Epilogue 竜とおっさん
薄食い教会奥の祭壇。
その脇にもう使われていない朽ち果てた椅子、司教座が投げ出されていた。
オージアス・スキルワードはそのボロ椅子を忌々しげに蹴り上げた。
バキッと椅子が折れる音が教会に響く。
「ああ、イタタタ……」
同時に、オージアス自身も腰を痛めた。
オージアスは我が身の醜態を呪った。
齢50を超え、私欲にまみれた壮年期を終えた中年のオージアスは、どっぷり太った体をしていた。
司教座は虚構まみれの過去を思い出す。
だから忌々しくてたまらない――。
ただ、忌々しいのは衰えた自分自身ではなく、結局のところ、何も満たされることなく幕を閉じようとしている己が人生すべてだ。
オージアス・スキルワードは世界一の大国として栄える『エリンドロワ』の生まれだった。
幼年の頃から神童と称される秀才。
物覚えが早く、勉学も抜きん出ていた。
ただ、魔力は凡人以下だった。
そんなオージアスが青年期に夢中になったものが神智学。
若かりしオージアスは、神の思想に触れれば、神秘の体現である魔法の理解が進み、いずれは魔術の才も見出せるのではないかと期待していた。
しかし、神智学を学ぶ為に入学した『王立ロクリス魔法学院』での出会いがオージアスの人生を狂わせた。
王立ロクリス魔法学院とは、世界でも有数の魔術教育に特化した学校だ。
別名『西方魔法学院』。
西方魔術を学ぶ学校だった。
この魔法学院には、原始魔術の祖にして五大賢者の1人、ロクリ・プラト・ティマイオス公――通称『雷帝のティマイオス』が理事を務めていた。
人間、エルフ、ドワーフ、魔族、竜族の5種族で構成された五大賢者は、1000年以上も昔に「神からの脱却」を成し遂げた偉人たちだ。
ティマイオスは人間代表で賢者になった。
オージアスもそんな神と繋がりのある理事長に興味を抱いていた。
彼は学院で最優秀の成績を収め、ついにティマイオスとの面会にこぎつけた。
神が一体どんな存在だったかを知りたかった。
その時に言われた一言が、
「神? ろくなヤツじゃなかったわね」
彼の摂生を貶めた。
「え……。今なんと……?」
「神はロクでなしよ。人を信仰集めの養分にしか思ってないんだもの。"神は人を愛し~"なんて聖書の教えは嘘八百。あたしもどれだけ殺されかけたか覚えてないわ」
「それは人類が魔力に溺れ、神を冒涜したから下された制裁だと教典には――」
「うぇ、なにそれ、気持ち悪っ!」
「き、気持ち……悪……」
「教会の思想が歪んでるわね。
実際の連中は私欲まみれだったし。
ていうか、奴らが人間の原型なら、それも当然なのよね。人間なんてそもそも"楽したい""怠けたい"の惰性の塊でしょ?」
オージアスは衝撃を受けた。
思い描いていた神は粉々に打ち砕かれた。
「そんな……」
「なに? あなた、そんなどうでもいいこと聞きにわざわざあたしに会いに来たワケ? はー、くっだらない」
敬虔なオージアスの人生は一変した。
酒や女に溺れ、金を湯水のように使い潰した。
あるいはそれが、彼にとっての新たな神の思想に至る試みだったかもしれない。
いずれにせよ、これまでのオージアスの摂生は無意味だったと感じさせるほど、彼は堕落した。
だが、聖職者と成るべく生きてきた彼に他に歩むべき道もなく、魔法学院を卒業後は教会の神父として召命された。
司教に成り上がる頃、宗教は金儲けの道具としか考えられなくなっていた。
欲望に忠実なことこそが神のお導き。
そんな歪んだ思想で生きてきた。
……。
「く、くそっ……くそっ……!」
司教座を粉々に踏み続けた。
聖職者には到底見えぬほどの振り乱した髪。
――この生涯に、この生き様に、どれほどの価値があったというのか。
神の正体を知らぬまま、凡愚な神父として信仰を続けていれば報われていただろうか。摂生を尽くした、清く美しい人生だったと誇れただろうか。
今のオージアスには分からない。
彼は人生の岐路を与えたティマイオスが此処、オズエッタ湖に現れたと聞き、そんな惰性に満ちた過去と向き合い、憎しみに苛まれた。
「はぁ……はぁ……」
荒い息遣い。血走った目つき。
オージアスは少しずつ呼吸を整えて"神父"に戻ろうと努めた。
『クク、随分とご乱心だな、オージアス』
祭壇に置かれた水晶玉から通信が入った。
地獄の底から響くような低い声だ。
「シグマか」
『グルル……貴様がそうやって同族への憎悪を募らせる姿は我らも見ていて心地がよい。本当に変わったニンゲンと手を組めた』
「手を組む? 違う。利害が一致したまでだ」
