Prologue 最強の竜
赤毛の女魔術師が高原の岩で休んでいた。
腰を下ろし、空なんかを眺めている。
すると突然、
「ハックショーイっ!」
「うわっ、なに? 風邪?」
相棒が盛大にくしゃみした。
確かに少し寒くなってきた。
エリンドロワ王国の中部にある王立魔法学院から隣国のガルマニード公国までの旅路は、それほど過酷なものではない。
たた、北寄りのガルマニードは寒冷地だ。
長旅疲れが相まって相棒が風邪ひいたとか?
「へっ、誰かが俺様の噂をしてやがんな」
「ええー? なにそれジンクス?」
「俺様ほどの有名人は毎日くしゃみだぜ」
「10年一緒にいて初めて聞いたよっ」
「バレないように常にくしゃみを我慢し続けて生きてきたからな」
「さぞ生きづらかっただろうね……」
赤毛の女魔術師は、相棒のくしゃみを心配して顔を覗き込んだ。
「そういえば、サラちゃん風邪とかひくの?」
サラちゃん。
女魔術師は肩に乗る相棒をそう呼んだ。
赤髪に溶け込むように、赤い鱗をまとうトカゲのような生き物は得意げに言い返した。
「――ひくわけないだろ。俺様は"竜種"の頂点を極めた最強生物だぞ」
「最近ちょっとそれ信じられないんだよねー」
「なんでだ! 信じろ!」
「だってー……」
赤毛の女魔術師は呆れたように溜息をついた。
相棒と一緒に過ごして10年か。
正確には12年と8ヵ月。
この相棒こそ現存する竜種最後の1頭。
五大賢者の一人、『火炎竜』だ。
それが今ではトカゲのように小柄。
傍から見ればペットにしか見えなかった。
何の因果か、赤毛の女魔術師は5歳から出会った火炎竜と17歳になった今でも一緒にいた。
今は隣国への長旅の最中だ。
魔術ギルドから反対されたが、『弱きを助ける』を信条とする彼女は、ある学校の派遣依頼を受け、元々所属していた王立学院を発った。
国外に出るのはこれが初めてだ。
教職に就くのも初めてのこと。
「――まぁ退屈しないからいいけど」
それはこの旅も、相棒との暮らしもだ。
「だろだろっ! 俺様は最強生物だからなっ」
「でも学校では大人しくしててよね。私、ただでさえ、こんな歳でナメられるかもしれないし」
「年齢を気にすんのはニンゲンの愚かしいところだぜ。お前は十分、立派な女だよ」
素直に喜べない。
赤毛の魔術師の理想はもっと高みにある。
「自信持てって! "赤のリベルタ"さんよ」
赤のリベルタ。齢まだ17歳の少女。
本名をリナリー・リベルタと云う。
魔相冠・冠位でも最も際立つ『赤』の称号を冠する者だった。
○
1ヵ月ほどでガルマニードに辿り着いた。
初めての国外はあまりぱっとしない。
冷たい風が吹きつける東方のガルマニード公国の風土は、寒さが苦手なリナリーには寂しく感じた。
ガルマニード公国の首都グローヅェで1泊。
そこから魔法学院がある郊外の森へ馬車を乗り継いで半日で学校へ着いた。
遠目にも来訪がすぐわかったのか、正面入り口を通るとすぐ職員が出てきた。
リナリーはその魔力特性上、髪が赤い。
街角で一瞬見えただけで誰か分かると言われ続けた。この反応には慣れっこだ。
「ようこそ、アチカ魔法学院へ! リナリー先生、お待ちしておりましたよ」
「こんにちわ。今日からお世話になります」
「ささっ、お疲れでしょう。こちらへ」
職員はそそくさと校舎を案内した。
対応に違和感を覚えつつ、リナリーは言われるがまま教頭の部屋へ通された。
部屋に入ると、教頭がすぐ一礼した。
「先生、この度は感謝申し上げます」
「先生だなんて……リナリーでいいですよ」
「いえいえ、冠位魔術師の中でも『赤』の称号を持つお方ですから」
教頭の名前はラウラというらしい。
真面目そうな女性だった。
眼鏡をかけ、職員服をきっちり着こなしている。
少なくとも30代。リナリーより遥かに年上だ。
そんな母親ほどの女性に敬まれるのは、さすがに慣れなかった。
ここに契約講師として着任することになったのも、ラウラが発端だった。
廃れつつある東方魔術学派であるアチカ魔法学院に新たな風を巻き起こすため、高い契約金とともに呼ばれた。
報酬なんてどうでもよかった。
魔術界の最上位に上り詰め、やっと困っている人を助けられる身分を手に入れた。だから来た。
冠位魔術師はどの国でも優遇される。
一般人ではまず通れない施設や局地に立ち入ることができ、魔術絡みの難解事件や外交の揉め事では顧問として呼ばれることもある。
リナリーの信念に基づくと、西方魔術の総本山を離れ、東方魔術に肩入れするのも当然だった。
一通りのガイダンスを聞いた。
