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第6話 エイドロン

「なんで俺が二人の真ん中に座ってるんだよ」


「わたしがアレンの隣に座ったら、またあなたが自分はお邪魔虫だって騒ぐでしょ」


 左隣のヴィルキーは気にもしていない様子で、銀のフォークを口元へ運びながらそう言った。


「今でも十分お邪魔虫だろ! これじゃ余計に気まずいんだよ!」


「そんなこと言わないでくれよ、ネレス。僕たちのことは兄弟だと思えばいい。派閥って、そういうものだろう?」


 右隣のアレンが、宝石のはまった杯を手にしながら言う。


「そもそも、なんでそんなに俺にくっついてるんだ? このテーブル、百人くらい座れそうなんだけど?」


 三人がいるのは宿舎の一室だった。

 だが、宿舎というより、神話の存在の寝所と呼んだ方がしっくりくる。


 ひと言で銀食器と片づけるには、あまりにも豪奢だった。巨大なベッドにかかったシーツは雲で織られているようで、壁を流れ落ちる澄んだ滝からは細い水路がいくつも伸び、部屋の隅々まで巡っていた。


「夜中に目を覚まして、あの水路に足突っ込みそうだな……」


 ネレスはもう一度部屋を見回してからぼやいた。


「心配しなくていいよ。夜になると、その水がほんのり光るんだ」


 アレンは笑みを浮かべる。


「いや、ここまで案内してくれたのは感謝してるけどさ。お前ら、いつまでここにいる気なんだ? 自分たちの部屋はないのか?」


「本当は、ニンフたちが食器を下げに戻ってくるまで一人になりたいんじゃない?」

 ヴィルキーがいたずらっぽく笑った。

「さっきから、あの子たちのことばっかり見てたものね」


「一応言っとくけど、あれだけ透けた服着てたら、そりゃ誰だって見るだろ……。アレンだって、途中でお前に目を塞がれてなかったら見てたはずだ」


「それに、ネレスの本音は別にあるだろ?」

 アレンはフォークを口に運びながら言った。

「銀食器を盗んで、試練が始まる前に逃げ出したいんだ。でも残念ながら、どこにいても開始と同時に転送されるよ」


「ちっ……俺の完璧な計画が……」


「本当に出て行ってほしいなら、魔法の言葉を言えばいいだけだよ」

 アレンは空になったフォークをくるくると回した。


 ネレスは疲れたように息を吐き、少し考えてから答えた。


「分かったよ。どう役に立つのかは知らないけど、その『試練』の間だけなら、近くにいてもいい」


「それじゃ、同盟成立だね!」

 アレンは勢いよく立ち上がった。

「今はそれで十分だ。でも、いつか必ず君を僕の派閥に引き入れてみせる。その時は一緒に、歴史に残る神々の一団を作ろう」


 アレンは手を差し出した。ネレスは渋々それを握り返す。


 満足そうな笑みを残し、アレンは部屋を出ていった。


「で、お前は?」


 左を見ると、ヴィルキーが頬をいっぱいにふくらませたまままだ食べていた。


「だって、まだ食べ終わってないもの」


「お前、自分の部屋にも食い物あるだろ!」


◇ ◇ ◇


 ようやく一人になったネレスは、『自分の宿舎』のバルコニーに置かれたソファへ腰を沈め、思索にふけっていた。


「ずいぶん思い切った賭けだったよな……。あの時は、とにかく輪廻から逃げることしか頭になかった。だから、あの光の壁に辿り着いた瞬間、迷わず飛び込んだ」


 だが、その後どうなったのかは分からない。

 どれほどの時間が経ったのかさえ定かではない。

 ただ一つ確かなのは、目覚めた時にはもう、自分の理解を超えた場所にいたということだけだった。


 遠くには、自分のいる峰を含めて五つの峰が見えた。

 それらすべてが、神々の都を形作っている。

 どの峰にも壮麗な宮殿、空中庭園、そして雲の上へ流れ落ちる滝のような川があった。


「何百年も生きてるくせに、あいつらのノリはまるで若造だな……。神ってみんなああなのか?」

 ネレスは、新しくできた知人たちを思い浮かべてため息をつく。

「嫌な予感しかしない。あの二人、たぶんかなり上まで行く。俺の『目立たずに最後の人生を平穏に送る計画』は、かなり危ういな……」


 立ち上がり、大理石の手すりへ歩み寄る。


「でも、もし本当に運命の女神がもういないなら……いや、駄目だ。油断するな。あの天使面した悪魔がそんな簡単に消えてるわけがない。あいつはきっと、ゴキブリみたいなもんだ」


(ゴキブリ、ねえ?)


