第24話 最初の夜明けの前
「俺の従者、ねえ……いや、たぶん違うな。今のところ、どんな従者も欲しいとは思ってないし。ほら、もう立ってくれていいぞ……」
「拙者はすでにセレネ様にお仕えしている身。ゆえに間接的にはネレジエル様にもお仕えしていることになり申す。されど、ネレジエル様のお傍には、もっと従者を置かれるべきかと」
ベルカルはそう言いながら立ち上がった。
「下位神が一柱だけでは、侮られかねませぬ」
「は? ケンカ売ってるの? なら買うけど」
セリスはまた手を伸ばし、エイドロンを呼び出そうとした。
だが、さっきの一件を思い出したのか、途中でぴたりと止まり、横目でネレスを見る。
「やめとけ」
その背後で、ネレスはため息をついた。
「今日この館をもらったばかりなんだ。初日で壊す気はない」
「あなたも気にしなくていいわ、ベルカル」
セレネが静かに口を開いた。
「私も、ネレスは遅かれ早かれ身近な従者を増やすべきだとは思っている。でも、今はまだ問題ないわ」
「しかし、セレネ様」
ベルカルはなおも引かなかった。
「拙者も含めれば、セレネ様はすでに複数の神を従えておられます。それは五柱の上位神も同じこと。たとえネレジエル様が三柱の絶対神の一柱であろうと、お傍に下位神が一柱しかおらぬとなれば、不意を突かれた時に……」
(さすが暗殺と盗みの神ってところか。真っ先にそういう状況を考えるんだな……)
ネレスは、背筋をまた冷たいものが走るのを感じた。
「下位神だの何だのって、さっきからうるさいのよ。ねえネレス、あいつ首だけにしていい? 一瞬で終わらせるし、絨毯ならあたしが拭いとくから」
「もちろん駄目だ」
「ちっ」
「情報集めが得意なあなたなら、もう知っているでしょうけど」
ベルカルが口を閉じたのを見て、セレネは続けた。
「『紅蓮の災禍』が、不死者として悪名高く、死の領域のもう一人の候補だったことくらいは。けれど今の彼女は、神へ昇っただけじゃない。死の神に仕えることで得る恩恵まで受けているわ。……その装備を見れば、あなたにも分かるでしょう?」
「それは、もちろん」
ベルカルはうなずいた。
「ですが拙者は、てっきりネレジエル様からの贈り物にすぎぬかと。まさか、そこまで使いこなしているとは……」
その瞬間、ネレスはセリスのうなじをつかんで引き止めていた。
盗賊と暗殺の神へ飛びかかろうとしていたからだ。
「認めたくはないけれど」
セレネは淡々と続ける。
「さっきの小競り合いで分かったわ。それらが積み重なると、ちゃんと差になる。今の彼女なら、自分より位階の上の神にだって食らいつける」
月の女神からの思いがけない言葉に、赤髪の少女は少しだけおとなしくなった。
「セレネ様がそう仰るのであれば、拙者も非を認めるほかありませぬ」
ベルカルは軽く一礼した。
「ネレジエル様。従者の力を疑った非礼、どうかご容赦を」
「……ああ、俺に?」
(いや、後味が悪くならないように従者にしただけなんだけどな……黙っておこう)
「ちょっと!? あたしへの謝罪は!?」
セリスの目は、いつも以上に火花を散らしていた。
今にも本当に燃え出しそうだった。
「セリス、もっと都合のいい時なら、君と手合わせできたら光栄だよ」
「それ、謝罪には聞こえないんだけど……まあ、でも、あたしが欲しかったのはそれね!」
(でも、今セレネが言ったこと……)
ネレスは内心で眉をひそめた。
(俺の『魂の番人』になったことで何か恩恵でもあるのか? スキルに? ステータスに? そのうちゴッドスクリプトで確認しないといけないな……まあ、それは今じゃない。今はこれ以上の驚きは勘弁だ……)
「決闘だろうが何だろうが、今はなしだ」
ネレスは話を切るように言った。
「セレネ、お前の用件はそれで二つとも終わりか?」
「心配しないで。今はもう休ませてあげるわ」
セレネは立ち上がった。
「バトルロワイヤルから戻ったばかりですもの。今日は長い一日だったでしょうし。でも、始まりの儀までの間は何度か顔を出すつもりよ」
「うげ……」
「もちろん、難しい話をしに来るわけじゃないわ。ただ、もう少しお互いを知るためよ」
そう言いながら、彼女はベルカルを従えて扉の方へ向かった。
「なにしろ私たちは、それぞれの領域を確保しに向かわないといけないんだから」
「それぞれの領域?」
「あなたの領域は、あの死の川を抱えた冥界。前に話した通りね。私の領域は月。そして、そこに築くべき私の王国。まだ居座っている招かれざる客がいるなら、追い出さないといけないわ。……それはあなたも同じよ」
「招かれざる客、ね……」
◇ ◇ ◇
