第35話 勝利の分け前?
「え……?」
アヴェルは膝から崩れ落ちた。
何が起きたのか、まるで分からなかった。
崩れたのは巨像だけではない。
自分の世界そのものが、音を立てて壊れていくようだった。
「アヴェル様!」
「早く、お逃げください!」
「ぐずぐずしている暇はありません!」
ドライアドたちはアヴェルの腕をつかみ、無理やり立たせた。
アヴェルはどうにか足を動かし、彼女たちに引きずられるようにして走り出す。
同時に、巨像が崩れたことで巻き上がった土煙が、森の精霊たちの必死の撤退を覆い隠していた。
「で、でも……どこへ逃げればいいの……? この谷は、ずっと私の家だったのに……」
アヴェルはうつむいたまま、答えを期待しない問いをこぼす。
けれど、たとえ返事を求めていたとしても、今のドライアドたちにそれへ気を回す余裕はなかった。
!!
次の瞬間。
炎の輪の中から、空を裂くように一人の赤毛の少女が降ってきた。
血を思わせる赤いツインテール。
花の玉座の主とドライアドたちの逃げ道を、真正面から断ち切るように立ちはだかる。
その手には、見ているだけで魂まで刈り取られそうな、巨大で漆黒の大鎌が握られていた。
「あ……あれです……!」
一人のドライアドがさらに顔を青ざめさせ、その場にへたり込む。
「血みたいに赤いあれが……! 私たちを迎えに来たんです……!」
アヴェルも、重たいまぶたを持ち上げるように顔を上げた。
その先で待っていたのは、火花のようにきらめくセリスの瞳。
「あ……いや……助けて……」
少しでも動き方を誤れば、それで終わりだと直感した。
◇ ◇ ◇
【熟練度上昇!】
【死の手触れ】
【熟練度C → B】
【この地を司る神々とて、いつかは去る。時の来た者に印を刻め】
「たぶん土地神あたりのことなんだろうな……。相手に触れられる距離まで行かないといけないスキルなのに、まだ下位神にすら通らないし……」
ネレスは確認していたゴッドスクリプトのタブを閉じ、そのまま森の急な坂を上っていった。
「まあ、どの人生でも全部は手に入らないってことか……。いや、そもそも人生ですらないのか」
坂の両側には、骸骨兵たちがずらりと並び、武器を掲げて彼を迎えていた。
その光景に背筋がぞくりとしたが、不快さを顔には出さない。
半神相手の戦いに比べれば、今回の勝利はそこまで苦労したものではなかった。
だが、勝利は勝利だ。しかも、きちんともぎ取った勝利でもある。
「ネレェェス!」
丘の上から、怒りに満ちた声が飛んできた。
少し登っただけで、その主はすぐに見えた。
セリスが巨大な大鎌をぶんぶん振り回しながら、あからさまに抗議している。
「それ、しまえ。誰か傷つけるぞ。特に俺が」
セリスはまだ不満たっぷりだったが、それでも文句は言わずにエイドロンを引っ込めた。
「聞いてよ、ネレス! あの……あの腰抜け! 命を懸けて戦おうともしなかったのよ! 地面にへたり込んで、ずっと泣いてただけなんだから!」
「ああ、お前はわりとそうさせがちだしな。で、誰の話だ?」
セリスは怒ったまま背後を指さした。
草の上には、うずくまる塊みたいなものがいくつも見える。
すすり泣きと、かすかなうめき声まで聞こえてきた。
「土地神よ! 地の利まであったのに、あっさり降参したの!」
セリスはなおも不満げにまくしたてる。
「しかもこれ、あんたのせいでもあるんだから! あたし、あんたの従者になってからステータスが上がりすぎたのよ! もう全然、戦いが面白くない!」
「そりゃ大変だな……大変だな……。ん? 土地神?」
ネレスは眉を上げた。
「都合がいいな。死の手触れが、ああいうのにも本当に通るか試せるかもしれない」
そう言いながら、地面を踏み鳴らしているセリスの肩越しに、泣き崩れた塊たちを見る。
だが、少し考えてから首を振った。
