休暇申請
「炭と堆肥を混ぜたばかりの土は、微生物による分解が進むにつれて、熱やガスが発生することがあります。土が十分に馴染まないうちに苗を植えると、根を傷めかねません。水分を調整しながら、一週間から二週間ほど、そのまま寝かせて様子を見ます」
翌朝、ルーンは作業員たちを集め、当面の予定を説明した。
「畑の作業は、二週間弱、いったん休止します。この間は土を動かさず、状態を観察してください。ほかの仕事がある者は、そちらに移っても構いません」
作業員の半数は、諸外国から復旧に加わった労働者だった。彼らは土を寝かせる期間を利用し、故郷へ帰ることにした。残った村人たちも、建築や修繕など、手伝える仕事がないか各所を回り始めた。
村の空気は、思いのほか穏やかだった。
復旧作業の報酬を受け取った村人たちは、鍛冶職人たちの助けもあり、手持ちの硬貨を金銀などの資産に換える手立てを得ていた。また、市場で食料や生活必需品と交換できる特約票も、一週間の生活を賄える程度に手元にある。もちろん、特約票はどこでも使える万能の通貨ではない。それでも、取り決めに参加する商人たちがいて、交換できる品物が確保されている。その安心感が、人々を落ち着かせていた。
ルーンは、しばらく村を離れることを見越し、現場代理人を決めることにした。
選んだのは、エダだった。
エダはルーンを慕い、作業中はいつも近くで働いていた。指示を待つだけではなく、周囲の様子を見て必要な仕事を探し、手際よく片づける。ほかの村人とのやり取りにも慣れている。
ルーンは、休暇が認められた場合には代理人を務めてほしいと伝えた。畑の土が馴染むまでは、誰かが善意で手を出してしまわないよう、作業の再開を管理する必要がある。
「わかりました。みんなが畑を触らないよう、私が見ておきます」
エダは、目に見えて喜んだ。
「助かる。私はしばらく村を離れるが、その間を頼む」
ルーンは、エダに特約票を十枚渡した。妻を含め、三人の家族を養っているエダに、代理人としての仕事を引き受けてもらうためだった。
「これは、君の働きに対する報酬だ。家族のこともあるだろうから、遠慮せずに使ってほしい」
「ありがとうございます。しっかり務めます」
次にルーンは、ハクジャから貸し出されている建築職人たちのもとへ向かった。
村には、家屋の間取りや構造をよく覚えているライカという女性がいた。ルーンは彼女に頼み込み、記憶を頼りに各住宅の間取りを図面に起こしてもらうことにした。さらに、建築職人たちへ図面を渡し、建設作業の進行を手伝ってもらう。
ハクジャの貸し出した人員は、ライカを中心に、住宅の再建を着実に進めていた。
村の仕事をひとまず任せられる見通しが立つと、ルーンは伝令をサラのもとへ向かわせた。尋ねたいのは、休暇の申請方法だった。
*
サラは、ルーンから届いた手紙を読み、手を止めた。
「……休暇」
思わず、言葉が口から漏れた。
すっかり頭から抜け落ちていた。
市場の運営を軌道に乗せること。出入りする荷と商品の管理。特約票の発行や回収の監視。人員の手配と、各地の派遣民との連絡。
サラは、そうした仕事に神経を使い続け、自分自身が休むことを考えていなかった。
働き続ければ、いずれ判断の精度が落ちる。本人の気力だけで支えられる仕組みは、長くは続かない。ルーンからの手紙は、その問題を目の前に突きつけていた。
そもそも、新しい休暇制度を一から作るのでは、土地ごとに反発が起こるかもしれない。これまでの慣習を急に変えれば、人々は自分たちの権利を奪われたと感じるだろう。
ならば、旧タリスの法を土台にしたほうがよい。
サラは考えた。
本人が希望する日程で、最大十四日間の連続休暇を申請できる。通常は週に三日を休養日に充てる。もちろん、仕事を止められない職場では交代制を設ける必要があるが、忙しいという理由だけで休む権利そのものが失われてはならない。
この案をハクジャに相談しよう。
サラはルーンに返事を送り、直接話し合うため、彼を呼び寄せた。
久しぶりに顔を合わせたサラは、ルーンの姿を見て安堵した。
「ルーン、よく来てくれました。村の復旧は順調ですか?」
「はい。おかげさまで、少しずつ進んでいます」
「よかった。では、一緒にハクジャのところへ行きましょう」
*
ハクジャの執務室には、旧タリス帝国で宰相を務めた人物も控えていた。
