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五 異常

 倒れた司を保健室に連れて行き、沙耶花の隣のベッドに寝かせると、再度、司と沙耶花の二人を囲むように結界を張った。

 これで二人は絶対に安全だ。

 そのまま保健室で、これからの事を考える。

「ルネ、他のみんなはどうしたの?」

「とりあえず、ヒカルだっけ? あいつに託して来た。オレはユウヒのこと追いかけたからな」

「そうなんだ……あのスライム状のファントムオーガの鬼師が司だったから、後一人は鬼師が居るっていう事だよね?」

「だな。基本的に、一人の鬼師から生まれるファントムオーガの形状も一つだ。最初の、ショクインシツ? だかにいたヤツの鬼師がいるハズだ」

 とりあえず、悠飛のファントムオーガに対する考察は合っていたらしい。見当違いな事を言っていたらと思ったのだが、そうではない事にホッと安堵し胸を撫で下ろした。

「その事なんだけど、僕、一人気になる子がいるんだ。三芳菜々さん。最初に僕と一緒に職員室にいた子なんだけど」

「あの髪二つに結んだ……確かに、他のヤツと喋ってるの殆ど見てねえけど、あの女と喋ってなかったか?」

「あの女って、もしかして北城先生の事?」

「ああ、そいつだ。ショクインシツのファントムオーガはあそこにいたヤツらを皆殺しにしただろ。ナナってのが鬼師なら、おかしくねえか?」

「北城先生は確かに教師なんだけど、まだ本当の教師じゃないんだよ。教育実習生って言ってね」

 初めて聞いたのだろう、よく分からないという表情のルネに、教育実習生について教えてあげた。

 教育実習生とは教育学部の大学生で、教師になる為に実際に学校で教師としての勉強をしているのであって、まだ教師にはなっていない。けれど、先生見習いという事で先生と呼んでいるのだと。だから、教育実習生は教師であり教師ではないので、教師という枠には当て嵌まらないのだと。

 そう説明すると、何となくだが理解してくれたらしい。

「だからあの女は例外だっつーんだな」

「うん。それともう一つ、気になる事があるんだ。ルネ、鬼師になる人に共通点とかってあるの?」

「そうだな……大抵は無作為だ。が、例外も存在する。例えば、強い影響を与える何かがあった場合だ」

「強い影響を与える、何か」

 これまでルネは、地球上の様々な地域を回り幾度となく鬼師を見つけてきたのだが、その中で数度あった事例だと言う。

 貧富の差が激しい地域で鬼師を見つけた時には、貧しさ故に富める者を集団で襲撃していた。暴動と言ってもいいそれは、鬼師がファントムオーガを使って行っていた事だった。法秩序の整っていない地域では犯罪者ばかりを狙う鬼師が多数、現れていたそうだ。その他にも女ばかりが鬼師となる地域や、十歳以下の子どもだけが鬼師となる所もあった。

 どれも、その地域特有の現象であり、他の地域には適応されないものばかり。しかし、法則さえ見つかれば簡単に全ての鬼師を見つけ、元凶となった鬼師を見つける事も出来ていた。

「これまで鬼師になったのは三人。一人目は、土岐沙耶花。二人目は、芦名実紅。三人目は白藤司。三人に何か共通点があれば、元凶の鬼師が分かるかもしれない」

 共通点。身体的な特徴は三人共、違う。性格も、趣味も、育った場所も環境も違う。もっと何か、他のもの。

 土岐沙耶花、芦名実紅、白藤司。

 名を思い浮かべ、ふと、ある事を思う。

「色……」

「色?」

「三人共、色が名前に入ってるんだよ。土岐さんは、土色ととき色。芦名さんは、実紅のくの字がくれない、つまり赤。司は白藤だから、白と藤色」

 共通点という点では、有り得ないと言い切れないだろう。そうして名前の話をしたからだろうか、ルネは何か思い当たる事があるらしく、顎に手を当てながら記憶を辿るように言葉を紡ぐ。

