第20話 隔絶された世界
協和宮。
そう呼ばれる建物こそ、神候補たちが試練の始まる前に、その広場へ集められていた場所だった。
エンピリアン・ピークスでも屈指の威容を誇る建造物であり、未来の神々がエリュンデアの重大な決定を下す場でもある。
そして同時に、調停者たちの本拠地でもあった。
調停者には、神々の政そのものを左右する権限はない。
神々の規則は、時の始まりにディバイン・オーダーが定めたものだからだ。
だが、それでも彼らの役目は極めて重要だった。
神々の争いによって世界そのものが滅ぶのを、少しでも防ごうとすること。
もっとも、その目的は常に果たされるわけではない。
相手が力ある神々であれば、なおさらだ。
その重責を強い誇りとともに背負っているのが、最高調停官カシアン・ヴェイルだった。
彼はエリュンデアにおける調停者の最高責任者であり、その地位に就けたのは、神々に仕える不死の名門ヴェイル一族の後ろ盾があったからでもある。
だがもちろん、それだけではない。
たゆまぬ努力。
疑いようのない学識と才覚。
そして、桁外れの幸運。
そのすべてがあってこそ、彼は今ここに立っていた。
カシアンは背が高く、細身で、髪は一分の乱れもなく整えられている。
眼鏡をかけているが、あれはただの装飾ではない。
真実と虚偽を見分けるための魔道具だった。
もっとも、神々相手となると、そこまで頼りにはならないのだが。
少々気を張りすぎで、冗談の通じない男だと言う者も多い。
それでも、優れた指導者であることだけは誰も否定しなかった。
そして、その手腕こそが、これから本格的に試されることになる。
要するに――
今、目の前で長い白ひげを撫でている老神が、豪奢で巨大な宮の一室にて、そんな未来を彼へ告げていたのだった。
「ようやく、すべての試練が終わりました」
カシアンは眼鏡の位置を指で正しながら言った。
「予想通り、バトルロワイヤルが最も長引きました」
「とはいえ、本来よりはずっと早く終わったがのう」
ゾロヴァンはそう返した。
「若きカシアンよ、お前はなかなか骨の折れる世界を任されることになりそうじゃ」
「成功をお約束することはできません」
カシアンは淀みなく答える。
「強大な神々が多く関わる世界ほど、争いに耐えきれず潰える可能性も高いものです。ですが、至高の御方。この身に課された責務だけは、必ず全力で果たしてみせます」
「正直でよろしい」
ゾロヴァンは愉快そうに笑った。
「だが、指導者たるもの、ときには嘘をついてでも安心を与えねばならん。周囲に自信を見せるのも大事な務めじゃぞ。ほっほっほ」
「あなた様に嘘など、とても……」
カシアンがそう言うと、ゾロヴァンはひとつ息をつき、思案するように背を向けた。
「神々はすでに選ばれた。この世界はここから隔絶される」
老神は静かに告げる。
「そして、ひとりの至高神が他をねじ伏せるまで、ディバイン・オーダーのもとにある他の世界とは再び繋がらぬ」
「でなければ、新たに生まれた世界はどこも神々の混沌に飲み込まれてしまう……」
カシアンが言葉を継ぐ。
「ディバイン・オーダーの、ごく基本的な規則のひとつです」
ゾロヴァンはうなずいた。
「それでも、儂はリリエンに期待しておる。たとえ他を支配するまでには至らずとも、この苛烈な舞台の中で、きっと上手く立ち回るじゃろう」
「あなた様がこの世界へ降りられたのは、ここに大切なお孫様がいたからこそだと承知しております。ですが、それでも、来てくださったことを嬉しく思います。直接お目にかかれたことは、私にとって大きな名誉でした」
その言葉に、ゾロヴァンは振り向いて笑みを向けた。
「ほっほっほ、こちらこそじゃ。それに、来てよかったと思っておる」
老神の目がどこか遠くを見る。
「エリュンデアの先に何が待っているのか、実に興味深い。もちろん、その中で我が孫がいかなる役目を果たすのかも含めてな。だが、それを語るのは時のみ……あるいは、この場合は文字通りかもしれんがの」
