土作り
夜明け前、ルーンは目を覚ました。
昨夜まで燃えていた焚き火は、すっかり消えていた。
麻布のテントの中で、羊毛の毛布にくるまって眠っていたのだが、朝方の冷え込みで目が覚めたらしい。これから雨季に入る。雨をしのぐには革製のテントが必要だった。
先日、セレニアとハクジャから届いた物資には、羊や山羊の革で作られた遠征用テントも含まれていた。しかし、村人全員が暮らすには数が足りない。建設はハクジャの部下や日雇いの働き手が手伝ってくれるが、資材も人手も無尽蔵ではなかった。
ルーンは革の肩掛け鞄を開き、特約票を取り出した。
五十枚か、六十枚ほどある。
これらは、セレニアと流民街の間で結ばれた交換契約に基づく証票だった。記載された契約先と条件を確かめれば、穀物や建築資材などを受け取れる。だが、どこへ持っていっても自由に使えるわけではない。
正しく使わなければ、村の再建に必要な物資を手に入れられなくなる。
ルーンは一枚ずつ数を確かめ、鞄へ戻した。
田畑を焼かれたのは痛かった。
住居や役場は再建できる。農具も修理できる。だが、農地は違う。土を再び耕作できる状態に戻さなければ、村人たちは来年も、その先も食べていけない。
ルーンの目に涙が滲んだ。
彼はそれを拭い、静かに思案した。
今は嘆いている場合ではない。
まず、田畑を蘇らせなければならなかった。
*
昨日、復旧作業を手伝いに来た元タリス兵が、ルーンにこんな話をしていた。
「タリスは、もともと異文化の流入を拒む国じゃなかった。むしろ、異国の技術や文化を取り入れ、自分たちの力に変えてきた国だ」
男は、焼け落ちた役場の跡を眺めながら続けた。
「それに、軍には規律があった。遠征先で略奪を働かぬよう、王は部隊長たちに厳命していた。降伏した属州を勝手に襲い、無益な遠征を続けた隊長は、重い罪を問われた。軍籍を剥奪され、国から追放され、タリスやノアリア、関係諸国への立ち入りも禁じられたんだ」
ルーンは、男の顔を見た。
「それでも、あなたたちの軍隊が、私たちの村を焼いたのです」
「……ああ」
元兵士は、言い訳をしなかった。
「だからこそ、タリス人全員が、あの隊長と同じ人間だと思わないでほしい。俺たちにも、守ろうとしていたものはあったんだ」
彼がそう言ったのは、村人たちの憎しみを和らげたかったからかもしれない。
あるいは、自分たちがかつて属していた組織の崩壊を、少しでも理解してほしかったのかもしれない。
ルーンには、その本心までは分からなかった。
ただ、今回の略奪が、タリス軍全体の規律が崩れ始めていることの表れだとは理解していた。
かつては、武力によって広大な領土を維持していた帝国だった。
今では、兵士への給与すら滞り、軍票を乱発して物資を買い漁る部隊が現れている。規律を失った兵士たちが、現地の住民を脅し、拒まれれば略奪に及ぶ。
それでも、元兵士の中には、村の再建に協力しようとする者がいた。
ルーンは、彼らを一括りにして憎むことはできなかった。
しかし、許せるかどうかは、また別の問題だった。
今は、田畑を蘇らせることに集中しよう。
*
最初に取りかかったのは、焼けた農地の表面を整える作業だった。
燃え残った木片を拾い、灰を集め、火災の熱によって硬く締まった表層を少しずつ削り取る。場所によっては土が焼き固まり、鍬が容易に入らなくなっていた。
それから、荒らされた用水路を修復した。
崩れた堤には麻布の袋へ土を詰めた土嚢を積み、流れが戻るように水路の詰まりを取り除く。水車の周囲には焦げ跡が残っていたが、幸い、火は小屋の内部まで燃え広がっていなかった。
溜池には泥が溜まっていた。これも、人手を集めて取り除いた。
水源が無事だったことは、不幸中の幸いだった。
それに、農具も残っていた。
村の役場は焼き払われたが、農具をしまっていた倉庫は、奇跡的に難を逃れていた。ただし、熱を受けてひしゃげた鍬や鋤がいくつかあった。
ルーンは鍛冶屋へ修理を頼んだ。
鍛冶屋は、タリス正貨の改鋳によって生じた金銀の品々を鑑定し、再利用できる金属を取り出す作業に追われていた。額面を失った貨幣でも、金銀そのものの価値まで失われたわけではない。精錬して地金に戻せば、装飾品や部品など、別の用途に利用できる。
