Episode58 暗殺者と有漏路
――これは、変わった生い立ちの少女の話。
とある山奥の閉ざされた環境で、少女は育った。
そこは『ストライドの森』と呼ばれる集落。
ストライドとは、集落の開祖にあたる翁の名だ。
暗殺者として『闇討ちのストライド』の異名を裏社会に轟かせたストライドという男がいた。
当然、それは通り名でしかなかったが。
初代ストライドは老衰の果て、現役を退いた後は、暗殺業界へ持続的な人材供給を可能とするため、暗殺者の育成に力を入れるようになった。
そうしてできたのが集落『ストライドの森』だ。
集落には、様々な生育歴の子どもが集められた。
ほとんどが孤児や闇市で引き取られた子だが、そうでない子も一部存在した。
リノという少女もその一人である。
彼女は突然、ストライド八代目当主のマーティーンにより集落へ連れられた。
その当時、赤子だったリノは集落の子どもたちから特別、奇異の目を向けられていた。マーティーン氏が表社会で生きるために隠れ蓑とした貴族"ストライド家"の隠し子でないかとも噂された。
となると、あの『闇討ちのストライド』の末裔。
血を継ぐ者だとすれば、実力は測り知れない。
集落の子どもたちはリノの成長を待つうちに任務に失敗して死ぬ者が多かったが、生き残った同胞からは注目を集め続けた。
小柄な体格。闇夜にまぎれる黒髪。蒼い眼光。
いつしかリノには言い逃れできぬほどストライドの形質が現れた。
その頃には、リノも"教育"を受けるようになった。
「影真流とは死を美しく捧げる剣術だ。わかるか?」
ある日の稽古の風景。
広場に集められ、子供は老師から講義を受ける。
子どもが人の殺し方を学ぶ異様な風景だった。
「これは先代の老師の教えだ。――トリスタン、お前の父親だぞ」
「…………」
名指しされた少年は虚ろな目で顔を上げた。
トリスタンという集落一の腕を誇る青年だった。
「まったく。お前は清粋の心得を覚えているか?」
「……暗殺者と申すは、命を喰らうべき業にして、此の餌を取り失ひ、軽々しきは悪しく候」
トリスタンは即答した。
死を扱う以上、命を軽く見るな。
弄ぶことはあってはならないという意味だ。
暗殺者の心得は、全部で五箇条ある。
「暗殺の五箇条は基本です」
「さすがストライドの御仁に認められるだけある。
では、次の心得だが――」
リノがその名にびくりと反応した。
ストライドの御仁とは、リノを集落に連れてきたマーティーン氏のことである。
リノもマーティーンに目をかけられている。
彼女も周囲から期待されていることを子どもながらに感じていたが、物覚えが悪いことを気にし、トリスタンには嫉妬感情を覚えていた。
●
深夜、誰よりも先に起きて森で修行を重ねるトリスタンを、おぼつかない足取りでリノは追いかけた。
「…………」
リノは隠密の何たるかも理解してない年頃だった。
あっけなくトリスタンに尾行を気づかれた。
見失ったトリスタンが、突如として木の上から音もなく地面に降り立ち、背後からリノに忍びよって首筋に刃物を当てた。
「誰かと思えば、キミか」
「ぅ……」
「キミの歳で『耐睡の心得』は早すぎる」
トリスタンはリノを解放して背中をそっと押した。
耐睡の心得とは、いわゆる不眠のことである。
今の言葉を訳すと「寝なさい」である。
「わたし、トリスタンの良いところ、気になる」
「俺の良いところ? そんなものはない」
「マーティーンさん、トリスタンすき」
「あぁ、その話か」
トリスタンは黒の胴着を翻して背を向けた。
大した話ではないと哀愁漂う背中が語っていた。
「俺には暗殺者の父がいた。とっくに死んだが。父とマーティーン氏は旧知の仲だった。それだけだ」
淡泊な答えに納得がいかなかった。
リノは、それだけじゃないと見抜いている。
意固地な目を向けるリノにトリスタンも辟易した。
「キミは余計なことを気にかけない方がいい。俺のようになりたくなければな」
「トリスタン、じぶんがきらい?」
「俺は半端者だからな。何にもなりきれず、こんなところに戻ってきてしまった」
こんなところとは何処のことだろう。
この闇夜の森だろうか。集落のことだろうか。
外の世界を知らないリノには、トリスタンの語るこんなところが何を指しているのかわからない。
「トリスタンは、何になりたいの?」
「俺は――――少なくとも暗殺者じゃない」
「……」
意外な答えにリノは言葉がでなかった。
集落でも飛びぬけて才能に富み、将来を有望視されている暗殺者の卵が、暗殺者にだけはなりたくないと未来を否定する。
それは、とても悲しいことだとリノは思った。
「覚悟があるなら、キミも生と死を学んでみるか?」
突然、トリスタンがそう尋ねた。
リノに何かを諭そうしているようだった。
「お昼のけいこ……?」
「あんな退屈なものじゃない」
――ふと、トリスタンの影が闇夜に消えた。
見失ったと思ったらすぐ目の前にいた。
冷気が。殺気が。狂気が。――肉迫する。
リノは恐怖とともに脇腹の感覚が冷たくなるのを感じた。血の気が引いていく。
「っ……」
「脇に斬り込みを入れた。血が抜けていくぞ」
「……ぁ…………」
体が急速に冷えていく。
無自覚に内包していた"生"が毀れていく。
