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第2話 神々の祭典

 ネレスは両手を背中に回し、まるで事件現場からこっそり逃げ出そうとするかのように、半ば開いた門から数歩だけ離れた。


 だが、もう遅い。


 視線という視線が、すべて彼へ注がれていた。


「……これは、いったいどういうことだ……?」


 ネレスはびくりと肩を震わせた。


 遠くの演壇にいたはずの老人の声が、今はすぐ背後から聞こえてきたからだ。


 振り向くと、そこには長い白ひげをたくわえた老人がいた。いつの間にか彼はネレスのすぐ近くまで来ており、あの巨大な両開きの門を上から下まで眺めている。


 だが、ネレスが危うく尻もちをつきそうになった本当の理由は別にあった。


 自ら光を放っているように見えたあの少女まで、老人の隣に立っていたのだ。しかも彼女はネレスだけをまっすぐ見つめている。


 その視線は、まるで魂の奥底まで見透かしてくるようだった。


「エフェリオンの門が開くのは、神々の祭典が始まる時だけだ。新たに生まれる世界に根を下ろすための競争――それが神々の祭典と呼ばれているものだ。今回のようなことは前例がない……」


 そう言って老人は振り向き、その輝く翠の瞳をネレスへ向けた。


 二人に見つめられながら、ネレスは気づいた。


 彼らの目はよく似ていた。まるで春そのものを映し込んだような色をしている。


 だが、老人の髪とひげは白く、少女の髪は桜の花を思わせる色だった。


 少女は相変わらず真顔のまま、じっとネレスを見ていた。そのせいでかなり居心地が悪い。


 対して老人は目を閉じ、小さく首を横に振った。


「偶然であれ何であれ、説明が終わるまでは暁の広間から出ることはできん。いい加減、落ち着きたまえ。ネレジエル」


(ネレジエル? ずいぶん大層な名前ね……)


(まだ神ですらないくせに、何たる不遜……)


(どうせ自分でつけた名前なんだろ。落とされる時が楽しみだな……)


(落とされる時? 最初から騒ぎを起こしてるんだし、もう失格でいいでしょ)


 ネレスは、なぜこの老人が自分の名を知っているのかを尋ねなかった。


【ゾロヴァン】

【生命の神】

【至高神】

【フェレンディルの超越神】

【始原の評議会・第一座】


 ゴッドスクリプトには他にも大量の情報が表示されていた。


 だが、この肩書きだけで十分だった。少なくとも、目の前の相手に無礼を働いていい存在ではないことくらいはわかる。


「失礼ですが、その……閣下、とでもお呼びすれば……?」


 周囲の声を聞いて、ネレスはわずかな希望を抱いた。おそるおそる口を開く。


「ここまで散々やらかしてしまいましたし、いっそ失格にしていただいた方が良いのでは? 判定には従います。どこか辺境で、静かに農夫でもやって暮らしますので……」


「失格だと?」


 ゾロヴァンは長いひげを撫でながら答えた。


「誰が神へと昇り、誰が元いた場所へ戻されるか――それを決めるのはディバイン・オーダーのみだ。選択肢は、その二つしかない」


 ネレスの血の気が引いた。


 元いた場所へ戻る――それはつまり、魂の海へ戻されるということか?


 本当に逃げ切れていなかったのか。自分は確かに、あのトンネルの先にあった境界を越えたはずだ。


 まさか、あの先に広がる無の中を、再びさまようことになるのか……?


「いずれにせよ、お前には大きな期待を寄せている者がいるようだ。その名は、理由もなく与えられたものではない。期待を裏切らぬことだ」


「……え?」


 周囲の者たちの多くは、その言葉を面白く思っていないようだった。だが、ゾロヴァンはただ微笑み、ひげを撫でると、少女とともにその場から消え去った。


 次の瞬間には、遠く離れた演壇へ戻っている。


「さて、諸君もゴッドスクリプトにはある程度慣れたことだろう」


 ゾロヴァンは再び広間全体へ向けて声を響かせた。


「先ほども言った通り、新生世界エリュンデアに用意された神位の行方を定めるのは、ディバイン・オーダーだ。だが、それは諸君が自らの価値を示さずに済むという意味ではない」


「エリュンデア……?」


 ネレスは老人の話を半分しか聞いていなかった。


 自分に与えられた名のことも混乱していたが、それ以上に恐ろしかったのは、あのディバイン・オーダーなるものに魂の海へ送り返される可能性だった。


 つまり――運命の女神の祝福によって、また終わりなき転生の輪へ戻されるかもしれないということだ。


 ネレスは横目で背後の半開きの門を見た。


 だが今は、そこへ手を出さないことにした。


「ディバイン・オーダーは、各自のゴッドスクリプトを通じて、それぞれに相応しい試練を割り当てる。これらは、どのような神になる素質を持っているかによって決まる」


 ゾロヴァンの視線が、広大な暁の広間をゆっくりと巡る。


 多くの者が、その視線の下で思わず息を呑んだ。


 茶色の髪の青年と、金色の三つ編みを揺らす少女はそろってうなずいている。少し離れた場所では、血のように赤いツインテールの少女が、手で口元を隠しながらあくびをしていた。


