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第31話 数千人分の面倒ごと

「とにかく、俺はこの洞窟に引きこもるつもりで……いや、冥界を俺の住処にするつもりだ。だから、お前たちがここに残るなら、まあ一応は俺の庇護下ってことになる。何をどう守るのかは知らんけど」


 ネレスの言葉を聞いて、セリスはまずネレスを、それから地面の上で震えている二人を見た。


 そして、いかにも不本意そうに大鎌をしまう。


「分かったわ。でも、冥界に残るなら、自分たちの立場くらいはちゃんと理解しておきなさい」


 腕を組んだまま、ようやくそう言った。


「お、おお、もちろんですとも! もちろん!」


 タエロルは孫娘と一緒に立ち上がり、何度もうなずいた。


「我らはこの上なく慎ましく、忠実な従者としてお仕えいたします!」


「こんな短い間に、祖父と孫の組み合わせを二組も見ることになるとはな」


 ネレスは、まだ老人に寄り添っている若い娘を見ながら言った。


「一組目は、どうせ俺に山ほど面倒を持ち込んでくる。お前たちは真似しないでくれよ」


「ネレジエル様! ご迷惑など、決しておかけせぬよう全力を尽くしますぞ!」


 タエロルは、ネレスが何の話をしているのかよく分かっていないまま力強く断言した。


「それに、孫のサエは儂以上にしっかり者ですからな」


 老人は孫の背をそっと叩き、前へ出るよう促す。


「サエリスと申します、神格様……ですが、どうかサエとお呼びください」


 そう言って、彼女は丁寧に頭を下げた。


「脅したわけじゃないんだ。そんなに固くならなくていい……それと、その『神格様』って呼び方もやめてくれ。なんかむずがゆい」


「では、どうお呼びすればよろしいのでしょう?」


 タエロルが恐る恐る尋ねる。


「ネレスは冥界の王になるんだから、もちろん『殿下』でしょ! それに、あたしは死神様よ!」


 セリスが胸を張って宣言した。


「ほんとにその呼び方気に入ってるんだな……。まあ、ネレスとセリスでいい」


「かしこまりました、ネレジエル様」


 タエロルが深く一礼する。


「ネレジエル様」


 サエも同じように頭を下げた。


「せめてネレ……いや、もういい。好きにしてくれ……」


 ネレスは観念したようにため息をついた。


 どうやら定命の者というのは、愛称で呼ぶのが苦手らしい。


「それより、本当に冥界に住むつもりなのか?」


「儂らだけで地上へ戻れるかどうか、分かりませぬのでな……」


 タエロルが答えた。


(たしかに、どの世界でも冥界への道は面倒なんだよな……。こっちはセリスを見ただけで障害の方が逃げていったが、ヴィシアレにとってはどうなんだか)


「それに何より、死の神ご自身がお許しくださるのなら、我らにとっては祝福も同然です」


 老人は胸に手を当てて続けた。


「ここは魔力に満ちた土地でもありますし」


「ふん、定命の者のスピリチュアル・エナジーの使い方なんて、非効率そのものよ」


 セリスは優越感たっぷりの目でヴィシアレたちを見下ろした。


「でも、その通りだわ。冥界は聖なる土地なんだから、住まわせてもらえることに感謝しなさいよ」


(魔力って、スピリチュアル・エナジーの一種なのか? 信仰までそうなんだし、今さら驚くことでもないか……)


「とはいえ、ネレジエル様。我らには一つ、小さな問題がございましてな……」


 タエロルが申し訳なさそうに切り出した。


「しばらく何も食べておりませぬし、水も不足しております。どこかで食糧を調達できそうな場所はございませんかな?」


(さっそく面倒を増やしてくるな……)


