想いを込めて
展望台に上がって、まず目に飛び込んできたのは、燃えるような夕日だった。時刻はすでに十八時四十分。沈みかけた太陽の光が、ゆっくりと街の輪郭を夜へと引き渡し始めていた。
眼下に広がる無数のビル群が、傾いた光を受けてきらきらと輝く。まるで街全体が、黄金色の装飾をまとったみたいに綺麗だった。
「あ、あれスカイツリーじゃない?」
葵がそう言って、遠くの空を指さす。その先には、ほんの小さくだけれど、確かにスカイツリーらしき細長い影が見えていた。
やっぱり、あれだけ大きい建物だと、この距離でも目立つんだな。そんなことを思っていると、今度は望未が小さく声を弾ませた。
「あっちには富士山も見えるね」
言われて目を向けると、夕焼けの奥に、うっすらと山の稜線が浮かんでいた。気づけば二人は、まるで遠足に来た子どもみたいに、あっちこっちの景色を指さしてはしゃいでいる。
……それにしても。
葵は、さっきまでとは別人みたいに生き生きしているな。そんなことを思いながら、俺の口元にも、自然と笑みが浮かんでいた。
「おっ、ブランコ型のベンチもあるのいいね~」
なんて声を上げ、はしゃぎながら葵が走ってい行く。それを見つめながら、俺は近くにいる望未に近付き声をかける。
「望未はどう? 楽しめている?」
「うん……時間の経過によって徐々に鮮明になる建物とか、街の灯りが増えていくのとか……見てて楽しい。こんな時間でもみんな頑張ってるなって思えるから」
「そうだな……もしかしたらうちの両親もいるかもな」
「私のお父さんもそうだよ」
なんて二人くすくす笑いながら続ける。富士山まで見えるくらいだ。この景色の延長線上には必ず両親がいる。
「にしても、今日は本当にいろんなところに行ったな」
街の灯りを眺めながら、俺はぽつりとこぼした。
「ショッピングしたり、食事したり……。水族館でいろんな生き物見て回ったりさ」
「本当だね」
望未が小さく笑う。
「こんなふうに、連君と楽しくお話しできるなんて、思ってなかった」
少しだけ視線を逸らしながら、照れくさそうに彼女は呟いた。その声を聞いた瞬間、胸の奥にあったわずかな緊張が、すっとほどけていく。望未もそんな風に思ってくれていたんだなって。
「俺も、同じこと思っていた」
夜の気配が少しずつ濃くなっていく街を見下ろしながら続ける。
「どこか距離あるのかなって思ってたし。やっぱり昔みたいに、すぐには戻れないのかなって」
「……そうだね」
望未も同じ景色を見つめたまま、静かにうなずく。
「あの頃は、何も気にしてなかったもん。でも今は……ちょっと周りの反応とか、気になっちゃって」
「……そうだな。どうしても、意識してしまう」
俺は隣に並ぶ彼女の方をチラリと見ながら同意する。彼女の少しだけ大人びた横顔。そして、ガラスに映った自分の姿を見て、二人とも成長したと感じる。
あの頃は、今の半分くらいだったのにな。そんなことを、ぼんやりと思う。
「まぁ、望未の場合は人気者だから、余計に視線が集まるのかもな」
少し気恥ずかしくなりながら、伝えると。彼女はくすっと笑いながら軽く返してくれる。
「それを言うなら、連君も結構人気だと思うけどね」
なんて、肩を震わせながら、表情を緩ませる。う~ん、俺に向けられる視線の大半は嫉妬に近いものな気がするけど……それもある意味人気者ということなのかもな。なんてことを考えながら、小さく肩の力を抜いた。
二人して、また眼下に広がる景色へと視線を落とす。やがて、太陽が沈む瞬間、まばゆい光が彼女の横顔をそっと照らす。
ふと、彼女がこちら振り向く。その横顔が、ふっと表情を緩め、やわらかな視線が、まっすぐに向けられる。その姿を見て、思わず、息を呑んだ。ほんと、綺麗になったなと。
優しさの奥に、確かな強さがある。その瞳に、目を離せなかった。夕焼けがすっかり夜の色に溶けていく中で、そんなことをぼんやり思った。
やがて、葵の方もブランコ型のベンチから戻ってきて、三人一緒に今日の想い出を語り合う。そうして、一通り語り終えた時だった。望未が一歩前に出て、くるりとこちらを振り向く。
「二人とも、今日は本当にいろいろありがとうね」
そう言って、俺たちの方を見て柔らかく笑った。そうして手に持っていた紙袋を、少しだけ前に差し出す。
「はい、これ」
「「ん?」」
思わず俺と葵が首を傾げる中、望未が口元に優しい笑みを浮かべながら告げる。
「今日一緒に付き合ってくれたお礼。二人にプレゼント」
照れくさそうに小さく肩をすくめながら、俺達の方を真っ直ぐに見る。未だに戸惑う俺達に向けて、彼女は袋の中から小さな包みを取り出した。そうして差し出された袋を受け取って、促されるように中を開いた。
彼女が差し出した小さな袋の中には、俺が好きなペンギンアクリルストラップが入っていた。丸っこいフォルムの、少しとぼけた顔のペンギンだ。それに驚き、思わず目を見開く。
「それで、こっちが葵の分」
続けて差し出されたのは、東雲さんが「かわいい」と言っていたカワウソのキーホルダーだった。小さな青いマフラーを巻いたカワウソが、ちょこんとぶら下がっている。
「これ、かわいい」
葵は受け取ると、すぐに顔を輝かせる。嬉しそうに持ち上げて、角度を変えながら見つめている。その様子を、望未は嬉しそうに頬を緩めながら見つめていた。
