Episode43 竜殺しの親・後篇
バイラ火山まで3ヵ月を要した。
旅でかなり消耗したが、火山の麓に住む青魔族から宿を借り、万全を期した。
その頃には、ジーナも子を身籠っていた。
あれ以来、夜這いも何度か重なってアンファンの子を授かった。
そんな状態での長旅は体に障る。
だが、アンファンに言い出す勇気はなかった。
きっと話してしまえば、戦力外として火竜サラマンドへ挑むパーティーから外されてしまうだろう。
彼が端から決闘に持ち込むことは目に見えていた。
竜種から物を強請るというのはそういうことだ。
もう後がないというのもある。
火剣『ボルカニック・ボルガ』奪取に失敗すれば、チームの雰囲気からしても今回の計画すべてを諦めることになる。
そんな中、戦力が減れば、また彼を追い詰める。
だから打ち明けられないままでいた。
目的の火山洞までの登山道は険しかった。
火山洞入り口は中腹にある。
「サラマンドは僕たちの侵入に気づいただろう」
「でも、特に変化は見られませんね」
「今日は機嫌が良いということか。ジーナ、念のために準備を怠るなよ」
内部はティースヘッドなる魔物が蔓延っていた。
竜種が食い散らかした獣の下半身が魔物化したもので、胴体の先端がそのまま大きな口に変態化しているグロテスクな魔物だ。
それだけで吐き気を催すのに、火山洞内部の熱気がさらにジーナを追い詰めた。
火山洞の最奥までたどり着く頃には、ジーナも疲労困憊で周囲からも気遣われるほどになっていた。
アンファンも頻りに身を案じていた。
…
最奥は大空洞になっていた。
入った瞬間、メンバーも一様に騒めいた。
そこに目を疑うほど巨大な生物が横たわっている。
まるで一枚一枚が剣のように赤くて鋭い鱗。
大きな翼。顎。尻尾。
――竜だ。
ジーナはその日、はじめて竜を見た。
人間が挑むには無謀すぎる巨体。
その火竜は、こちらに気づくと鎌首を起こした。
「なんだ、人間か……」
「火の賢者よ。少し話を聞いてもらえないか?」
アンファンは臆せず、整然と話しかけた。
「……帰れ。俺様を一人にしろ」
「用件が終わったらすぐ帰ろう」
「うるせぇ。俺様には関係ない」
「僕は魔術ギルドのアンファン・シュヴァルツシルトだ。ギルドの方針に従い、神秘の力の一つ、ボルカニック・ボルガを譲り受けにきた」
アンファンの言葉を聞いた火竜は殺気立った。
ぎょろりと鋭い眼を向けて睨んだ。
「お前、今なんて言った……?」
「ボルカニック・ボルガだ。神秘の力は悪用される可能性がある。我が魔術ギルドで保管した方が安全だ。渡してもらおう!」
「……」
サラマンドは黙っていた。
しばしの沈黙の後、何かを察知したアンファンは後退して戦闘態勢を移った。
――周囲の雰囲気が一変した。
「防護壁!」
指をぱちんと弾き、高速で氷の壁を展開した。
火竜が火を噴き、体を起こして突進してきたのだ。
突然のことだった。
火は防げたが、突進には対応しきれなかった。
アンファンの体は弾き飛ばされた。
「ゴァァァァアアアアア!!」
大空洞に竜の咆哮が鳴り響く。
突然の火竜の怒りにパーティーも動揺した。
だが、既に始まってしまった戦闘。
何が引き金で怒り狂ったか分からないが、ここで退くわけにはいかない。
「ボルガを悪用だと? 守る力がないだと!?」
サラマンドはまるで暴れ牛のようだった。
その巨躯でたたらを踏み、地響きを起こす。
態勢を保つのが難しくなったところで尻尾を振り回し、パーティーメンバーを攻撃した。
そこにはもちろんジーナもいた。
ジーナは魔術で氷槍を用意したところだった。
猛攻止まらぬ火竜の尻尾を串刺しにして動きを止める狙いだった。
その攻撃が一歩遅れた――。
気づいたときには腹部を強打していた。
火竜の尻尾には氷槍は刺さっていたが、その動きを止めることはできず、若干の傷をつけただけだ。
それだけの攻撃にして、代償は大きかった。
ジーナが上体を起こしたとき、自身の股下から流れる血が目に飛び込んだ。
「あ……あああ……」
あまりのことに震えるような悲鳴が零れた。
頭には『流産』の言葉が駆け巡る。
心臓の鼓動が激しくなり、気が動転して、なんとしてでも"この子を守らなければ"とジーナは思った。
同時に、ぽたぽたと何かが滴り落ちる音。
火竜の尻尾では、ジーナの突き刺した氷槍から『竜血』が滴っている――。
あとは無我夢中だった。
確証はなかったが、失われゆく命を取り戻すために『竜血』に賭けるしかない。
ジーナはひたすら竜血を飲んだ。
それは血清ですらなく、生の竜の血液だ。
人間ごとき、すぐ致死量に達するものである。
違和感に気づいたサラマンドは尻尾を振り、吸血に及ぶジーナを振り払った。