中央政府が倒れたいま、旧体制の法律をそのまま新しい土地に押しつけることはできない。しかし、法律のすべてが不要になったわけでもなかった。ハクジャは宰相の記憶や証言、残された法令集を参考にしながら、新しい経済圏で利用できる制度を探っていた。
サラが休暇の話を切り出すと、ハクジャは率直に答えた。
「休暇制度は、まだ制定していない」
「このままでは、働く人々が休めません。いずれ、仕事を放り出していなくなる者が出てもおかしくありません」
サラの指摘に、ハクジャはしばらく考え込んだ。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「旧タリスの法を土台にしよう。制度の枠組みは旧法を引き継ぎ、中身はサラ殿の案に合わせて調整する。そうすれば、人々には、これまで持っていた権利が新しい体制でも保たれ、使いやすくなったと説明できる」
彼は指先で机を軽く叩いた。
「週に三日の休養日を原則とし、本人の申請があれば、休養日をまとめて取得できるようにする。連続取得は最大十四日。仕事を止められない場所では、交代要員を確保して日程を調整すればいい。旧タリスの季節安息日なども、地域の慣習を尊重して維持しよう」
「それなら、土地ごとの習慣を大きく壊さずに済みそうです」
「同時に、各職場は業務を維持できる人数を把握しておく必要がある。ただし、人手不足を理由に、いつまでも休暇を認めないのは本末転倒だ」
ハクジャは、サラとルーンを見た。
「この制度は、一部の職人や役人だけのものにしてはいけない。新しい体制に加わる各地の住民に適用しよう」
その場で待機していた伝令たちが、各地への連絡を始めようと立ち上がった。
「待ってくれ」
ハクジャが声をかけた。
「法の解釈が土地ごとにばらつくと、かえって混乱する。まず、公布する文面を統一しよう」
彼は木札を取り出し、定める内容を書き始めた。書き終えると、伝令たちに向けて読み上げた。
「旧タリス帝国法第十二条に定める『官吏・労働者休養権』を、新経済圏においても適用し、これを保障する。
休養日は原則として週三日とし、本人の希望に応じて、年間百五十六日の休養枠内で、最大十四日間の連続取得を認める。業務上の都合によって日程を変更する場合も、休養の権利そのものを損なってはならない。
旧タリスの季節安息日など、従来の休日は地域の慣習を尊重して維持し、各地の業務に合わせて休養日を調整する。
各職場は業務の継続に必要な人員を確保し、休養日を交代で取得できる体制を整えること」
ハクジャは木札を、そばの伝令に渡した。
「これを書き写し、各地の派遣民を通じて公布してほしい。口頭での伝達に頼らず、同じ文面を残すこと」
伝令は胸元から手帳を取り出し、木札の内容を慎重に書き写した。それを隣の伝令に渡す。各地へ持ち帰るための記録が整うにつれ、伝令たちは一人ずつ部屋を出ていった。
最後の一人が退室したのを見届けてから、ハクジャはルーンに向き直った。
「君の場合は、少し事情が違う。ククルの復興を主導しているうえ、いまは畑の土を寝かせている期間だ。一般の休暇制度だけで処理するより、復興計画に合わせて休養期間を決めたほうがよいだろう」
ハクジャは、手元の資料を脇へ置いた。
「秋ごろまでに村を建て直すのが目標だったな。休みの日数を決める前に、まず現在の進捗を教えてほしい」
彼はカップを持ち上げ、水を一口飲んだ。
ルーンは背筋を伸ばし、報告を始めた。
「ククルでは、焼けた農地の復旧が進んでいます。炭を砕き、堆肥や米ぬかなどと混ぜて土にすき込みました。現在は、土が馴染むまで作業を止めて、様子を見ているところです」
ルーンは続けた。
「建物については、燃え残った梁など、まだ使える木材を分別して保管しました。瓦礫を片づけ、敷地を平らに均し、地盤が沈まないよう土を突き固めるところまで終わっています。ハクジャ殿が貸し出してくださった職人たちのおかげです」
話を聞いたサラは、心底安堵したような表情を浮かべた。ハクジャも、張り詰めていた顔から少し力を抜いた。
「それは何よりだ。村の規模を確認しておこう」
「村人は、およそ二百人です。住居が三十二棟。祈祷所と聖堂が一棟ずつ。役場、役場倉庫、集会所、共同パン焼き釜がそれぞれ一つ。地下の穀倉が五か所、鍛冶場、水車小屋、ワイン醸造所が一か所ずつあります」