祭壇の水晶玉は通信用の魔道具である。
通信相手のシグマという者の声は、獣のような唸り声が混ざっている。
「少し問題が生じた」
『なんだ。言ってみろ』
「賢者の1人がオズエッタ村に来ていた」
『誰だ。グノーメか。シルフィードか』
「ティマイオスだ」
『……構わん。雷帝は"はぐれ者"だ』
シグマという者は賢者5人を知っていた。
標的の『火の賢者』と交流の深い賢者なら、計画に支障が出る可能性もあった。
だが、ティマイオスは孤立している。
多少の接触は問題あるまい。
「それだけではない。例の子どもが……」
『子ども? ああ、貴様が監視下に置いている魔術師の娘か。いずれ手駒に使うのだろう?』
「その予定だったが、その娘に異変が起きている。まだ6歳程度だが、既に魔力が5000を超えた。適性は炎で、特異能力に『竜殺し』と」
『グルルル……』
シグマの唸り声が少しだけ深くなった。
「もしや母胎が火竜の血を浴びたことと関係してるのではないか? 魔力も、父親や異母姉弟の記録と比べても段違いだ。反抗挑戦的な態度も見受けられる。竜のように気性が荒い」
オージアスは捲し立てるように告げた。
シグマはオージアスの煽るような口ぶりを察し、決断を下した。
『ではすぐ始末しろ』
だが、オージアスの顔色は優れない。
彼が求めたのは決断ではなく助け舟である。
「難しい。母子ともにティマイオスの庇護下だ」
『なんだと?』
「娘はアンジーというが、ずば抜けた魔術の才能を見初められ、現在はティマイオス直々に魔術指南を受けている。賢者の目は欺けない」
オージアスの云う問題とは、まさにこのオズエッタ村で見事に合致した巡り合わせである。
賢者の1人、ティマイオスが村に現れた。
監視下にあった子どもが『竜殺し』だった。
これら個々の出来事は大した問題ではない。
だが、それらが知らぬ間に結びつき、大きな問題へと発展しつつある。
『竜殺し』がどれほどの脅威かはさておき、手駒が突飛な才能を持ち、さらに賢者から稽古を付けられている、という事実は度外視できなかった。
『竜殺しか。まさに我らの天敵だ』
「どうすべきか私も悩んでいる」
『……しばらく泳がせておけ。時が来れば始末するタイミングもあろうよ。こちらも"若頭候補"をようやく用意したところだ。成長までに何年か時間を要する』
「そうか……」
『確か貴様ももう一つ手駒を育てていたな』
もう一つの手駒。
彼が村に連れてきた娘はもう1人いる。
暗殺者集落で育った特殊な少女だが、育てようによってはこちらも危険だ。
慎重に信頼関係を結びつつ、そろそろ訓練を受けさせようと思っていた時分だ。
「人間は貴様らのように簡単には育たん」
『急げよ。ククッ、殺人術を極めた暗殺者の血統とは都合がいい。要人を狩るときに重宝する。あるいは、その手駒に竜殺しの娘を――』
そこで突然、通信が途絶えた。
オージアスは眉を顰め、水晶玉を見返す。
魔道具の不調で途絶えたのではなく、向こうから無理やり切断したようだ。
どうしたのかと疑問に思っていると、
『なんだ。ちゃんと育っているじゃないか』
シグマの声が幽かに聞こえた。
「何の話だ……?」
『後ろを見てみろ』
教会の入り口から影が差し込んだ。
気配もなく、誰かが侵入した。
オージアスは慌てて後ろを振り向いた。
「オジーさん? 誰とお話してたの?」
黒の修道服を着た少女が立っていた。
扉を開けた気配もなく、気づけばひっそりとそこに立っていた。――『気配遮断』だ。
知らぬ間に暗殺術の1つを覚えていたか。
オージアスは驚きを隠せなかった。
少女の名はリノ。
かつてオージアスが教会の資金運用のために邪魔者を抹殺するとき、よく利用していた暗殺者集団の末裔である。
現在、集落は壊滅。生き残りはリノだけ。
生粋の暗殺者の血を継ぐ、貴重な存在だった。
「どうかしたの……?」
「あ、あぁ、いや独り言だよ」
「ふーん?」
リノは背伸びしてオージアスの背後でぼんやりと光る青い水晶玉を眺めた。オージアスはゆっくり移動して背に隠し、取り繕うように尋ねた。
「気づかなかったな。いつから居たんだね」
「ついさっき、かな?」
「まったく気配を感じなかったが……」
「あ! 友達を追いかけるときねっ! 気づかれないように追いかけてたら最近は気づかれなくなったんだよ」
それこそ『気配遮断』の基本修練。
まさか知らぬところで身に着けていたとは。
血は抗えない。
オージアスは背面で水晶玉を掴み、懐に隠した。
「お友達とはアンジーのことかね?」
