Episode55 神父と人殺しの信徒
それは変な話だ。
筋が通らないことはイザベラにはお見通しだった。
突然、竜の島に現れた神父は、一体全体、どうやってこの島の位置を知ったのだろうか。そして、キャンプしていたこの大木の場所をどう知ったのか。
「もう安心ですよ。教会があなた方を保護します」
神父はそんな嫋やかな口調で安心を誘った。
船乗りの一人が、信望の眼差しで神父に訊ねた。
「でも、よくこの場所がわかりましたねぇ」
「火の煙が遠目に見えて。もしや、と……」
直近では、朝以外に火を焚いてない。
しかも一人で歩いてきた? 竜の棲まう島を?
その司祭服も見世物のように小奇麗だ。
森の奥地を歩いたという痕跡がない。
「ひとまず、教会の船をつけています。すぐに沖へ避難しましょうか、皆さん」
神父は事あるごとに"教会"を強調した。
このオージアスという男はとことん怪しい。
だが、イザベラを除く大多数の人間は遭難の徒労、竜の脅威など、その他の危険に疲弊して、警戒心を出し惜しんで安心を求めた。
「オジーさん、アンジーはまだあのお山にいるよ」
「リノ、今は他のみんなを避難させる。それからアンジーだ。物事には順番があるからね」
「でも……」
「もちろんアンジーもすぐ助けに向かう。その前にみんなが危ない目にあったら大変だ。わかるな?」
オージアスはリノの育て親だという。
この場の全員を信じさせるには十分な素性だった。
リノは、アチカ魔法学院での暴走の一件もあって同級生に忌避されていたが、その後見人が教会の神父ということが、より説得力を増すものになった。
ファルマイヤ側からすれば、リノは黒竜ダルケを相手取って持久戦を繰り広げたという実績もある。そのリノが信頼している神父ということであれば、疑う余地はない。
それぞれ荷をまとめ、海岸に向かって歩いた。
道中、アンジー以外に誰が火山洞にいるのか、他に遭難者はいないかをオージアスは頻りに尋ねた。
リナリーとサラマンドが二人で向かったこと。
ベルンハルデがアンジーと一緒だろうこと。
この二つが分かるとオージアスは満足したように何も聞いてこなくなった。
遭難者が少ないことに安心したように見える。
本当にそうか? 見方を変えれば、四人だけならいいかと裏で何か算段しているように映った。
このとき誰もが忘れていた存在だが、妖精種の二人――フィルとファウのことは、イザベラはあえて話に出さなかった。
海岸に着くと、立派な船が見えた。
それはファルマイヤの私掠戦とはまた様式の違った装飾華美な艦船。贅沢は言わないと心に決めていただろう各々は、それを見て感嘆の息を漏らした。
「助かったー……」
誰の言葉か分からないが、その言葉を皮切りに、万歳する者、笑顔を浮かべて砂浜にあぐらをかく者、笑顔でハイタッチする生徒など、多様な反応を見せ、喜びを示した。
救助船にしては準備がよすぎるが。
イザベラが眉を顰めながら砂浜に踏み出そうとしたとき、ふっと耳元をくすぐる風が吹いた。
「しーきゅーしーきゅー。こちらフィー、どうぞ」
イザベラは険しい顔も崩れ、口元が緩んだ。
古くからのお遊びだ。小声で応答する
「こちらイジー、聴こえる。どうぞ」
「これからアンジーと合流する。どうぞ」
「そうかい。アンジーにこっちは心配すんなって伝えときな。どうぞ」
「了解。イジーに任務『亀』を命ずる。どうぞ」
「はぁ、亀? なんだいそりゃ」
「籠城ですよ。船は出さないでじっと待つ。どうぞ」
「……はぁ、なるほどね。了解。いや、オーバー」
昔、フィルとの交信はお遊びの一つだった。
妖精種は風魔法を操り、声を風に乗せて遠くに届けることができる。
これで彼女らは噂話をする。
それを知った幼いイサベラは大人すら知らない世界に感動したものだった。
フィルの伝えたかったことは、アンジーのことは任せて、この場の指揮を執れということだ。
イザベラはエセ神父の誘いに乗りたくなかったし、アンジーを迎えに行くなら自分が行く気だった。その考えも、おそらく隠れて見ていたフィルやファウにはお見通しだったのだろう。
ファルマイヤの人間を残すのは確かに心残りだ。
もし、フィルとファウがこの状況を正しく理解し、アンジーやリナリーに伝言してくれるなら任せていい。
何より、あの妖精どもは諜報員のようなものだ。
今はまだ疑わしいだけのオージアス・スキルワードという人物が、既にどんな素性か、詳らかに突き止めているかもしれない。
「――では、一旦、沖に出て避難しましょう。私は島に残された四人を救助しに向かいます」
「なに? 神父さん、あんた一人で向かうのか?」
「はい。聖職者としての責務ですから」
「いやいや、さすがに無謀すぎるだろうよ」
大人同士が話し合いをしている。
島にいること自体が危険で、船に乗って沖に出てしまえば今より安全だと話がまとまったらしい。
一方、残された人間を置き去りにするわけにもいかず、その中で引き返す覚悟だと宣言したのはオージアス・スキルワードだけだった。
その聖職者の鑑のような自己犠牲心。
これがオージアスのような、だらしなく腹も出た壮年の男だと心配の種でしかない。戦うどころか火山の登頂すら叶わないだろう。みんなは止めた。
