第36話 共存
【神の祝福】
【授けた対象の現実を変質させる】
「説明が曖昧すぎて、これじゃ何も分からないな……」
ネレスは思わずため息をついた。
このスキルを選んだのは、まだ『魂の台帳』のようなものを必要としていなかったからだし、『墓碑銘』なんてスキルが何に使えるのかも、さっぱり見当がつかなかったからだ。
だが、この『神の祝福』の説明も、手がかりになるような情報はほとんどない。
「少なくとも確かなのは……これが、運命の女神が俺に使ったスキルだってことくらいか……」
ネレスは小さくつぶやいた。
絶対神へ昇格した時、一度確認したことがある。
だが、【ゴッドスクリプト】の『補正』欄からは、【運命の女神の祝福】が消えていた。
あの祝福こそが、彼に千度もの転生を強いたものだった。
少なくとも、ネレスはそう考えている。
おそらく、あれは他の神には効果がない。
だから今は消えているのだろう。
「とりあえず分かったことは二つだ。まず、『神の祝福』はどの神でも習得できる系統のスキルらしい。今まで出てきた候補みたいに、露骨に同じ方向で固まってる感じじゃない。で、もう一つは……使い道がかなり広そうだってことだな。問題は、何にどう使えるのかってところだけど」
「ネレス」
考え込む彼を現実へ引き戻したのは、セリスだった。
「さっきからぶつぶつ何を言ってるのよ?」
「残念ながら、渡し守を作れそうなスキルは出なかったって話だ。しばらくは待つしかなさそうだな」
「なるほどね……。まあ、あんたの『冥路』があれば、今のところはどうにかなるでしょ」
セリスはそう言ってから、アヴェルたちを見た。
「でも、それより今はこっちの方が大事じゃない? この……鼻水まみれの連中、どうするのよ」
「鼻水まみれ……」
アヴェルは涙と顔を、服の端でぬぐおうとした。
だが、他のドライアドたちは蔓しか身につけていないので、真似しようにも腕でこするしかなかった。
「そうだな……でも、そこまで難しい話じゃない。もう考えはある」
ネレスは腕を組み、アヴェルとドライアドたちの前へ立った。
少し見つめられただけで、彼女たちはまたぶるぶると震え始める。
だがその直後、ネレスは慌てて一歩引いた。
恐怖に耐えきれなくなったアヴェルが、彼の足に口づけしかねない勢いで飛びついてきたからだ。
「ヴィシアレたちは守護神を求めてたんだろ? だったら、これからあいつらが住む谷の女神以上に適任はいないじゃないか」
ネレスはそう言いながら、飛び退いた拍子に乱れた服を整えた。
「おお……それは悪くないわね」
セリスは少し満足そうだった。
アヴェルが、下等な定命の世話係みたいな立場に回るのが面白かったのだろう。
一方のアヴェルは、それ以上に満足しているようだった。
「ヴィシアレが何かは分かりませんが、どうかご安心ください! これからは絶対に何も起こさせません!」
……
「お前がさらった女の子が、そのヴィシアレなんだけどな」
……
「い、今からは何も起こしません! 必ずお守りします!」
(……本当にこれでいいのか?)
ネレスはまた疲れたようにため息を漏らした。
「それより……」
セリスの鋭い視線におびえながら、アヴェルが遠慮がちに口を開く。
「もしよろしければ……お名前を伺っても? 永遠の忠誠を誓うのなら、お仕えするお方のお名前くらいは知っておきたいのです……」
「ああ、そういえばまだ名乗ってなかったな」
「ネレジエル様よ! 死の神にして、エリュンデア三柱の絶対神の一柱!」
またしても先に答えたのはセリスだった。
「な、なるほど……! それほどお強いのも当然ですわね! 死の……神……」
アヴェルとドライアドたちは、すうっと真っ白になった。
「ひゅ……」
そのまま全員、気絶した。
◇ ◇ ◇
【従者】
>【セリス】
>【最後の谷のヴィシアレ】
>>【イリィラ】
>>>【位置】
>【最後の谷の精霊たち】
>>【アヴェル】
>>>【ファウヌス】
>>>【ドライアド】
>>【エルダーバーク】
「アヴェルは土地神扱いか。しかも、その上にもう一段大きい分類がある……なるほど、【ゴッドスクリプト】はこういう並べ方をするのか。ん? あの化け木どもに忠誠を誓われた覚えはないんだけど……いや、待てよ。たしかセリスが何か言ってたな……。あいつらがアヴェルに降伏した時点で、俺の従者扱いになったってことか?」
(この先どれだけ面倒が増えるのか、考えたくもないな……)
想像しただけで、ネレスはぞくりとした。
「いや、今は目の前の問題に集中しよう……。ただでさえ【最後の谷の精霊たち】の一部でしかないのに、もう十分ややこしい」