「仕方ないな」


 ネレスはポケットから小さな革袋を取り出した。


「これは天空樹の実だ。一粒で一日腹はもつ」


「おおっ! ありがとうございます、ネレジエル様!」


 タエロルは袋を受け取ると、感激した声を上げた。


「すぐにでも、最も困っている者たちへ配ってまいります!」


「最も困ってる者たち? それ、全員分あるぞ……」


「この袋に、ですか!? おお、なるほど! 空間魔法のアーティファクトですな!」


 タエロルは袋の中を覗き込み、その中に何千もの実が入っていることに気づいたらしかった。


「さすが、空間魔法への適性がある種族だな。そこに気づくのは早い」


 ネレスは顎に手を当てる。


「とはいえ、俺はアーティファクトとは呼ばないけどな。ただの財布みたいなもんだし……(木の実を詰め込んだだけで)」


「エンピリアン・ピークスのガラクタですら、この定命どもにはアーティファクトになるのよ」


 セリスは、その機会を逃さずヴィシアレたちをからかった。


 ごつん。


「うぐっ!」


「お前が買ったみたいな言い方するな……。それと、あんまりからかうな」


「エンピリアン・ピークス?」


 そこでサエが初めて自分から口を開いた。


 その瞳は、好奇心できらきらと輝いている。


「神々の都よ。定命が立ち入れない場所」


 セリスは次の一撃に備えて頭を両手でかばいながら、得意げに言った。


「おっしゃる通り、ネレジエル様。これは魔道具ですな。あまりにも出来が良いので見誤ってしまいました」


 タエロルは袋を見つめたまま続ける。


「そもそも、空間魔法の品でアーティファクトでないものなど聞いたこともありませんでした。さすがは神々の地……」


「本物のアーティファクトを安くしただけの品だよ……。だからこそ、お前たちが作れるアーティファクトの方も見てみたい」


「おお、もちろんでございますとも! ぜひお見せいたしましょう!」


 タエロルは胸を張った。


「我らが落ち着き……工房を建て……必要な道具さえそろえば……!」


「本当に才能があるなら、そんなの根性でどうにかしなさいよ!」


 セリスが腰に手を当てて言い放つ。


 ……


 返ってきたのは沈黙だけだった。


「急がなくていい、タエロル」


 ネレスは顔を覆っていた手を下ろしながら言った。


「住み着く話で言えば、実を配り終えたらまた進んだ方がいい。ここへ来る途中にも、かなり広い緑地を見かけた。先にもそういう場所があるかもしれない」


 タエロルは再び深く礼をし、何千もの飢えた同胞たちへ実を配るために戻っていった。


 サエも、さっきよりいくらか落ち着いた様子で頭を下げる。


 とくに、ネレスとセリスのやり取りを見てからは、何度か小さく笑ってもいた。


 彼女を待っていたのは、一人の若い男と、もう一人の若い娘だった。


 さっき祖父と一緒に地面へ伏していた時、飛び出して彼女をかばおうとしていた二人である。


「冥界で静かに暮らすつもりだったのに、今度は何千もの口を養うのか……」


 ネレスは小さく息を吐いた。


「ネレス、ほんとに驚いたわ」


 セリスが横から声をかける。


「エンピリアン・ピークスを出てすぐに、もう他のどの神より勢力を広げてるじゃない」


「……」


「何よ?」


「お前、ヴィシアレを追い返したがってなかったか?」


「かなり図々しいとは思うわよ。いきなりあんたの庇護を欲しがるなんて」


 そう言いながらも、セリスはにやりと笑った。


「でも、冥界であんたの従者になるっていうなら話は別。ちゃんと面倒を見る責任があるでしょ。それに、従者相手にあんなに頭を小突いたりしないわよ!」


「かなり手加減してるだろ……。それに、従者だって主を噛んだりしない」


「ぐるる……そうね、仕方ないわ。慣れるしかないか……」


「噛むのをやめるって選択肢はないのか……?」


◇ ◇ ◇


 ネレスは、たった一日で数年分の蓄えを使い果たしてしまっていた。


 だが幸い、翌日、彼らが下ってきた洞窟網を抜けた先で目にするものが、その問題を解決してくれることになる。


 そして同時に、ヴィシアレたちをあ然とさせることにも。

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