誇らしい気持ち
水族館の中に入ると、さっきまでの明るさが嘘みたいに、世界が一気に暗くなる。理由はもちろん、水槽の中をくっきり見せるためだったり、生き物へのストレスを抑えるためだったりする。
けれどそれ以上に思うのは、まるで、自分たちが水の中に入り込んだような感覚になることが個人的には好きだ。なにより、水族館に来たという感覚になる。そんな感覚に浸っていると、東雲さんが声を上げた。
「ねぇ、これ見て、深海生物の展示やってるんだってよ」
「え!? マジ!!」
思わず振り返った先には、深海生物のイラストが描かれたポスターが壁に貼られている。うっわ、マジか!?つい、目の前の魚の群れに気を取られて気づかなかったが、これはかなりテンションが上がる。
「うわっ、すっげぇ……調査資料まで見れるのか!!」
「ねっ、すごいよね!!」
望未も驚いた様子で、ポスターに書かれた説明に目を走らせている。彼女も同じように興味を持ってくれる。そのことが、なんだか嬉しかった。
が、横を見ると、東雲さんが少し引いたような目で俺達二人を見ている。
「いや、そこは気にしてなかったけど……」
なんて。いやいや、これってかなり凄いことなんだよ東雲さん。展示施設でありながら、研究機関としての側面まで持っているなんてかなり珍しい。しかも、その資料を一般公開してくれているなんて、ありがたすぎる。と内面ではついはしゃいでしまう。
そんな俺の様子にくすくすと笑いながら、まるで子供を見守るような温かい目を向けてくる。それに少し恥ずかしくなる。
……一度、落ち着こう。そう思って軽く息を整えようとするけれど、どうにも抑えられる気がしなかった。
「ま、楽しんでくれている様なら、ここを選んだかいがあるってことだね。……じゃ、先に進もうか」
そう言って、さっきよりも少し砕けた調子で声をかけてくる。もう先ほど感じていたような気後れは感じていないようで、少し安堵する。
「うん。行こう!早速行こう!!」
自分でも分かる程声が弾みながら先を進んでいく。
「この水槽すごいな……体色が綺麗な魚で構成されてる」
青にオレンジ、それに赤色まで色鮮やかな魚たちが、サンゴ礁の間を優雅に泳いでいた。
「ほんとだね。サンゴ礁と相性がいい魚が入ってるんだ。……とっても綺麗」
望未も目を輝かせながら、水槽の中を泳ぐ魚を目で追っている。
「この水槽って、初心者でも飼育しやすい魚達だから、気になった人が調べて、そのまま飼育を始める……なんてこともありそうだな」
「ほんとうにそうだねっ!! 私もアカネハナゴイとか飼いたくなっちゃうもん」
そんな風に会話が盛り上がっていると、ふと視線を感じた。振り向くと、東雲さんが少し苦笑しながらこちらを見ている。
「ほんと、楽しそうに話してるところ悪いんだけどさ」
そう前置きしてから、
「もう20分くらい、そこにいるよね」
なんて、少し呆れた様子で俺達のことを見ている。少し言い訳するように俺達は口を開いた。
「いや~その……ほら!! 個体ごとに模様が違ったりすると、つい目で追っちゃうじゃん」
「それに……サンゴに隠れてる子がいたりしてさ。性格とかも違うから、つい見入っちゃって……」
俺たち二人は、東雲さんの追及から逃れようとそれぞれ言い訳を口にした。けれど自分たちでも苦しい言い訳だと分かっているから、つい視線が泳いでしまう。そんな俺達の様子に呆れた様子で告げる。
「次からは時間を決めるから」
『はい』
有無を言わせないその一言に、俺たちは素直に頷くことしかできなかった。それから少し歩きながら、東雲さんが水槽を覗き込む。
「ここまで色々回ってきたけど、結構見たことない魚とかもいるんだね」
そう感嘆したように告げる東雲さんは、水槽のガラスに顔を近づけて魚を目で追っていた。
「そうなんだよ! 東雲さんが見つけてくれたみたいに、深海の生き物も結構飼育されててさ。ほんと、新鮮に楽しめる!」
「確かにね。連なんて、水槽に入りそうなくらい顔近づけて見てたもんね」
