表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/41

第26話 冥界へ

 ようやくエンピリアン・ピークスを発つことにしたネレスとセリスは、すでに都の巨大な門の外まで来ていた。


「とりあえず、保存食くらいは買えたな」


 ネレスは、木の実のようなものが入った小さな革袋を持ち上げた。


【天空樹の実】

【雲の上に生える木にしか実らない】


「こんな一粒で、丸一日飲まず食わずでいられるとか信じられないよな」


「あたし、そんなのだけで生きるのは嫌なんだけど……」


 隣でセリスが不満そうに口を尖らせる。


「もちろん、道中で何か食べ物を調達することはできるだろうが……」


 二人はそろって下を見た。巨大な山を下っていく白い階段は、雲の中へ消えていた。


「何日も延々と階段を下りるだけになりそうね……」


 セリスはうんざりしたようにため息をついた。


「仕方ないだろ。移動手段まで買う余裕はなかったんだ」


 腕を組んだネレスに、セリスは両手を振り上げて抗議する。


「でも、もう別の移動手段くらいあってもいいじゃない!」


「別の移動手段?」


「知らないわよ。でも、あの生意気なセレネは月の光を伝って移動できるじゃない。実際、そうやって行っちゃったし……」


「まあ、それは確かなんだけどな。どう考えても物理的には無茶苦茶だが」


(そもそも月の光って太陽光の反射だろ……。まあ、魔法がある世界の理屈にいちいち突っ込まないってのは、もうずっと前に覚えた)


「むむむ……でも、それならあんたにも何かできるはずでしょ!」


「言うのは簡単なんだよ……」


「渡し守でもいれば、こんな苦労しなくて済むのに!」


 セリスは白い石段を踏み鳴らした。


「死の川は世界じゅうを流れてるんだから……」


(ああ、そういえば一度、そんな感じのスキルが候補に出てきたことがあったな。あれで本当にそんなことができるとは思ってなかったが……)


「ネレス。今のあんたなら、死の川を感じられるんでしょ?」とセリスが言った。「何かできないの?」


「さっきも言ったが……まあいい。試してみる」


 ネレスは、エリュンデアの地下を木の根のように這う、あの輝く川のイメージを頭に描いた。


「ん……待て。何だこれ?」


 感じ取れたのは死の川だけではなかった。


 闇の中で開いたり閉じたりして、死の川と地上をつないでいる小さな通り道まで、はっきりと分かる。


【新たなスキルを獲得しました!】


「は?」


 不意に浮かんだゴッドスクリプトの表示に、ネレスは肩を跳ねさせた。隣のセリスまで、つられてびくりとする。


「何よ!? 何か分かったの!?」


【冥路】


「こんな形でスキルを獲得できるなんて、思ってもみなかったな……」


「だから、何のスキルなのよ!? 何の!」


「ちょっと落ち着け、セリス。今見る」


「ちっ……」


【冥路】

【魂でさえ旅をする。これは死者だけが知る隠された通り道だ。】


「どうやら、お前が言ってたようなやつらしい」


「ほんとに!?」


◇ ◇ ◇


 ネレスにとって、それはかなり直感的に使えるスキルだった。おそらく、幾度もの転生のあいだに積み重ねた感覚が役立っているのだろう。


 ただし、問題もあった。


 魂が死の川へ辿り着いた時点で、その出口側から道が薄れていくらしい。つまり、このスキルで冥界へ直接入ることはできない。


 とはいえ、その時その瞬間に開いている通路へは入れるようで、使い道自体はかなり便利だった。


「これが冥路ってやつ?」と、背後のセリスが言った。「で、どこに出るの?」


 そこは暗いトンネルだった。


 存在するのは二人と、その周囲を包む濃い霧だけ。


「死の川とつながってるから、冥界への入口くらいなら感じ取れるって前に言っただろ……?」


「それは知ってる! あたしが聞いてるのは、具体的にどこに出るのかってこと!」


「いや、この世界で名前が分かる場所なんてエンピリアン・ピークスくらいしかないし、そもそもまだ名前がついてない場所の方が多いだろ。言えるのは、一番近い入口に向かってる……はず、ってことだ」


「はず?」


「俺もこういう使い方をするのは初めてなんだよ……。それに、理解した限りじゃ、この通路は誰か、あるいは何かが死んだ時にしか開かない。だから俺たちが出るのも、そういう場所になる」


