第48話 死の淵にて(2)
「ちっ! あいつらは野営地に残してきたはずだ。こそこそ俺についてきやがったのか」
ドラゼルは地面へ唾を吐いた。
今度こそ、苛立ちが顔ににじみ始めていた。
「俺たちの逃げ道を塞ぐつもりか? だから洞窟へ戻っている? こっちが油断したところで背後を襲わせる気か? 俺を誰だと思っている!」
ドラゼルは声を荒げた。
「一万の兵を分けて回り込ませ、お前の兵と戦わせる。その間に、俺の二万でお前の味方どもを潰す。数の差を少し縮めただけで、本当に勝ち目が増えたと思っているのか? 俺はまだ三万の魔族を支配している。お前の手勢は一万だけだ! 残りはただの雑魚にすぎない!」
「あなたは父上のような戦略家ではなかったわね、ドラゼル。もしそうだったなら、最初に学んでいたはずよ。油断してはいけないと」
「父上は弱かった! だから魔王国は滅びたんだ! ……そして姉さんも、その後をずいぶん忠実に追っている」
「……あなたと言い争いを続けても意味はないわね」
ドラジラは疲れたように息を吐いた。
「いずれにせよ、心配する必要はないわ。私の新たな主は、私のわがままをお許しくださいました。魔族が同胞同士で刃を交えることはありません。私の兵は、邪魔にならないよう戦場から離れただけよ」
「邪魔にならないように、だと? 馬鹿なのか、姉さん?」
ドラゼルはまた耳障りな高笑いを響かせた。
「それで、お前の主とやらは? あの死者の軍勢を呼び出したやつか? 今度は死霊術師の奴隷にでもなったのか?」
「これ以上の冒涜は許さないわ、ドラゼル!」
「攻撃を開始しなさい!」
⁉
ドラジラは進軍の命令を下そうと、すでに腕を上げていた。
しかし、その横で、サエが先に怒りの声を上げたのである。
「立っている者を一人も残してはいけません! ……降伏する者は別です! その方々は立っていて構いません!」
とはいえ、結局のところサエはサエだった。
‼
「ぐっ!」
ドラゼルが呻いた。
「何だ、これは?」
両軍が攻撃を開始した、まさにその瞬間。
圧倒的な圧力が戦場全体へのしかかった。
空中から攻撃しようと飛び上がっていた魔族たちは、地上へ戻らざるを得なくなる。
空に留まるだけの力があったのは、ドラゼルだけだった。
「言ったはずよ。油断するべきではないと、ドラゼル」
ドラジラが言い放つ。
「まして、誇り高きヴィシアレを相手にしているのなら、なおさらです」
隣でサエが続けた。
戦場の上空に広がる空間そのものが、異様なほど重く、濃密になっていた。
それによって飛行が妨げられているのだ。
ヴィシアレの空間魔法と、その地を治める女神アヴェルの権能を組み合わせたものだった。
「はっ! 妙な魔法で俺の軍を地上戦に引きずり下ろしたところで、何ができると思っている! 弱いだけではなく、戦略まで単純すぎるな!」
ドラゼルはスケルトン兵たちの方へ腕を振り上げた。
「兵ども! 敵の弱点は中央だ! あのスケルトン兵どもは、両翼が押し勝つのを待ちながら数を水増ししているだけにすぎない!」
魔族の顔に大きな笑みが広がり、それはさらに歪んだ嘲笑へと変わった。
「もちろん、片翼の精霊どもも、もう片翼の空色の髪をした連中も、どのみち何もできやしないだろうがな」
ドラゼルは鋭い爪で口元を覆いながら嘲る。
「だが、その機会すら与えてやらないぞ、姉さん」
ドラゼルの命令を受け、魔族軍は戦場の中央へ攻撃を集中させた。
衝突は凄まじかった。
ヴィシアレも、エルダーバークの支援を受けた森の精霊たちも奮戦したが、軍の中央は魔族の容赦ない圧力に押され、後退し始める。
