第14話 ここに定命の者はいない(2)
「うあああああっ!」
ヘルクスの切羽詰まった叫びに続いて、強烈な蹴りがネレスを吹き飛ばし、焼け焦げた木の幹へ叩きつけた。
「がはっ!」
激突した瞬間、ネレスは息ができなくなった。
もっとも、それもほんのわずかな間だけだ。
焼け焦げた幹が粉々に砕けたおかげで、肋骨までやられずに済んだのかもしれない。
「アレン……! 何してる……! 今だろ!」
頭を押さえ、苦しげにうめいているヘルクスを、アレンは立ち尽くしたまま見ていた。
だが、ネレスの声で我に返る。
「ごめん!」
アレンはそう叫ぶと同時に、ヘルクスへ飛びかかった。
だがその突進は、炸裂した光に遮られる。
アレンは後ろへ跳んで、かろうじてそれをかわした。
「ちっ……」
ようやく呼吸を取り戻しながら、ネレスは舌打ちした。
【死の手触れ】
【避けられぬ死に、誰一人抗えない。その時が来た者へ印を刻め】
「図書館の神を目指す俺には、なんとも要らねえスキルだな……。まあ、予想どおり不死の半神相手じゃ決定打にはならねえか。けど、まるっきり無駄でもなかったらしい」
【呪詛】
【全能力値-30%】
「はははっ、いやあ、こういう攻撃はまるで想定してなかったぜ」
ヘルクスは顔から手を離しながら笑った。
その顔に火傷はない。
まるで煙か何かが、肉体ではなく魂そのものから立ちのぼっていたみたいだった。
「お前らをこの小さな祭りから退場させるのは惜しいと思い始めてたんだがな……だが――」
ヘルクスの頭上に浮いていた光球が、まばゆい閃光とともに弾けた。
ネレスにとって、それは初めて見る手ではなかった。
だからこそ、反射的に顔をかばうことができた。
だが、目を開けた時には、ヘルクスはすでにアレンの目前まで踏み込んでいた。
「ぐっ!」
腹へめり込んだのは、容赦のない拳だった。
アレンは反応すら間に合わず、そのままヘルクスの腕へ崩れ落ちる。
ヘルクスはその体を片手でひょいと担ぎ上げた。
「この坊やには才能がある。だが、光るには導き手が要る。だから俺様の派閥に入れて、俺様の翼の下で育ててやる。お前のほうは……ちょいと扱いづらそうだがな」
彼がそう話す間にも、森の中は骨と金属の打ち鳴る音で満ちていった。
その音は幾重にも重なり、やがて不気味な一つのざわめきになる。
ヘルクスが言い終える頃には、すでに一千体のスケルトンが完全に包囲を終えていた。
幾十、幾百もの弓が一斉に持ち上がる。
弦は張り詰め、わずかな動きすら許さぬように狙いを定めていた。
「面白くなってきた――と言いてえところだがな。俺様のエイドロンにとっちゃ、スケルトンが百だろうが千だろうが大差ねえ」
ヘルクスは肩をすくめた。
「能力値がそこまで下がった状態でも、か? もし一撃で片づけられなかったら、片手で防ぎきれるのか?」
「はははっ。お前のスケルトンが、なぜか俺様の皮膚を貫けるのは確かだ。だが、片腕がふさがってるのが不利なのは、むしろお前のほうじゃねえのか?」
そう言って、ヘルクスは肩の上のアレンを軽く持ち直す。
「誰も犠牲にはしないんじゃなかったのか?」
「そもそも、どうしてアレンなんだよ」
「いずれ俺様はエリュンデアを手中に収める。そのためには、ゾロヴァンの孫娘をどうにかしなきゃならねえ。どれだけ俺様が完璧でも、助けは必要だからな」
「この世界じゃ、相手の意思に反してでも戦わせられるのか?」
「ディバイン・オーダーにどういう誓約を立てるか次第だな。もっとも、俺様はこいつに無理強いする気はねえよ」
ヘルクスはにやりと笑った。
「守ってやるし、育ててもやる。俺様の下で、最強格の神の一柱にしてやるさ」
「自分ひとりで掴めるより大きな領域を手に入れられるのか?」
「当然だ。俺様の派閥に入るんだからな」
ネレスは腕を組み、目を閉じたまま数秒だけ考え込んだ。
「本音を言えば、このまま終わらせるのは惜しい。お前にはもっと育ってもらって、祭りの外で改めて会いたいくらいなんだがな」
ヘルクスは笑みを崩さないまま続けた。
「それこそ、エイドロンだけじゃなく、互いの神具も込みでな」
「それ、ルールだったのか? 誰も教えてくれなかったんだけど……。まあ、この場所じゃ誰もまともに説明してくれねえしな」
「はははっ、だって常識だからな! 俺様としては、やっぱり素手より本来の武器が恋しいんだよ」
ヘルクスは空いた手で見えない何かを握る仕草をしたが、すぐに表情を引き締めた。
「もっとも、本気で食い下がるなら――今ここで消してやってもいいぜ?」
「俺を甘く見るな。千回死んできたんだ。あと一回増えたところで、大差ない」
(……今の、ちょっと決まった気がしたのに、よく考えたらただただ悲惨だな。いや、そもそも一回だって死にたくないんだけど。銀の海に戻されたらどうなるんだ?)
