名前で呼んで
「にしてもやっぱり納得いかないな~、ハーレムについては」
東雲さんはそう言いながら、なぜかじっと俺の方を見つめてくる。その視線に居心地の悪さを覚え、俺は追及から逃げるように、先ほどまで芸をしていたアシカのいるプールへと視線を逸らした。
水面には、俺の内心など知る由もなく、ゆったりと泳いでいる彼女の姿があった。東雲さんがこんなことを言い出したのは、アシカもまた一夫多妻制だと望未に聞いたからだ。
ほんと、こういう時は気にならないで欲しかったと思わずにはいられない。純粋に水族館を楽しもう。色んな生き物を見て癒されたり、レクリエーションを楽しむ場所なんだから。そう内心で必死に訴える。
……とはいえ、そんなことを口にしたら、余計に突っ込まれるのが目に見えている。だから俺は何も言わず、黙っているしかなかった。そんな俺の様子を見かねて、望未がさりげなく助け舟を出してくれる。
「葵がそう思えるのは、何よりも彼氏のことを大切に思ってるからじゃない?」
「……うん。そうだね」
東雲さんが小さく頷く。それを見て、望未は優しく微笑んだ。
「なら、そんな素敵な相手に出会えたってことが、とても幸せなことなんじゃない?」
そう東雲さんの胸の奥でくすぶっている想いに、そっと寄り添うように告げる。その一言で、彼女の気持ちも少し落ち着いたのだろう。
「確かに颯は、すっごく良い奴だ」
なんて、またすぐにでも惚気そうなくらい、柔らかい笑みを浮かべていた。少しだけ照れくさそうに笑うその顔を見ていると、俺もどこか心が温かくなって自然を笑みを零してしまう。だから、
「なあんで、笑っているのかな」
とツッコまれる。揶揄われたと思ったのだろう、少し怒ったような恥ずかしそうな表情で訊ねられる。焦った俺は、慌てて手を振りながら弁解する。
「いや、普通に羨ましいと思ったんだよ。そこまで思える人と出会えていることに」
「なら、連も誰かと付き合えばいいじゃん」
「いや、羨ましいのは、"大切に思える相手"って部分だから。……俺にはまだそんな相手がいないから」
「そうかな~、連は周りにいる人のためなら自分を犠牲にしそうだけどね」
「う~ん。まぁ、確かに優先はすると思うよ。でもそれは、自分の在り方をどこか肯定するためで……好きとは、ちょっと違うかな?」
「ふぅ~ん。そんなもんか」
ようやく腑に落ちたのか、東雲さんは肩の力を抜いてぽつりと呟いた。先程までの視線がどこか俺を試すような気がしのは気のせいじゃないだろう。
ふぅ……。内心で小さく息を吐く。恋愛の話題って、どこが地雷になるのか本当に分からない。そんなことを思いながら、俺たちはそのまま館内を進んでいった。
やがて一通り生き物を見終え、出口近くのお土産コーナーに辿り着く。水族館らしく、棚には海の生き物を模したグッズがずらりと並んでいた。先程までの緊張感から一変、俺のテンションは一気に跳ね上がる。
「すっご……ペンギンの赤ちゃん実寸サイズのぬいぐるみじゃん。重さまで再現とか神かな」
自分でも分かる程、目を輝かせながら思わず見入ってしまう。ちょこんと座っている姿が愛らしすぎる。思わず頬を緩めていると、
「こういうの見ると欲しくなっちゃう?」
東雲さんが少し笑いながら尋ねてくる。
「いや、欲しくはなるけど買いはしないかな。つい視線がいっちゃいそうだし……」
「集中力が乱されちゃうもんね」
「そうなんだよ、可愛すぎてね」
望未の言葉に、俺は思わず強く頷いた。
「まぁ、でもキーホルダーとかはいいかもな。……ペンケースとかバッグに付けたりって」
「確かに。それなら、時々見る程度で押さえられそうだもんね」
「うん」