ドラゼルはその光景そのものではなく、ドラジラの顔を見て愉悦に浸っていた。
恐怖と絶望の表情が浮かぶのを待っていたのである。
彼は昔から姉を忌み嫌っていた。
父に最も愛されていた娘。
一部からは、真の後継者だとまで言われていた存在。
だが、その最期は近い。
そう思っていた。
しかし、ドラジラの顔にも、その隣に立つサエの顔にも、不安の色など微塵もなかった。
二人はただ、真剣な眼差しで戦況を見据えている。
‼
「待て……」
そこで、ドラゼルは気づいた。
自軍が、敵陣の奥深くまで入り込みすぎている。
スケルトン兵たちは、押し負けて後退していたわけではない。
秩序だった、計画的な後退だったのだ。
それだけではない。
そもそも敵の陣形は最初から横に長く、厚みがなかった。
だからこそ、一万五千の兵で二万の魔族を受け止められていたのである。
そして今、その一万五千が、彼らをほとんど完全に包み込みつつあった。
「急げ! 下がれ! 包囲されるぞ!」
ドラゼルは軍の上空を飛びながら、将軍たちに届くよう声を張り上げ、反転を命じた。
‼
しかし、もう遅かった。
ドラゼルは、ドラジラの味方は自軍の半数にも到底届かないと言っていた。
そこには理由があった。
魔族軍の背後に、別の軍勢が現れたのである。
ただし、それは戦場を離れていった魔族たちではなかった。
地面の下から現れた、さらに五千のスケルトン兵だった。
彼らは今、魔族を包囲する円を完全に閉じていた。
士気に与える打撃だけでも、一つの軍勢にとっては死刑宣告にも等しい。
それだけではなかった。
スケルトン兵たちは、今やまるで別物のように戦っていた。
彼らが見せる力は、それまでとは比べものにならない。
なぜなら、もう後退する必要がなかったからだ。
今の命令は、攻撃だった。
「何なんだ、あのスケルトン兵どもは……それが一万もいるだと……! どんな死霊術師なら、これほどの軍勢を呼び出せる!」
敵に囲まれたうえ、密集しすぎた魔族兵たちは互いに邪魔をし合い、ろくに動くこともできなかった。
できることと言えば、敵の攻撃を受けて虫けらのように倒れていくことだけだった。
「ハンニバルがカンナエの戦いで用いた戦術だ」
サエとドラジラの背後から、歩み寄ってくるネレスの声が聞こえた。
「何度も使ったことはあるけど、スケルトン兵がどこからでも現れられるおかげで、ここまで簡単に形にできたのは初めてだな」
抵抗らしい抵抗もできないまま自軍が殲滅されていく光景を見て、ドラゼルの顔は怒りに歪んでいた。
「まだ終わっていない……! 兵ども! 真の力を見せる時が来た!」
‼
「ドラゼル! やめなさい!」
ドラジラの目の前で、弟は陰鬱な紫の光を放つ宝石を取り出した。
多くの兵たちも同じことをしている。
ネザライト。
魂を蓄える石だった。
「姉さん。始まりの頃、魔族は魂を集めていた。父上はその習わしを禁じ、俺たちを取り返しのつかないほど弱くしたんだ」
「そういう行いをしたから、私たちの世界は滅びる運命にあったのよ!」
ドラジラは、自らの同族の多くが過去の過ちを繰り返そうとしているのを見て叫んだ。
「見るがいい、姉さん! 父上が我らの種族から奪った力を!」
ドラゼルは、ネザライトを自分へ近づけた。
蓄えてきた魂の力、そのすべてを吸収しようとしていた。
‼
だが、その瞬間。
魔族たちが手にしていたすべての石から、ふいに光が消えた。
そこにはもう、陰鬱な紫の輝きの名残すらない。
「な……何が起きている!? 今、何が起きた!?」
ドラゼルは顔から血の気を失い、そう叫んだ。