最後に思いがけない提案をラウラがしてきた。
「――クラス担任? しかも特待生の?」
「どうかお願いします。新学期から入学してくる子たちの中でも、箔付きで紹介されたエリート集団ですから。そこに『赤のリベルタ』と名高いリナリー先生のご指導があれば、間違いなく魔術界で成功を収める子らに育つでしょう」
その誘い文句は魅惑的だった。
人を育てることに興味はあった。
魔術講師だけでなく、子供たちの成長を間近で見届けられるクラス担任も是非やってみたい。その最初の子どもたちが将来優秀な魔術師に育ったなら、リナリーも嬉しい。
○
リナリーが教壇に立つ日がやってきた。
冠位魔術師といっても、まだ17歳の少女。
人前に立つことは緊張するものだ。
そもそも特待生の子たちの年齢幅は最年少が9歳で、他はだいたい13~15歳。
ということは、教壇に立つリナリーは、担任教師というより先輩学生か、お姉さん……いや、下手すると彼らの実の姉より年下かもしれない。
そんな境遇でクラス担任はどうなのだろう。
サラマンドの言う通り、年齢に拘るのは愚かしいことだが。
リナリーの人生経験は、それはそれは数奇なものが多かったと思う。
3歳の頃から準神級魔術を習得したし、命の危険に晒されたこともある。
今でこそリナリーのような無詠唱術者の存在は認知されてきたが、10年も昔は、その正体不明の力に怯えられ、嫌厭されたものだ。
だが、そういった環境もあってか、短い人生で十分に研鑽は積んできた。
父親は武闘派で、格闘術も叩き込まれた。
そのリナリーが今さら何を怖れるという。
思いを巡らせ、緊張を振り払った。
そしてようやく教室の戸を開ける。
なめられないように整然とした態度で――。
「そら歯ァ食いしばれぇぇーー!!」
怒声と衝撃音が鳴り響いた。
教室の先の奇妙な世界。
リナリーは我が目を疑った。
罵詈雑言の後、制服姿の男子生徒が教卓へ吹き飛ばされ、頭を強く打った。
怒声に似つかわしくない幼い声だった。
一体どんな狂犬が紛れ込んだのか、とリナリーも勿論だが、事態を見守っている他の生徒もまた、困惑していた。
「ちょ、ちょっと! どうしたの!?」
リナリーは慌てて渦中に飛び込んだ。
入学早々からトラブルとは……。
そうか。将来有望なエリートの子たちだ。
当然、プライドの高い子も多い。
衝突も起こるだろう。
リナリーは頭をフル回転させ、最初の挨拶もまだだというのに仲裁にどう入るべきか考えながら、野次馬を掻き分け、騒動の中心へ飛び込んだ。
「ふー……ふー……」
そこには銀から金、栗色のグラデーションで染められた髪の、それはそれは愛くるしい女の子が息を荒げていた。
体は小さく、見た目も幼い。
リナリーはすぐにその子が最年少の9歳児と気づいた。
さては、歳を理由に虐められたか。可哀想に。
17歳児のリナリーも他人事ではない。
この手のイジメは、なあなあにしておくと後で深刻な問題になる。
毅然と対処すべきだ。
「こらっ! ダメじゃない。弱い者イジメは!」
リナリーは庇うように少女を抱きしめた。
弱きを助けるのがリナリーの信条。
幼少からの才能を迫害される心境も理解できる。
しかし不思議だ。この少女がイジメの対象だったとして、先ほど教卓に突き飛ばされた男子生徒は誰にやられたのだろう。
ただの飛び火だろうか。
それにしてはすごい勢いで突っ込んでいた。
「暴力をふるったのは誰?! 名乗りなさいっ」
リナリーは今一度、少女の体を抱きしめた。
震えている。さぞ怖かったのだろう。
「あの……その子が……」
「ん?」
取り囲む円の一番近くの女生徒が、まるで怖ろしいことを口に出すように震えて指をさした。
「その子が最初に手を出して……」
女生徒の言葉を皮切りにクラスメイトたちは後ずさりした。
怖がっている。
リナリーが抱きしめた少女を。
うそ。――驚きながらも早速理解した。
少女から沸き立つ赤い魔力。
似ていた。自分の魔力と……。
「名乗れって? 俺の名前を?」
少女の震えが、怯えではなく武者震いに近いものだと理解した。
「いいぜ。俺はアンジー・シルト!
誰でも相手になってやるからかかってきな!」
少女は自信満々にクラス中を挑発した
唖然とした。助け舟を出す先を間違えた。
見た目で判断した己が未熟さを恥じた。
こうしてリナリーの波乱に満ちた教員生活がスタートしたのである。
【登場人物】
リナリー・リベルタ : 魔相冠・冠位『赤のリベルタ』17歳。赤毛。優しい
サラマンド : 現存する竜種最後の1頭? 火炎竜。五大賢者の一人。