「れにしても、いいのか?」
そう問いかけると、望未はふっと表情を緩めた。
「うん。二人のおかげで、今日は本当に楽しい一日になったから」
望未は、ほんの少し照れたように目を細める。
「だから……もらってほしいな」
まっすぐな笑顔で、そう伝えられる。飾り気のない、「ありがとう」だけをそのまま形にしたようなやさしい笑顔だった。
その表情を向けられて、俺は思わず言葉を失う。
気づけば、じっと見つめてしまっていた。ふと我に返り、気恥ずかしさをごまかすように口を開く。
「望未は自分に何か買ったのか?」
「私はね、クラゲのストラップだよ。あのふよふよした感じが好きなんだ」
そう言って彼女が見せてくれたのは、透き通るような淡い色のクラゲのストラップだった。光を受けて、柔らかく揺れる触手が小さくきらめく。
葵がカワウソのキーホルダーをそっと近づける。それに合わせるように、俺もペンギンのストラップを寄せた。
三つの小さな影が、並ぶ。それを見つめていた葵が、ふっと表情を緩めた。
「かわいいね」
なんて、三人で顔を寄せるようにして、買ったばかりの小物を見つめ合う。たったそれだけのことなのに、宝物を披露し合うみたいで、どこか子どもの頃に戻ったみたいに感じた。
「でも、いいの? 私も何か————」
葵が少し遠慮がちに言いかける。
「いいの、いいの。今日は葵がいろいろ調べてくれたり、先導してくれたでしょ。だからそのお礼」
「逆に俺はいいのか? いろいろしてもらったけど」
そう言うと、彼女は少しだけ困ったように笑った。
「いいんだよ。それに、チケット買ってくれたじゃん。それに比べたら、ちょっと安いかもしれないけど……」
申し訳なさそうに視線を伏せる。
「そんなことない。すっごく嬉しい」
自然と、言葉がこぼれていた。それは、取り繕ったものじゃない。まっすぐな本音だった。
誰かにもらうプレゼントって、それだけで心が満たされるものがある。ましてや、こんなふうにまっすぐな気持ちで渡されるなら、なおさらだ。
彼女の方を見ながらいいタイミングだなと思い俺も望未へのプレゼントを渡すことにする。
「実はさ、俺も、望未にプレゼントがあるんだ」
そう言うと、望未がぱちりと目を瞬かせる。自分も渡されると思っていなかったのだろう、少し戸惑ったように固まっていた。
「喜んでくれるかは、ちょっとわからないんだけど」
依然として、固まったように俺を見つめ続ける彼女に向けて、袋を軽く彼女の方へと差し出す。
「さっきの店でさ。のぞみに似合うかなって思って買ったんだ」
そういって、中に入っているものを取り出した。透明なアクリルに包まれた、ローズゴールドのヘアブラシ。ハート型のブラシは、キラキラと光を反射させながら輝いている。
「どうかな?」
家族以外の、それも女性に贈る初めてのプレゼントに、心臓が飛び出そうな想いを抱きながら渡す。わずかに手が震えているのを感じながら差し出すと、望未は一瞬だけ戸惑ったように目を揺らし、それからおそるおそる両手で受け取った。
包みを受け取った望未の指先も、ほんの少しだけ震えている気がする。
「……いいの? 結構な値段、したよね」
顔を上げた彼女の瞳には、驚きと、戸惑い。それに、ほんの少しの嬉しさが混ざっていた。
「確かにそうかもしれない。けど、それ以上にさ、ずっと感謝してたんだ。望未に対して」
「私に?」
望未は本当に意外そうに目を丸くした。
「幼稚園の頃とかさ。沢山、助けてもらったことあったでしょ?」
少し遠い記憶をたどるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あの頃、ちゃんとお礼も言えなかったし……何も返せないまま、引っ越すことになって、少し後悔してんだ」
ぽつりとこぼした言葉に、胸の奥がかすかにくすぐったくなる。それでも、彼女の方をしっかりとみつめて続ける。
「それにさ。さっきの動物のことも含めてだけど、実際は、俺のほうが望未から、いろいろ貰ってるんだよ」
俺は、ペンギンのキーケースを指で軽くつついた。角度を変えたそれが、少し微笑んだように見える。望未の方は、こちらを窺うように、俺の表情を見つめながら、どこか期待するような、少しだけ不安そうな眼差しを向けてくる。
「……そうなの?」
「うん。きっと気づいてないだろうけど」
そう強く頷き、思わずくすっと笑みがこぼれる。目の前の彼女は、相変わらず首をかしげたままで、本当に心当たりがないらしい。
————きっと、自然にやってるからだろうな。そんなふうに感じ、少しだけ嬉しくなる。
「そんなこと、あったっけな……」
そう言って困ったように笑う姿を見て、笑みを浮かべながら思う。あの頃のことなんて、彼女にとっては小さな出来事だったのかもしれない、と。
でも、俺にとっては違った。だから、きっとこうして、何かを渡したいって思ったんだろうな。
「うん。あったんだよ。だから貰ってくれると嬉しい」
まっすぐに目を見て、そう伝える。望未も、まっすぐに見つめ返してきた。ほんの一瞬。その視線が、俺の表情を確かめるように揺れて――ふっと、やわらいだ。
「連君、ありがとう。大切に使わせてもらうね」
両手でそっとブラシを包み込みながら、やわらかく微笑む。そう言って微笑む彼女を見て、胸の奥に静かな安心が広がっていった。




