Scene17: 屋根からの脱出
「……いいか、ユイ? ベッドの脚にきつく結べよ。このロープは命綱なんだからな。外れたら洒落になんない。イボ結びでいいから何重にも巻いて、何回も結べ」
「はいはーい。わかってるってぇ」
と、間延びした応答。
出どころは、照明が再点灯している妹の部屋の最奥。
俺の腰には、念願のアイテム、軽トラに積んであったロープが結わえ付けられている。
妹のユイに取ってこさせたものだ。
黄色と黒の柄をした細くて頑丈な代物で、俺の体重を支えるくらいわけない。
俺はロープの一端を、霜焼けで痛む指をどうにか動かし、歯も駆使して、腰に固定装着していた。
そして準備万端の状態で、妹がもう一端をベッドに固定し終えるのを待っている。
窓枠から室内へ吸い込まれているロープを見守っていると、妹から声がかかる。
「オッケ~、整いました! 名前がユイだけに、きつきつにユってあります!」
「この期に及んでまだボケるのかよ……」
「なぁ~にぃ~?」
「終わったんなら、お前のデッ尻をベッドにのせて重しになっとけ!」
「失礼ね、私のは安産型なんですぅ!」
ドシンッ!
と、屋根まで振動が伝わり、〝霜々〟が金平糖のように跳ね踊る。
「飛び乗りやがったな! 父さんと母さんが起きてきたらどうすんだ!?」
「ほらほら、いいから凍死しちゃう前に戻っておいで。冬の屋根をなめてかかったら死ぬよ、死んじゃうよ!」
登山口に立つ警告おじさんみたいなこと言いやがってからに……。
幸い、一階で寝ているであろう両親が階段を駆けあがってくる気配はなかった。
俺はロープを引いて入念に強度を確認。
ピンッと一直線に張り、緩むことはない。
「今行くからな!」首を洗って待ってろ。
宣言したのち、ひっつけっぱなしになっていたダウンジャケットの胸を浮かす。
寒さで凍りかけていたのだろう、屋根からペリペリと音が立つ。
手袋は滑るので地面に脱ぎ捨てていた。
軍手も持って来てもらうんだった、と思い出すが、もう待てない。
ロープに支えられて、雪止め突起に足の指だけで立った体勢になると、可動範囲の狭い二重穿きのジーンズを頑張って動かし、片足ずつ靴下も脱ぎ捨てる。
膀胱はズキズキ痛みを伴いだしていていたが、あとちょっとの辛抱と食いしばった。
右足を一歩前へ。
冷たくて硬質な感触が足裏全体に広がる。
ロープを腕で絡め取り、胴体に引きつけるようにたぐる。
力の加わり方が変化したおかげか、足下は、滑らない。
俺は細心の注意を払って、一歩、二歩、と屋根を登っていく。
屋根の縁からは観ることが出来なかった部屋の全貌を視界に捉えた。
「おぉ~、すごいすごい、登ってきた!」
ロープが延長している奥壁のベッド上で、あぐらをかいた妹が、シンバルを打ち鳴らす猿のおもちゃのように手を叩く。
もうすぐ登頂成功だ!
窓枠へ手が届きそうになった、そのとき、
「あれぇ? なんか音楽聴こえない?」
妹が耳元へ手を持っていくと、俺もその音楽に気づいた。
アコースティック・ギターで、コードを押さえリズムよく弾いているような、シャカシャカとした音。
それがどこからともなく響いてくる。
色っぽさのある男性ボーカルの歌声が重なった。
「英語歌詞? 昔な感じの曲調だね」
「〝スターマン〟だ……」
「星男? 誰それ?」
「曲名だよ! デビッド・ボウイの!」
「知らな~い」
「古いけど超有名だろうが!」
とはいえ、俺もすこし前に『オデッセイ』という宇宙を舞台にしたSF映画のDVDを借りて観て、劇中歌として使用されていたことで知った口だった。
それで気に入り、ウォークマンに取り込んでいたのである。
俺は背後の暗闇を振り返った。
どうやら地面に投げ捨てられたウォークマンが、完全には壊れておらず、タイムラグを経て誤作動を起こしたのだろう。
勝手気ままに〝スターマン〟を選曲し、再生させているのだ。
それもボリューム最大と思われる爆音で……。
「あっ、思い出した! 私この曲やっぱり知ってるよ! マット・デイモンが火星でジャガイモ育てる映画に使われてたやつだよね?」
「お前も『オデッセイ』観てんじゃん――ってぇ!?」
顔を正面に戻し、俺は絶句した。
ベッド上にあって今もそこになければならないはずの妹の顔が、超至近距離、窓際にあるのだ。
「ユイ、こっちきたらダメだろ……」
「え? なんで?」
ガガガッ!
部屋の奥でベッドが不気味に動き、動いた分だけ俺の立ち位置が窓枠から遠のく。
「こうなるからだよ!」
「うそっ! あれってそんなに軽かったっけ!?」
「じゃなきゃお前を重しにしないだろ! はやく飛び乗れ!」
「言われなくたって!」
一度動き始めたベッドは、摩擦もなんのその。
フローリング床を喧騒を上げながらポルターガイスト現象のごとく滑走してきた。
俺はズルズルと下がる体を、ロープを手繰ってとどめようとするが、くくりつけている肝心要のベッドが迫ってきては悪あがきにもならない。
妹は「そりゃっ!」と威勢よく跳躍した。
そして、その威勢が空回りしてベッドを跨ぎ越え、恐ろしい鈍臭さで、床につんのめる。
「ハードルやってんじゃねぇ、よおぉっ!?」
力加減が一挙に下半身へ集中し、俺は両足を同時に滑らせた。
棒を張り倒すように屋根へ打ちつけられ、反動で急加速しながら屋根の縁へと逆戻りしていく。
できることと言えは、
「ふぁあああぁぁあああぁぁあああっ!」
すっ頓狂な叫びを上げる以外になかった……。