それでも鍛冶屋は、農具の修理を優先して引き受けてくれた。
「畑が戻らなければ、金属があっても食い物が作れねえからな」
そう言って、ひしゃげた鍬を炉へ入れた。
その言葉に、ルーンは深く頷いた。
村の復興には、鍛冶屋が欠かせない。
農具を直すにも、建築に使う金具を作るにも、壊れた水車を修理するにも、金属を扱える職人が必要だった。
しかし、ククルの鍛冶屋だけでは、すべての作業を引き受けることは難しい。
ルーンはセレニアのサラへ相談した。
すると、サラが懇意にしている手配師を通じて、腕のよい鍛冶職人が三人、一定期間ククルへ派遣されることになった。
彼らは、農具や工具の修理に加え、村の再建に必要な金具の製造も請け負ってくれるという。
職人たちの食費はセレニア側が負担し、報酬についても、契約に基づいて特約票で前払いすることになった。
ただし、特約票の使途と受取先は台帳に記録され、交換を保証する物資と数量も確認されていた。
こうして、ひしゃげた農具は元どおりの形を取り戻していった。
ようやく、本格的に田畑の再生へ取りかかれる。
農地は広かった。
灰や焼き固まった表層を削り取るだけで、一週間を要した。
*
ところが、土を整えただけでは、作物を育てることはできなかった。
火災の熱によって、土の表層では有機物や微生物が失われ、土壌の状態が悪化していると考えられた。場所によっては、水はけや水持ちにも問題があった。
本来なら、肥沃な土を他所から運び込む客土が有効だろう。
しかし、近隣の村や街から勝手に表土を剥ぎ取ることは禁じられていた。自分たちの土地を再生するために、他の村の生産基盤を壊すわけにはいかない。
遠方から土を取り寄せる方法もあるが、運搬に必要な人員と費用を考えると、すぐに実行できるものではなかった。
そこでルーンは、ノアリアの養成所で学んだ方法を思い出した。
木炭を利用した土壌改良である。
炭には、目に見えないほど細かな孔が数多く存在する。適切に処理した炭を土に混ぜれば、水分や養分を保持する助けとなり、土壌の性質を改善できる場合がある。
ただし、炭をそのまま大量に混ぜればよいわけではない。炭の性質によっては、作物が必要とする養分を一時的に吸着してしまうこともある。
そこで、炭を堆肥や有機物と混ぜ、養分や微生物を含ませてから土へ施す。
こうすることで、炭だけを投入するよりも、土壌改良の効果を得やすくなるのだ。
これらのことは、ノアリアの養成所で学んでいた。
略奪は想定外だった。
それでも、復興の手順について教科書があることは救いだった。
「まずは、炭を作らなければ」
ルーンは、焼け残った建物の木材を見た。
屋根の梁や柱の一部は、修繕用として使える状態だった。だが、炭化させたほうが再利用しやすい木材も残っている。
それらを選り分け、木炭を作るための窯を設けることにした。
村人たちへ声をかける。
「田畑の復興に必要な炭を作ります。窯が必要です。窯作りの経験がある方、手が空いている方は、こちらへ来てください。今日の作業には、日当として特約票六枚を支払います」
この日当は、公共の復旧作業に従事する成人に支給する取り決めに基づくものだった。支払いに用いる特約票も、使用できる交換先と条件が確認されたものを使う。
すぐに人手が集まった。
石や土、掘削道具で集めた粘土を使い、ドーム状の窯を作る。手前に焚き口を設け、奥には煙を逃がすための煙道を作った。
窯が完成すると、木材を長さと太さごとに揃え、内部へ積み上げた。
木材を燃やし尽くすのではなく、空気の流入を制限しながら加熱する。木材に含まれる水分や揮発成分を逃がし、炭化を進めるためだった。
焚き口で火を起こし、煙道から出る煙の色や量を確かめながら、窯の状態を調整する。
炭化が進んだところで、焚き口と煙道を粘土で塞ぎ、空気の流入を遮断した。
あとは、窯が完全に冷めるまで待つ。
数日後、窯を開けた。
中には、黒く炭化した木材が残っていた。
「すごい……本当にできた」
ルーンは思わず声を漏らした。
作業を手伝ってくれた人々も、窯の中を覗き込んだ。
焼け落ちた建物の残骸が、今度は田畑を再生するための資材になったのだ。
彼らは互いに顔を見合わせ、笑った。
*
完成した木炭は、細かく砕かなければならない。
