第1話 死の意味
命の意味については、これまで何度も語られてきた。
なぜ人は生きているのか。
何のために存在しているのか。
何を成すために在るのか。
だが、死はどうだろう。
なぜ人は死ななければならないのか。
なぜ永遠のものは存在しないのか。
それは、はかないからこそ命をより大切に思えるためかもしれない。
終わりのない生など、むしろ苦痛でしかないのかもしれない。
あるいは理由などなく、ただ在るものが在るだけなのかもしれない。
確かなのは、その答えはおそらく決して人の手には届かないということだ。
けれど――
死すら超えた者たちなら、どうなのだろうか。
◇ ◇ ◇
「始まりあるものには終わりがある。永遠に在り続けるのは、最初から永遠であったものだけだ」
(ああ……)
広間は途方もなく広く、無数の人影が静まり返って話に耳を傾けていた。
(は……は……)
その最前列、高く設けられた演壇では、長い白ひげをたくわえた老人が厳かに語っていた。
(は……はは……)
「ディバイン・オーダーは永遠に存在してきた。だが、その一方で、今まさに始まろうとしている世界がひとつある」
(はっ……はは……は……)
「ようこそ、暁の広間へ。選ばれし魂たちよ」
「アァァ――ハハハハハハハハハハハハ――!」
その瞬間、その場にいた全員が、悲鳴と錯乱した笑い声を混ぜたようなその音のした方を振り向いた。
広間のほぼ最後方。
そこには、肩まで流れる銀髪の青年が立っていた。
彼は両手を上げて高すぎる天井を見上げ、輝く金の瞳から涙をこぼしていた。
「オホン……」
演壇の上で、老人が目を閉じたままわざとらしく咳払いをひとつする。
青年は視線を下ろし、ぼんやりとした顔で広間を見回した。
広すぎて壁すら見えず、天を支えているような柱は、下手をすると建物と見間違えるほどだった。
何千もの視線が自分に向けられているのを追っていた彼の目が、ふいに大きく見開かれる。
顔が一瞬だけ青ざめたが、すぐに取りつくろった。
「大変失礼しました。邪魔をするつもりはなかったんです」
ぎこちない笑みを浮かべ、後頭部に手をやって頭を下げる。
何を邪魔したのか、彼自身まったく分かっていなかった。
だがそれ以上に気になっていたのは、この巨大な広間のはるか後方にいる自分が、どうしてあの老人の声をこんなにはっきり聞き取れるのか、ということだった。
集まりを仕切っているらしい老人は、ゆっくりと目を開けた。
鋭い視線が青年へ向けられ、彼の背筋を冷たいものが走る。
「神候補に選ばれれば、誰しも気分が高ぶるものじゃろう。だが、何事にも時と場というものがある。次からは祝う瞬間をもう少し選ぶことじゃ」
周囲から小さな笑い声や、悪意を含んだささやきがいくつも聞こえ始めた。
だが青年はそんなことなど気にもしていないようだった。
ただ、今聞いた言葉だけが頭の中を占めている。
「神候補?」
そのつぶやきは周囲のざわめきにかき消された。
もっとも、聞こえてきたのは嘲笑だけではない。
(あいつは誰だ? 半神には見えない)
(本気で言ってるの? 笑ってる連中のほうがよっぽどどうかしてるわ。少なくともあなたなら、あの人を包んでる気配に気づくと思ってたけど……正直、かなり威圧感があるわよ)
銀髪の青年からそう遠くない場所で、ふたりの人影がひそひそと話していた。
ひとりは栗色の髪をした、引き締まった体つきの青年。
同じ色の瞳には穏やかな光が宿っている。
もうひとりは、空のような色の瞳を持つ少女。
金髪を長い三つ編みにして背中へ垂らしていた。
ふたりとも、はっきりとした興味をもって彼を見ていた。
(だからそう言ってるんだ。単なる半神には見えない。むしろ――)
「さて、もう騒ぎは十分じゃ」
老人が片手を上げると、強大な見えない圧力が広間全体に落ちた。
その瞬間、全員がぴたりと黙り込む。
「導入はこれで終わりじゃ。ここからは説明に入る」
銀髪の青年だけは他の者たちのような影響を受けず、何が起きたのか分からないまま、きょろきょろと辺りを見回した。
それでもすぐに、老人の話へ意識を向ける。
「この場にいる者は皆、ディバイン・オーダーと交信することを許されておる。だが当然、それを理解するには道具が必要じゃ。そこで必要になるのがゴッドスクリプト。お前たちに理解できる形で情報を示してくれる」
多くの者がうなずいた。
どうやら、完全に話についていけていないのは銀髪の青年だけらしい。
「ゴッドスクリプトは、お前たちとディバイン・オーダーをつなぐものじゃ。自分自身や周囲に関する詳細な情報へアクセスできるようになる。もっとも、どこまで見られるかはお前たち次第。力量、能力、そして対象との関係――そういったものに左右される」
今度は、青年の周囲にいた何人かも困惑したように顔を見合わせた。
それを見て、彼は少しだけ場違いではなくなった気がした。
「今すぐ理解できなくとも心配はいらん。時が経てば、いずれすべて分かる。では、各自ゴッドスクリプトへアクセスしてみるがよい。願うだけでよい。少し時間をやろう」