そのテイルアタックがメンバーを弾き飛ばした。
「ひ、ひぇぇええ!」
大空洞に悲鳴がこだました。
同行していたパーティーメンバーは恐怖に慄き、散り散りに逃げていく。
「う、うう……」
ジーナは仰向けに倒れ、意識を失いかけた。
痛みは感じていたが、不思議と体は無傷だった。
大量に摂取した竜血の恩恵だ。
竜血は古代の伝承にも描かれる起死回生の秘薬。
体が煮えたぎるように熱く、体内から力が爆発して暴れ狂いそうだった。
「――――」
おまけに感覚も鋭くなっていた。
目を開けて天井を見上げると、巨大な剣山が振り下ろされた瞬間だった。
それは鱗が突き出るサラマンドの尻尾だ。
ジーナは絶句した。
竜血で治癒能力が高まったとはいえ、あんなものに潰されたら即死は免れない。
今度こそ死ぬ……。
身籠った尊い命を守ることすらできずに――。
「開通!」
大空洞に指を弾いた音が響いた。
次の瞬間、地面に大きな穴が開き、そこに吸い込まれるようにジーナは落ちた。
――暗闇のトンネルを通過していく。
これはアンファンの得意とする転移魔術。
彼が助けたくれたのだ。
転移孔は亜空間を通じてジーナを避難させた。
亜空間通過の最中、ジーナは後悔した。
これが『竜』に挑むということ。
人間が幻想種を倒そうなど、無謀すぎたのだ。
お腹の子がどうなったのかもわからない。
そんな慙愧に駆られたとき、突然耳鳴りがした。
『竜殺し――』
『――――……、テメェ……んのか?』
『ミラを……と離せ! さもねえと……ぞ!』
異国語で話す子どもの声が聞こえる。
それは喧騒のようでもあり、断末魔のようでもあった。
やがてジーナの視界に異界の風景が広がった。
鉄屑ばかりの殺伐とした空間に、黒い服を着た子どもたちが鈍器を手に一人の子を追い詰めている。
その頭上から細長い鉄屑が降り注いだ。
逃げ惑う黒い制服の子どもたち。
何人か下敷きになっていく。そんな無惨な風景。
「――――」
一時の幻影のようだった。
気が動転してそんな光景が見えたのか、竜血の大量摂取による副作用なのか、あるいはシュヴァルツシルトの魔法でアクセスされた異界の光景だったのか、ジーナにはわからない。
目を覚ますと、火山洞の入り口にいた。
傍には同じように横たわるアンファンがいる。
傷だらけだった。
「アンファン……! アンファン!」
きっと無理をして助けてくれたのだろう。
逃げきれたものの、アンファンは致命傷だった。
幸い、ジーナは竜血の効果で傷一つなく、酷かった体調も軽快していた。
「待っててください。魔族の村まで行ければ!」
アンファンの肩に首をかけて担いだ。
その体は軽かった。
こんな細身の体一つで、今までどれだけの重圧に耐えてきたのだろう。
ジーナは誰よりも彼の理解者でありたかった。
「くっ……今度は私が……あなたを……」
一歩、また一歩と歩く度に足が挫けそうになる。
男一人担いでの下山は酷だった。
でもまだ足は動く。体には力が漲ってくる。
ジーナは強化魔術を駆使してでも前に進んだ。
トクン……。
ジーナのお腹の中で何かが動いた。
こんな過酷な状況でも、勇気づけてくれる存在がジーナのとても近くにいた。
「ああ――」
頭を振って気を取り直す。
まだ倒れるわけにはいかない。
ジーナは今、2人分の命を背負っている。
へばってる場合じゃねえぞ、とお腹の命が訴えかけてくる。幻聴だろうが何だろうが、ジーナはそれだけを支えにしてバイラ火山を下山した。
…
登山前にも世話になった青魔族の村に着いた。
ジーナは魔族語がそれほど得意ではないが、なんとか状況を伝えることができ、村の治療院にアンファンを運び入れてもらえた。
「アンファン! ……お願い、神様!」
「……」
一通りの手は尽くした。
光属性の補修魔法で回復力を高めた。
あとはアンファンの自然治癒に頼るしかないが、見るからに状態は悪く、望み薄であることは誰の目からも明らかだった。
「……ぁ」
まだ微かに息がある。
薄目を開けたアンファンに、必死に声をかけた。
「アンファン……わかりますか?!」
「……僕は……」
顔の半分が焼け爛れている。
片腕の骨折に大量出血。重度の熱傷。
この辺境の村での存命は厳しかった。
「君が……」
「喋らないで……! 無理しなくていいんです」
「君が無事でよかった……」
「はい。……はい。私は大丈夫です。助けてくれてありがとうございます」
「…………」
アンファンは唾を呑み込んだ。
その嚥下はとても緩慢で、もう長くないことを本人が悟るには十分だった。
アンファンは瞳だけ動かして部屋の隅を見渡すと、震える手でそこに置かれた鞄を指さした。