 さらに遠く、巨大な柱にもたれかかっていた炎色の髪の長身の男が、自信たっぷりに銀色の目をした少女へ笑みを向ける。だが、少女は視線をそらした。


「そして、自らがある神位に最適な候補者であると証明した時――あるいは、その神位を争う他の候補者がいなくなった時にのみ――ディバイン・オーダーは諸君へ神位を授ける」


 ネレスは、そのわずかな間に込められた意味を嫌というほど理解した。


 要するに、彼らはエリュンデアという世界で、決められた地位を巡って競うのだ。


(……もしも下っ端の地位でも取れれば。たとえば"椅子の神"とか……そういうので目立たずに済めば、転生の輪に戻されるのも避けられるかもしれない……)


 ネレスは拳を握りしめた。


(よし、試練の間ずっと座っていよう! そうすれば、椅子の神にふさわしいのは俺しかいないって証明できる!)


(ぷっ……)


 柱にもたれていた銀の瞳の少女が、思わず小さく吹き出した。その隣の炎髪の男は、何が面白いのかわからず戸惑っている。


「だが――例外が一つある」


 ざわついていた候補者たちは、その言葉で一斉にゾロヴァンへ振り向いた。


 老人は隣に立つ少女へ軽く手を向ける。少女は数歩前へ出て、広間の正面に立った。


「私の名はリリエン。ここに立てることを嬉しく思います。そして、エリュンデアにおいてこれほど重要な役目を任されたことを、心から光栄に思います」


 リリエンは群衆へ向かって、優雅に一礼した。


「彼女は私の孫であり、ディバイン・オーダーによって、エリュンデアで最初に神へ選ばれた者だ」


【生命の女神】

【絶対神】

【ゾロヴァンの血統】

【エリュンデア最初の選定者】


 ゾロヴァンの時と同じく、ゴッドスクリプトはいくつもの肩書きをネレスへ表示した。もっとも、今の彼にとって重要なのはその一部だけだった。


(縁故採用の匂いしかしないな……まあ、俺には関係ないけど)


「生命の神は常に例外だ。私たちなしでは、新たな世界は生まれにくい。ディバイン・オーダーは、純粋に適性によって私たちを選ぶ」


「しかし、そのような例外もここまでです。いったんエリュンデアへ降りれば、選ばれた神であっても、自らの力で立たなければなりません。その点では、皆同じです」


「とはいえ、祖父として一つだけ願うなら……孫にはどうか優しくしてやってくれ」


 笑い声と拍手が起こった。好意的な視線もあれば、機嫌を取ろうとする視線、ライバルを見るような視線もある。


 ゾロヴァンの孫娘は軽く一礼し、祖父の背後へと下がった。


「さて、本日はこれまでだ。長い旅の疲れを癒やすといい。中には突然ここへ現れた者もいるようだしな」


 そう言った老神の顔に、いたずらっぽい光がよぎる。


「もっとも、休んでいいのも、試練が明日決まるのも事実だが――神々の祭典そのものは、この瞬間から始まっている!」


 その言葉と同時に、広間の巨大な門がひとりでに開き始めた。


 轟音が響き、候補者たちの間にどよめきが走る。


「今、エフェリオンの門はエリュンデアへとつながっている。始原の評議会の監督下にある、新生世界だ」


 ネレスの周囲でも、皆が興奮し始めていた。期待に手を握り合わせる者もいれば、自信満々に笑う者もいる。


 だが、ほとんど誰も気づいていなかった。


 いつの間にか、ゾロヴァンの孫娘の姿がそこから消えていたことに。


「天の神がしばしば風の神を従えるように、試練が始まる前に自らの派閥を作ることも自由だ。仲間や指導者が神へ昇れば、それが巡り巡って自分の神格獲得につながることもあるだろう」


「派閥……?」


「では、今はこれにて解散だ。選ばれし魂たちよ。諸君それぞれの試練が始まる前、エリュンデアで再び会おう!」


 ネレスは辺りを見回した。


 すでに多くの者たちは、最初から組んでいたらしい相手と連れ立って暁の広間を後にしている。笑い声の中、期待と熱に満ちた視線が飛び交っていた。


(ふん……椅子の神に、机の神なんて相方はいらない。まあ四つん這いが似合いそうなやつくらいは、一応探しておくか……)


(……ちっ。あたしより目立つ許可、誰があげたのよ)


 ネレスが振り向いた時には、ただ赤いツインテールが二つ、人混みの中へ消えていくのが見えただけだった。

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