「そういや、姉様が言ってたな。カンジってもんには意味があるって。他に色が入ってるヤツはいるのか?」

 問われ、今学校内にいる者の名を思い浮かべる。

 近江輝、橘慶太、瀬戸内祐、三芳菜々、柳可純、黒田彰斗、水沢ひまり、藍原淳平、北城香奈。

「黒田彰斗は、黒。水沢ひまりは水色。藍原淳平は藍色。このくらいかな」

「うーん、でもなぁ……なくはねえけど、しっくりもこねえ。色が共通点だとして、強い影響力になるか?」

 言っていて悠飛にも違和感はあり、その点が引っかかっている。確かに三人共、名前のどこかに色が入っているが、色に関する影響力の強いものが見当たらず、思い当たる事もない。

 何か他に共通点があるのではないか。

 何か、他に。

「土色、水色、紅、藤色、藍色……」

「どうした?」

 呟くような悠飛の言葉に顔を覗き込んでくるルネの姿は、顎に手を当てて何かを思案している悠飛の目には映らない。

 そしてすぐに、悠飛は何かに気付いたように少しだけ目を大きく開いた。

「もしかしたら――」

 その時だった。ガラッと勢いよく保健室のドアが開いたのは。

 反射的に身構えてドアの方を見ると、そこに立っていたのは生徒の一人。

「良かった、ここに居た。悠飛も無事だったんだ」

「ケイ」

 そこにいたのは橘慶太。保健室に入って来るなり、彼はドアを閉めた。恐らく、教室で学んだ事だろう。指一本でも侵入されれば、ファントムオーガは入って来てしまうと。

「どうしてここに?」

「体育館からみんな逃げることになって、一階はファントムオーガに塞がれてたから二階に行ったんだけど、結局みんなバラバラになっちゃって……司の様子が変だったし、沙耶花の時と同じなら、また保健室かなって」

 慶太の口から出た名に、悠飛もルネも驚きに慶太を見やる。

「……ケイ、土岐さんの事も、司の事も憶えてるの……?」

 沙耶花はもう、輝がその存在を忘れるほど消えかかっていた。学校では常に傍に居た可純でさえも名が出てこない程に。

 そして司も、鬼師化が解けた後に倒れた事で、司が生み出した複数のファントムオーガが消されたのだと知った。気を失う前に見たファントムオーガの数は、ざっと見積もっても十。それだけの数のファントムオーガを消され、その上で司の事を憶えているなど有り得るのだろうか。

「え? だって、さっきまで当たり前に一緒に……あー、そっか、みんな憶えてないんだっけ」

 言って、頬を掻く慶太。

 慶太の言葉には、ルネも悠飛も驚かざるを得なかった。何故、彼は憶えているのだろうか。ファントムオーガを消された鬼師は、消された数だけ影が薄くなり、存在が薄くなってしまうというのに。

 ルネが警戒しているのが分かる。 

「タチバナケイタ。おめえは何もんだ」

 眉を顰め、ルネは睨むように慶太を見る。

 鋭い視線を受けても慶太は怯む事無く、真っ直ぐにルネを見返した。

「何もんって、オレは橘慶太だよ。オレは普通だから、その他のことは分かんないよ」

 そう言って、慶太は笑った。

 出逢った頃から、口癖のように自分は普通だと言う慶太。それが信条なのだと言っていた。まるで、そうありたいかのように。

「おい、こいつ大丈夫か?」

「酷い言い方だけど、ケイはとっても正常だよ」

「あー……まあいいや。ツッコむだけ無駄っぽいし、何かオレ、こいつ眩しくててられそうなんだよな」

 まるで太陽を見るかのように目を眇めるルネ。

 確かに慶太はいつでも明るくて周りをも明るくするような人だが、ルネとて慶太に負けず劣らず明るく元気で、皆を照らしている。教室で皆が沈んでいる時だって、ルネの明るさで教室内に笑顔が戻っていた。

 そのルネが、慶太に対して「眩しくて中てられる」など、おかしくはないだろうか。それではまるで、光が強すぎるかのような――。

 そこまで考えて、悠飛は顎に手を当てる。

「ねえ、ルネ。ルネは、僕が鬼師に狙われてるって言ったよね」

「ああ。三つのコアとマテリアを持ってっからな」

 土岐沙耶花を鬼師から解放した後に、ルネが話していた事だ。自分が狙われていた事をルネから聞いた。その際、鬼師はより強い光を求めるという事も聞いた。光が強ければ強い程、影も濃くなるものだから。それは負に呑み込まれたココロをより強く支配する為。

