第30話 隠れ島の民
「はあ……また定命の連中がぞろぞろと……」
セリスは、自分たちを怯えた目で見つめている群衆を前に、うんざりしたように頭を垂れた。
「ヴィシアレは何千年も生きる種族だぞ。同じ定命でも、他の連中と一緒くたにされたら文句を言うんじゃないか?」
「死ぬなら定命でしょ……」
「お前のそういう単純な考え方、嫌いじゃない。余計なことを考えなくて済むしな」
「それ、けなしてるの? 褒めてるの?」
「お前が正しいって言ってるんだよ。死ぬなら定命だ」
「ふふん、あたしはいつだって正しいのよ」
「調子に乗るなって……」
その妙なやり取りを、周囲の者たちは戸惑いながら聞いていた。
だが、その中の一人――空色の長い髭をたくわえた老人だけは、ふっと目を見開いた。
どういうわけか、その場にいる誰もが突然現れた二人を恐れているようだった。だが老人は勇気を振り絞り、ゆっくりと、それでいて確かな足取りでネレスのほうへ歩み寄ってきた。
(エルフと違って、こっちはちゃんと歳が見た目に出るんだな。……もっとも、あれだけの歳月が顔に刻まれるまで、いったい何千年かかったんだ?)
「も、申し訳ありませぬ……どうか、お許しを……」
老人はしわがれた、それでいて柔らかな声でそう言った。
「あなた方は我らの言葉を話すだけでなく、我らの種族名や長命さまでご存じのようですな……それはいったい、どうしてなのです?」
ネレスは数秒だけ言葉に詰まった。
【ゴッドスクリプト】のことをどう説明すればいい? 宇宙の知識を理解できる情報へ変換してくれる神の道具だとでも? しかも、その知識や意志そのものを【ディバイン・オーダー】と呼び、自分でもそれが何なのかよく分かっていない――そんな話で納得されるとは思えなかった。
だが、ネレスが口を開く前に、セリスのほうが先に答えた。
「あたしたちは神よ。それくらいできて当然でしょ。見くびらないで」
老人も、その場にいた者たちも、そろって愕然とした。
神々。
突拍子もない話ではなかった。むしろそれは、彼らの輝くマゼンタ色の瞳にも見て取れるほど、二人を包む強大な気配があったからだ。
とりわけネレスを包むそれは、ヴィシアレたちにとって強大というより――恐ろしかった。
次の瞬間、彼らは一斉に地面へひれ伏した。
いや、正確には、ひれ伏せる者たちはそうした、というべきか。洞窟の中は人が多すぎて、場所を確保できなかった者たちは立ったまま、ぎこちなく頭を垂れるのが精いっぱいだった。
「いや、別にそこまでしなくていいんだけど……」
ネレスは慌てて制止した。
「立ってくれ。そのままだと服に変な虫でも入りそうだぞ」
とくに華奢な若い娘たちは、その言葉を二度聞くまでもなくさっと立ち上がった。
もっとも、頭だけは下げたままだった。
「我らの無礼をお許しくだされ……寛大なお慈悲に感謝いたします」
老人は立ち上がったあと、もう一度深く一礼した。
「無礼って、何の話だ……?」
「申し遅れました。儂はタエロル。アトレニアのアルコンテを務めておりました」
「アルコンテ?」
「街の主のようなものですじゃ。……もっとも、その街も、もはや何一つ残っておりませぬが」
タエロルは重い息を吐き、それから続きを語った。
「我らの街はグラニオ海のとある島にありました。ですが、魔法の嵐が我らの海岸を襲い、外界と隔てていた結界を打ち砕いたのです……やがて、街を載せた島そのものが沈み始めました。すべて終わりだと思った、その時――光が我らを包み、気づけば……こうしてここに……」
「長い長い! いいから要点だけ言いなさいよ!」
セリスが苛立ちを隠しもせずに吐き捨てる。
「ひっ……し、失礼いたしました、神格様!」
(神格様?)
