アリカ
ルーンは、黙々と鍬を振るっていた。
炭を砕いて作った資材に堆肥を混ぜ、畑の土へ少しずつすき込んでいく。焼け焦げた土地を、次の作付けに間に合うよう、できるところから立て直す。そのための二度目の肥料作りと、土に混ぜ込む作業が、ようやく終わったところだった。
作業を終えた者たちが、それぞれ道具を片づけ、帰り支度を始める。
ルーンも鍬を置き、腰を伸ばした。
そのとき、一人の女性が歩み寄ってきた。
「これを、どうぞ」
アリカは、畳まれた大きな革布を差し出した。
「麻布の天幕では、雨が降ったときに困るでしょう。革を加工する際に、一人分の天幕を作れるよう、あらかじめ切り分けておいたのです」
「……アリカ殿、ありがとうございます」
ルーンは革布を受け取った。
野営用の天幕が必要なことくらい、当然わかっていたはずだった。ところが、畑の復旧に気を取られるあまり、自分の寝床のことは後回しになっていた。村の者たちが家屋や倉庫の修繕に追われているなか、自分だけが麻布を張った天幕で寝起きしていたのである。
「雨が降ったら、どうなさるおつもりだったのですか」
アリカは困ったように笑った。
「この村で麻布を天幕にしていたのは、ルーン殿だけです。みな、あなたを愚かだと言っていますよ。ご自身もまた、村を立て直すための大切な資本でしょうに」
「……忘れていたのです。本当に」
畑のことしか考えていなかった。
畑が戻らなければ、村人たちの食糧は足りない。収穫を確保できなければ、備蓄も増やせない。だから、少しでも早く土地を回復させようと、毎日作業を続けてきた。
しかし、そのために自分が倒れてしまえば、結局は復旧を遅らせることになる。
頭では理解していても、手を止める理由を見つけられずにいた。
アリカは、しばらくルーンの様子を見ていた。やがて、声を少し落として言った。
「タリスの襲撃から、ここまで。本当によく尽くしてくださいました」
その言葉に、ルーンは返事をしなかった。
「判断力が鈍ってしまう前に、一度お休みいただきたいのです。いま、この村を支えているのはルーン殿ですから」
アリカは、畳んだ革布を持つルーンの手元に目を向けた。
「ところで、この新しい体制では、休暇の申請などできるのでしょうか」
「……考えたこともありませんでした」
ルーンは、少し考えてから答えた。
「ただ、いま休暇のことをサラ殿やハクジャ殿に相談するのは、気が進みません。お二人とも、市場の監視や人材の手配、各地との交渉に追われています。息をつく暇もないほどです」
タリスの中央政府が倒れたあと、以前のように命令を出すだけで人も物資も動く時代は終わった。必要な人材を探し、物資を確かめ、条件を取り決め、運搬の手段まで整えなければならない。
サラとハクジャが担っている仕事は多い。村の復旧も、その二人が築き始めた仕組みの一部にすぎなかった。
「私は、この革の天幕で十分に休めます。お気遣い、ありがとうございます」
ルーンがそう言うと、アリカは何かを考えるように目を伏せた。
「……わかりました。それでは、明日もよろしくお願いします」
アリカは一礼し、歩き去っていった。
ルーンは、その後ろ姿を見送った。
革布を手にしたまま、しばらく考え込む。
タリスが倒壊する前には、派遣民が帰国を申し出るための規則があった。任務を終えた者や、休養を必要とする者が、帰国を申請できる仕組みである。
いまも、その規則は残っているのだろうか。
新しい体制では、村の復旧や市場の運営に必要な仕事が、次々と生まれている。一方で、仕事を担う人間が休むための仕組みは、まだ整っていないのかもしれない。
もし休暇申請の手続きが曖昧なままなら、それは自分一人の問題ではない。ほかの者たちも、休む必要があっても申し出られずにいる可能性がある。
「……よし」
ルーンは、両手のひらを打ち合わせた。
「休暇を申請してみよう。タリスの旧規則がまだ使えるのか、新体制にどんな欠陥があるのか。それを確かめるきっかけにもなる」
そして、歩き去ろうとしていたアリカに声をかけた。
「あの、アリカ殿!」
アリカが振り返る。夕方の光を受けた、少し赤みがかった髪が揺れた。
「はい?」
「休暇の申請をしてみます。もし認められたら、その間、この村のことをお願いできますか」
ルーンは、深く頭を下げた。
アリカは一瞬目を丸くし、それから、ほっとしたように微笑んだ。
「……よかった。よいお返事がいただけるよう、お祈りしております」
彼女は穏やかな声で続けた。
「おやすみなさい、ルーン殿」
「おやすみなさい」
ルーンは革布を抱え直した。
畑の復旧は、まだ終わっていない。明日もやるべきことは山ほどある。
それでも今夜は、天幕を整え、きちんと眠ろうと思った。




