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ノアリア叙事詩  作者: うめよろし
異界

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旅立ち

 ハクジャは、法律を与えて放置すればおのずと国は治ると考え、公には顔を出さず、雲のような存在に徹していた。自身がスラム街の出身であり、王の威信に関わる情報が流出するのを恐れてのことだ——もっとも、それを気に病んでいるのはハクジャ一人だけなのだが。

しかし、部下の視察報告によってノアリア人の失踪が増加していると知り、国の在り方に危機感を覚える。手助けする仕組みの解明は後回しにし、まずはなぜ人々が国を捨てるのか、その動機を突き止めねばならなかった。


 そこでハクジャは、既存の形式を省いた雑談のような四者最高会議を催した。

「最近、ノアリア人の蒸発が増えているらしい。現場で何が起きている?」

宰相が言った。「失踪により納期が崩れ、契約解除に追い込まれる研究所が増えています。大国タリスが我が国の技術を買い取り、差額で儲ける構造が開発者の気勢をそいでいるのです。開発者は直接買い手とやり取りすべきであり、これが蒸発の動機でしょう。過去にタリスの手こずった国々と連署し、抗議の嘆願書を出すべきです。」


財務官は首を傾げた。「……宰相、タリスは本当にそれほど傲慢でしょうか。最初の取引時、買い取り額はノアリアの言い値で決まりました。実績もない小国だった我が国が世界と対等に取引でき、名を知らしめることができたのはタリスのおかげです。『直接交易したい』などと贅沢を言えるようになったのは、今だからこそではありませんか?」


ハクジャは言った。「……財務官の言う通りだ。タリスへの態度を、改めなくてはいけない。抗議ではなく、これまでの協力に対する感謝を込めた形での嘆願書でなくてはならない。」


嘆願書を送付すると、あっさり受理され、しかも返書を携え、タリス王本人が来訪した。

タリスには警備業、いくつかの諸国に貸し出す巡回人の定期利用権・メンテナンス費の収入源がありノアリアの助けには及ばないとのこと、また、ノアリアへの中間搾取について、心から詫びたいと述べた。


ハクジャは流石に恐れ入り、口少なく「寛大なお心に感謝申し上げます。」といった。その数日後、両国の重役がノアリアに集まり、タリスとノアリアの間で、相互防衛条約を結んだ。


これで開発者は、タリスを介さず、直接他国の買い手とやり取りができるようになった。これだけで、ノアリア人の苦しみは和らいだ。この決議は、ノアリア国一帯の掲示板に掲示された。


「タリスが帝国だった頃の仕組みは、少しずつ改良していかねばなりませんね。」財務官が言った。


ノアリアは自前で他諸国との外交・交易ルートをゼロから切り拓く必要はなく、タリスを仲介人とし交易していた国は、大手を広げてノアリアとの直接交渉に臨むとの意向を明らかにした。


 過食期の不老者は、通報、管理の仕組みがあり、管理施設を部下に見張らせているため、当面は心配しなくて良い。


 ハクジャは以下のようにして、他国との関係とノアリア人のストライキ解消を図った。まず、贔屓にしている取引国(諸国)との交渉で、ノアリアの職人(技術)を差し出す代わりに、「鉱石・原材料・特殊な植物」の採掘権や輸入権を獲得する。世界中から珍しい素材や故障した他国の古代遺物などを輸入し、国民の好奇心を刺激する。

防衛面について、タリス兵を、ノアリア人の防衛隊を育成する指導官として再雇用する。ノアリア製の兵器、罠を駆使する自国防衛隊を作る。

 この段階を踏めば、「自分たちはもうタリスの影じゃない」と国民自身が実感し、閉塞感と蒸発が収まっていくだろう。


 澄み切った朝の空気を突き破るように、ノアリア中央広場に集まった人々のどよめきが広がっていた。


 石造りの告示台に掲げられたのは、これまで姿を見せなかった王、ハクジャの名による初の布告であった。そこには、国家の新たな針路が明確な言葉で刻まれていた。


「諸国との交易により、ノアリアは世界中の未知なる鉱石、植生、解き明かされぬ古代遺物の輸入権を得ます」


「また、我らが街を護る防衛隊を新たに組織します。旧タリスの兵らは教官としてノアリアの若者を鍛え、隊員らはノアリアの技術が生んだ兵器と仕掛けを駆使し、自らの手でこの国を護りましょう」