「願うだけって……それが何かも分からないのに?」
銀髪の青年は周囲を見回した。
皆、目の前の空中を見つめるように集中している。
「あのゴッドスクリプトとかいうのを思い浮かべるだけでいいのか……?」
‼
次の瞬間、彼の目の前にホログラムのような画面が現れた。
おそらく皆にも同じものが見えていて、ただ他人には見えないのだろう。
「見回した感じ、ここってそこまで文明が発達した世界には見えないんだよな。正直、このホログラムだけ場違いすぎるだろ……」
視線を巡らせれば、衣服も、それをまとっている連中も、どう見ても近未来ではなく、剣と魔法の世界寄りだった。
「もしかしてあの爺さん、喉に何か埋め込んでるのか? だからあんなによく聞こえるとか……いや、サイボーグか? ……ん? 何だこれ、未読メッセージ?」
【強大な存在があなたに興味を示しました】
【強大な存在があなたをネレジエルと名付けました】
「ネレジエル?」
【聖なる闇】
別ウィンドウに表示されたその一文は、どうやら今の名前の意味らしかった。
「聖なる闇……もっとこう……痛々しくない名前はなかったのか? ピーターとか、ジョンとか。最初の人生の名前はレオンだった気もするけど……いや、あれは好きだったゲームのキャラだったか?」
【ネレジエル】
どうあがいても、画面の上部には名前としてネレジエルと表示されている。
どうやら自分では変えられないらしい。
「ネレスでいいか……それより、『強大な存在』って何だよ」
彼の脳裏に、とてつもなく古い記憶がよみがえった。
あまりにも昔のこと。だが、それでも決して忘れられない。
完璧な笑み。
そして氷のように冷たい瞳。
ネレスの背筋を、ぞわりと悪寒が走る。
「いや……『最近のメッセージ』って書いてあるし、時間は出てないけど……とにかく、あの天使面した悪魔とは関係ないはずだ。たぶん」
【運命の女神の祝福】
「これ完全に天使面した悪魔じゃねぇか!!」
その叫びに周囲の者たちが自分のホログラムを確認し始めたため、彼は慌てて頭を下げた。
「いや、でも祝福って何だよ。俺のゴッドスクリプト……いや何でもいいけど、絶対壊れてるだろ……! どこが祝福なんだよ! 死んでも逃げられないとか! あ、すみません、すみません……」
今度こそ周囲の大半が、じろりと細い目を向けてくる。
「でも今回は違う……ようやく魂の海の岸辺まで辿り着けたんだ。今回は生まれ変わってない……よな? ん?」
【SPE: 3,245,658】
「SPE?」
ネレスは反射的に、その文字へ人差し指を触れた。
すると小さな補足ウィンドウが横に開く。
【スピリチュアル・エナジー】
「スピリチュアル・エナジー? 要するに、霊力みたいなものか? しかもこの数字、バカみたいに高くないか? やっぱりこのホログラム、絶対どこかおかしいだろ……」
(やっぱりな。俺のSPEは二万を超えてる)
(待て、嘘だろ……半神の平均SPEは一万程度のはずだ)
(神の家系の俺を、第一世代の半神なんかと一緒にするな)
「うん、やっぱりゴッドスクリプト壊れてるな」
周囲の声を聞いて、ネレスは自分にうなずいた。
「まあいい。壊れてようがどうでもいい。そもそも俺は半神だの神候補だのサイボーグだの、そんなものに一切興味ないんだよ」
ネレスは、遠くの演壇で、光そのもののように輝く少女と話している老人に背を向けた。
「ここにいたら、あの悪魔に会うかもしれないしな。自分で女神だって名乗ってたし……」
彼は、最初に広間を見回したときに見つけていた両開きの扉へ、人混みをかき分けながら歩き出した。
そのとき、自分が先ほどのふたりの若者や、老人と話していた少女に見られていることには、まだ気づいていなかった。
その少女も、ときおり横目で彼を見ていた。
「……あれを開けられるくらい力のある奴がいるのか? それとも何か仕掛けで開くのか?」
目当ての場所まで来て、彼はその扉の巨大さを改めて思い知った。
巨大というより、もはや巨人のための門と言った方がしっくりくる。
ネレスは両扉の継ぎ目に両手を当てた。
取っ手らしきものは見当たらないし、仮にあっても鋼鉄の梁みたいな大きさだろう。
だから、ただ少し押してみただけだった。
本当に、ただの好奇心で。
「またお前か!? 何をしておる!」
老人が額に手を当て、うんざりした声を飛ばす。
「エフェリオンの門が開くのは――」
だが、その言葉は途中で途切れた。
呼ばれて振り返ったネレスには、もう手遅れだった。
轟音とともに、巨大な両扉はあっさり開いてしまった。
それと同時に、扉を覆っていたらしい魔法の結界まで派手に砕け散る。
……
「えっと……」
……
「ごめん?」
……
「これ、開けちゃダメなやつだった? あはは……事故ってことで……」
ひそひそ話をしていたふたりの若者も、老人も、そしてその場にいたほとんどの者たちも、言葉を失っていた。
一方で、少し前から彼を観察していた別の四人分の視線は、今や以前にも増して興味を帯びていた。
「チッ」
「……」
そしてさらに別の二対の視線には、はっきりとした敵意が宿っていた。