そう言って、くすくすと笑い出す。……そりゃ~、仕方ないと思うんだよね。だって珍しいんだもん。目に焼き付けておきたいじゃん。そう思いながら視線を逸らした先にいた望未も、俺の様子を思い出したのだろう。楽しそうに笑っていた。
東雲さんといると普段見せない表情を見せてくれるからかな、少し悪戯心が芽生える。
「でも、望未もかなり見入っていた気がするんだよね」
「確かに! 時間になっても気付かない程に見入ってたもんね」
東雲さんが、にやりとした笑みでそう告げる。すると望未は、恥ずかしそうに縮こまり。小さな声で呟く。
「つい気になった子がいて……ご迷惑おかけしました」
東雲さんはくすっと笑って告げる。いつもの自然な様子で。
「攻めたわけじゃないって。……ただ、いつもの望未と違ってさ。ちょっと幼いところが見えて、可愛いな~って思っただけ」
そう言われて、望未の頬がさらに赤くなる。そしてちらりと、俺の方を窺うように視線を向ける。二人のやり取りを温かい目で見ていたからか、俺も同じように、俺も同じことを思っているように見えたのかもしれない。
望未はますます恥ずかしそうに身を小さくし、両手で顔を隠すように照れていた。顔を全部隠すことが出来ず、照れた表情が見える。
……いや、普通に可愛いぎかな。なんて思っていると、
「まぁ、連は魚よりもそんな望未に見とれていた気がするけどね……」
なんて、こっちにまで飛び火してきた。思わず反射的に、彼女の方を振り返ってしまう。
「なんで…………あっ……」
思わず漏れたその声に、自分でもはっとする。しまった。今の反応、まるで自白したみたいになってしまう。
「へぇ~……やっぱりそうだったんだ」
面白そうに目を細める。その追求から逃れようと、何とか言葉を紡ぐ。
「いや……その、説明している時とのギャップで、絵になるなって思って……つい……」
「それにしては見惚れすぎな気もしたけど……まぁ、確かに。純粋な可愛さがあるもんね」
「……そうだな」
恥かしくなりながらも、実際その通りなので肯定する。そう答え、望未の方に視線をやると、少しだけ照れくさそうにでも、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
けれど、こちらが視線を向けた途端、望未はすっと目を逸らしてしまう。……えっと。さすがに、あんなふうにじっと見惚れていたのはまずかったか。
さっき一瞬見えたあの笑みも、嬉しいわけではなかったのかもしれない。そう考えると、なんだか急に気まずくなってくる。今度からは、あんまり見惚れないようにしよう。そんなことを考えながら、先を進む。
望未が言っていた通り、しばらく進むうちに、東雲さんも水族館に見入っていた。
「ゾウザメってなに!? これもサメ仲間ってこと?」
東雲さんはガラス越しにゆったりと泳ぐ、独特な姿の魚を不思議そうに目で追いながら望未に質問する。
「大きな括りである軟骨魚類って意味では仲間かな……実は4億年前の進化の過程で分かれたから、祖先が同じって感じなんだ」
「あ~なるほどね! じゃあ、共通点とかもあったり」
「そうなの!!微弱な電気を感知するセンサーがあって、それで獲物を見つけるんだ」
「へぇ~じゃあ、食べるものも同じとか?」
「それが面白ところでね、ゾウザメは海底にいるから、甲殻類とかを食べて……サメは……」
そこまで言いかけたところで、
「魚類とかを食べるってわけか!!」
「その通りだよ葵!!」
ぱっと顔を輝かせて望未が答える。それに対して東雲さんの方も少し嬉しそうに笑う。
「それに、ゾウザメって水族館だと殆ど展示されてないの。だからコレに注目した葵は流石だね」
そう言われて満更でもなさそうに頬を緩めた。
にしても相変わらずというか、望未の知識量の多さには驚きが隠せなかった。けれど、それ以上に面白いと思うのは、俺とは少し違う視点で魚を見ているところだった。