 黒く醜く歪むココロを負から解放するよりも、負に委ねて沈んでしまう方がずっと簡単で、苦しくないのだから。そして同時に、光は憧れでもある。自分を取り巻く闇が深く濃い程に、光を求め焦がれる。自分の身を滅ぼすと知っていながら強い光を求める。それは、蝋の翼で太陽を求めて近付き、地に落ちたイカロスのように。

 相反するココロは、どちらも最終的に負の闇に堕ちる事となる。

 故に、鬼師は強い光を求める。負に呑み込まれる為に。

「おめえはこっちの世界で、エルグランドでのキング・クイーン・ナイトの役割を一人で担ってるってことだ。光が強いのも納得だろ」

「そういう事……だったら、鬼師化のルールは一つしかないね」

 色の他に考えられるものは、もう一つしかない。

 流星河の発端となった、エルグランドで最も強い光を持つキング・クイーン・ナイトと同等のマテリアを有する悠飛の光は、常人のものより遥かに強い。その光が太陽光のように光種を活発化させたのだとするならば、悠飛が今回の鬼師化に影響を与えているのだと仮定できる。悠飛が今回の鬼師化に影響を与えているのだとすれば、導き出される答えも一つだけ。

「植物だよ」

 どういう事かと首を傾げる慶太に、悠飛はこれまで考察した事を話した。

 人の心に光種が存在する事、それが流星河によってもたらされた事、光種が負の感情で満たされると鬼師と化し影がファントムオーガとなる事、ファントムオーガは鬼師の影そのもので消えると鬼師の影が薄くなる事、鬼師の影の濃さをファントムオーガの濃さが上回ると鬼師の存在そのものが消滅する事、そうならない為に今回の原因となった職員室のファントムオーガを生み出した鬼師を探している事。

 簡単に説明し終えると、そういう事だったのかと慶太は漸く理解したようだ。

 話を進めても問題ないと判断し、悠飛は再び口を開く。

「僕が最も影響力があるなら、僕も関係する事じゃないといけない。立花悠飛、土岐沙耶花、芦名実紅、白藤司。四人に共通する事は、花や木や草、つまり植物だよ」

 立花は、花という漢字を含み、タチバナは柑橘系の木。

 そして土岐沙耶花の、花。芦名実紅の、芦はイネ科の植物、実は果実。白藤司の、藤の花。

「ケイの苗字は橘だから同じように影響を受ける筈だけど、鬼師化の兆候は全く見られない。けど、さっきのルネの言葉で分かったよ。僕と同じタチバナという苗字だからこそ、影響を受けないんだ」

「……共鳴か」

「同じタチバナという存在だから、僕のマテリアがケイの事も護ってるんだと思う」

「オレが悠飛の事、近く感じるのもそれで?」

「恐らくね。推測の域は出ないけど、ルネが強い光だと感じるなら多分、間違いないよ」

 それは同じタチバナという苗字を持ち、タチバナという苗字を持つが故に影響を与えているからこその現象と言える。苗字を通して共鳴する事でマテリアを共有し、結果、悠飛のマテリアが慶太を加護している状態になっている。

「なるほどな。それだったら納得だ。植物ってもんは根を張るだろ。その根がこのガッコウってとこに張り巡らされてんなら、次々に鬼師化することも納得できる。それにこのガッコウが異常なのも、影響力の強い人間が二人いるせいなんだな」

 張り巡らされた根を通して、今回の元凶となった最初の鬼師の負の感情が学校に渦巻き、悠飛と慶太がいる事でその影響は何倍にも膨れ上がり、それが学校を取り巻く嵐という形で表れているのだと。

「今この学校にいる人の中で、植物が名前に入っているのは三人。柳の木が苗字の、柳可純。菜の花の名前を持つ、三芳菜々。藍の花が苗字に入ってる、藍原淳平。この誰かが元凶の鬼師だと思っていいんじゃないかな」