そうは言いつつも、どうしてもぬいぐるみに視線がいってしまう。あのふかふかしている姿を見ると、どうしても感触を確かめたくなってしまう。ストレス軽減のため、なんてもっともらしい理由をつけて撫で回してしまいそうで、思わず自分の手を抑えた。
……少し触ってもいいよね? でも、他の人が購入する可能性があるなら毛が荒れないように……と思わず葛藤していると。
「別に少しくらいは触ってもいいんじゃない?」
そう言って、俺の気持ちを察したように、東雲さんが声をかけてくる。どうしてばれたんだ、と振り返ると、
「連君の反応は分かりやすかったよ。ついつい、視線がそこを行ったり来たりしてたもん」
そう望未まで楽しそうに笑っていた。
「……」
俺は恥ずかしい気持ちを抱きながらも、それでも結局は欲望に負けてる。
「……なら、一階だけ触らせてもらうかな」
そう言って、そっとぬいぐるみを手に取る。
「うっわ……触り心地最高じゃん」
指先に伝わる柔らかさに、思わず声が漏れる。東雲さんも興味を引かれたのか、手を伸ばして触れてきた。
「へぇ~ホントだね!!————すっごいふかふかで気持ちいい。何より温かみがあるよね」
「そうなんだよ。そこが、罪深い所で、つい触りたくよな」
「まぁ……気持ちは分かるね」
若干引いたように言いながらも、それでも彼女がぬいぐるみを撫でる手は止まっていなかった。意外にも俺よりも気に入っていそうだった。
やがてペンギンコーナーを抜け、俺たちはお土産コーナーをゆっくり見て回る。棚には水族館らしい小物やぬいぐるみが並び、ガラス越しの照明が柔らかく光っていた。ある程度見て回ったところで、ふと望未がこちらを振り返る。
「二人ともちょっといい」
望未が、少し遠慮がちに声をかけてきた。
「どうした?」
「ちょっと気になったものがあるから、見てきてもいいかな?」
そう言いながら、奥の棚をちらりと見つめる。その言葉に俺達が頷くと。望未はほっとしたように笑って。
「ありがとう。じゃ、少し周ってくるね」
嬉しそうな笑みを浮かべると、そのまま棚の奥の方へ小走りで向かっていった。東雲さんの方も彼女を目で追っていた。その表情が親友に向ける者よりも温かく感じるのは気のせいだろうか?そんなことを思いながら、俺は改めて俺は改めて東雲さんに声をかけた。
「今日は誘ってくれてありがとう。……それと、望未のことも、いろいろ気にかけてくれて」
「……? 私ってそんな気に掛けているように見える?」
彼女は小首を傾げながら尋ねてくる。けれど、その視線だけはまっすぐこちらを捉えていた。俺は肩の力を抜いた自然体な自分で返答する。
「うん。 望未が答えずらそうな質問をされた時、冗談っぽく他の人に話を振ったりしてただろ? それに、さっきもぶつかりそうになった時、すぐ気付いてた」
「それ、連も同じじゃない?」
「いやいや。俺の場合は、ただ周りの様子を自然と見てるだけだよ。だから……やっぱり東雲さんみたいに、一人一人に対して、気に掛ける部分は凄いって思ってるよ」
彼女の方を見て真っ直ぐに告げると、少し俯きながら一瞬黙り込んだ。
「……そう」
少しだけ口元に笑みを浮かべながら、東雲さんはポツリと呟く。そして、こちらに視線をやると。
「いい加減私にさん付けはいらないかな。だから葵でいいよ」
「いやっ……」
そう言葉を紡ごうとして、ふと彼女の表情が目に入る。それは、今まで見てきたようないつも笑顔で場を明るくしている葵じゃなかった。どこか真剣で、まっすぐな視線。
初めて見た、彼女の飾らない素の表情に、思わず言葉が詰まる。それでも応えるように俺も自然と笑みを浮かべて返す。
「分かった。……ありがとう、葵」
