第23話 影がひざまずく時
……
ネレスの館の、広くはあるがほとんど何も置かれていない居間では、二人の少女が豪奢なソファに肩を落として座っていた。
以前にもそこへ座っていた、血のように赤い長いツインテールの少女。
その隣には、差し込む光によって深い金からほとんど白に近い色まで変わって見える金髪の少女が並んでいる。
一人の瞳は火花のような橙。
もう一人の瞳は、冷たい月光のような銀。
そのどちらも、今は床へ向けられていた。
「何で俺の家の門前で喧嘩なんか始めるんだ?」
ネレスは二人の前で腕を組んだ。
「あの大騒ぎ、どこかの世界大戦の前哨戦かと思ったぞ。自治会で俺に何て言い訳しろってんだ」
「自治会……?」
セリスが意味も分からないという顔で首をかしげる。
「一応言っておくけれど、あれが戦争みたいに見えた一番の理由は、私たちを取り囲んだ何千体もの骸骨だと思うわ……」
セレネは、まだ顔を上げないままそう言った。
「それに、骸骨の群れの中からいきなり現れて、あたしたちに『死の手触れ』を叩き込んできたのも、相当理不尽だったと思うんだけど?」
セリスが不満げに言い返す。
「理不尽を言うなら、こっちはまた骸骨の山に埋もれる羽目になったんだぞ……思い出すだけでぞっとする」
ネレスは背筋を走る悪寒に肩を震わせた。
「しかもあれ、一番弱い形で使ったんだ。熟練度も上がらないし、もう神になってるお前ら相手じゃ、せいぜい一時的に痛むだけだ」
「そもそも私は同盟相手に会いに来ただけよ。理由もなく襲われたのは私の方だもの」
セレネは横目でセリスを見る。
「どっち側にいようと、この子が邪魔者なのは変わらないみたいね」
「もう一回言ってみなさいよ」
セリスは勢いよく立ち上がった。
「それに前の戦いだって、あたしが逃げたとか言ったでしょ! あれは休んでただけ! 遠くの気配を感じて先に消えたのはそっちじゃない!」
「邪魔者。しかも、自分の負けを認められない臆病者」
「今のが最後の言葉ね!」
だが、セリスが大鎌を呼び出そうとしたその瞬間、再び首筋へ『死の手触れ』が入った。
「うあああっ……! それ、絶対そういう使い方するスキルじゃないでしょ!」
頭を押さえてしゃがみ込んだセリスの横を通り、ネレスは今度はセレネの方へ近づいた。
するとセレネは、あわてて両手を上げる。
「ごめんなさい! 悪いのは私よ! 一回あれを食らっただけでもう十分だから。どうもありがとう……」
「ずるいでしょ……なんであたしだけなのよ……」
「セレネが煽ったのは事実だけど、お前は最初から殴り合う気満々だったろ」
ネレスはセリスを見下ろした。
「少しは自分を抑えろ。敵にちょっと煽られたくらいで感情に飲まれてたら、本物の戦いじゃ長く持たない」
「でもあたし、何百年も戦場にいたのよ……。『紅蓮の災禍』って呼ばれてたんだから……」
「言い訳はなしだ」
……
「で、セレネ」
ネレスは今度は銀の瞳の少女へ視線を向けた。
「まさかお前まで、ここに住ませろって言いに来たわけじゃないよな……」
「ネレス、私はあなたみたいな三柱の絶対神の一柱ではないけれど、ヘルクスと同じく、エリュンデアの五柱の上位神の一柱なの」
セレネはようやく顔を上げた。
「なるほどな……。星辰結社が星辰神の一族って話も、どうやら冗談じゃなかったらしいな……」
「でも、それでもあなたのこの館の建物を一つくらい、私の来訪用に取っておいてくれても構わないわ」
「同じ都に住んでるって事実は置いとくとして……何で建物まるごと一つ必要なんだよ?」
「ふふ、何を言っているの」
セレネは肩をすくめた。
「都が戦争状態になったらどうするの? 私の一団を丸ごと収める場所が要るのよ。いわば、あなたの派閥の中の私の一派ってところかしら」
「戦争……一団……派閥……」
「実際、今日は二つ用があって来たの」
セレネは言った。