「はははっ、悪く取るなよ」
ヘルクスは肩をすくめて謝った。
「千回死んだって話は何のことか知らねえが、お前が並じゃねえのは確かだ」
ネレスは疲れたように息を吐き、左手で握っていた重い本から少し力を抜いた。
「分かったよ。アレンは派閥が欲しかったし、もっと力も欲しかったんだろ」
そう言って、ネレスはヘルクスの目をまっすぐ見た。
「お前が約束を守るなら、あいつをお前に預けても構わない」
「そこは任せとけ」
「だが……俺はもう、これ以上『成長』する気はない。できれば二度と俺の前に現れないでくれ」
その言葉の最中だった。
地面が一斉に震え始め、あらゆる方向から、倒れた戦士たちの大波が湧き上がる。
燃え尽きた木々は骨と金属の奔流に踏み砕かれ、視界の果てまで死の奔流に塗りつぶされていった。
もはや二人を囲んでいたのは一千体ではない。
その十倍だ。
ヘルクスは感心したように低く口笛を吹いた。
「どうやら俺様、お前を見くびってたらしい! これは本気で気に入ったぜ! 次はぜひ、互いの神具込みで会おうじゃねえか!」
「今ちょうど何て言ったと思ってるんだ!? しかも俺は神具なんか持ってない!」
ヘルクスのそばに浮いていた光球がさらに輝きを増す。
だが今度は攻撃のためではなかった。
半神の男の退却を助けるためのものだ。
「待って……私も……私も行く……」
ネレスの傍らに、傷だらけのヴィルキーがよろめきながら現れた。
「本気か? お前をそんな目に遭わせた相手だぞ」
「あー、それは悪かったな」
ヘルクスは頭をかきながらあっさり認める。
「かわい子ちゃんがあいつらに知らせに行かないよう止めたかったんだが、ちょっと手が重すぎたらしい」
「普通なら、もう死んでてもおかしくありません。ここはバトルロワイヤルなんですから」
ヴィルキーは息を整えながら言った。
「それでもまだ私がここにいるっていうのは……それだけでも十分、意味があります」
「まあ、弱い奴をいじめるのはもうやめるって決めてたからな。そこを急に翻すつもりはねえ」
ヘルクスは肩をすくめる。
「それに、かわい子ちゃんまで連れて行くのに異論はないぜ」
「ごめんなさい、ネレス……同盟相手なのに、私たちだけ先に抜けることになって……」
「は。最初から一人になりたかったんだ。気にするな」
ネレスは肩をすくめて言った。
「彼氏のこと、よろしく頼むぞ」
ヴィルキーは小さく笑ってから、ヘルクスのほうへ歩いていく。
彼は彼女の腰を抱き上げ、そのまま光球とともにゆっくり宙へ浮かび始めた。
「そいつらに何かあったら、今度こそ俺たちは敵同士だ」
ネレスはスケルトンたちへ弓を下ろさせながら、低く言った。
「だから本当に任せたぞ」
「はははっ、次に会うのが楽しみになってきたぜ!」
上空からヘルクスが叫ぶ。
「俺様たちは、この世界で一番強い派閥になる!」
ほどなくして、ヘルクスの姿はエリュンデアの青空の彼方へ消えていった。
「人の話を聞かねえにもほどがあるだろ……」
ネレスは疲れたようにため息をついた。
周囲には、なおも無数のスケルトンたちが静かに控えている。
その光景だけで背筋に悪寒が走り、ネレスはすぐさま全員を消した。
「付き合いは一日半くらいだったけど、あいつらのことはたぶん少し寂しくなるな。いい子たちだったし」
そう言いながら、ネレスは肩や首を軽く回して力を抜く。
「とはいえ、あいつらも他の連中と同じで、結局は栄光に飢えてる。そういう意味じゃ、強い派閥の中で伸びるのも悪くないんだろうな」
灰と土で汚れた上着を軽く払ってから、ネレスは歩き出した。
さっきの爆発を聞きつけて新手が来るかもしれないが、ここに残って確かめる気はない。
「まあ、嫌な遭遇ではあったけど、おかげで三つ分かったことがある。ひとつ目。スキルの熟練度は、限界まで引き出して使わないと上がらないらしい。つまり、また百体呼んだだけじゃ何も起きなかった。千体まで呼んで、ようやく上がったってことだ」
ネレスは手元の重い本を開いた。
死の書の、スケルトン兵のページの隣には、黒い霧でできたような手の絵が浮かんでいた。
「二つ目。今度は一万体呼んでも、熟練度はそれ以上上がらなかった。つまり、少なくとも今のところ、スキルの到達点はAランクってことだ」
ネレスの視線は、なおも死の書へ落ちたままだった。
ページをめくると、紙面のまわりでは奇妙な形や記号がうごめいている。
まるで早く新しい絵を形作りたくて仕方がないみたいだった。
「三つ目。新しいスキルそのものは、案外あっさり手に入るらしい……」
そう言って、ネレスはすぐ傍に浮かぶ小さなホログラムのタブへ目を向けた。
【魂の番人】
【メメント・モリ】
【レクイエム】
「で、またゴッドスクリプトは名前だけで選ばせる気かよ……」
◇ ◇ ◇
数分ほど飛んだ後、ヘルクスは地上へ降り立った。
片方の肩には、まだ意識のないアレン。
もう片腕には、疲れ切って眠ってしまったヴィルキーを抱えている。
「セレネ、見ろよ。俺様が拾ってきたんだぜ……って、セレネ?」
呼び出されていた夜は、すでに跡形もなく消えていた。
さっきまでそれが覆っていた地は、今や瓦礫のような荒れ地へ変わっている。
セレネの姿も、彼女の相手だったあの女の姿も、どこにもなかった。