「まだ復旧できていないのは?」
「住居三十二棟と、役場倉庫です。ただし、どちらも基礎を固めるところまでは終わっています」
「水車小屋は動かせそうか」
「はい。火災の被害は比較的軽く、機構も残っています。傷んだ部品を直せば、再び使える見込みです。鍛冶場の工具には熱で曲がったものもありましたが、鍛冶職人たちが修理してくれています」
ハクジャはうなずいた。
「ワイン醸造所は無事か?」
「建物は残っています。ただ……中のワインは、すべて奪われました」
短い沈黙が落ちた。
「そうか」
ハクジャは手元の紙に何かを書きつけた。
「特約票三枚で、ワインを三十本、手配しよう。醸造所が再び動き出すまでのつなぎになるだろう」
「……ありがとうございます」
ルーンは深く頭を下げた。
特約票による手配は、紙を渡せば無条件に物資が現れるというものではない。ハクジャは市場の備蓄と引き渡し条件を確認したうえで、契約を取り決めるつもりだった。その三十本は、村が再建されるまでの間、醸造所の仕事をつなぎ、商いを再開するための支えになる。
「村人たちは、まだ天幕で暮らしているのか」
「はい。アリカ殿が革の天幕を用意してくださいました。皆、復旧を優先していますので、不満の声はほとんどありません」
ククルで残っている課題は、かなり絞り込まれていた。農地は土の状態を見極めながら回復させ、住宅と役場倉庫は、整えた基礎の上に建物を組み上げていく。
これまでの進捗を聞き終えると、ハクジャはルーンをまっすぐ見た。
「本当によく、ここまで村人たちを先導してくれた」
ルーンは、返す言葉を探すように口を閉じた。
「土を寝かせている間、二週間ほど休んではどうだろう。その期間は、私からの報酬として受け取ってほしい。通常の休暇を消化するのではなく、復興に尽力したことへの特別な休養だ。その間も給与は支払う」
「それは……よろしいのでしょうか」
「君が休むことも、復興計画の一部だ。二週間程度であれば、エダに現場を任せられるのだろう?」
「はい。畑の管理を頼んであります。建築作業も、ライカ殿と職人たちが進めてくださっています」
「ならば、安心して休むといい」
サラが、用紙とペンをルーンの前に置いた。
「こちらにお名前と、休養期間を記入してください。今回の二週間は特別な有給休養として扱います」
ルーンはペンを手に取り、用紙に日付と名前を書き入れた。それをサラに差し出し、頭を下げる。
「ありがとうございます。これで、よろしくお願いいたします」
ハクジャは手を軽く振り、ルーンを見送った。
「住居と役場倉庫は、今の進捗なら一か月ほどで形になるだろう。冬までには、村人たちが落ち着いて暮らせる環境を整えたい」
「楽しみですね」
ルーンは、ハクジャとサラを交互に見た。
「はい。私も、楽しみです」
そう答えてから、ルーンは再び礼を述べ、部屋を出ていった。
*
ルーンの姿が見えなくなると、サラはハクジャに向き直った。
「ハクジャ殿も、お休みください。市場の監視に加えて、タリスの法律書をずっと読み込んでいらっしゃいます。これでは、ルーンに休むよう勧めた私たちが、手本になっていません」
ハクジャは少し考え、机の上に積まれた法令集へ目を落とした。
「では、君を信頼しているから頼もう。法律書の後半部分を読んで、内容を整理してくれるか?」
サラの表情が、ぱっと明るくなった。
「承知しました」
「僕は商業、犯罪、裁判に関する部分を担当する。君には、人権、民法、労働に関する部分をお願いしたい」
ハクジャは、分厚い法令集の背表紙を指でなぞった。
「旧タリスの法律は、長い時間をかけて積み上げられたものだ。残すべき知恵もあるが、権力者や専門家にしか理解できない書き方も多い。新しい体制で使うなら、できるだけ簡単な言葉に直したい」
「誰もが、自分にどんな権利があるのか理解できるように、ということですね」
「そうだ。法律を知っている者だけが得をする仕組みにはしたくない」
サラはハクジャを見つめたあと、静かにうなずいた。
そして書棚へ向かい、タリス法律書の下巻を取り出した。
市場を守ることも、村を復興させることも、法律を整えることも、目的は同じだった。
人々が安心して働き、暮らし、必要なときには休めるようにすること。
サラは本を開き、最初の頁から読み始めた。