 ネレスは小さく身震いした。


「つまり、目的地そのものに出るわけじゃない。その近くで起きた、いちばん近い死の場所に出るってことだ……」


「ん……ネレス、見て! 光!」


 霧の向こうに、小さな光点が見え始めていた。


「トンネルの先の光、ってやつか。まあ意味は逆だけどな」


(……本当の意味での『あの光』が何かなら、俺は少しだけ知ってる)


 光はどんどん大きくなり、ほどなくして二人はその中をくぐり抜けた。


 眩しさに一瞬目を閉じたあと、ようやく開けた視界の先にあったのは、広々とした草原だった。


 肌に当たる陽の熱。

 頬を撫でる風。

 そして、あちこちから聞こえてくる苦痛と恐怖の叫び。


「おおっ!」


「……」


 二人の目の前には、真っ二つになった中年男の死体が横たわっていた。


 少し離れた先では、人々が必死に逃げている。その背後から追ってくるのは、巨大な二足の爬虫類に見える一団だった。


 そいつらは尾の先に鋭い刃を持っていて、それを容赦なく振るいながら、人間らしき集団へ襲いかかっている。


 もっとも、ネレスは確信が持てなかった。


 髪の色が、彼の知る人間とはだいぶ違っていたからだ。いや、違う。ここ最近の彼にとっては、むしろ見慣れてきた部類かもしれない。


 黒や茶だけではない。


 桃色、緑、青――そんな色の髪の者までいる。


「エンピリアン・ピークスと大差ないな……。まあ、あそこみたいな妙な神々しさはないけど。そのくせ、なぜか全員やたら顔がいい。人生ってのは、つくづく定命の者に厳しいよな……」


【人間】


「ああ、やっぱり人間か」


 答えたのは、勝手に現れたゴッドスクリプトの小窓だった。


「けっ、ただの魔物じゃない。しかもびっくりするくらい弱いし。さっさと行きましょ」


 なぜか一人で勝手に盛り上がっていたセリスは、自分のゴッドスクリプトを確認した途端、その熱がすっかり冷めたらしい。


「これ以上面倒ごとを背負う気はないんだが……あの連中は少し助けるべきかもしれないな」


 セリスは、まるで宇宙でも壊れたかのような顔でネレスを見た。


「相手はただの定命の者よ。定命の者なんて死ぬものでしょ? 老いて、病で、戦で、トカゲにぶった斬られて――」


「最後のは雑すぎるだろ……。でも、あいつらをこんな住みにくそうな土地に連れてきたのは、半分くらい俺たちのせいみたいなものじゃないのか? 少しは責任を感じる」


「あんたは銀の海へ戻る道をつないだだけよ。しかも、そこまで戻る魂なんてほとんどいない。あいつらを転生させるなら、結局エリュンデアで生まれ変わるんだから」


「俺が? 転生させる……?」


 ネレスは眉をひそめた。


「その話はひとまず脇に置いておく。今はそれより、見て見ぬふりをしたら後味が悪い」


「定命の者は死んだって冥界に行くだけで、消えるわけじゃないのよ!」


 セリスは遠くの血まみれの光景を指差した。


「そんなに哀れむなら、向こうでの暮らしをちょっと快適にしてやればいいじゃない!」


「うーん……」


「あんたは死の神なのよ! 定命の者が死ねば死ぬほどいいに決まってるでしょ! 冥界はそのぶん強くなるんだから!」


「今のところ、これ以上強くなる必要もないんだけどな……」


「……」


 少しの沈黙のあと、ネレスは肩をすくめた。


「決めた。あの罪のない人間たちは、好きなだけ死ねばいい。ただし――俺の見てないところでな」


「ぐっ……もう、好きにしなさいよ!」


 セリスは大きくため息をつき、腕を組んだ。


「どうせあんたが主なんだから」


「その代わり、もし本当に必要になったら、その時は俺が冥界の軍勢を率いてエリュンデアを蹂躙してやる。いいだろ? 要するに、あいつらの住む場所を変えてやるだけだ」


「分かったわよ……絶対だからね」


(どんな状況だよ、それ……。そもそも俺、自分で何の軍勢の話をしてるんだ? まあ、これで機嫌が直るならいいか)


「よし。じゃあ、あの哀れな連中を助けに行くか」


 こうして、エリュンデア最初期の人間集団のひとつは、尾に刃を持つ爬虫類など比べものにならない恐怖に囲まれることになる。


 その日は、後に生まれたばかりの彼らの文明史へ刻まれることとなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