ルーンたちは炭を細かく砕き、さらに粉末にするため、皮の天幕を敷いて石臼を据えた。
作業を見ていたアリカという娘が、ふと声を上げた。
「それ、自動化しましょう。水車を使って」
ルーンは顔を上げた。
水車小屋は、表面に多少の焦げ跡があるものの、綺麗に残っていた。村人たちが必死に水をかけ、火が移らないよう守ったおかげだった。
「水車を使うのか?」
「はい。手で砕くよりも、ずっと多くの炭を粉にできます」
彼女の提案を受け、村人たちは水車小屋を改造することにした。
小麦を挽くために設置されていた九つの石臼を取り外し、炭を砕くための大きな上臼と下臼を作る。
上臼の中央には、炭を投入するための穴を開けた。水車の回転を利用して上臼を回し、炭を少しずつ投入することで、効率よく粉砕できるようにしたのである。
臼の下には、革のシートを広げた。
シートの四隅には大きめの木片をくくりつけ、中心へ向かって傾斜がつくように調整した。
水車が回り始める。
上臼の穴から投入された炭が砕かれ、細かな炭片となって革のシートへ落ちていった。傾斜に沿って中心へ集まり、外へ散らばらずに溜まっていく。
こうして、手作業では時間のかかる粉砕を、水車の力で進められるようになった。
革のシートが炭片で七割ほど埋まったところで、水車を止めた。
炭片を外へ運び出し、堆肥、米ぬか、熟成させた生ごみの発酵液などを混ぜ合わせる。米ぬかは村人たちが美容や生活のために使っていたものを分けてもらい、発酵液は食料品店や居酒屋の裏手にある生ごみを適切に発酵させて用意した。
それらをよく混ぜ、しばらく寝かせる。
炭の細かな孔に有機物や養分が行き渡り、土へ混ぜ込む準備が整うのを待つためだった。
ルーンは、発酵中の炭を見つめた。
「これで、土が戻ってくれるといいのだが」
「一度で全部が元通りになるわけではありません」
アリカが答えた。
「でも、何もしないよりはいいはずです。土の状態を確かめながら、少しずつ混ぜていきましょう」
ルーンは頷いた。
急いでいるからこそ、無理をしてはいけない。
農地の状態を確かめ、土壌改良材を混ぜ、試しに作物を育ててみる。結果を見ながら、次の区画へ作業を広げる。
村人たちは、その手順で進めることにした。
*
炭と堆肥を混ぜ合わせた土壌改良材が用意できると、村人たちは田畑へ運び始めた。
焼き固まった表層を削った土地に、改良材を少しずつ混ぜ込む。必要に応じて、残っていた堆肥や保存用の土を加え、土の状態を確かめる。
農地は広い。
一度にすべてを改良することは難しかった。
そこで、村をいくつかの区画に分け、優先順位を決めた。
まずは、早く作付けできる場所から再生する。
次に、土の傷みが激しい場所へ取り組む。
木炭を粉砕し、堆肥や発酵液と混ぜる作業は、水車を利用することで効率が上がった。三度の仕込みを繰り返し、得られた改良材を順番に畑へ施した。
すぐに、以前と同じ収量が得られるとは限らない。
それでも、村人たちが暮らしを維持し、次の収穫へ向かうための農地を確保することはできそうだった。
水路は修復されている。
水車も動く。
農具は鍛冶屋が直してくれる。
建築資材と食料は、セレニアとの取引によって追加で調達できる。必要な人手も、ハクジャの流民街から来てくれた。
そして、ククルには、農業を知る人々がいる。
彼らは、灰を除き、土を整え、堆肥を混ぜ、次の作付けに備えた。
ルーンは、作業する村人たちを眺めた。
焼かれた土地を見たときには、何もかも失われたように思えた。
だが、すべてが失われたわけではなかった。
水源は残った。
農具も、修理できるものは残った。
種子も、分散して保管していたものがある。
村人たちの技術と知識も、失われてはいなかった。
そして、遠くの土地から、資材と人手を融通してくれる者たちが現れた。
特約票は、その約束を結びつけるために使われた。
紙そのものが村を救ったのではない。
そこに記された交換契約を、実際に履行する人間がいたからこそ、木材も、食料も、職人の手も、ククルへ届いたのだ。
ルーンは、鍬を持ち上げた。
「よし。次の区画へ進もう」
村人たちが応じた。
ククルの再建は、まだ始まったばかりだった。
だが、田畑を再び耕せる土地に戻すための仕事は、確実に前へ進んでいた。