 その瞬間、ネレスの血の気が引いた。


 今の声は、今ここで聞こえたものではない。

 あの『デート』の時、唐突に頭の中へ響いた記憶の断片だった。


「気のせいだ……。絶対そうだ……。やっぱり、足の生えたキノコなんか食うんじゃなかった……」


◇ ◇ ◇


 ネレスはいつの間にか、服を着たままベッドの上で眠ってしまっていた。


 むしろ服を着たままで助かった。

 転送は、眠っている間に始まったのだから。


 目を覚ましたのは、床へ叩きつけられた衝撃のせいだった。


「大丈夫かい?」

 アレンが手を差し伸べながら言った。


「俺はともかく、背中の方が無事じゃない気がする……」


 ヴィルキーの好奇心に満ちた視線と、周囲の笑い声の中、ネレスは立ち上がって乱れた服を整えた。


 そこでようやく気づく。

 今着ている黒い上着は、地球で着ていたものと同じだった。


 最初の人生で孤児だった自分は、たぶんその服のまま火葬されたのだろう。


「【ディバイン・オーダー】の仕事はずいぶん早いな」

 アレンが言う。

「僕たちは同盟を組んでるから、三人とも近くに転送されたみたいだ」


「そもそも、ここどこだ?」


「まだエンピリアン・ピークスの中よ」

 ヴィルキーが答えた。


 今、何千もの候補者たちは都市の一角にある広場へ集められていた。

 そこは、都でもひときわ大きな建物の一つの下だった。


 建物の土台そのものが高く築かれており、まるで巨大な城壁の上に建っているようにも見える。


 二つの階段が合流し、その先に大階段が続く高台。

 その上に、ゾロヴァンの姿が現れた。

 今度は後ろに孫娘の姿はない。


「さて、候補者たちよ。いよいよ神々の祭典、その本番を始める時が来た」

 ゾロヴァンの声が広場に響く。

「だがその前に、一つだけ明言しておかねばならん。エイドロンを顕現できぬ者に、参加資格はない」


「エイドロン? 何だそれ、食い物か?」


 ネレスがぼそりと呟く。


 当然、ゾロヴァンは聞き逃さず、すぐに答えを与えた。


「知っておる通り、エイドロンとは、お前たちの魂が形を得たもの。あれを具現できぬ者は、自らの力を最大限に扱うことは決してできぬ」


「お前ら、あの人が何言ってるか分かるか?」


 ネレスは隣の二人へ顔を向けた。


「要するに、自分の内側にある感覚へ形を与えるってことだよ」

 アレンが手を差し出しながら説明する。


「内側にある感覚? うーん……空腹か? 朝飯まだなんだけど」


「ははは、それよりもっと奥だよ」


 そう言った瞬間、アレンの手が光り始め、その光が鋭い長剣の形を取った。


 刀身は赤く、発している気配は少しも穏やかではない。

 ネレスに言わせれば、それはアレン本人の落ち着きとは真逆のものだった。


「お前、内面かなりこじれてるだろ。精神科でも勧めようか?」


「精神科? それより、今『友達』って言った? ついに僕のことを友達だと思ってくれたのかい?」


「いや、ただの言い回しだ。……ん? でも、これって俺にとってはチャンスなんじゃないか?」


 ネレスは自分の手を前へ差し出した。


「もしうまくいかなかったら、失格扱いになって、そのまま合法的に逃げられるかもしれない。そうしたら、この山の下で農場でも始めて――」


 だが、そう口にしている間にも。


 ネレスの手もまた、光を帯び始めた。

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