「取ってくれ……中の封……」
ジーナはすぐに取ってきて中身を取り出した。
そこには何個か封筒が仕舞われていた。
彼が出発前に用意した戦略フローを示した資料だ。
「黒いもの……」
一つだけ黒い封筒が用意されていた。
その異質さに目を疑いながら、ジーナは封を開けて中の書類を取り出した。
「これ……」
「それをギルドに……僕の、報告書と君の報酬だ」
「こんなもの、いつの間に――」
ジーナは言いかけて、はっとなった。
アンファンは作戦遂行中に起こり得るすべての可能性を計算し、チャート式に戦略をまとめていた。
そこに自身の死亡も可能性に含めていたのだ。
中途報告書はバイラ火山攻略前の段階で、攻略中に自分が命を落とした時のために「アンファン・シュヴァルツシルトは火竜サラマンドとの交戦により死亡」という書面を自ら用意していたのである。
「あなたという人は……なんて……」
ジーナは涙をぼろぼろ流した。
その都度、墓石を自ら用意するような行為。
一匹狼はここまで悲しいことをするのか。
おまけに部下の報償まで……いや、報酬はジーナの取り分しか記載がない。
「これ……私の報酬しかないではないですか」
「こうなる気がしていた……」
もしアンファンの許から逃げてしまえば、この報償を知ることがない。危険な戦いに赴いたとき、結果的に傍にいる人間の手元に報酬が残るよう、事前に計算していたということだ。
"……何故かな。君は僕を裏切らないだろうという不確定な確信がある"
アンファンは最後にジーナだけが残ることを計算していた。
「私はこんなもの受け取れません。諦めないで……生きて帰りましょう」
「僕は……君に感謝している……」
「これからもです! これからもお互いに……!」
「君のおかげで気づいた……大事なことを……」
アンファンはジーナと過ごして、失敗を認め合う人間の素晴らしさを理解した。
それは一見、非合理性を孕む人間の弱みだ。
だが、それがあるから人は歩いていける。
次の成功を目指して強く生きていける。
失敗を恐れることはないんだ、ということをジーナは教えてくれた。
だから、この特別報酬は当然の対価である。
「そんな……私、あなたとの子を……」
「…………」
「子どもを授かりました」
ここで打ち明けるのは狡いかもしれない。
それでもジーナはアンファンに生きてほしかった。
アンファンは一瞬、驚いたように目を見開いた後、すぐ目を細めて穏やかに言葉を続けた。
「そうか。それは……想定してなかった……」
「ごめんなさい。伝えてなくて……」
「……」
アンファンは静かに目を閉じた。
「ジーナ、ありがとう……でもすまないが……」
もう逝く、と謝りながら力尽きる彼の最期。
最期までアンファンは礼儀を尽くした。
彼の腕から力が抜け、息も止まった。
治療院にはジーナの泣き声が響き渡ったーー。
それが独裁者と恐れられた大魔道師の最期だった。
異大陸の辺境の村で静かに終わりを迎えた。
大精霊とも扱われる五大賢者に身の丈に合わない戦いを挑んだのは魔術ギルド側であり、愚かなのはギルド側と省みる結果だった。
また、ボルカニック・ボルガも既に奪われていたことが後日判明した。
過去に火竜に挑戦した"冒険者"が奪ったらしい。
火竜が突然、怒り散らした理由がそれだ。
当時、誰も知り得ない情報だった。
もう少し助力があれば、また違う未来があったかもしれない。
あるいは、アンファンが息子と向き合うことに意識を向ければまたーー。
しかし、未来を計算し尽くすことは不可能だ。
アンファンの死を避けられた可能性を模索したところで悲しみが一層強まるだろう。それよりも遺されたものを大切にする方が賢明である。
要所への報告を終えたジーナはギルドを辞め、出産まで安静に過ごした。それがジーナにできる精一杯のことだった。
竜血の身体負荷を心配したが、順調に胎児は育ち、無事に女の子が生まれた。
名は天使から取り、アンジーと名付けた。
天恵を授けし者、という意味だ。
アンジーはアンファンが授けてくれた、かけがえのない存在だった。
せめてこの子には自然体で生きてほしい。
世間から重圧を感じることなく、失敗を恐れることなく、自由に育ってほしい。
一匹狼でなく友達を大切にする子に育ってほしい。
そう願い、女手一人でアンジーを育てた。
アンジーの目覚ましい成長は喜ばしいことだが、一方でジーナは戸惑っていた。
秀でた能力は人を孤独にする。
それは父親の死に際を思わせるものだ。
せめて娘は独りになりませんように……。
ジーナは、アンジーが巣立って魔法学院へ通うようになってからも毎日そう祈り続けている。
アンジー誕生の秘話でした。




