ノアリアの生みの親タリスについて
ノアリアは、黎明期の説明が神話として語り継がれるタリス帝国が、自国の由来に納得するための実験都市だった。細い土地に客土をまぜ肥沃にし、純朴な奴隷を民として迎え入れ、神話の類を一切抜き、タリスの哲学をベースに建国された、「神話に依存しない国」だ。民の一部に者たちに、望みの国の永住権の提供を報酬にし、都市開発のあらゆる知識と護衛術を身につけさせ、属州国に送り込んだ。
任期を終えて元帥の職を辞した私は、ノアリアで静かに余生を過ごすことにした。
かつてはこの地で派遣民を育成し、彼らの赴任先の見極めに心を砕いていた。
ノアリアの姿と、タリスとの関係を整理すべく、筆を取った次第だ。
今こそノアリアの街には、清涼感があるが、以前は不思議な澱みがあった。
タリス以外の国との交易路が開かれていなかったからだろう。
徹底した非武装国家であるノアリアの平穏は、
強大なタリス軍によって守られていた。
自前の軍を持たず、タリスへの納税義務もない。
各地へ赴く派遣民にはタリス兵が護衛として同行した。
派遣民が赴任先で成果を上げ、増収をもたらせば、
総収穫量の2割と前年比の超過の利益は派遣民の報酬となる。
派遣され実績を出した者には、
タリス、ノアリア、属州国のいずれかの永住権が与えられた。
戦による傷跡を残した属州国の再建資材はタリスから無償供給された。
こうしてタリスは、属州国に貸しを作る。
タリスの手厚い支援には、次のような意味があったのではと思った。
国益の追求だ。
元奴隷たちと根気強く交流を重ね、知識を与え、属州国の鎮定と安定徴収をもたらす派遣民に育てた以上、彼らの活動がタリスの利益につながることを望むのは当然だった。
属州国が謀反しないだけで、御の字だったのだが、
属州国の納税が安定すれば、なお有難かった。派遣民はこれを成し遂げてくれた。
一方、かつての同僚だった別の元帥は、こう考えていた。
「ノアリアを自立させ、世界の中心に据え、タリスを跪かせること」を
タリスが望んでいるというのだ。
ノアリアを理想国家のモデルとして完成させ、各国から徴税し、代わりに
生活水準の向上斡旋と、技術を普及する。一定水準まで生活様式が整ったら、納税義務を永久に免除し、属州国を独立させる。大国タリスの権勢を笠に着て独立を支援するノアリアを見れば、頭を下げないわけにはいかない。
そうすれば、やがて恒久的な平和につながる。
時が経ち、どちらも正しかったと知った。
タリスは実利を得ながら、同時に理想郷を自立に向かわせていた。
派遣にあたり「かつて主従関係にあった元奴隷と元主人を絶対に引き合わせない」
という暗黙の規則が、厳格に守られた。
タリスは世界中の交易品や文化をノアリアへ持ち込んだ。
ノアリア人はそれらで遊び、分解し、仕組みを理解し、改良する。
完成した高品質な製品をタリスが買い取り、自国の生産網で量産して世界市場へ送り出すことがあった。多くの製品が、飛ぶように売れた。
タリスはノアリアへ「加工・設計の報酬×輸出個数」を支払った。
その報酬額はノアリアの言い値だった。
初期の段階では、ノアリアは、タリス以外の国と外交しなかった。
諸外国との交流が許されるようになったのは、タリスが交易のノウハウをノアリアに徹底的に叩き込んだ後だった。
諸外国の他、各区の生活用品は次第にノアリア製で満たされ、
さらにノアリアではワイン用ぶどうが積極的に栽培され、王族や有力者への贈答品となる最高級ワインの産地として認識されるようになった。
タリスはそれを大量に仕入れ、外交に用いた。
日常を支える精密製品と、外交を彩る極上のワイン。
それらは「ノアリア製品は、高品質・誠実・精密」というイメージを世界に定着させた。
ノアリアは、諸国から感謝される国になっていった。
ノアリアでは、駆け出しの開発者は自宅を研究施設として使う。タリスが有用と認めた製品には給付金が出され、専用の研究施設まで用意された。
依頼のない者は自由に研究を続けられる。一方、真価を認められて「納期」が生じた者は、独特の心地よい緊張感の中で開発に励む。
一方タリスには兵役制度があった。
二十代から四十代の健全な人を対象とする国民皆兵が建前だったものの、全土掌握に至る関門ケサ国を落城させた後は、任意制となっていた。
それでも、属州国に介入し派遣民を守り、各地の乱動を抑えることに意義を感じる者は多く、若者のほとんどが、みずから志願して兵士になった。
兵士が最初に教わるのは、土木工事である。
遠征先の地形を調べ、敵の居城を確認し、大型兵器や補給部隊を通す「大型軍用道路」を整備する。完成までには二、三か月を要した。
兵士たちは土木技術を一通り身につけ、戦場では地形に応じて最適な陣地を築く。
大型の曲面長方形盾で敵を押し返し、大砲で城門を破壊する。あるいは、降伏勧告
の書状を矢文として城内へ送り、戦意を失わせる。
タリスの軍事力は、単に敵を倒すためだけのものではなかった。
道を造り、物資を運び、人を守り、必要なら戦わずに降伏させる。
それが、タリスという国だった。
*あらすじ
かつて世界を威圧した巨大帝国タリスの元元帥ニコラウは、澱みのない清涼な空気をたたえた理想都市「ノアリア」の姿と、変わりゆく世界を見つめながら筆をとる。その手記は、かつて敵対し、あるいは支配・被支配の関係にあったタリスとノアリアが、いかにして現在の秩序へと移行したのかを鮮やかに描き出す。
カクヨム
かつて武力と圧倒的な物量で世界を従えたタリスは、自壊の危機と社会の変革を経て、その軍事力を暴力ではなく「秩序の維持と防衛」へと方向転換させた。一方のノアリアは、高度な技術や理想的な行政システムを保持しながらも、表立った覇権を誇示せず、世界各国の交易と結びつきながら静かに全体を支える中枢として機能している。
元元帥という立場からかつての栄枯盛衰と現在の均衡を見下ろすニコラウの視線には、激動の時代を駆け抜けた者特有の達観と、過酷な過去を乗り越えた先にある新しい平和への深い実感が込められている。それは、暴力的な帝国支配から、経済・技術・そして法とシステムによる「理性的で持続可能な世界秩序」へと変貌を遂げたこの世界の真実を、最も静かに、そして雄弁に物語る記録であった。




