第8話 死の書
「もう誰もが分かっておるはずじゃ。エリュンデアで己の居場所を勝ち取りたければ、そのために命を懸ける覚悟が要る」
高みから、ゾロヴァンがそう告げた。
ネレスは一歩前へ出る。
「そして、自分を信じられなくなった者には、これが最後の辞退の機会となる。ディバイン・オーダーが、お前たちを元いた場所へ送り返してくれるじゃろう」
ネレスは一歩下がった。
しばらく群衆を見渡したあと、ゾロヴァンはひとりうなずく。
「諸君の幸運を祈ろう……この生であれ、次の生であれな」
候補者たちの足元に、魔法陣のようなものが次々と浮かび上がり始めた。
最初の時に眠りこけてさえいなければ、ネレスにも見覚えのある光景だっただろう。
ほどなくして、まばゆい光が全員を包み込んだ。
◇ ◇ ◇
長くはなかった。せいぜい数秒といったところだろう。
光が薄れた時には、ネレス、アレン、ヴィルキーの三人は、殺風景な緑の草原の真ん中に立っていた。
これは、ネレスが待っていた好機のひとつだった。
この忌々しい試練から離脱するための、またとない機会。
彼は本気で、もうこれ以上神なんて連中と関わりたくなかった。
だが、ヴィルキーの肩に手を置いて安心させているアレンへ視線が止まる。
その瞬間、脳裏にオドリアンの首が転がる光景がよみがえった。
二人を置いていけば、どうにも後味が悪い。
「近道ってのは、行き先が分かってる奴だけが使えるもんだ……」
ネレスは小さくつぶやいた。
「俺はいつだって、遠回りばかりだな」
「どうかしたのかい?」
アレンが尋ねる。
「いや、何でもない」
ネレスは軽く身体を伸ばした。
「とにかく、早く動いた方がいい。この草原じゃ目立ちすぎる」
「そうだね。向こうに森が見える。態勢を整えるには悪くない場所だ」
アレンを先頭に、三人は木々の陰へと駆け込んだ。
周囲に敵影がないことを確かめると、ネレスは改めて自分の本をじっくり観察し始めた。
「結局のところ、この本、まともに埋まってるページが一枚しかねえんだよな」
【死の書】
「ゴッドスクリプトにこんな大層な名前が出てるくせに、これだけかよ。がっかりだな……」
「ゾロヴァンも言っていたでしょう」
ヴィルキーが言った。
「エイドロンは持ち主と一緒に成長するのよ。磨いていくスキルみたいなものだと思えばいいわ」
「正確には、磨いていくべきスキルの集まりかな」
アレンが補足する。
ネレスは、ようやく何かが記されている唯一のページへ視線を戻した。
そこには読めもしない記号や文字に加えて、槍と盾を構えた骸骨の絵が描かれている。
幸い、ゴッドスクリプトがすぐ横から補足を出してくれていた。
【死の書】の項目の下に【スキル】という欄があり、そのページが何を意味するのかはっきり分かるようになっている。
【スケルトン兵】
【死してなお、堅牢な守り手にして猛き攻め手。士気のないものの士気は砕けない】
【HP:500】
【ATK:150】
【DEF:200】
「要するに、体力と攻撃力と防御力ってことか……」
まだ後で詳しく見なければならない項目はいくつもあったが、ネレスの目を最も引いたのは、その下にある一行だった。
【熟練度E】
理解が間違っていなければ、これは使えば使うほど上がっていくのだろう。
「スケルトン、ねえ……要するに骸骨兵ってことか? RPGの最序盤に出てくる雑魚敵みたいなもんじゃないのか。数値だけ見ると妙に高い気もするけど、比べる相手がいないから何とも言えないな……」
「アールピージー?」
ヴィルキーが首をかしげ、アレンを見る。
だが、アレンも肩をすくめるだけだった。
「気にしなくていいよ。ここまで来ると、僕たちだって分からないことだらけだ。僕のエイドロン、誓約の刃にも、今のところ使えるスキルは一つしかない」
アレンは穏やかに笑った。
