抑えられない気持ち
桜がみんなことを必死に応援する中で、俺は一人俯瞰してその様子を眺めていた。あまりにも感情が激昂しているからかな、どこか不甲斐なくて悔しくて、涙が少し零れそうになる。
もっと信頼される人物だったら、笑って頑張ってって言ってもらえたはずだ。けれど、その力は無い。だから、せめて最後には安心して笑えるように俺が、速川先輩に勝つ!!
100mで負けた。200mだって短距離の範囲に入る。先輩からすると得意分野寄りだって分かっている。それでも今の俺は不思議と負ける想像がつかなかった。地面と振れる足の感触がやけに鮮明で、周囲の些細な音すらも耳に入る。それほどに五感が研ぎ澄まされていて、指先の細胞まで不思議と意識できる気がした。
「笹野のところは大変だったな。あれじゃ、首位争いは難しそうだな」
「そうかもしれないな。でもさ、もしかしたら大どんでん返しがあるかもしれねぇぞ」
「無理だろ。あの差だし、お前が俺に勝てるとも思えねぇ」
「はぁ~、相変わらずお前は走りだけは自信あるんだな。他はダメなくせに」
「うっせー、一応は勉強だって50位以内だっての、ほんとすかしやがってよ」
なんて速川先輩がどこか自分の凄さをアピールしていて、それすらも癪に障る。だからかな、余計なことだと分かっていても口を開いてしまう。あえて、笹野先輩が耐えて言わなかったことを俺は告げる。
だってさ、桜が悲しそうにしているんだもん。ここで言い返さないはずがない。
「速川先輩は随分余裕そうですね」
なんて俺の言葉に笹野先輩がどこか呆れたようにため息をついた。ホント、お前は……。なんて言いたげに頭を抱えている。
「当たり前だろって……お前誰だ?」
「笹野先輩のチームでアンカーを務める選手ですよ。一応100m2位なんですけどね」
どうやら俺の事は眼中になかったようだ。憶えられていなかったは悔しいと思いつつ、堂々と告げる。
「ははっ、なら余裕だろ。お前が相手だもん」
なんて侮るような彼に俺は正面から告げる。
「そうですか。なら、最後に証明してみせますよ。1位で俺がゴールして」
「へぇ、随分な啖呵を切るんだな……その子が好きなのか?」
「さぁ、それはどうですかね。ただ、大切だって思ってますよ」
「そう?なら、尚更阻止してやらないとな」
なんて俺たちは二人して互いを睨み合うように見つめる。やがて、彼はどこかふっと俺を小馬鹿にしたように笑って去っていく。
「はぁ~、お前なー、ふつうもう少し我慢できないの?」
「えぇ、出来ませんでした。なんていうか、ついかっとなって」
「ほんと、想定外にお前は馬鹿だよ」
「知ってますよ。そんなこと」
笹野先輩はどこか優し気な目線で俺を見つめてふっと笑った。
「しょーがねーから本気出してやるよ。その代わり、きちんと見とけよ」
なんて髪をかき上げながら、目を細める。雰囲気が変わり、どこか真剣彼へと道を開けるように周囲の人波が割れた。
「はい!楽しみしてます」
そう言って彼を見送る。
***
Side 雫達
桜さんが目の前で倒れた。地面に突っ込むような体勢で倒れた彼女は体を少し左に倒しながら、左手を突いて倒れ込む。故意にも、偶然にも見えそうで周囲が何も言えない中、何かを感じ取った雫さんが暴れていた。
「あの先輩今から殺しにいきます」
「まって、雫。落ち着いて、少し落ち着いて」
今にも飛び出そうとする彼女を千夏が必死に抑え込んでいる。普段の彼女からは考えられない力で千夏を引っ張る彼女の目からはハイライトが消えており、桜さんに接触した相手を瞬きもせずに見据えている。
それに悪寒がするのは私だけじゃなくて、周囲にいる人は見な自身の身体をぎゅっと抱きしめていた。
ほんと、雫さんは桜のことになると暴走するよね。
「千夏は桜が悲しそうにしているのに、今出て行かなくていついくんです」