そう伝えると、彼女は薄っすらと満足そうな笑みを浮かべる。そして次の瞬間には、にやりと意地の悪そうな笑みに変わる。
「にしても、教室での様子なんてよく見てたね。……そんなに望未が気になった?」
うっ……鋭いな。
彼女の指摘通り、望未がうまくやっていけるのか心配で、つい様子を見ていた部分はある。きっと、それを見抜かれているのだろう。誤魔化しても無駄だと思い、俺は観念したように少し項垂れながら返す。
「そうだな、気になったよ」
そう開き直って答えると、彼女はくすくすと笑い出した。少し拗ねたような視線を向けると、
「こういう時の連は分かりやすい反応をするよね。耳真っ赤だよ」
なんて指摘される。えっ……そう思って思わずスマホを取り出し、内カメラで確認する。けれど、特に変わった様子はない。不思議に思って顔を上げると————彼女はにんまりとした表情でこちらを見ていた。
「冗談だよ!」
なんて彼女の誘導に引っ掛けられた俺を嬉しそうに、楽しそうに笑う。……完全に誘導されていたらしい。
少しムッとするような気持ちもある。けれど。その笑い方があまりにも無邪気だったからかな。なぜか、引っ掛けられたはずのこっちまで、嬉しくなってくる。
あぁ……そうか。こうして三人で遊ぶ時間が、楽しいんだ。きっと、それだけじゃなくて、前よりもずっと距離が近くなっていると感じられるからだろうな。そう、少し気持ちを緩めていた、その時だった。
「連君お待たせ!」
不意にすぐ後ろから声がして、肩がびくっと跳ねる。
「うわっ!?」
「えっと、ごめん。驚かせちゃったね」
振り返ると、望未が申し訳なさそうに少し頭を下げる。
「ううん。こっちこそごめん。驚き過ぎた」
そう頭を下げると、少し安心したように気にしないでと笑った。……にしても、タイミング良すぎだろ。ふと葵を見ると、薄っすらと悪戯っぽい笑みを浮かべている。きっと、気付いていたに違いない。
(絶対に言うなよ)
(分かってるって)
そう目線で会話をする。今度は望未の方が不思議そうに俺達を見つめていた。
「なんかあった?」
「なんでもないよ」
そう端的に伝える俺とは違い、葵は少し含みのある笑みを浮かべながら答える。
「ん~、なんでもないよ」
その含みを残した言い方に、胸の奥がひやりとする。……ほんと、心臓に悪い。その反応に対して、特に望未は言及することはなかった。
その後、店内を見て回り、やがてお土産コーナーを後にする。店を出て少し歩いたところ、ちょうど同じタイミングで、俺と望未の言葉が重なる。
「この後なんだけど……」
「あのっ……」
互いに思わず言葉を止めて、顔を見合わせる。一瞬だけ、気まずいような静かな間が落ち
「あっ……ごめん、望未。先にいいよ」
そう言うと、望未は小さく首を振る。
「ううん。連君の方から続けて」
遠慮してないかと心配になりつつ俺は伝える。
「この後なんだけど、展望台行かない? ちょうど学割ペアチケットで買ってたし」
「え!? マジで!! 行く行く」
東雲さんは乗り気なようで、前のめりになりながらうんうんと頷いている。……メインの水族館より楽しそうにしているのはどうなんだろう、と思いつつ、俺は望未に視線を向けた。
「望未の方は、どう?」
「うん。私も行きたい」
望未は小さく頷いた。けれど、さっきまでの明るい様子がどこか薄れている気がする。ほんのわずかな違和感を抱きつつ、俺は彼女へ声を掛けた。
「それで、望未の要件は?」
望未は一瞬だけ言葉を探すように口を開きかける。
「あとで大丈夫。展望台の後で」
「そう?」
「うん!」
彼女は今度ははっきりと頷いた。その表情に、さっきまでの迷いはない。少し不思議に思いながらも、俺たちはそのまま展望台へと上がっていくのだった。




