第5話 運命の影(2)
アレンとヴィルキーは、そろって戸惑ったように顔を見合わせた。やがてヴィルキーは、細かな装飾が施された小さな手鏡をポケットから取り出し、ネレスへ差し出した。
「そんな馬鹿な……」
……
「俺、じいさんじゃねぇか!」
「……」
「……」
「いや、待て……つやつやでさらさらだな。悪くないか……? ん?」
変わっていたのは髪だけではなかった。
瞳もまた深い金色をしていて、その奥には何かの紋様が刻まれているように見えた。
ネレスはその光景に見覚えがあった。
魂の海――いや、アレンとヴィルキーがそう呼んでいた『銀の海』の果て、地平線の向こうに見えていたあの光と、まったく同じだったのだ。
ネレスはずっと、あの光へ辿り着くことを恐れていた。
輪廻の連鎖から逃げたいとは思っていた。だが、なぜかあの光をくぐるという選択肢だけは、一度も頭に浮かばなかった。
だからこそ彼は、銀の海を囲む神秘的な緑の光の障壁を抜けて、そこから逃げたのだ。
そう考えると、あの障壁の光は、ゾロヴァンの孫である生命の女神リリエンが放っていた光に少し似ていた気もする。
もっとも、あの海を泳いで渡れる距離はせいぜい数百キロが限界だった。
やがて水に引きずり込まれ、新たな世界で生まれ変わる。
再び泳いで逃げようと思えば、次の機会が来るまで一つの人生を丸ごと生きるしかなかった。
「ネレス?」と、アレンが呼びかけた。
「いや、何でもない……今の俺、すっかり妙な見た目になったなって思っただけだ」
ネレスは、あの恐ろしい光をそのまま映したような自分の目から視線をそらして答えた。
「見た目のこと? 私は、かなり神秘的で魅力のある顔立ちだと思うけど」と、ヴィルキー。
「どうも。でも彼氏持ちの女からの褒め言葉は受け付けない」
「ほんとしつこいし、器が小さすぎるわよ!」
「はは……でも、それで君の気配があれだけ濃い理由にも説明がつく」
アレンはそう言って、ふくれたヴィルキーをなだめるように肩へ手を置いた。
「普通、死ねばスピリチュアル・エナジーは世界へ還る。転生する時も、銀の海へ向かう時も同じだ。けど君は、これまで生きてきたすべての人生と、巡ってきたすべての世界の分のスピリチュアル・エナジーを蓄え続けてきたことになる。正直、どれほどの量になってるのか想像もしたくないよ……」
「俺も言いたくない」
「でもネレス」アレンは続けた。「スピリチュアル・エナジーは、しょせんエネルギーでしかない。その使い方なら、これから身につけていける。僕たちと一緒にね」
「しつこいって意味じゃ、そっちも大概だな……」
「派閥の話を、エフェリオンの門をくぐってる人たちのど真ん中でしすぎたんじゃないかしら」と、ヴィルキーが言った。「もう宿舎に行かない? その方がいいと思うわ」
「僕たちの派閥って? 俺はまだ何も了承した覚えはないんだけど」
「そんなこと言わないでよ、ネレス。もう愛称で呼ぶのを許してくれたじゃないか」
アレンはそう言って、歩くよう促すようにネレスの背を軽く押した。
「もうほとんど友達みたいなものだよ」
「その認識にはかなり異議がある。でも一つだけ同意することはある。俺もその宿舎とやらに早く行きたい」
ネレスは大して抵抗もせず、そのまま二人に導かれて歩き出した。
「で、あそこって夕飯くらいあるんだろ? 神って何食うんだ?」
「酒の神とか、収穫の神とか聞いたことないかい?」と、アレン。「僕たちだって人間と同じものを食べられるよ」
「まあ、神によっては魂を食べたがるのもいるけど」と、ヴィルキーがわざと恐ろしげな顔を作る。「もちろんスピリチュアル・エナジーを吸収するために、だけど。神への生け贄とか聞いたことない?」