「……いや、やっぱり別にいいか」
ぽん、ぽん。
「ふぇ……?」
ネレスは戸惑うセリスの頭を軽く二度叩いた。
「まあ、なんだかんだ今日はよくやった」
そう言って、そのまま泣いている一団の方へ歩き出す。
「あ……そ、そう……って、ん? 『なんだかんだ』って何よ!?」
◇ ◇ ◇
「あっ! ど、どうか殺さないでください!」
ネレスの姿が視界に入った瞬間、アヴェルが口にした最初の言葉はそれだった。
「殺さないで!」
「お願いします!」
「どうかお慈悲を!」
「せめてアヴェル様だけでもお逃がしください!」
ドライアドたちも後に続き、アヴェルの後ろで一斉にひれ伏す。
アヴェルも震えながら顔を上げた。
だが、謎めいた紋様がぐるぐると巡るネレスの金の瞳と目が合った瞬間、それはまるで終末そのものを見せつけられたような感覚だった。
次の瞬間には、勢いよく頭を下げすぎて、顔面ごと地面へめり込んでいた。
「別にお前たちへ何かするつもりはないんだけどな……」
ネレスは、敵とは思えないその態度に少し面食らいながら口を開く。
「ただ、イリーの無事次第だ」
「イリー?」
アヴェルもドライアドたちも、涙目のまま声をそろえた。
「お前たちがさらった子だよ」
アヴェルは考え込むようにうつむき、ドライアドたちは互いに顔を見合わせる。
そして。
「あっ!」
最初に声を上げたのはアヴェルだった。
「そういえば忘れていました……! あの子には何もしていません、本当です!」
ドライアドたちも慌てて言葉を重ねる。
「少し奥の木にくくってあるだけです!」
「でも、きつく縛ってません! ちゃんとゆるくです!」
「本気を出せば自分でほどけるくらいです!」
「はい!」
「間違いありません!」
ようやく頭の中を整理し終えたのかどうかも怪しいまま、セリスがネレスの横へ並んだ。
腰に手を当て、アヴェルたちへ心底軽蔑したような目を向ける。
その視線だけで、アヴェルもドライアドたちもまた震え上がった。
「で、いつ喰うの?」
「ひぃぃぃっ!」
「いやああああっ!」
「お、お慈悲を……!」
ネレスは横目でセリスを見て、さりげなく一歩だけ距離を取った。
「お前……食う気なのか?」
セリスは、何がそんなに不思議なのか分からないと言いたげな顔をした。
「精霊でしょ? 本質を吸えばいいじゃない。大した量じゃないだろうけど、土地神の分くらいは少し力になるかもしれないわよ」
「ひゃあああっ!」
「うっ……ひっく……いやぁ……」
「お願い……」
……
「お前だって精霊だろ」
ネレスは眉をひそめた。
「それに何より……鼻水と涙まみれの顔を見て、腹が減るのか?」
「倒した精霊を喰うのは、精霊にとって一番手っ取り早く強くなる方法の一つよ」
セリスは当然のように言う。
「もちろん敵限定。さすがに同じ村の連中は喰わないけど」
「だとしてもな……」
ネレスは、もう一度アヴェルたちへ視線を向けた。
女たちはさっきよりもさらに青ざめ、今にも干からびそうな顔をしている。何人かは本当に腰を抜かしていてもおかしくなさそうだった。
「いや、もっと別の罰を考えてる」
「えー、もったいない……」
「それに、この谷の豊かさはたぶんこいつらのおかげだ。消したら何が起きるか分かったもんじゃない」
セリスはため息をつき、肩をすくめた。
結局のところ、彼女だって鼻水まみれの塊みたいなこいつらを喰ったところで、長い目で見て得になるとは思っていなかったのだ。
一方、アヴェルとドライアドたちは、何千年ぶりかと思うほど大きく息を吸い込んだ。
「とはいえ、罰を考える前に、先に片づけておきたいことがある……」
ネレスは、アヴェルたちの顔に浮かぶ疑問符を無視して、再びゴッドスクリプトのホログラムを開いた。
【神の祝福】
【墓碑銘】
【魂の台帳】
「またくじ引きの時間か」