例えば、デバスズメダイ。俺の認識では「温和な性格で混泳しやすい魚」程度の認識しかない。けれど望未は、水槽を眺めながら言っていた。群れの中でも一匹だけで泳いでいる子や、二匹で寄り添うように動く子がいる、と。
同じ種類の魚でも、きっと性格が違うんだと思う。そんなふうに、個体ごとに性格の違いを見ようとする。
……それが、なんだか望未らしい気がした。
そんなことを考えながら歩いているうちに、いっそう暗い空間に到着する。店内の照明はほとんど落とされ、辺りは薄暗い。代わりに、水槽の中だけが静かに光を放っている。
その淡い光の中で、無数のクラゲがゆっくりと浮遊していた。水の中を漂う、柔らかな影。ふわり、ふわりと、時間の流れさえ緩やかになるような光景。
さっきまで楽しそうに声を上げていた望未も、今は言葉を発さず、ただじっとクラゲを眺めていた。
「すごいじーっと見てるな望未」
「ホントだね~。流石、クラゲが好きってだけある」
「なるほどな。 だからこその凄い集中力ってわけか」
「……連も人のこと言えないけどね」
そう言われてそっぽを向く。……まぁ、否定はできない。それだけ俺も水族館に夢中になっていたってことなんだろう。
けど、この水族館が楽しすぎるんだからしょうがないじゃん。照明の明るさを奥側と手前で変えて、どこまでも続いているように見せたり、柱を偽の岩で隠して、視界に余計なものが入らないような工夫まみれなんだもん。……そりゃあ、見入っちゃうよね。
……これはもう、誰かを誘ってまた来るしかない。内心でそんな決意をするくらいには、夢中になっていた。東雲さんの微笑まし気な視線がら逃れるように、俺も望未に習って水中に浮かぶクラゲを眺める。
水中で浮かぶクラゲは、ライトの色が変化するたびに宝石のようにキラキラと輝く。その美し過ぎる光景に、つい触れたくなって手を伸ばしていた。触れれば痺れてしまう生き物だというのにな。そんな不思議な魅力がある。
そんな魅了されるほどの光景だからだろうか。それとも、先ほどよりもずっと暗い空間だからか。周囲の人影は、水槽の光にぼんやり浮かぶだけで、距離感が少し掴みにくい。
だから当然ぶつかりそうになる人もいるわけで、気付けば反射的に俺は駆け出していた。自分でも驚くぐらいの速さで。
「危ないっ……」
東雲さんが告げるように望未が人とぶつかりそうになる。接触しそうになる人との間に咄嗟に割って入る。相手との接触の瞬間、体の力を抜きながら肩で衝撃を受け止め、望未に触れないように衝撃を流す。
「すいません」
「あっ……こちらこそ、すいません」
水槽に見とれながら歩いていた彼も、俺にあたったことに気付き、慌てて頭を下げる互いに頭を下げて、また静寂な空間が戻ってくる。そこに、小走りで近づいてきた東雲さんがこちらを見ながら驚いたように告げる。
「にしても、よく間に割って入れたね……いつから気付いていたの?」
「ん? 望未との距離が近くなっているなって気付いた時かな。ぶつかりそうだって感じて、咄嗟に身体が動いていた」
「すっごい集中しているように見えたのに、周りも結構見れてんだ」
「まぁ、ね」
そう言葉にして、胸の奥でほっと息をつく。間に合ってよかったと。今も変わらずクラゲの水槽をじっと見つめている望未の姿を見て、改めてそう思った。
「にしてもやるじゃん、流石の脚力だね」
そう言いながら、東雲さんが肘でぐいっと俺の腕を小突いてくる。
「ほんと、この時ばかりは自分を誇らしく思ったかな」
そう素直に認められる。
「にしても、望未の方は相変わらず凄い集中力だね……あえて自分の方に寄せなかったのもそのためなんだね」
「そう、出来るだけ望未には好きな景色を周りを気にせず見て欲しいから」
「ふぅ~ん。その気づかいは良いと思うよ」
そう言って、東雲さんはどこか嬉しそうに笑っていた。俺もまた、望未と同じようにクラゲの水槽へと視線を戻す。淡い光の中で、どこか誇らしい気持ちを抱きながら。つい、笑みを浮かべていた。




