張って来なよ、連」「頑張ってね、連」「頑張って、連君」
声が重なって聞こえてくる。振り返るとそこには、いつの間にか近くに来ていた、葵と桜、それに望未の姿があった。三人とも、自然に口元を緩めて。まっすぐに、こっちを見ている。
その優し気な視線に。どこか背中を押されつつ。快活に答える。
「うん!」
短く返す。それで、十分だと思った。待機列へと移動する中、100m走のルールを思い返す。
100m走は各クラス3名ずつの計72名が参加する。6名×12の上位二名が勝ち抜け。勝ち抜いた24名を更に8名にし、決勝という流れだ。
本来なら、大翔も一緒にでるべきなのだが、どうやら部活の先輩から釘を刺されたらしい。彼女がいるんだから、見せ場を奪うなということだった。そんな、先輩たちの譲れという圧を感じて、辞退したとのことだ。
……まぁ、確かに先輩にはお世話になる部分もあるし仕方ないか。そんなことをぼんやり考えながら、スタートラインに立つ。横を見る。並んでいるのは学年から選ばれた男子たち。特別速そうなのは、一人か。彼らの肉体を観察しながら、そんなことを考え、前を見る。
——パンッ。
競技用のピストル音でスタートする。乾いた音と同時に、地面を蹴って加速する。最初の数歩で、皆を引き離し、後半は迫ってくる人たちを感じながら、少し力を抜く。
決勝を考えて、筋肉の疲労を温存した俺は、そのまま誰に抜かされる間もなく一着でゴールする。一位の待機列に並ぶ中、決勝で当たりそうな人物たちを観察し、100mの予選は終了した。
席に戻ると、
「やっぱり、連君って足速いんだね」
望未が、少しだけ頬を紅潮させながら、まっすぐこちら見て伝えてくる。その視線に、思わず笑みがこぼれる。
「見直した?」
軽く揶揄うように言うと——
「うん、カッコよかったよ」
目元を柔らかくして、彼女は深く頷く。
(……)
まさか、そんな反応が返ってくるとは思わなくて、思わず手元を口へと持って来てしまう。
(いやっ……マジか……普通に嬉しい)
そんな恥ずかしがる俺の姿にも、優しく見守ってくれる彼女。だからこそ俺は、少し肩の力を抜けるのかもしれない。そんなことを考えていると、
「私もカッコいいって思ったよ……体力測定の時を思い出した」
少し恥ずかしそうに。けれど、その表情は柔らかくほどけていて、目元には優しい光が宿っている。その姿に俺もつい、心が温かくなる。ただ、望未の方はその状況を知らないため、?を浮かべていた。
「体力測定で何かあったの?」
望未が、不思議そうに首を傾げる。
「うん! 連がね、一人ぼっちだった私を気にかけてくれて、いろいろしてくれたの。……もちろん、それだけじゃないけど」
「それ、気になる!もしかして、前に葵が少し話してくれたやつかな?」
「うっ……自分の過ちを話すみたいで、恥ずかしいけど。話せる範囲なら話す……よ」
「ならっ、私も何か話す。失敗談から、連君の幼稚園時代まで」
「えっ、気になる!!」
なんてふたり、きゃっきゃっと話している。だから、男子の皆さん、嫉妬の視線をこちらに向けないで下さい。いや、分かるけど。状況だけ見ればそうだけど。これ、恋愛的に俺を好きって話じゃないよ。
もし好きだったら普通、こんな穏やかに話さないから!普通に互いの共通の相手で話しが盛り上がっているだけだからね!!
なんて、自分で言って、少し落ち込む。
「大翔に勝ってみせるから、見ててねって言ってくれてー」
「……えっ(……羨ましい)」
望未が、ぴたりと動きを止め、俺の方を見ながら何かを小さく呟く。その内容も気になるのだが、それどころじゃない。過去の痛いエピソードを聞いて、恥ずかしさから一気に体温が上がる。
どうしよう、今すぐこの場から去りたい。桜にこの場で話すのはちょっと……って伝えたい。けどさ、あんなに楽しそうに話す桜に、伝えたら、当然。
(……ごめんね)
っていってしょんぼり肩を落とすのが目に見えている。だから、言えなかった。
望未の方も、キラキラした目で続きを待っているし。詰んだな、これ。二人からそっと視線を逸らす。時間が経つほどに、恥ずかしさは膨らんでいき、今にも両腕で身体を摑んで、身もだえたい気持ちが湧いてくる。
そんな感情を振り払うために、俺は大翔が参加する競技の方へと向け、何事もないように呼吸を整える。
未だに、すぐ隣で楽しそうに話す二人の話し声に羞恥心を積み重ねながら……。