戦の神へと昇ったアレンは、始まりの儀が行われている巨大な円蓋、創世の大円蓋の中央に近い観客席へ腰を下ろしていた。
最前列は、太陽、月、大地、海、空を治める五柱の上位神のために空けられている。
「時の神は?」
隣でヴィルキーが尋ねる。
「調停者たちから招かれていたらしいけど、意に介さなかったって聞いたよ」
アレンは肩をすくめた。
「このあと、ネレスと話せるかな?」
「難しいと思う」
アレンは小さく笑った。
「だって今や、あいつはもう死の神ネレジエル様だからね。僕たちも、そう呼ぶべきかもしれない」
「でも、あなたも戦の神でしょう?」
「はは。今のエリュンデアには、まだ定命の者も戦争もない。そんな僕は、せいぜい三列目がいいところさ。五柱の上位神を抜きにしても、僕より先に話しかけたい神なんていくらでもいるよ」
「でも……でも……」
ヴィルキーは視線を落とした。
「たった二日しか一緒にいなかったけど、私たち、友達にはなれたと思うの……」
「僕もそう思ってるよ、ヴィルキー」
アレンは彼女に微笑んだ。
「だからこそ、ヘルクスに負けて跪かされたあとで、平気な顔して会いに行くのは無理だ」
「そんなの不公平よ……生き残るために必要だっただけじゃない」
「うん、分かってる。でも、そういうものなんだ。この序列は」
「……」
「大丈夫。そのうちまた会えるかもしれない。それに、あいつに会うための行列ができるって話、しただろ? それが何を意味するか、君にも分かるはずだ」
「誰にも会わないように、真っ先に隠れるってことでしょ?」
「はは、正解。どのみち、今日は話しかけるのは難しかったと思う」
「それはそうね」
ヴィルキーもくすりと笑った。
「あの人がそういう人だって、初対面でよく分かったもの」
‼
「ヴィルキー、リリエン聖下だ」
生命の女神が、円蓋の中央へ続く階段のひとつを下り始めると、場にいた神々は一斉に静まり返った。
彼女の後ろには、性別も体格も年齢もばらばらな神々の一団が従っている。
だが、その誰もが圧倒的な力と格を放っていた。
「死の神ネレジエル様だ!」
生命の女神とは反対側の階段から、ほとんど同時に、死の神もその姿を現した。
一人の供を伴って。
「『紅蓮の災禍』か……」
アレンは険しい目でつぶやいた。
「協和宮の広場でのあの一件、今でも覚えてるよ。ネレスが、どうしてあいつを傍に置いて平然としていられるのか分からない」
周囲の神々も、血のように赤いツインテールの少女を見ながら、抑えきれずにざわめいていた。
神々の祭典での彼女の働きや、その異名は、まだ直接知らなかった者たちの耳にもすでに届いていたのだ。
それだけではない。
二人が身に着けている装いは、その場の誰をも霞ませるほどだった。
それ以上に。
二人の放つ存在感そのものが、あまりにも大きかった。
(『紅蓮の災禍』って、生命の女神の一団をあいつ一人で相手にできるのか……?)
(馬鹿を言うな。地の神がすぐ動くだろ)
(でも、月の女神がネレジエル様の側についたって聞いたぞ。黙って見てるとも思えないが……)
アレンとヴィルキーには、円蓋のあちこちで飛び交うそんなささやきが聞こえていた。
どうやらネレスにも聞こえているらしく、すでにかなり居心地悪そうな顔になっている。
二柱の神は中央の壇へ上がった。
だが、それぞれの付き人たちは壇の縁にとどまり、ネレスとリリエンだけが中央の泉へ歩み寄っていく。
二人は言葉を交わさない。
ただ、宇宙そのものを映しているような泉を見つめた。
その宇宙の中心から、金色の光が立ちのぼる。
それを見た瞬間、ネレスは眉をひそめた。
まるで、何か不快な記憶を呼び起こされたかのように。
「何があったんだろう?」
ヴィルキーが思わず口にする。
だがアレンは、指を立てて静かにするよう合図した。
ヴィルキーはあわてて両手で口を押さえる。
精霊や神聖な存在たちの詠唱が響くなか、二柱の神は泉の上へ手をかざし、ゆっくりと持ち上げた。
その動きに従うように、黒い水面からひとつの球体が浮かび上がる。
青白い光を強く放ちながら。
やがてその球体は回転を始めた。
同時に、生命の女神から流れ出したエメラルド色の光が、その表面を走っていく。
だが、光はそれだけではなかった。
ネレスから伸びた銀色の光もまた、それに寄り添っていたのだ。
アレンとヴィルキーは、その色がネレスの髪によく似ていることに気づいた。
「やっぱり、銀の海との関係があるのかしら……」
ヴィルキーはこらえきれず、もう一度つぶやく。
‼
だが、その声は誰にも届かなかった。
次の瞬間。
そこにいた全員が息を呑む。
生命の女神の身体が、ぐらりと揺れ始めたのだ。




