体育祭開始
いつも通りの朝だというのに、自分でも分かる程、気分が昂揚している。体育祭当日だからだろう。誰かを応援するような声、ハチマキと体操服の一体感。一日の全てを競技に費やす、非日常感。
まるで祭りのような空気感を思い出し、知らず知らずのうちについ笑みを浮かべてしまう。
自分が参加する競技は、100m走とリレー。それに望未はダンスと借り物競争で。桜は同じく借り物競争と騎馬戦だったよね。桜の騎馬戦に関しては、怪我しないか心配になるんだよな。なんて、運動神経の悪い彼女が怪我しそうな場面が思わず浮かんでしまう。
まぁ、そこは千夏達がしっかりとフォローしてくれるだろうな。というか、雫の一睨みで敵が怯みそうだしなんて思わず想像して笑ってしまう。
(……そろそろ、出ないとだよな)
そう思いスマホに手を伸ばして、思わず笑みが零れた。望未から貰ったペンギンのストラップ。それが太陽の光を受けてキラリと光っている。その愛らしい姿に、自然と肩を下ろして、微笑んでしまう。
……ほんと、なんでこんなに可愛いんだろう。
実際に触ったことはないけど、少し硬めの毛らしい。水中に適応しているからか、ダイビングスーツみたいな独特の感触なんだとか。ただ、羽の生え変わる時期は、かなり柔らかくなるらしい。……できれば、触ってみたい。ほんと、気になる。
なんて、少しトリップしつつ、俺は望未たちと一緒に学校へ向かった。途中妙な視線を感じ、視線の先を見つめると、同じ学校の生徒がいた。
(あぁ、なるほど。当然望未と桜にアピールしたいよな)
どこか納得するなかで、学校へと到着する。俺は、担任に呼ばれていたため、望未達と別れ、用事を済ませて帰ってきたのだが、なんだか騒がしい。ついさっきまでは、こんなにうるさくなかったはずなのに、
「……何があったんだ、これ?」
思わず呟く中、葵がこちらに手を振ってきた。にこやかに笑っているのだが、どこか、含みのある笑みだ。……嫌な予感がするな。内心でそう思いつつ、俺は彼女の方に近付いて尋ねる。
「……これ、もしかして葵の仕業?」
「うーん、まあ……そうとも言えるかな?」
わざとらしく肩をすくめる彼女。その言い方が、逆に怪しい。怪訝に思いながら尋ねた瞬間、妙に張り詰めたような男子たちの視線が俺に突き刺さる。いや、なんで? 葵呼びに変わって、もう一週間くらい経ってるよな。今さらそんなことで敵視される理由は……ない、はず。
なんて考えている間にも、葵は気にした様子もなく続ける。
「体育祭に挑むからには、連もやっぱり勝ちたいよね?」
唐突な問いかけに俺は眉を顰め、困惑した表情を浮かべてしまう。それといったい、さっきの質問がどうつながるのかと。というか、なんで男子はこんなに浮き足立ってるんだ?
……もしかして、優勝した暁には、「頑張ったね、連」みたいに、褒めてくれるとか?まぁ、確かに葵みたいな可愛い女性から、満面の笑顔で言われたら、そりゃやる気も出る。けど、それにしては妙に、熱量がおかしい気がする。
考えれば考えるほど分からなくなってきて、俺はひとまず口を開いた。
「まあ、そりゃあ……そうだけど」
そう返すと、葵はニヤリと口角を上げた。
「だよね!! だからね、私はみんなのモチベーションを上げようと思ったの」
「うん、それで?」
「で、今日——望未が手作りのお弁当を持ってきてるって聞いたの」
「……まさか」
「そう。活躍した人には、望未の手作り弁当を食べさせてあげるって言ったの」
「……なるほど。で、この状況ってわけか」
その言葉に男子たちは一斉に拳を握り締めて、闘志を燃やしていた。——まさに、恋と勝負が入り混じる戦場と化したわけか。
「確かに、勝つためにはそれも必要だろうけど……それって、望未の許可は取ったの?」
「うーん、まあね」
苦笑しながら頬を掻いた彼女の姿が疑わしくて、俺は思わずジーっと目を細めて見つめる。その視線を受けて、葵は弁解するように続ける。
「もちろん全部ってわけじゃなくて、おかずをを一品二品、交換って感じで交渉したの。これは、本当だよ」
もう、どこから、どこまでが嘘なのか分からない。けれど、それ以上突っ込むなという視線を周りの男子から感じる。というか、今になって分かったよ、さっきの視線。君たち、俺が止めることを阻止しようとしたわけね。
周りの反応を見ていると、胸の奥にざらつくような違和感が残る。他の男子たちが望未の表面しかみないで、話しかけている姿を想像すると、どこか落ち着かない。
「まさか、活躍した男子全員に配るとかじゃないよね?」
「もちろん。そんなことしたら弁当がなくなっちゃうでしょ?」
彼女はクスッと笑ってから、指を三本立てた。