「一つ目は、まだ決まっていないあなたの派閥名よ。私の側の者たちも、そろそろはっきりさせたいみたいでね。私としては『蝕』が一番いいと思ってるわ」
「そもそも、俺はその派閥って話にまだ全然乗り気じゃないんだけどな……。しかもその名前、どう見てもヘルクスへの私怨だろ」
「それもそうね」
セレネは腕を組み、少し考え込んだ。
「せっかく一族から離れるのに苦労したんだもの。あいつがまた文句をつけて来る口実なんて与えたくないわ」
「ネレスがもう『黄昏の館』に住んでるんだから、『黄昏派』でいいんじゃない?」
セリスが首をかしげる。
「まだその金髪が入るのには賛成してないけど、死にも月にも合ってるし」
ネレスとセレネは、そろって信じられないものを見るような顔でセリスを見た。
「何よ、その顔は?」
「いや、別に」
ネレスが答える。
「お前の頭の中に、戦い以外のものが入ってるとは思わなかっただけだ」
「正直、私は何も入ってないと思っていたわ」
セレネが平然と追い打ちをかける。
「今のは怒っていいでしょ!?」
「二つ目の話だけど」
セレネはセリスを完全に無視して続けた。
「あなたがその手のことに興味がないのは分かってるけれど、一応、今の勢力図を教えておこうと思って」
「そこまで分かってるなら、興味がないから聞いてないってところまで察してくれれば完璧なんだけどな……」
「まず太陽神の話からしましょう。ちょうど名前も出たことだし」
セレネは今度はネレスまで無視した。
「戦の神として昇ったアレンに加えて、ヘルクスはすでに火の女神と竜神を自分の派閥へ引き入れているわ」
「戦の神、か……なんか妙に納得だな」
ネレスは小さく息をついた。
「アレンとヴィルキーが無事ならいいけど」
「生命の女神も動きが早かったわ」
セレネはソファから立ち上がり、窓辺へ向かった。
「もう一柱の上位神、地の神を取り込み、その地の神はすでに自然の女神を従えていた」
そこで一度、窓の外へ目をやる。
「その自然の女神は、たいていエルフたちに守護神として崇められるの。そして彼らは長命ゆえに、たいてい死の神と仲が悪くなるわ」
「何もしないうちから、俺が敵を作る前提になってるのは何なんだよ」
「神ってそういうものよ。どうしようもないわ」
……
「セレネ」
ネレスは少し眉を寄せた。
「お前が一族のしがらみから逃げたかったのも、なぜか俺に興味を持ったのも分かる。けど、そんなに政争が好きなら、自分で派閥を作るか、あのリリエンとかいうもっと活発そうなところに入ればいいだろ」
「私が自分の派閥を作ったら、真っ先にヘルクスが潰しに来るわ」
セレネは振り返り、ネレスへウインクした。
「それに三柱の絶対神の中で、一番自由に動けそうなのは今もあなたよ。生命の女神よりずっとね。もちろん、あなたが絶対神になるって賭けていたんだけど……勝ったわ」
「……時の神の派閥ってのはどうなんだ?」
「時の神が何を考えているのかは、誰にも分からないわ……。それに、あの人には派閥もないみたい」
「俺だって、誰かのせいでなければ派閥なんて持ってなかったんだけどな……」
「その派閥つながりで言うなら」
ネレスのぼやきをまたしても無視し、セレネは二度手を打った。
すると彼女の影の中から、夜そのもののように黒い髪をした細身の青年が現れ、ネレスの前にひざまずく。
「紹介するわ。こちらはベルカル」
「ネレジエル様、お目にかかれて光栄にござる。拙者、暗殺者と盗賊の守護神ベルカルにござる」
……
(まだ定命の者すらいないのに……。自然の女神とエルフの関係も、結局は同じようなものか)
「で、その『実に愉快なお連れ様』は何なんだ……?」
「私は月の女神だもの」
セレネは、ひざまずいた青年の肩へそっと手を置いた。
「ああいう稼業が栄える夜は、私の領分よ。もっとも、もし先にあなたが昇っていたなら、彼はきっとあなたの配下になっていたでしょうけれど」
セレネは薄く笑った。
「夜のない盗賊や、死のない暗殺者が成り立つと思う?」
「……」