「競技中だから、さすがに後にしよう。桜にも迷惑掛かるから」
「でも……可哀想です。アイツがわざとぶつかったのに」
悔し気にぐっと歯を噛みしめる彼女は、地面を見つめながら視線を落とす。
「このまま最下位だったら、きっと悲しみます。それに上位になっても、きっとみんなに言われる。あの時桜が転んでなかったらって……」
当然のように予測できる未来だった。きっと男子の方は彼女を庇うだろう。それでも女子は違う。未だに桜さんを敵視している人は多い。こっぴどくカッコいい先輩を振ったことはもちろんのこと。容姿も勉強も優れた彼女を嫉妬する人は多い。
なにより、連君を初めてとして、有明君や大翔君とも仲良そうな姿はさながら逆ハーレムにも見えていた。だからこそ、今回何か言われる可能性ももちろんある。
「それなら、大丈夫ですよ。あの場に連君がいますから」
「それってどういうことですか?」
鋭い視線を雫が向ける。レースは終盤へと差し掛かっており、未だに最下位だった。雫さんが焦るのも当然だった。それでも有明君は彼女をいなしながら続ける。
「連君を見ればわかりますよ。あんなに真剣な様子の彼は久しぶりです。そして、ああいった表情をした時に負けた姿を僕は見たことがない」
「今、先頭を走っているチームのアンカーが、百メートルで一位だった人と知っても言えますか」
「えぇ、絶対です。ね、大翔」
「あぁ、有明の言う通りだ。あんなにマジになった連は久しぶりに見たよ。ほんと二年ぶりくらいじゃないか?」
「えぇ、そうですね」
なんて二人ともどこか涼し気に告げる。その様子を見ていた雫が少し、怒気を抑えつつ、鋭い視線を向ける。
「連が本気になったら、勝てるって言うんですか?」
「えぇ、僕が知る限り、彼を止められるような人はいません」
堂々と答える彼らに雫の表情が驚きへと変わっていく。そんな中でも有明君は淡々と告げる。
「誰もわかっていないですよ。彼の本当の凄さを」
「あぁ、アイツはいつも誰かのためになら、信じられないほどに強くなれる」
「本気で言ってるんですね、この状況から勝つって?」
「えぇ、よく見ていて下さい。ようやく彼が本気を出すんです。中間試験ですら出さなかった彼の本来の実力が見れるんですよ。その結末が悲しいもので終わるはずがない」
「同感だ。アイツは最後には夢咲さんを笑顔にして返ってくる。だってアイツは……」
『俺 (僕) たちが最も尊敬している人物 (です) だ!!」
堂々と宣言する彼らに視線が集まった。まるでおとぎ話の英雄を信じるような純粋な瞳で目の前の彼を見つめる。そんな彼らの言葉を乗せたかのように、風が舞い視線が前へと注がれる。ふっと笑う彼らの正面で連がバトンを受け取った。
皆がどこか緊張した面持ちの中、雫さんからどこか安堵したような笑みが零れる。彼の急激な加速に、誰もが目を瞠って見つめる。「いまさら何が出来るのか?」そんな周囲の疑念すらも晴らす。自身満々な笑みを浮かべる彼に、今は誰よりも真剣な表情で見つめる彼に誰も口を出せないでいた。
先程までは、「男子といちゃついているから」とか「先輩を振るからいいきみだ」なんて言われていた陰口を叩いていた隣のクラスの女子たちも誰もが、口をぽかんと開けていた。
ただただ彼が走っていく姿にみんなが見とれていた。加速して、一歩一歩が力強くて、なにより、フォームが綺麗だった。それは、目の前で独走している彼よりも、何より、速川先輩以上に彼は早かった。
急激な加速で選手を追い越していく。まるで子供の運動会に大人が混じったかのように、彼はものすごい速さで追い抜いていった。目の前を独走する彼は気付いていない。すぐ傍に迫る存在のことを……
そんな彼に周囲の人は私や望未を含めてどこか見惚れるのだった。




