Scene14: 屋根兄妹
「今、私がガチで寝ちゃったとか思った?」
妹が窓からひょっこり上半身を出している。
室内照明は消えたままだが、星灯りと夜目が効いていることもあり、憎々しげに笑っている表情をくっきり捉えることができた。
俺は安堵感で相好を崩した直後、その口尻をひきつらせた。
「……ユイ、その格好はなんだ?」
単純に、疑問だった。
窓から突き出た妹の上半身はパジャマ姿ではなく、とても暖かそうなダッフルコート姿に様変わりしているのだ。
ふさふさとした毛並のそろったフードを頭に被り、妹が一言。
「寒かったから」
「いや、意味わかんねぇぞ。お前はな、ロープを持ってくるだけでいいんだよ。誰が着替えてこいなんて言った? ……てか、なんで部屋の明かりまで消したし」
「明かりを点けてて、ご近所さんに見られたらどうするの? 面倒なことになるじゃん」
「だからはやく助けろっつってんだよ!」
「助けるかどうかは、タツ兄の態度いかんによるね」
「はあ?」
ほくそ笑んだ妹が「うんしょっ」と、さっきまでは嵌めていなかったはずのミトン手袋をした手で窓枠つかみ、体を浮かす。
窓のレール部分に乗せたその下半身もパジャマから替えたのだろう、デニム地のズボンだった。
室内ではおよそ不必要な分厚い靴下まで履いている。
窓枠上に身を移し終えると、開け放した窓の縁に背をあずけて寄りかかり、膝を抱えて体育座りを決め込んでしまう。
「だから、なんなんだ……?」と、俺は嫌な予感をさせて尋ね返した。「なんなんだよ、その、長丁場になりそうだから上着を着込んできました的な格好は!?」
「安心してください、穿いてますよ! タイツも!」
と、妹がズボンの裾を持ち上げて見せる。
素足にしてはやけに黒々とした脹脛が覗けた。
「なるほど、どうりで着替えに時間かかってたわけか――って、そうじゃねぇんよ!」
「その状況下でノリツッコミができるってことは、まだまだ大丈夫そうね。イヒヒッ」
「怖いこと言ってその笑いはよせ。冗談に聞こえないから」
「安心してください、冗談ではありませんよ!」
「〝とにかく明るい安村〟は、とにかくやめれ……」
「良かったぁ。ツッコまれずに終わるかと思ってヒヤヒヤしてたよ」
「何十分も前から外でヒヤヒヤしっぱなしなのは、俺だからな。――で、お前はなにをどうしたら助けてくれる気になるんだ? 早く中に入って暖まりたいんだよ!」
妹が自らの体を抱きしめて、くねくねと揺らす。
「えぇ~、中はダメぇ~、お外がいいのぉ~」
「……しょうもないことすんなよ。お前の親が見たら嘆くぞ」俺の親でもあるけどな。
「しょうもないことって何ぃ~? 中学生だからわかんな~い」
俺は「チッ」と舌を打つ。
「はいはい、わかったわかった」
と、下卑たおふざけを終わらせて素に戻った妹は、おもむろに空を見上げた。そして、
「へぇー、ほんとに流星群がきてるんだね、流星オールナイトだ」
目を細めてつぶやき、つま先をパタパタ上下させながら黄昏れるように言葉を繋いでいく。
「まだ外に居たいっていうのは本当なんだよ。最近さぁ、タツ兄と長話するようなことって、あんましなかったじゃん? 私は塾で帰りが遅いし、タツ兄はタツ兄で、大学が遠いから帰りが遅くて、晩御飯も別々になっちゃうこと多いでしょ。だからね、キョウダイの親睦を深めるまたとない機会ってことで。あと少しだけでいいから、もう少しだけでいいから、こうやっていっしょに星を眺めながら話していようか、なんて思ったわけですよ」
「冗談は髪型だけにしろ」
俺はズバッと切って捨てた。
兄をからかうのも大概である。
窓枠に腰掛けて冬空を見上げる妹は青春映画のワンシーンっぽくなっているが、かたや俺はエベレストの絶壁で滑落にたえる登山家じみた極寒スリラー映画の真っ直中だ。
シチュエーションが、てんで噛み合っていないんだよ。
キョウダイの親睦うんぬんと言われたところで、ひたすら滑稽なだけでなく、狂気の沙汰。
つまるところ、妹の戯言を翻訳すれば、こう。
常日頃から敵対視している兄が、身動きのとれない絶体絶命ピンチに陥っている。
鬱憤晴らしをするにはまたとない機会だ。
すぐに助けるのは惜しいので、嗜虐趣味のおもむくままに捨て置き、痛い目にあわせてやろう。
……やれ恐ろしや。
「いつからこんなひねくれ者になっちゃったんだろうなァ……」
と、屋根に額を押し当てた俺は、妹に聞こえる声で独り言ちていく。
「ちっちゃい頃は『お兄ちゃん、だ~い好き!』なんていって、いつもくっついてまわる可愛いらしい女の子だったはずなのに。それが今では、俺が屋根から落っこちそうになっているのを笑えもしないジョークを飛ばして高みの見物をするようなゲスの極み乙女に成り下がってしまってるんだ。ああ、時の流れは無情だねえ」
妹が口を挟まずにだんまりしているので、どうな表情をしてるのかと思って顔を上げてみれば、例の雪女のような冷たい半眼でじっとこちらを見下ろしていた。
俺は鉄杭を打たれたようにひやりとして即座に口をつぐむ。……あぶない、あぶない、ヘタに刺激するな、大目玉を食らうのはもうたくさん、と、さきの教訓を思い出してクールダウン。
喧嘩腰では、屋内への道のりが1メートル手前で止まったままなのだ。
「わるい。言い過ぎた。謝る」
謙虚になったふりをして謝罪すると、妹はパチパチと瞬きを二回して、据わらせていた目つきを解消させた。
フッと頬をゆるめて呆れたように首を横にふる。
「タツ兄の頭がひねくれちゃったのは、今に始まったわけじゃないからしょうがないね」
「俺じゃねえよ、お前が――」と省みたそばから声を荒らげかけてしまい、ギッと歯噛みをして続きの言葉を飲み込む。「……いや、もういいよ、なんでもないや。それより話を元に戻す、というか先にすすめるぞ。さっさと交換条件を提示しやがれ」
「交換条件?」と、妹がとぼけて見せてくる。
しらじらしい演技だ。
「どうせお前のことだからな、タダじゃ助けてやらない、ってことなんだろう?」
見返りを要求される流れは目に見えていた。
ならば、ぐだぐだと不毛な会話をしているより、とっとと切り出してしまったほうがいい。
妹のユイは、「交換条件かぁ」と、そんなことは考えていなかったとばかりに繰り返した。ミトン手袋で顎をなでながら虚空を見つめ、「う~ん、それならねぇ」と思案する素振りをしてからニッと口角を上げる。
窓枠にのせていた両足を屋根の付け根に下ろし、こちら側へ向かせた体を前のめりに折り曲げて、言った。
「モノマネをしてよ」
「は?」