【従者】
>【セリス】
>【最後の谷の精霊たち】
>【最後の谷のヴィシアレ】
>>【イリィラ】
>>>【位置】
「よし。何度生まれ変わっても、こういう並びが気になる性分は治りそうにないな……」
セリスは不本意そうに、アヴェルとドライアドたちへエンピリアン・ピークスや現在の世界の状況を説明していた。
その間にネレスは、さらわれた少女のいる場所へ向かっていた。
ほどなくして、彼は見つける。
マゼンタ色の瞳と水色の髪を持つ少女を。
髪は頭の片側でまとめられており、蔓に縛られて木からぶら下がったまま、退屈そうに足をぶらぶらさせていた。
「おおっ、闇の主様! 死の化身! ネレジエル様ばんざーい!」
ネレスの姿を見つけた瞬間、少女の顔がぱっと明るくなる。
彼女と話すのは初めてだった。
だが、他のヴィシアレたちのような過剰な畏れがまったくないのは、ネレスにとってむしろ心地よかった。
とはいえ、同時に見過ごせないこともあった。
この少女が、自分へ向けてそんな妙な呼び名を連発していることだ。
「それ、セリスに吹き込まれたんだろ?」
「その通り! 死神様から!」
「あとで追加の罰が必要らしいな……」
「え、えっと……たぶん死神様じゃなかったかも……。少なくとも、あたしは罰とか何も知らないっていうか……ね?」
「で、お前は……俺を怒らせたいのか? このまま吊るしておいてほしいのか?」
「ち、違う違う! 本気で褒めてたの! だって、すっごくかっこいい呼び名だったから使いたくて! お願いだから下ろしてください……!」
ネレスはイリーを縛っていた蔓へ、ただ手を触れた。
【死の手触れ】
蔓は一瞬でしおれ、ぶつりと切れた。
そのまま落ちてきたイリーを、ネレスは腕の中で受け止める。
「すごい、ネレジエル様! 怖い……でも、すごい!」
ネレスはそっとイリーを地面へ下ろした。
だが彼女は、腕の中から降ろされたことが少し不満そうだった。
「お姫様救出、短すぎたんだけど……! 延長を要求します!」
……
「本当にサエと同い年なのか、お前」
「心はいつだって若いの! それに、みんなあたしのこと男勝りだと思ってるでしょ? たまには、もう少しお姫様っぽい扱いをされるのも悪くないかなって……」
……
ネレスはため息をついた。
だが、そのまましゃがんで背中を向ける。
「まあ、今回のことでも疲れただろ。今回は特別に、俺が馬車代わりになってやるよ。お姫様」
「ははっ、本物のお姫様はサエだけど……それでも乗る!」
イリーはぴょんと飛び乗り、ネレスの背へしがみついた。
そのまま二人は戻り始める。
途中でセリスも回収した。
するとアヴェルが、頭を地面へめり込ませる勢いで謝罪した。
ネレスにもイリーにも、それは謝罪というより見せられる側への罰にしか思えなかった。
やがて川の分岐点へ戻ると、再会の抱擁と涙のあと、その夜には祝宴が待っていた。
食糧の大半は、アヴェルが和平の証として差し出した貢ぎ物だった。
戦いで倒れた巨大な黒鹿の肉、木の実、果物、さらにはそれらから作られた酒まで、かなりの量があった。
その夜は、さまざまな話で満ちた。
中でも、酔ったアヴェルとイリーが勝手に自分たちの歌を作り始め、ドライアド、ファウヌス、ヴィシアレたちを等しく困らせていたのは、なかなか印象的だった。
だが、それはまた別の話だ。
◇ ◇ ◇
「ドラゼル……これは、どういうこと?」
ドラジラは、何百もの死体の真ん中に立つ弟を見つめていた。
死体は人型ではあるが、獣に近い特徴を色濃く持つ種族のものだった。
「ただの供物だよ、ドラジラ」
「……供物?」
ドラゼルは振り返り、姉へ満面の笑みを向けた。
その笑みは、鋭い剣から滴る血とあまりにも不釣り合いだった。
「タイタンは死の川を支配している。この供物で、さらに力を蓄えられる」
ドラゼルは片手を上げた。
それを合図に、魔族の兵たちが死体を焼き始める。
「それに同時に、俺たちがどれだけ役に立つかも示せる。謁見を願い出た瞬間に皆殺しにされるなんて、ごめんだからな」
「ただ共存することはできないの……?」
ドラジラの声はかすれていた。
彼女の父である魔王でさえ、敵に対してここまで残虐なことはしなかった。
ましてや、中立種族に対してなど。
「どうして、こんなことをしなければならないの?」
ドラゼルは剣の血をぬぐい、鞘へ収めた。
それから、あらためて姉の方へ向き直る。
「俺たちは共存するために生まれたんじゃない、ドラジラ」
その目に野心の光を宿したまま、彼は言い切った。
「支配するために生まれたんだ」




