Episode54 それぞれの思惑
つまようじを刺すように、軽々とドレイクの尻尾はサラマンドの胸を穿った。
冗談みたいだった。
掬い取られた人型のサラマンドが宙に浮く。
俺はまんまと呆気に取られた一方で、リナリーは長年連れ添った相棒の死相に驚愕し、一気に顔が青ざめていく。
「サ――――」
かろうじて吐き出した掠れた声。
ドレイクの尻尾がミミズのようなうねりを見せ、先端に伝わると先端の"針"はさらにサラマンドの胸を深く抉り、ついには突き破った。
針の先端には赤い宝石のように輝く丸い肉塊が。
あれがきっと、サラマンドの心臓……なんだろう。
「グ…………ガハッ」
呻き声を一つ漏らし、サラマンドは吐血した。
もともとドレイクの狙いはそれだとばかりに、抉られた心臓が顔を出すと、すぐさま尻尾を引き、自身の口元に"宝石"を差し出した。
生気のないドレイクが口を開き、それを飲んだ。
「ガァ~ムン……ムグムグ……ごくり」
サラマンドの心臓はすんなり飲み込まれた。
直後、ドレイクの体が白い光に包まれる。
「サラちゃぁああん! いやぁあああ!!」
リナリーの悲鳴は既に遅かった。
投げ出されたサラマンドは、どしゃりと血溜まりに落ち、体を痙攣させた。
俺とリナリーはそこに駆け寄ろうとする。
「来るんじゃ……ねえ!」
サラマンドは四つん這いになりながら吠えた。
死にかけのはずが、そう感じさせない怒声だった。
「死にたくなかったら近づくな。ていうか来たら俺様が殺す。だから絶対来るな」
「でもサラちゃん、今、助けに……」
「馬鹿が。助かると思うか?」
サラマンドは蛇のように瞳孔を細めた。
こっちを威嚇しているように見えたが、きっとサラマンド自身の体が限界を迎えている最中で、なんとか気力を振り絞ってそうなったんだ。
「ケッ……やられたな……」
サラマンドは、上半身と下半身の二つに離れたドレイクに目を向けた。
神聖な輝きを放つそれが、とても禍々しく見えた。
「"心核"を獲られた。悪いが、俺様はここで終わりだわ。あそこで寝てる嬢ちゃんを連れて逃げな」
サラマンドはあっさりと自分の死を予告した。
あっさりしすぎていて嘘みたいだ。
だが、リナリーは事態の深刻さをすぐに理解した。
「嫌だ……嫌だよ……。こんな、こんな所で……」
「めそめそ泣くな、赤のリベルタさんよォ!」
その呼び方にどんな想いが込められていたのか。
二人の付き合いの長さを知らない俺には測り知れないが、リナリーの顔つきが変わったのは見て取れた。
「サラちゃん……」
「時間がねえんだよ! さっさとしな」
リナリーは口をきっと結んで覚悟を決めた。
「そうだ。それでいいんだよ。……俺様にとっちゃ、お前とは長ーい生涯のたった一瞬しか……一緒じゃなかった……んだからな……」
サラマンドは大量の血を流しながら立ち上がった。
人間の女の姿をしているせいで、具合が悪そうな様子がはっきりわかった。顔は青ざめ、両足が竦んで、それでもしっかり両足で立っている。
「頼むから持ちこたえろよ。――紅蓮剣」
サラマンドはボルカニック・ボルガに似た火剣を手元に喚び出し、輝きを放つドレイクと対峙した。
あまりに眩しくて視界がぼやける。
中から、人型の何かが姿を現そうとしていた。
リナリーは振り切るように駆け出すと、気を失ったままのベルンを抱きかかえて戻ってきた。
「いくよ、アンジー」
「俺、は……」
「アンジー!」
リナリーは俺を恫喝して、涙を散らした。
俺はそれで何も言い返せなくなって、黙ってリナリーの手を握った。
「おい、ガキんちょ」
サラマンドは背を向けたまま、俺を呼び止めた。
それが最後に聞いたサラマンドの言葉だった。
「お前のことは心配してねえ。でも俺様のボルガ、粗末に扱ったら呪い殺す。わかったな。
――他のことは気に病むなよ?」
俺はリナリーに手を引かれてその場から離れた。
道筋も分からないまま、ひたすら走った。
最後に一度だけ大空洞を振り向いたとき、正体不明の人型の何かが白い光の中から出てきて、サラマンドと衝突する光景が見えた。
……それは竜道レイクのシルエットに似ていた。
さっきまで竜の姿をしていた竜道が人型で出てきたってことは、まぁそういうことなんだろう。
何が起きたのか、馬鹿な俺でも想像できる。
どちらにしろ俺は負けた。
敗走。そういう言葉がよく似合う。最悪かよ。
もっと最悪なのは、リナリーが前を走りながら、ずっと泣いていたことだ。
犠牲が一人出た。
しかも、世界に五人しかいない賢者の一人。
そんな犠牲によって生かされた俺という不良。
「俺、は……」
いまだに声が震えていた。
だって自覚はしているから。俺のせいだって。
サラマンドは俺を守るために飛び出した。
"他のことは気に病むなよ?"