「気にしなくていい。ただ、セリスはちょっと気が短いだけだ。お前たちに危害を加えさせたりはしない」
ネレスは老人を安心させるように言った。
「ひどい目に遭ったのは分かる」
タエロルは今にも泣きそうな目でネレスを見つめた。まるで救世主でも見つけたかのようだった。
どうやら彼にとっては、洪水よりもセリスのほうが恐ろしいらしい。
一方のセリスは、不満げに腕を組んでそっぽを向いた。
とはいえ、スケルトンにチョップされるよりはましだった。
「そ、その……それで……我らが今どこにいるのか、具体的にお聞きしても……?」
ネレスは視線を合わせたまま、居心地悪そうに頭をかいた。
「あー……どう言えばいいかな。お前たちは今、冥界にいる……」
期待に満ちていた顔が、一斉に真っ青になる。
「いや、落ち着け! 死んではいない。それは保証する!」
その言葉で何とか多少は落ち着いたようで、彼らはひそひそとざわめき始めた。
だが、死んでいないからといって、問題が解決したわけではない。
「冥界……ということは、あなた様は……?」
タエロルが唾を呑み込んで尋ねた。
「ネレジエル! 死の神に決まってるでしょ!」
ごつん。
「いたっ!?」
胸を張って答えたセリスは、その直後にネレスからきっちり制裁を受けた。
「今度は何よ!?」
「それは俺が一番言いたくなかった部分だ」
「一番大事なところじゃない!」
ネレスは諦めたようにため息をついた。
案の定、ヴィシアレたちの顔からは再び血の気が引いていた。
「まあ……成り行きで死の神みたいな立場にはなったけど、安心しろ。お前たちの命を取りに来たわけじゃない。ただの偶然だ」
「失礼を承知で申し上げますが……」
タエロルは恐る恐る口を開いた。
「我らが知る死の神とは、見た目も名もまったく異なっております……」
「お前たちは今、エリュンデアにいる」
ネレスはできるだけ穏やかに説明した。
「どこの世界から来たのかは知らないが、お前が言ってるのは、きっとそっちの世界の死の神のことだろう」
「あんたたちの世界、もう終わりかけてたんでしょ」
セリスが容赦なく言い足した。
ざわめきはさらに大きくなる。
「これは……外の世界から目を背け続けた我らへの罰なのじゃ……」
やがてタエロルは、かすれるような声で呟いた。
「我らは世界で何が起きているのかにも無関心で、何も知らぬまま生きてきた……その愚かさと無関心の報いを受けたのです……」
「俺は罰だとは思わない」
ネレスはきっぱりと言った。
「世界の終わりがどうして起きるのか、俺にも詳しくは分からない。少なくとも、魔法抜きの理屈くらいしか知らない。でも、誰にも迷惑をかけず、自分たちのことだけ考えて静かに暮らしていた小さな島に責任があるとは思えない」
「ネレジエル様……!」
老人の目が再び輝いた。
「むしろ、その姿勢は正しいと思う。誰にも迷惑をかけず、誰にも邪魔されず、ひっそり生きる。そんな暮らし方、理想そのものだろ」
ネレスは腕を組み、心底そう思っている顔で続けた。
「俺からすれば、お前たちはかなり理想的な民だ。もし俺が守護神なら、むしろ喜んでたと思う」
「ほ、本当でございますか、ネレジエル様!?」
「え? あ、ああ……たぶんな……?」
「では、我らがあなたを崇めれば、我らの守護神になってくださるのですか!?」
「いや、それは……」
「ネレジエル様!」
「ああ、まあ、それは俺の名前だけど……」
「どうか! どうかお願い申し上げます! 我らの守護神になってくだされ!」
「……」
だが結局、ここでも我慢できなくなったのはセリスのほうだった。
彼女は巨大な黒い大鎌――青白い霊光を帯びた自らのエイドロンを呼び出し、前へ出る。
「し、死神だ!」
「さすがは死の神……従者まで神なのか……」
「お願いです、殺さないでください!」
どうやらヴィシアレたちの故郷にも、死神にまつわる伝承はあったらしい。
「儂のせいです! どうか、連れて行くなら儂だけに! 我が民と孫だけはお助けくだされ!」
「おじい様! だめ!」
タエロルは再び地面へひれ伏し、命乞いをした。
だが、その前に若い娘が飛び出し、自分の身体で彼をかばった。
老人と同じく、浮き彫りの装飾が施された上等な衣を身にまとっていた。長い淡い空色の髪は、後ろで二本の編み込みにまとめられている。
二人は地面の上で震えていた。
その一方で、見物人の中では若い男と、もう一人の若い娘も、今にも飛び出しそうに身構えていた。
「無礼よ、定命!」
セリスが一喝する。
「ネレジエルはエリュンデア三柱の絶対神の一柱なの! そのへんの土地神なんかじゃない。どうしてあんたたちの守護神にならなきゃいけないのよ!?」
ヴィシアレたちは完全に言葉を失った。
中には気を失って倒れる者までいる。
タエロルが何を願い、誰にそれを願ったのか。ようやく全員が、その重さを理解したのだ。
その一部始終を、割って入る機会を完全に逃したまま見守っていたネレスは、額に手を当てた。
そして彼は、これから自分が言おうとしていることを、早くも後悔し始めていた。