「最初から君を味方に引き入れたかったのは、君の底がまるで見えなかったからだ。それに、君の経験はきっと大きな力になると思った」
「底が見えない、ねえ……その光の恩寵ってやつ、一度点検に出した方がいいんじゃないか」
ネレスは鼻を鳴らした。
「それより、経験って何の話だ?」
二人の若い半神は、そろってうなずいた。
(そんな目で見られても、神同士の争いに詳しいわけじゃない。ただ、後になって「ああしておけばよかった」って振り返る経験なら、千回分あるけどな)
「よし」
ネレスは腕を組んだ。
「こういう状況で使える、千年モノの秘策を教えてやる。文字通りな。名前は――キャンプだ」
「キャンプ?」
二人が同時に聞き返す。
「徹底的に身を隠して、敵同士で勝手に潰し合ってもらう」
「……」
「……」
「何だよ。驚きすぎて言葉も出ないのか?」
「ちゃんと真面目に考えて!」
ヴィルキーが小声で叫んだ。
「いや、純粋に生き残るだけなら悪くない作戦ではあるよ」
アレンは苦笑した。
「でも、それだとディバイン・オーダーから評価されない危険がある」
「いや、キャンプってのは何も隠れてるだけじゃない。不意を突いて仕留めるところまで含めてキャンプだ」
「それならもう立派な戦術じゃない……でも、何だか不名誉だわ」
ヴィルキーは不満げだった。
「今どきの若い連中は、本当に注文が多いな……」
「半神としては僕たちが若いのは事実だけど、何百年も生きたあとで『若い』って言われるのは、さすがに変な感じがするよ」
アレンは笑う。
「でもネレスなんて、神基準でもおじいちゃんじゃない?」
ヴィルキーも笑いながら続けた。
「もしかしたらゾロヴァンに張り合えるかも」
「それ、ちょっと魂に来たな……」
「ごめん、ごめん。ただの冗談よ」
ヴィルキーは笑いをこらえながら謝った。
「神は、そもそも年齢の感覚が人間と違うからね」
アレンが取りなすように言う。
「僕たちは不死なんだから」
「そうよ、ちょっとからかっただけ」
ヴィルキーもようやく落ち着いた。
「これまで散々振り回された、ささやかな仕返しってやつ」
「別に、振り回した覚えはないんだが……。まあ、確かに俺はおじいちゃんかもしれないけど、だからって――静かにしろ」
ネレスは最後を小さなささやきで切り、二人へ手で合図した。
少し離れた草原に、四つの人影が現れていた。
ついさっき自分たちがいた方角を、こちらへ向かって歩いてくる。
「開幕から人数負けしてるな……」
ネレスが低く言う。
「大丈夫よ。たった四人なら、アレン一人でどうにかできるわ」
ヴィルキーはネレスの背に身を寄せながら答えた。
「で、何で俺を仲間に入れたんだっけ?」
ネレスは顔をしかめた。
「あと、くっつくな。彼氏持ちの女と密着するのは嫌なんだ。羨ましくなる」
「だから、そこよ!」
ヴィルキーは声を抑えながらも食ってかかった。
「本当にあんたって、どうしようもないわね!」
「とにかく、いきなり四人まとめてアレンに任せる前に、どの程度やれるのか見ておきたい。ここに銃なんてものはなさそうだし、せめてもう一本剣でもあればな……」
「アレンの腕なら、私が保証するわ」
ヴィルキーは胸に拳を当てて言い切った。
「恋人ってのは、たいてい相手を過大評価するもんだ」
「そのネタ、もうだいぶしつこいわよ!」
「ネレス、本当だよ」
アレンはネレスの肩へ手を置いた。
「相手がその四人だけなら、僕一人でも何とかなる」
ネレスは横目でアレンを見たが、首を振った。
「こっちはまだ、実戦でこいつをどう使うのかも手探りなんだ。そんな状態でいきなり本番に突っ込むのは、さすがに分が悪い」
そう言って、重たい本を開く。
そこには武装した骸骨の絵が描かれているページがあった。
「……まあ、少なくとも囮くらいにはなるだろ」