「一番活躍した三人に、って感じ。公平でしょ?」
すると、教室のあちこちから「マジか!?」「三人かよ!?」とざわめきが広がる。東雲さんは、まるで反応を楽しむかのように口元を押さえて笑った。
「ちなみにね、女子も対象で、上位三人は辞退をすることもできる。あくまで権利が与えられるって話」
「なるほどね……」
つまり、彼女が言いたいのは、俺が上位三名にはいって、阻止すればいいでしょって話だ。このクラスで上位三名に最も近いのは、俺に大翔を含めて五名だからな。
大翔は彼女に今日の弁当を作ってもらっているからこそ、絶対に交換なんてしないし。残り二名が対象というわけか。少しは納得して、息を吐きつつ、教室を眺める。そこに映るのは俺を含めてもう、完全に勝負モードになっている男子たちの姿だった。
いや、女子の方もやる気になっている人が数名いるな。そりゃ、あんなに可愛ければ女性にもモテるよな。と妙に納得する。
「連もやる気になったようだね」
「そりゃ、もちろんね」
悪戯っぽく覗き込んでくる葵に、短く返す。——望未に、下心で近づくなんて、絶対に許さない。そう気を引き締めた、そのとき……
「そんなに欲しいなら、連だけ特別に交渉してあげよっか?」
葵が不意に距離を詰めて耳打ちしてくる。……近い。というか今、耳に息、かかっただろ。じわりと体温が上がるのを感じながら見返すと、
「ふふ……冗談だよ」
なんて言って、葵はそのまま離れていく。……ほんと、あの日からずっと揶揄われてる気がする。これ、普通の男子なら絶対に勘違いする距離感だからな、葵。
少し呆れつつ、彼女を見つめていると。
「東雲さんと妙に距離近くない、連?」
振り返った先に居たのは、頬をわずかに膨らませて、不機嫌そうにこちらを見ている桜だった。隣にいる雫の方は、じとっと俺を責めるように見つめている。その様子を苦笑しながら、千夏が見つめていた。
(たすけて?)
(むり)
視線だけでそうやり取りするが、あっさり切り捨てられる。
「……そりゃ、望未達と一緒にお出かけして仲良くなったからね。ほら、葵は距離感近いところあるから」
「それにしても、近いと思う。……彼氏、いるのに」
少し俯きがちに桜が呟く。その横顔が、どこか寂しそうに見えた。……まあ、言いたいことは分かる。彼氏がいるにしては、あの距離感は近すぎるよな。
「それに、照れてたよね、連」
じっと向けられた視線に、嫌な汗がにじむ。彼氏がいる人に、そんな気持ち抱いていないよね?そう問いかけられている気がする。
いやいや、無理だよ。あんな距離感で、少なくとも嫌いじゃない女子にあんな風に詰められて、照れない男子はいない。それに、葵は間違いなく美少女だし。……まぁ、彼氏がいるからこそ、かなり罪悪感を感じずにはいられないんだけど。
黙り込んだ俺を見て、桜はさらに頬を膨らませる。そして、小さく問いかけてきた。
「逆に、連はスキンシップされるの嫌じゃないの?」
「……いや、それは相手によるというか、基本は嬉しいよ。信頼してくれてるって感じるから」
少し迷ったが、誤魔化したらまずい気がして、正直に答える。すると、彼女は少し納得したのか、小さく頷いた。
「そう……なんだ」
そして、桜は何か考え込むように俯く。やがて何かを決意したように俺に一歩近づいた。
ふわりと、肩に重みがかかる。彼女の左腕が、肘のあたりまで俺の右腕に触れていた。
(……えっ!?)
「じゃあ、私でもいいの?」
突然の行動に一瞬思考が止まる。見つめる先には、頬をわずかに上気させながら、上目遣い見つめる桜の姿があった。状況を理解しようとするのだが、かすかに甘い香りが鼻をかすめ、思考が上手く回らない。
桃みたいにやわらかな甘さに、スズランのような澄んだ花の香りが混じった匂い。いつもなら、安心する香り。その筈なのに、現在の状況のせいか鼓動が落ち着かない。
今も触れている部分から、じんわりと体温が伝わってきて、自分でも分かるくらいに、頬が熱い。
「いいけど、ごめん。ちょっと……恥ずかしいかも」
「そう……だよね」
小さく返した桜も、誰が見ても分かる程顔を赤くしていていた。離れようと手を離しそうになった瞬間千夏達も参戦してくる。
「じゃあ、私はどう?」
「どうですか?」
なんて、ぺたぺたと触られる。ここまでくると、もう完全におもちゃ扱いだ。さっきまでの恥ずかしさも、どこかへ吹き飛んでいく。
それは、桜も同じらしい。呆気に取られたように二人を見て——やがて、苦笑をこぼした。
(うん……なに、これ?)
戸惑いと、少しの可笑しさ。それと、気の置けない友人同士のじゃれ合いみたいで、不思議と俺も笑ってしまう。そんな不思議な感覚に包まれたまま、体育祭は始まるのだった。