このとき、リノは初めて死が怖くなった。
「はっ……はっ……はっ……」
「それが死ぬということだ。同時に、生きるということでもある。どうだ。キミは何か感じるか?」
「ハァ……ハァ……」
死が地底から迫ってくる。
体が沈むように闇に引きずり込まれていく。
重たく、気怠く、そして冷たい。
量産される暗殺者の卵には教えられないもの。
それは自身の生と死だ。
恐れを知らない殺戮集団を育てるため、この集落では徹底して、死が他者の中で無機的に存在するものとして教え込まれる。
他人の命を奪うための無自覚な生。
リノのように箱入りで育てられた者は尚更だ。
彼女は集落でずっと生きている実感がなかった。
トリスタンは彼女を特別視しない。
たとえ、ストライドの末裔だとしてもだ。
それが彼なりの流儀であり、致命傷を与えて死ぬ程度なら最初からストライドの末裔とはその程度だとして割り切れてしまう。
「こわい。こわいよ。わたし、しぬの?」
「……いや、それが生きるということだよ」
トリスタンは彼女の心の叫びを汲んだ。
傷口を抑えて抱き、集落に戻って手当てをした。
●
リノは幸いにも生き延びた。
目を覚ました頃には、トリスタンは任務で遠征に出てしまった。
しばらく集落に戻ることはないと云う。
なんでも、以前からエリンドロワ王国北方クダヴェル地方の貴族の子の暗殺任務の最中だったらしい。
リノはあの夜以来、自傷癖がついた。
刀を体に突き刺せは、血が溢れ出てくる。
この身がまだ生きたいと叫ぶ――。
毎夜、そんな生の実感を得るために、リノは体の一部を突き刺して血を見るようにしていた。
それゆえ、彼女は常に体中、包帯だらけだ。
徐々に同胞の子どもは彼女に近づかなくなったが、その分、物覚えが早くなった。暗殺の五箇条も覚えられるようになり、技量も上がった。
剣術、体術、投擲は先輩暗殺者に勝る腕前。
トリスタンにまだ早いと忠告された『耐睡の心得』も、修行に夢中になるうちに覚えてしまった。
体は発育不全だった。
しかし、それは暗殺者には都合がいい。
まだ5歳だというのに、そろそろ任務に駆り出されるだろうと噂されるようにもなった。
そんな或る夜、事件は起きた――。
それは真夜中の出来事。
リノは、外の物音で目を覚ました。
母屋の戸を開けると血が頬を掠めた。
外では殺人鬼が月に照らされ、血に染まっている。
殺人鬼の瞳孔に光はなく、胡乱な表情。
その男に同郷の仲間が次々殺されていくのを、リノはただ見ていた。
その殺人鬼の剣筋が、虐殺が、青い瞳が、
――綺麗で美しいものに見えたから。
リノは狂気に満ちた光景から目を背けなかった。
月に照らされた殺人鬼の正体はトリスタンだ。
人殺しに育てられた同胞の理想の姿。
そんな理想を自ら否定した悲しい男。
そして、リノに生と死を実感させた男だった。
また、誰かが斬られた。
一人斬る度、洗練された剣技に見惚れてしまう。
集落の同胞もまったく戦えないわけではない。
抵抗する者、徒党を組んで抗う者は山ほどいたが、その誰もがトリスタン一人に敵わなかった。
トリスタンも徹底して同胞の生き残りを始末した。
生存者がいないかを茅葺屋根の家中を探し回って、躊躇なく殺した。
"――こんなところに戻ってきてしまった"
それを彼自身の手で今、終わらせようとしている。
リノがいる母屋にトリスタンが近づいた。
庭先、青い月光がその狂人を照らしている。
その狂人を歓迎するようにリノは庭先へ降りた。
「血、きれいだね。こわいけど、きれい」
「――」
トリスタンは何かに気づいて吐息を漏らすと、踵を返して引き返した。
「待って。わたしの血も、きれいなんだよ」
リノの眼光は蒼々と輝いている。
凶器を握り、その悲しい理想に挑もうとしている。
殺し合いをしたいと、リノの目が訴えていた。
彼女の心眼の開花を悟ったトリスタンは、彼女だけは殺さないと心に決めた。
リノには、生への執着がある。
殺人だけを仕込まれた集落の同胞とは違う。
「キミは、キミの生き方を選ぶといい」
それだけ告げるとトリスタンは姿を消した。
「おねがい。わたし、わたし、血が……見たいの」
「―――」
闇夜から返答はなく、つむじ風だけ吹き抜けた。
そうしてトリスタンが故郷の襲撃を終えて行方を晦ました後、血塗れのストライドの森へ救助にきたのは彼らの上得意先だったメルペック教の司祭オージアス・スキルワードだった。
◆
商品の裏切りによって暗殺ビジネスは衰退した。
マーティーン氏は地主としての地盤を固めていたことと、以前からの足を洗う覚悟も後押しして、すんなり集落を手放した。
一方で、上得意先のオージアスは違った。
自身が顧客となることもあったが、仲介役も務め、いくらか集落から分け前ももらっていた。
暗殺ビジネスの後、教団の子ども誘拐に手を貸したり、魔術ギルドを焚きつけて遺跡盗掘にも手を染めたが、いずれも順調にはいかなかった。
やがてオージアスは気鬱を患った。
リノを連れ立ち、オズエッタ村へ隠遁した。
もうこの世界でオージアスの心が満たされることはなく、殉教する度胸もない。
次に考えついたことが人類滅亡だった。
世界が滅びれば、やり直せるのではないか?