「マジで!?」ネレスはぎょっとして辺りを見回した。「まさかあの女神、俺を食べ頃まで太らせてたんじゃないだろうな!?」
「ははは、ヴィルキーは冗談で言ってるだけだよ。今どき人間の生け贄なんて、かなり嫌われてる」
アレンが笑いながらそう言う隣で、ヴィルキーはぺろりと舌を出した。
「それに、あの方法で吸収できるスピリチュアル・エナジーはほんの一部だって聞いてる。そもそも人間は持ってる量自体が少ないし、全然効率的じゃない」
「それに、君のスピリチュアル・エナジーを世界が吸収しようと、神が吸収しようと、結局は同じことよ」と、ヴィルキーが付け足した。「純粋な状態になった魂は、どちらにしても空っぽのまま銀の海へ戻るだけ」
「ふーん……」
「ネレス」今度のアレンの声は少し真面目だった。「僕たちが神になって、そのうえ友達にもなれたら、あの運命の女神にどうして呪われたのか教えてくれるかい?」
「だから俺だって知りたいって言ってるだろ! まあ、記憶が曖昧なところもあるけどな……何しろ最初の人生のことだし……地球って世界にいた頃の話だ」
「かなり個人的なことを聞いてるのは分かってる」と、アレン。「でも、その"呪い"にはすごく興味があるんだ」
「そうよ。神であっても、銀の海やその法則に干渉できるはずがないもの」と、ヴィルキーも言う。「あなたの呪いは、きっとまったく別の性質なんだと思う」
「分かった、分かったって。だから少しの間だけでも、その話はやめてくれないか? そのうち本当に呼び出しそうで嫌なんだよ……」
◇ ◇ ◇
ゾロヴァンは、壁も仕切りもない空間へ足を踏み入れた。
その先に広がっていたのは、どこまでも続く黒い深淵だった。
だが、その深淵は空ではなかった。
いくつもの太陽と、それぞれの光を映す惑星によって照らされていたのだ。
彼は、幻のような階段を上り始めた。
段は気まぐれに広がったり狭まったりし、ときにはそのものがふっと見えなくなることすらあった。だが、ゾロヴァンの足取りは迷いなく、静かに続いていく。
遠くの太陽は脈打つ光点へ姿を変え、その輝きで星座や星団を織り上げていた。周囲には色とりどりの星雲がゆるやかに広がっている。
ときおり彗星が彼の行く手を横切った。
だが、ゾロヴァンはそんなものには見向きもしなかった。
「おめでとう、ゾロヴァン。孫娘はなかなか将来有望らしいな」
「これで三代続けて至高神も目前か」
「とはいえ、こちらも見ておるぞ。あまり露骨に肩入れするつもりではあるまいな。ははは」
階段の先には、星々のただ中に浮かぶ卓を囲んで、神々が集っていた。
「儂の孫は自分の力でやっていける。儂の助けなど必要ない」
ゾロヴァンはそう言いながら席についた。
「……もっとも、仮に助けがあろうと、楽な道にはならんじゃろうがな」
「他にも気になる候補者がいるのか?」
「何人もおる」と、ゾロヴァンは真顔で答えた。「特に二人じゃ」
「だが、リリエンが間違いなく逸材であることに変わりはあるまい。あの世界を手中に収めるのに手こずるとは思えんが……」
「もし儂が、エリュンデアで時の神が生まれる可能性があると言ったらどうする?」
その場の神々は一斉に押し黙った。
互いに顔を見合わせる者もいれば、黙って視線を落とす者もいる。
「それは……たしかに一大事だな」
しばらくして、ようやく一柱が口を開いた。
「しかも、それだけではない」
「まさか……運命の神まで生まれると言うのではあるまいな……?」
場の空気に、目に見えない緊張がじわりと広がっていく。
「そうでないことを願うばかりじゃ」
ゾロヴァンは低く言った。
「少なくとも、儂にすら名以上のことは明かされなかった。それだけは確かじゃ」




