第4話 変容
雑草の最上部で、茎を抱きしめたまま静止するショウリョウバッタ。
彼らは、エントモファガ・グリリという真菌に寄生され、その胞子を辺り一面にばらまくべく、操られるまま、茎に上り絶命していた。
子供のころの俺は、その魂の抜けたような、それでいて、どの角度から見ても黄金比で構成されたようなバッタの屍の美しさに魅せられた。
当然のように、俺は、寄生生物を専門とする研究者になった。
世界中のあらゆる寄生生物の生態と、その宿主の行動変容について長年研究してきた。
寄生生物たちは、宿主の脳内分泌物、ホルモンバランスのコントロールをし、彼らを操る。中には、それを経ずに直接宿主の筋肉をコントロールするものまでいる。
そして、俺を夢中にさせたのが、宿主の恐怖心を無くし、その行動を大胆にさせる寄生生物たちだ。
トキソプラズマは、中間宿主であるネズミが最終宿主の猫の尿のにおいなどに興味を示すように制御する。ロイコクロリディウムはカタツムリの触角に寄生し、捕食者である鳥に見つかりやすい行動を取らせる。ハリガネムシは、カマキリに寄生し、本来であれば水の苦手なカマキリを水辺に誘う。
これだと思った。
人間は恐怖に支配された生物だ。
何故、人間の個体間、あるいは共同体間で争いが絶えないのか。
恐怖が人を攻撃的にさせるからだ。
守るものがあれば、それを失うことがないように、他者を排除し、攻撃する。
この文明を歪めている諸悪の根源は、人間の恐怖心なのだ。
俺は、これらの寄生生物の研究を突き詰め、遺伝子編集を進めた。
しばらくして、人間の恐怖心を取り除くための遺伝子設計を終えた。
逆転写による人間の遺伝子改変も視野に入れた設計だ。
あとは、躯体となる寄生虫の選定だ。
恐怖心に支配されながらも、地球の支配者であるという驕りを振りかざす愚かな人類。
それにふさわしい、寄生虫がいる。
顎口虫だ。
彼らが、というか、俺たちが人間の皮下に作る這い痕は、人間が地球のほんの、いち機能にすぎないという証になるだろう。
それは、地球を下支えする寄生生物たちの苗床の刻印たりうるのだ。
顎口虫は本来、犬猫などの動物を最終宿主とする。
俺たち完璧な《《変異種》》は、その垣根を飛び越えて、人間を最終宿主とする《《進化》》を成し遂げた。
女の肉を喰らい、成熟した俺たちは、繁殖期を迎えていた。
俺は、女の胃の壁面に腫瘤をこさえ、その中でじっとしていた。
どうやら、俺はメスのようだ。
俺の腫瘤の外を同類のオスたちが無数に蠢いている。
俺の身体から、フェロモンが分泌されているはずだ。
侵入されるのも時間の問題だろう。
これが、地球の意志なのだから、しかたが……。
……。
しばらくして、俺は女の胃に卵を生みつけた。
「あ、もしもし? ショウ君? いまから家にこない?」
「うん。うん。久しぶりに、お料理したら、たくさん作りすぎちゃって」
「ちょっといいワインもあるからさ。うん。じゃあ、待ってるね」
女の体調は戻ったようだ。
動画収録の時のような快活さがある。
女は、鼻歌を歌いながら、激しく動いている。
料理をたくさん作りすぎたと言いながら、いまも男を迎える準備に勤しんでいるのだ。
俺たちが、胃の内壁の腫瘤で行った交尾と同期するかのように、女も繁殖期を迎えたのだろうか。
「はーーい!」
しばらくすると、女はチャイムに反応するような声を上げて、小走りで移動した。
男を玄関に迎え入れたようだ。
女は、また小走りで移動した。
「じゃーん。見て! ショウ君の好きなものたくさん作ったんだよ」
ん? 女の声は撮影時よりもはっきり聞こえるな。
マスクをしていないのか?
「かお***!」
「ああ、これね。ちょっと前からミミズ腫れみたいになってて」
「でもね、吹っ切れたんだ。ショウ君、いつも私を『かわいい』って褒めてくれたでしょ? でも、自信がなかったんだ」
「***」
「こうなって、初めてありのままの自分を愛せるようになったんだ。やっとだよ」
「**」
「今なら、ショウ君の前で服、脱げるんだよ?」
女は、一度静止して、身体をモゾモゾと動かした。
「ほら!」
「******!」
「え?」
「バケモノ****!」
「ひどいなー。これがありのままの私」
「受け入れてくれないのなら、いいよ」
「私は負けない」
女は、静止した。
おそらく逃げ帰った男の背中でも眺めているのだろう。
女は少し歩き、ドサッと大きな振動をさせた。
どこかに腰をかけたようだ。
次の瞬間、大きな咀嚼音をさせはじめた。
俺は、突然の奔流に、肉壁に食らいつき、それに流されぬように耐えた。
胃の中に、ほとんど噛み砕かれていない大量の食物と、ワインが流れ込んできたのだ。