サラマンドは最後にそう言った。
予想していたんだろう。俺がこうなることを。
無理だろ、そんなの。
◇
勝負は一瞬のうちに決まった。
相手は死に体で、一方、竜道は『火竜の座』を奪うことに成功し、最強の存在へと昇格した。
晴れてドレイクは『サラマンド』となった。
姿かたちも、たった今うち滅ぼした旧サラマンドと似て、鱗に覆われながら、人の体をしていて両手両足もあるし、二足歩行で動け、翼もあって空を飛べる。
竜道が人型の体を手に入れて思ったことは、やはり自分には竜の体躯より人間の体の方がよく馴染むということだ。
「あーー……」
首をこきこきと捻って鳴らした。
しかし、慣れない"部分"もあった。
ドレイクは、それには目を向けないようにした。
魔力の消滅反応のように塵として消える旧サラマンドを見届けると、大空洞の出口を見やった。
そっちにアンジーが逃げていった。だが追わない。
「…………」
「どうした、ドレイク。追え。そして殺せ、奴らを」
殿で横たわる老竜シグマが命じる。
耳障りな、しわがれた掠れ声だ。
「いやァ……やっぱいいわ」
「なんだと?」
「アンジは本調子じゃなかった。あんな雑魚状態のアイツに勝っても、俺が最強だって証明にならないと思わねえか? それより最後に出してきたデッカい剣、あぁいうのとガチでヤりたいんだよね、オレ」
それはドレイクの本心だった。
決して慈悲をかけたわけではない。
最強を名乗るには知らない世界が多すぎる
ドレイクは、魔法というものをちゃんと見たこともなければ、それによってどんな奇跡が起きるのか、興味もある。
前世から続く不良のプライドがくすぐっていた。
「本気か? 我ら赤竜族の悲願が、千年の執着が、ようやく成就するときが来たのだ。地上の覇者となるとき、邪魔な存在を生かしておく価値はどこにある? 芽は摘み取れ。竜種が脅かすのは人類そのもの。私怨は捨て置けよ、ドレイク」
説教が、人の耳では余計に耳障りに聞こえた。
「…………」
すーっと頭が冴え渡る感覚があった。
竜道がこれを感じたのは、実に前世以来だ。
たいていキレたときに覚える感覚だが。
「はぁ、老害ってのは、どの世界にもいるんだな」
「なにを言っているのだ?」
「よく考えたら、お前、もう要らねえな?」
「む―――」
竜種には慈悲など存在しない。
それをシグマ自身も遥か昔から知っていた。
しかし、執念で生き永らえるうちに忘れていたのかもしれない。竜にとっては、同族こそが最大の敵であることを――。
ドレイクは一瞬のうちにシグマへ肉迫した。
「グヌ……」
竜種が最強の"一"になるという目的は、ずっと子孫に委ねる計画だった。だが、それを見届ける機会がなくなる可能性は考えたこともなかった。
ドレイクは拳をアッパーカットに振り上げた。
自身よりはるかに巨体のシグマの顎を殴る。
地割れでも引き起こしたように大空洞の地盤が激しく揺れた。
『火竜の座』へ覚醒した竜の想像を絶するパワー。
それを我が身で思い知ることになるとは露にも思っていなかった。
シグマの体は宙へ浮かんだ。
それに後から接近した竜道は、ぐるりと体を回転させて踵落としを打ち込み、再び地に墜とす――。
「グェェ……ドレイク……貴様、我を……!」
「こりゃぁいいサンドバックだわ。あぁそうだ。確か首を刎ねない限り生き続けるんだろ、俺たちは」
「……!」
シグマは血の気が引くのを感じた。
これが竜の宿命である。肉親にさえ無情なのだ。