「うん。だってアンジー、わたしが近づくと逃げるんだもん。しつこいって……。嫌われたくないからバレないように近づくことにしたの」
「はは、それは逆効果じゃないかね?」
「でもバレなければ大丈夫だよ」
リノは幼少期の経験で、倫理観が低い。
そして偏執狂だった。
対人関係は臆病だが、一度好きになれば、それに固執するストーカー特有の気質なのだ。
普通の人間の女の子のように接し過ぎた。
相手は殺人鬼の末裔。
通常のヒトの感覚は持ち合わせていないし、命を奪い取ることも厭わない気性だ。
そろそろリノも手駒として調教すべきか。
「今日はアンジーと遊んでこないのかね?」
「アンジーはティミーちゃんと稽古……というか喧嘩してるよ。喧嘩になると魔法の戦いばっかりで付いていけない。アンジー取られちゃった」
「そうか。では私がリノの稽古をつけようか」
「ほんと!?」
「ああ、ほんの遊びの延長戦だがね」
集落の折衝役の話だと、この一族は刃物を与えると人が変わったように『斬獲衝動』に駆られ、肉を屠りたがるらしい。
それを怖れて刃物を遠ざけていた。
だが、いずれ自制が利かなくなることを考えるとそろそろ動物の狩りを通じて刃物を――。
「あ、やっぱりいいや」
「……どうしてだね?」
「アンジーを観察する。またね、オジーさん」
リノは踵を返し、駆け足で立ち去った。
子どもは手が焼けるが、リノの場合は少し違う。
アンジー・シルトに引き寄せられている。
あるいは竜殺しの娘は人を引き付けるカリスマ性があるのかもしれない。父親そっくりだ。
『グルル……。あれはあれでいい』
懐に忍ばせた水晶玉が光り、会話が再開した。
「なんだ唐突に」
『雷帝のティマイオスが悠久の時で培ったモノはその智慧だけでなく、卓越した剣術、槍術、体術にまで及ぶ。それに接していれば、あの娘の殺しの技も磨かれるかもしれん。貴様のような大兵肥満が指導するよりもなぁ?』
グロロロ、と野卑な笑いが届いた。
オージアスは拳を握りしめ、怒りを堪えた。
「放っておくのも危険ではないか?」
『問題は、いつ手駒に引き込むかだ。より強い駒に育つなら今はあれでいい。また報告しろ』
そして通信は途絶えた。
「…………」
オージアスが憎いのは大兵肥満と揶揄される贅肉まみれの身体ではない。才能を持ちながら無駄に終わろうとする己が人生そのものだ。
――満たされない野心を取り戻せるなら。
過去を取り戻せるならオージアスは満たされる。
彼の過去とは信じ続けた"神の思想"だ。
ティマイオスに諭された怠惰な神ではない。
崇高で摂生に充ちた精神。
神秘を神秘として留め、秘匿とする美学。
それは神の教えそのものだ。
司教として、この計画をやり遂げることは正しい信仰心の在り方だとオージアスは信じている。
ヒトは魔力を我が物にし過ぎた。
力を神に還し、文明を最古からやり直す。
だからこの狂った世界を破壊する。
そのためにオージアスは竜と手を組んだ。
◆
グルルル……。
島の巨大な洞穴から唸り声が轟いた。
そこには古代幻想種に分類され、世間では絶滅したとも噂される竜の末裔が犇めき合っていた。
シグマは四肢を折り、巨躯を寝そべらせた。
「フ、『竜殺し』か。ヒトの多様性は浅ましい」
太古から続く竜の掟に『同族殺し』がある。
生存競争の頂点に君臨する竜が、その最強の地位を確固にするための間引きだ。
今まさに『同族殺し』を勝ち抜いた若頭候補の竜が、シグマの覗き込むクレーターの最下層で咆哮を上げた。
グオオオオオ!
「世代交代は斯くあるべきだ。すべてを生かし、同族を守るなどとは世の摂理に反した弱者らしいニンゲンの戯言よな。
――なぁ、火炎竜よ。
ニンゲンに媚びた一族の面汚し。今に見てろ」
シグマは憎々しげにその名を呼んだ。
サラマンドとは雷帝のティマイオスと並ぶ五大賢者の1人、火の賢者である。
今、1000年の時を経て受け継がれた、たった1頭への憎悪がついに解き放たれようとしていた。
もうすぐ『火竜』の世代交代の年が近い。
「竜殺しの娘。アンジーか。覚えておこう」
シグマはクレーター内の大量の死骸と、その中で勇ましく咆哮を上げた若頭候補を眺めて呟いた。
――ア……ン……ジ……。
――アン……ジ…………。
なぜか、若頭候補はその名を復唱した。
気のせいか。たまたまそう聞こえたのか。
だが、若頭候補の竜は憎々しげに唸り続けた。
――ア……ンジ……サガ……アンジ……。
シグマはそんな若頭の様子を見やり、威勢の良さに感心した。
第1部 完 (第2部へ続く)




