第46話 冥界が動き出す
ヴィシアレの集落の外れ。
広く開けた土地で、二つの人影が互いを見据えていた。
「本当におやりになるのですか、ネレジエル様?」
オスヴェルは剣を握り、攻めの構えを取った。
「やりたくてやるんじゃない! なのに、なぜか厄介事のほうから俺を追いかけてくるんだよ!」
ネレスは疲れたように息を吐く。
「とにかく、俺の腕がこの剣ほど錆びついてないか確かめるしかない……。でも、間違って俺の首を斬り落とすなよ! これはただの模擬戦なんだからな!」
「も、もちろんです! 気をつけます、ネレジエル様!」
ネレスは最後にもう一度ため息をつき、自分も錆びついた剣を握った。
もっとも、それがスケルトン兵の剣だと思うと、少しばかり嫌そうな顔になったが。
やる気のない態度とは裏腹に、ネレスが構えた瞬間、オスヴェルは気づいた。
目の前の相手には、つけ入る隙が一つもない。
さらに、輝くマゼンタの瞳からにじむ威圧感が重なり、剣の天才の背筋に冷たい汗が伝った。
(どう考えても、死なないように気をつけなきゃいけないのは僕のほうだ……)
オスヴェルは小さくつぶやいた。
二人は数秒の間、身じろぎ一つせずに互いを見つめ合った。
だが、藪の間からのんきな兎が跳び出した、その瞬間。
先に動いたのはオスヴェルだった。
一度の跳躍で、ヴィシアレの戦士は数メートルの距離を詰める。
しかし、その足が地面に触れた瞬間、彼の姿は青い閃光とともに消えた。
‼
同じ瞬間、彼はネレスの背後に現れ、その首めがけて鋭い一撃を放っていた。
ガキン!
だが、オスヴェルの剣はネレスの剣に受け止められ、金属音が空気を震わせた。
「首を斬るなって言わなかったか?」
オスヴェルはもう一度跳躍して距離を取り、改めて構えを整える。
「もちろんです、ネレジエル様。少なくとも僕には、斬れるところまで近づけた感覚はまったくありませんでした……」
「気持ちの問題だって、誰かに言われたことないか?」
今度はネレスが力強く踏み込み、一瞬で間合いを詰めた。
その速度は、オスヴェルの空間魔法にもまったく引けを取っていない。
「ま、待っ――!」
オスヴェルは言葉を最後まで続けられなかった。
かろうじて剣を防御に回せたのは、彼の剣技が人の域を超えかけていたからにすぎない。
ガキン!
だが、今度の金属音は先ほどとは比べものにならなかった。
オスヴェルの体は宙へ弾き飛ばされ、地面に跳ね、数メートル転がった末に木の幹へ叩きつけられる。
「妙だな。セリスと戦った時より、かなり力を抑えたつもりだったんだけど……。悪い、オスヴェル。生きてるか?」
「大丈夫です、ネレジエル様……」
オスヴェルはどうにか立ち上がりながら答えた。
「あなた様と剣を交えられるだけで光栄です。あの一撃を受ける程度、安い代償です」
「それは安い代償じゃないぞ、オスヴェル。早めに医者か治癒師に診てもらったほうがいい……。また力加減を調整しないとな。でも、これは本当に普通じゃない」
「普通に決まってるでしょ。今のあんたには信者が増えたんだから。それは神としての存在すべてに影響するものよ……。それより、どうして定命の者をいじめてるの、ネレス?」
その時、背後からセリスの声が聞こえた。
「いじめてる? ちょっと模擬戦してただけなんだけど……」
(勘弁してくれ。馬鹿みたいな量のスピリチュアル・エナジーだけでも十分なのに……)
「定命の者と模擬戦?」
セリスはぼろぼろになったオスヴェルを見ながら言った。
「それで何の役に立つの? 相手を辱める以外に」
「……」
「あたしと模擬戦すればいいじゃない。いつでも相手してあげるわよ!」
「嫌だ」
「なんでよ!?」
「お前は本気になりすぎる。俺がしたいのは模擬戦であって、死闘じゃない」