それゆえ竜は最強の地位を誇ってきた。
これでは学びがない。先祖の知恵が継承されない。
――遥か昔、先代のサラマンドが危惧したことだ。
皮肉にも、シグマがそうと気づいたのは、千年の悲願を成し遂げたと思えた、まさに今だった。
◇
はてさて、どうしたものかと、妖精2人は顔を見合わせた。相変わらず息はぴったりな2人だ。
ファウは森の茂みに隠れて息を殺す。
どちらかというと活発なフィルの方は、じっとするに耐え兼ね、もう飛び出してしまいそうだった。ファウがそれを宥める。
「なんで止めるのよー……!」
風のような掠れた声で文句をつけるフィル。
ファウはそれに首を横に振るだけだ。
本当はフィルもわかっていた。
ここで自分たちの存在を相手に知られると、それはそれで一つ、優位性を棒に振ることになるということを。
情報屋にとって情報は商品だ。
ゆえに、ネタをこちらが押さえたことを相手に知られるべきではない。奥ゆかしく、胸に秘め、ここぞというときに切り札に使う……べきなのだが、
「アンジーに知らせようよ」
ファウが小声でそう提案した。
ネタを売らず、無償提供しようというのだ。
「タダで?」
フィルは真っ先に訊ねた。商売人としての癖だ。
ファウもそんな相方の癖にうんざりで、溜め息をついて呆れた目を向けた。
「わかってるわよ。イザベラお嬢様も危険だし、ファルマイヤの使用人仲間の誼だしね」
「まだファルマイヤに仕える気なんだ」
「あら薄情者ね。私はあのお屋敷、大好きよ」
「私も好きだけど、あのありさまだとね……」
自分たちは当面の間、お役御免だろう。
屋敷の厨房担当と清掃係なんて、あれだけ破壊された後では機能しないだろうし、ファルマイヤ家に戻ったところで仕事がないのはわかっていた。
次の仕事は、また情報屋だろうか。
小汚い商売ではある。それを知ってか、戻ることにあまり前向きになれないのは確かだ。保守的なガルマニードでは人種の違いから迫害されがちな耳長の彼女らを、拾ってくれたのはファルマイヤだった。
特に、当時はまだ幼かったイザベラに街で見初められ、連れ帰りたいと言われたときは、彼女に忠誠を誓おうと思ったほど未来が明るく見えたものだ。
だからこそ、ひねくれ者の妖精2人は真面目にメイド服なんか着て仕事をしてきた。令嬢が男勝りに育って粗末に扱われるようになってからも――。
その意味では、このネタは恩返しに使うべきだ。
今そこに合流した団体は、キャンプ地にしていた大木の根の下から海岸に向け、歩き始めた。イザベラやファルマイヤの雇われ船乗り以外にも、アチカ魔法学院の学生もいる。
「でもあんな嘘っぱち、よくホイホイ出るわねぇ」
フィルは、彼らが去るのを待って口を開いた。
「それにあの司祭服も随分と古いわ。今の熱心な信徒が見たら鼻で笑っちゃうくらい旧型よ。なりきりみたいなものね」
「あのおじさん、昔は司祭様だった人だよね」
「ファウは誰か知っているの?」
「うん。……評判が悪い人はよく知ってる」
突如としてこの島に神父が訪れた。
男は図ったように遭難中の皆の前に現れ、「教会の者です。救助要請を受けて助けにきました」と言ってのけたのだ。
これほど怪しい存在はいない。
だが、黒髪の少女は神父を信頼しており、育ての親であることや、オズエッタ村での思い出を語り、あっさりと迎え入れた。
その様子をフィルとファウは隠れて見ていた。
メルペック教会本部には、この件が伝わってないことも、その男が背教者であることも知りながら。