「いいじゃないさ。神父さんには神父さんで作戦ってもんがあるんだろ」
「でもイザベラお嬢様、さすがに……」
「あたしらは保護された身で文句は言えねえさ」
イザベラの斡旋でオージアスの提案通りとなった。
リノとミラは大人しく船で待つことができないと言い張り、オージアスに付いてアンジーを探しにいくことになった。
彼らを見送り、停泊組は船に乗り込んだ。
「よかったんですか、お嬢様?」
「ま、あのリナリー先生も先行して助けに向かったわけだし、問題ないだろ。サラマンドって竜も味方についてんだ。戦力的にはな」
それを思うと、神父の登場はイレギュラーだ。
必要のない配役とでも言うべきか、わざわざ来たところで何かできるとは思えない存在。それゆえイザベラには神父の行動が利己的にしか映らなかった。
○
「オジーさん、オジーさん」
「どうしたんだい?」
「わたし、アンジーと学校でね――」
火山を目指し、森を歩く中、リノはオージアスに魔法学院の思い出を語った。
まるでここが竜の島だと忘れているかのように。
実家に帰省した子が親に話す口ぶりだ。
ミラは、リノの肩からその様子を間近で眺めた。
佐我アンジは有銘ミラにとって幼馴染でもあり、特別な感情を向けていた相手でもあったが、二人揃って転生し、お互い男女でなくなってしまった今となっては複雑な心境だ。
少女となったアンジーを、クラスメイトがこんな風に語るのも微笑ましく見える。いわば姉の目線だ。
「それでね、わたしが看病したときにアンジーが」
「――リノ、愛刀の手入れはしているか?」
「あ、うん。してるよ。お兄ちゃんの形見だもん」
「そうか。ちょっと見せてくれ」
リノは腰のスカートベルトに差し込んでいた短刀を抜き、オージアスに見せた。
――『影打アイズ』。ミラは震えあがった。
リノの斬獲衝動を覚醒させる刀。
それが原因で一度、魔法学院の校舎が『竜鱗』の血に染まる事件があった。
あれが本来のリノの姿なのだ。
暗殺者の集落を故郷とする彼女の本性ともいえる。
蒼い心眼で捉えた獲物は、神速の剣捌きで瞬く間に切り刻まれる。
「ふむ、穢れているな……」
オージアスはそう呟くと、リノから『影打アイズ』を取り上げて、切っ先をまじまじと眺めた。
「けがれてる?」
「うむ。だいぶ不純な血を吸ったな。美しくない。刀身が輝きを失っている」
「え……、なんで……?」
リノは不安げな表情を浮かべた。
愛刀の手入れはしていたし、オージアスの言い付けを守って多用は控えていた。
曰く、アイズの真価は暗殺でないと発揮されない。
でなければ、刃は毀れ、使い物にならなくなる。
実際、そんなものはオージアスの作り話でしかないが、リノはショックを受けた。心当たりといえば、ファルマイヤ邸で黒竜ダルケと遊んだときだろうか、と振り返りすらした。
「死を、美しく、捧げること」
オージアスが低い声で言葉を紡いだ。
それがまるで呪文であるかのように、リノの意識を覚醒状態にした。
「影真流の極意を忘れたわけではないな?」
オージアスは『影打アイズ』を持ち替え、切っ先を下にした状態でリノの肩に刃を振り下ろした。
細身の体に鋭い刃が突き刺さる。
ミラは驚いて飛び跳ね、肩から避難した。
「ぁ――――」
鮮血が飛び、リノの頬を赤く染めた。
リノは痛がる様子も見せず、ただ自分の肩から溢れる血を、蒼い眼孔で茫然と眺めていた。
「思い出せ。死は刹那無常のもとに訪れる。血は穢れであり、それを顛倒させる技こそが影真流だと訓えられた。そうだな?」
「はい……」
「涅槃に達するにはまず自己の煩悩を棄てろ」
「はい……」
そのやりとりはミラの目には異常なものに見えた。
日本で生まれ、至極普通の家庭で育ったミラの感性は無宗教的で、目の前で行われる狂気に満ちた神父と信徒の会話は気味が悪く、受け入れがたいものだった。
さらに続く言葉は、もっと受け入れがたい。
「煩悩の素はアンジー・シルトか」
「…………」
「殺せ。愛する者の最期を、自身が捧げられる。これ以上の歓びはない。影真流の極意とはそこからようやく真髄だ。挺身だよ、リノ」
「…………はい」
リノは胡乱な双眸を向けて、頷いた。
信愛と祝福を以てオージアスは微笑んだ。
そしてリノの肩に刺さったアイズを引き抜くと、笑顔でそれを差し渡す。
動揺していたミラがようやく声を上げた。
「キュ……キュウ! キュウ!」
止めなければ、と思った。
リノは不安定な一面があったが、神父の妄言でここまで豹変してしまうとは思いもしなかった。それもあれだけ好きだとアピールしていたアンジーを自ら傷つけようなど、誰も予想しないだろう。
「キュウウウ!」
「うるさいぞ、害獣めが」
オージアスが足で蹴ってきた。
ミラは怖ろしくなって森の奥地へ逃げ出した。
もうミラ一人ではどうしようもない。早く誰かにオージアスの異常性と思惑を伝えなければならない。
だが、意思疎通できるのはアンジー本人だけだ。
「血……アンジーの綺麗な血……」
抑圧された性は、歪んだ形で浮上する。
瞳を青く輝かせるリノの悍ましい声が、ミラの耳にトラウマのように残響した。