「ずるい! あたしも模擬戦したい! 今度こそちゃんと加減するって約束するから!」
「そもそも、何か伝えに来たんじゃないのか?」
「あ、そうだった……。弱っちいサエはもう呼んであるわ。臆病者のアヴェルも、宮殿だと言い張ってるあの木の塊で、今ごろ一緒に待ってるはずよ」
「お前、友達いないだろ、セリス」
「友達がいても強くならないもの!」
「子供向け番組の大半は、その意見に異議を唱えると思うぞ……。まあ、筋金入りのぼっちとしては、俺に反論できる立場はないけど」
その時、今にも崩れ落ちそうになっていたオスヴェルを、ネレスはどうにか受け止めた。
「ほら、頼みがある。この若者を医者か治癒師か、ヴィシアレにいるそういう人のところまで連れていってくれ」
「ちっ。最近、あたしは定命の者の荷物持ちばっかりじゃない……」
「セリス。お前を信頼してるから頼んでるんだ」
「……ふんっ! そんな簡単に乗せられると思わないことね!」
文句を言いながらも、セリスはオスヴェルを肩に担ぎ上げ、一度の跳躍で遠くへ消えていった。
「よし、無駄にしてる時間はない。サエが来ているなら、さっさとこの話し合いを終わらせるか」
◇ ◇ ◇
小さな部屋にいたのは、アヴェルとサエの二人だけだった。
二人はネレスが入ってくるのを見ると、そろって頭を下げる。
「ネレジエル様……本当なのですか? 魔族と呼ばれる者たちが、四万もの軍勢で私たちを攻めようとしていると……」
「アヴェルから話は聞いたみたいだな。ドラジラという魔族の情報を信じるなら、そういうことになる。今すぐ攻めてくるかは分からないけど、こっちの存在に気づかれたら、そうなる可能性が高い」
「ですが、その方は本当に信用できるのですか?」
サエは不安そうに尋ねた。
「彼女の傷には、ドラジラ自身と同じ種類の力が残っていました。つまり、他の魔族に負わされたものです」
アヴェルが説明する。
「あれで命を落とさなかったのは奇跡です。ですから、私たちを欺くための策だったとは考えにくいかと」
「俺は、これまでの長い……いや、人生で、嘘つきを山ほど見てきた。誰かが嘘をついているかどうか見抜くのは、ほとんど特技みたいなものだ。相手が魔族でもな」
ネレスもそう付け加えた。
「それに、俺もアヴェルと同意見だ。ドラジラは俺たちに嘘をついていなかった」
サエはうつむいた。
数秒の間、その表情は空色の前髪に隠れる。
だが、再び顔を上げた時、その目には確かな決意が宿っていた。
「アヴェル様からも聞きました。あの緑の怪物たちの襲撃は、その魔族たちのせいだったと……。あの怪物たちが……祖父を……」
サエは一度息を吸った。
「ネレジエル様。私自身がヴィシアレの兵を率い、あなた様の側で戦います」
「もちろん、私と森の精霊たちも、あなた様のご命令に従います」
アヴェルもそう続けた。
「正直、俺のスケルトン兵たちが四倍の数の魔族相手にどれだけ通用するか、少し不安だった」
ネレスは二人へ視線を向け、うなずいた。
「でも、六千のヴィシアレの戦士と四千の森の精霊が加わるなら、少なくとも敵の半数までは戦力をそろえられる。それならやりようはある」
◇ ◇ ◇
「つまり、姉さんは生きているわけか……」
ドラゼルは石造りの玉座のようなものに腰かけていた。
その手には、陰鬱な紫の光を放つネザライトの石がある。
「ちょうどよかった。魂を捕らえ損ねたのは惜しかったと思っていたところだ」
「ご命令を、我が王」
彼の前では、魔族軍の将軍たちがひざまずいていた。
「決まっているだろう?」
ドラゼルは笑みを浮かべた。
「彼女への忠誠が特に強かった兵と士官は、野営地の守りに残す。残りは俺たちと一緒に、ある谷を探りに行く……」