神が再臨し、いずれ庇護が訪れるのではないか?
真っ当に生きなかった自分自身にも平等に――。
「涅槃とは、寂滅だ……。
煩悩の焼却によって人類はゼロからやり直す。
無常の剣技は、ふ、ふふふふ……利用しやすい」
オージアスはぶつぶつと呟きながら歩いていた。
目指すは火山洞の最奥、竜の棲み家である。
リノを竜殺しの娘のもとへ向かわせ、殺させる算段は取った。
あとは新生火竜を利用し、人類を滅亡させる。
幸いにも世界は今、三種族同盟と人間族の大戦争によって疲弊している。
竜種という第三勢力が戦場を犯し、混乱に陥れれば人は貧貧と飢餓を拡大させ、文明も崩壊する。
それがオージアスの最後の希望だった。
火山洞の最奥に辿り着いた。
大空洞は、不思議なほどに静かだった。
違和感を覚えたオージアスは、異様さの正体を確かめようと足取りを速めた。
「…………」
火山大空洞には、新生火竜はいなかった。
その代わり、老竜が横たわっていた。シグマだ。
今まで自分をコケにした赤竜の長が力尽きたように白目を向いて倒れている。
「なんだ、これは」
かろうじてシグマの体は急速に再生していた。
まだ生きているようだ。
「……グガ……ガ……」
「この醜態はいったいなんだ?」
「グ……ゴ……オージアスか……」
シグマは瞬きさえも苦しそうにしていた。
何が起きたのか理解できないオージアスは、蔑むようにその老竜を見下ろした。
「ドレイクが……叛逆した……。アレは制御の利かぬ暴竜だ……」
「制御が利かない、だと?」
通信用の魔導水晶からシグマは何度、リノの手綱のことで皮肉を並べたことか。手駒に手を焼かれたのは結局そちらではないか、と嘲笑しそうになった。
「野放しでは……繰り返す……。竜の衰退だ」
「ほう。そうか」
「竜種の地位を、取り戻さねばならぬ……。オージアス、もう一度だ。もう一度……」
また竜を増やし、蠱毒に押し込めて最強の一をシグマは作製したいようだ。
もう一度。もう一度。
そうやって何度もオージアスは失敗した。
だから、その言葉が余計に神経を逆撫でした。
竜の衰退などどうでもいいことだ。
オージアスにとって、シグマに協力していたのは人類を滅ぼすという利害が一致しただけであり、それこそ暴竜が世界を滅茶苦茶にしてくれるというなら、願ったり叶ったりである。
「お前のような堅物の妄言にはもううんざりだよ」
「グ……オージアス……ナンダト……ォ!」
「ここで首を刎ね、お前の煩悩をまず焼却する。それが神父としての務め。悪く思うな。シグマ」
オージアスは手提げの鞄から魔道具を取り出した。
非常時のために仕入れた護身用の魔剣だ。
戦うことはできないが、体が無惨に引き裂かれて再生途中の老いぼれ竜の首をそぎ落とす程度はこの剣でできるだろう。
「や……やめてくれ、オージアス! まだ我は見ていない。竜の栄光の再来を! まだ……まだ……!」
「新生の火竜が誕生したなら、お前は要らない」
オージアスは鎌首に歩みより、刀身を当てた。
そして、解体作業に没頭した。
この労働も涅槃に至る一つの献身と思えば、苦ではない。
「ガァアアアァ! ギャガアアアア!」
返り血を浴びる。
竜血に触れるたび、燃え滾るような感覚が奔った。
それにしても喉が渇く……。
今、この竜血を飲んだら、さぞ美味しいのではないかとオージアスは思った。