 群衆の中で高札を見上げる者たちの表情に、確かな変化が生まれていた。


うつむきがちに街を歩き、かつてタリスから与えられていた「おもちゃ」の記憶に浸っていた職人たちの目に、かつての鋭い光が戻り始めていた。広場の隅では、さっそく運び込まれた見たこともない漆黒の鉱石を取り囲み、年老いた鍛冶師と若いカラクリ技師が熱っぽく構造を議論し始めている。他国の遺物を前にした若者たちの顔には、久しく失われていた純粋な高揚と好奇心が溢れていた。


広場から少し離れた練兵場では、新たな風が吹き始めていた。


重厚な鎧を纏った旧タリスの兵が、ノアリアの若者たちを前にして厳しい声を張っている。だが、その足元に設置されているのは、ノアリアの技師たちが組み上げた複雑な歯車と鋼糸の連動罠であった。武術の教導を受ける若者たちの手に握られているのは、タリスの既製品ではなく、軽量でありながら緻密な構造を持つノアリア製の弩(いしゆみ)だ。


「引き金を引く角度が甘い!」


タリス兵の叫びに応え、ノアリアの隊員が一斉に弓を構える。かつて守られるだけだった弱者たちの背筋が、教練を重ねるごとに力強く伸びていく。タリスの威容に怯える姿はそこにはなく、技術と武力を融合させ、自らの街を護るという明確な意志がその佇まいに宿っていた。


その光景を、城の最上層から見下ろす人影があった。


雲のように静かに街を見守るハクジャの耳に、鉄を打つ高い音と、訓練に励む若い号令が届いてくる。


誰かの影に隠れて生きていた街は終わりを告げた。自分たちの手で未知を解き明かし、自分たちの足で立つ感覚が、ノアリアの土深くにしっかりと染み込み始めていた。街を覆っていた重い閉塞感は薄れ、二度と人々が煙のように消え去ることはないだろうという予感が、朝日に照らされた街並みに満ちていた。


◇◇◇


 ノアリアの広場のベンチに、ボサボサの長髪の男が腰掛けている。

 男が読んでいるのは、科学雑誌だ。

 そこへ、セミロングの女性が、上質な絹の衣をまとい、男に近づいてきた。

 ハオランは驚き、よく見ると知人であることに気づいた。

「これはベル殿、非番ですか?」

「うん」ベルはハオランから離れた位置に腰掛けた。

「ハオラン…異界に興味があるんだが…その、片道切符なのか?」

「いいえ、あちらの世界が合わなかったら、研究員がノアリアへ旅立つ手助けをします。

 …行ってみますか?」

 すると、ベルは少女のような笑みを浮かべ「ああ、行ってみる。隊長や両親への挨拶はもう済ませた」と言った。

 責任者として方々に気を配らねばならなかった以前の表情と違う。

 ベルは奴隷時代を経験し、派遣民として課題を解決し、タリスの兵として生きた人生経験豊富な女性だ。あちらでうまくやっていけるに決まっている。


「あ、そうだ。最後に一つ、聞いてもいいか?」

「なんでしょう」

「タリスの心理士が、奴隷時代のノアリア人と話した時、机の上のグラスが割れたそうだ。

 もう50年も前のことだけど、作り話だろうか。それから、貴方とエイダが姿を現す前も、電球が弾けたり、羊皮紙が裂かれたりしてた。」

「…転移したての転生者の周辺の空間にひしめく粒子の密度に多少のムラが生まれます。それでグラスが砕けたりしたのでしょう。元帥がノアリア人を神格化したおかげで、捕囚されたノアリア人の扱いは手厚かったらしいですね。」ハオランは地面をなぞり、絵を描いて説明した。

「それ、わかるぞ。空気は微粒子と隙間からできていて、力を加えると圧縮され、開放すると元に戻るんでしょ。ノアリアの学者が教えてくれた。微粒子の密度にムラができることがあるんだな。工房の人たちにも伝えてくれ、ずっと気にしていたから」ベルは微笑んだ。

「わかりました、理解してもらえて嬉しいです。」ハオランは柄にもなく破顔した。

「…それでは、出立されますか?」

「ああ」


ハオランは懐からノートを出し、「一名、送ります」と書いた。しばらくすると、「受付完了」の文字が浮かび上がった。そして懐から金貨を1枚出し、ベルへ差し出した。空間が歪み始め、ベンチの数カ所に小さな亀裂が入った、ベルが金貨を受け取る。

次の瞬間ふっとベルの姿が消えた。ハオランの目には、透明な人型がまだ目の前にあった。しかし、少しずつ景色に溶け込み始め、やがて消えた。


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