「幸運の女神がお許しくださるなら、迫り来る混沌の中で、リリエン様に最大の幸運が訪れることを願いたいところです」
カシアンは軽く頭を下げた。
「ですが、私自身はどこまでも中立でなければなりません」
「さすがは最高調停官じゃ」
ゾロヴァンはカシアンの両肩へ手を置いた。
「始まりの儀、健闘を祈るぞ。なにしろ、あれは孫が最初に目立つ好機のひとつだからのう。ほっほっほ!」
ぽんぽん、と肩を軽く叩くと、ゾロヴァンは歩き出した。
その身体を金色の光が包み込み、数歩進んだところで、その姿はきれいに消えた。
カシアンはしばらくのあいだ、老神がいた場所を見つめたまま立ち尽くしていた。
敬意と、別れの意をこめて。
「最高調停官さまぁぁぁ!」
その静かな余韻をぶち壊すように、乱れた髪の少女が部屋へ飛び込んできた。
彼女もまた、カシアンと同じ白地に黒の刺繍が施された制服を着ていたが、装飾はかなり控えめで、ズボンではなくスカートだった。
「ディリレイ!? 何の騒ぎだ!」
「最高調停官、もうディリでいいって何度も言ってるじゃないですか……って、違う! それどころじゃないんです! 死の神ネレジエル卿が逃げました!」
「……何だと?」
◇ ◇ ◇
「本当に、あそこで話を聞かなくてよかったの?」
セリスは背後を振り返った。
遠くにはまだ、協和宮の姿が見えている。
「っは! 聞くべきことは聞いたからな」
ネレスはにやりと笑いながら、先を歩いていく。
「ユグドラシルの果実が売れるってことか? あの調停官、あんたが聞いた瞬間、顔真っ青だったわよ」
「まあ、無理もないだろ」
ネレスは肩をすくめた。
「霊力が二万前後のやつからすれば、五千も増えるユグドラシルの果実は、いきなり二五パーセント増しになるようなもんだ。そりゃ、普通はその場で食う」
「神によっては、たった二百SPEで奪い合いになるのよ……」
セリスがぼそりと言う。
「マジでSPEって呼ぶのか?」
「ちっ、何よ。馬鹿にしてるわけ?」
「いやいや、全然」
ネレスは笑った。
「ただ、霊力何単位って言うのか、単に数字で言うのか分からなかっただけだ。なんか、マナポイントみたいでさ。『今マナいくつある?』みたいな……地球にいた頃のくだらない記憶ばっかり浮かぶな。まあ、似たような概念や言い回しは、色んな世界で聞いたけど」
「そりゃそうでしょ。人間が使うマナは、霊力の下位みたいなものなんだから」
セリスは当然のように言う。
「あたしたちが使う力ほど純粋じゃないけど、その分、連中には扱いやすいのよ」
「へえ……またひとつ賢くなった」
「……どうしてそんな基本中の基本も知らないのよ!」
「文句があるなら、そこで別れてもいいんだぞ。別に、ついて来いなんて頼んでないしな」
「恩知らずに見えると思ってるの!?」
「『礼は言わない』って、わりとはっきり聞いた気がするけどな」
「ネレス!」
セリスは彼の言葉を丸ごと無視して叫んだ。
「あたしたちの魂、つながってるのよ! あんたに何かあって、あたしがそばにいなければ、あたしだって消えるんだから! あたしは……あんたの死神よ!」
「ほんと、その呼び方気に入ったんだな……」
ネレスは乾いた声で返す。
「そんな言い方されると、夜眠れなくなるんだが」
「ん?」
「いや、何でもない。お前が気に入ってるなら、それでいいんじゃないか」
「当然でしょ! 大事なのはあたしなんだから!」
「……」
「何よ、その間は」
「とりあえず、さっさと果実を売ろう」
「そんな高い物、ここで誰かが買えるとは思えないけど」
セリスは首をかしげた。
「ゴッドスクリプトで直接売るしかないわよ」
「ゴッドスクリプトに意思なんてないことを祈るか……」
ネレスはぼやく。
「もらったばっかりの物を、そのまま売り飛ばすことになるからな。……そういや、神は何を通貨にしてるんだ?」
「決まってるでしょ」
セリスはあっさり答えた。
「信仰よ」