「だな。その線で探してみっか」

「じゃあオレ、ちょっとみんなの様子、聞いてみるね。オレが見た限り、輝・祐・彰斗の三人もバラバラに誰かについてたと思うから無事でいると思う」

 携帯電話をポケットから取り出し、電話をかけ始める慶太にお礼を言い、ルネに声をかけられたのでそちらに意識を集中させる。

「で? どいつだと思う?」

「え?」

 いきなり何の話をしているのかと訊き返すと、ルネには半眼で見返された。

「だ・か・ら、最初の鬼師だよ。どうせ、見当くらいついてんだろ」

 その評価は喜ぶべきだろうか。

 これまで幾度も何かしら発見してきた事で、どうやら悠飛の事を何でも知っているか感付く人間だと思っているようだ。そこまで万能な訳でも、まして全知全能という訳でもないのだが。

 しかし、考えている事がない訳ではない。

 だからその考えを口に出す事にする。

「気になる事ならあるよ。三芳さんは、僕以外の人と話してるところを見てない。北城先生が一緒にご飯を食べてたから気のせいかもしれないけど。柳さんも一見普通だったけど、土岐さんに対して少し含みのある言い方をしてた。藍原先生も、最初に職員室前で会った時に他の先生に対してぼやいてたんだ」

 菜々と話をした人間の中で、悠飛を除外すると誰も該当する人間がいない。傍にいたり声をかけたりする事はあっても、菜々が反応を示す事はなかった。ルネが先程、北城と話していたと言っていたので、悠飛が見ていなかっただけかもしれないのだが。

 そして可純の話を聞いた時に、気になる話もしていた。気に留めなければ何という事のない話だったが、全く気にならないという事でもなかった。

 そして藍原。「ヒトに仕事押し付けておいて、これだから他の先生は……」という、ぼやき。ただ単に愚痴を溢しただけと言われても仕方のないレベルの事だったが、それでも教師が殺されているという点では捨て置けない。

 そう説明をすると、ルネは顎に手を当てて頷いた。

「僕が気になってる事は全部、気のせいだって言われたらそこまでのものだけど」

「……そうか」

 確証はないけれど、と告げるとルネは息を吐いて黙りこくってしまった。

 何か、期待を持たせてしまっただろうか。もしかしたら、すぐにでも元凶の鬼師が分かるのではないかと思わせてしまっただろうか。まだ何も分かっていないのだと、素直に告げるべきだっただろうか。

「悪かったな」

「え?」

「おめえ、確証のねえこととか言うの、あんま好きじゃねえだろ。なのに、言わせちまったからさ」

 とてもバツの悪そうなルネは、イタズラを叱られた子どものようだ。

 そんなルネに、悠飛は思わず笑ってしまった。

「な、何で笑うんだよ。人がせっかく……」

「あはは、ごめんね。ルネは真っ直ぐだなって思って」

「何だよ、それ」

 一しきり笑い、悠飛は静かに首を横に振った。

「僕は何も気にしてないよ。それにおかげで一度、整理できたから」

 頭の中で考えているだけでは纏まらない。声に出してみて初めて気付く事もある。ルネは、そのきっかけをくれたのだ。恐らく、意図せず無意識に。

 不服そうな表情のルネに笑いかけていると、電話を終えたらしい慶太に声をかけられた。

「悠飛、電話の結果を伝えるね。輝と祐は一緒にいて無事。可純、ひまりと実紅はそれぞれで隠れてるけど今のとこ無事。彰斗は北城先生と途中までいたけど、はぐれちゃったって。藍原先生は、番号知らないから分かんなくて」

 さすがに教師の携帯電話の番号までは知らないので、それ以上の情報は得られないだろう。

 けれど、生徒が皆無事だと分かっただけでホッと安堵する。

「ありがとう、ケイ。とにかく、先生方の無事を確認しないと。あと、戦えない水沢さん達の保護だね」

「可純は二階の応接室、ひまりと実紅は三年二組の教室、輝と祐は一階の技術室、彰斗は三階の西階段辺りで北城先生とはぐれたから、今は四階を捜してるって」

「だったら先ずは、二階の応接室にいる柳さんだね。ルネ、それでいい?」

「おう。どのみち場所分かんねえし、おめえに任せるわ」

 学校の構造を把握していないルネはただ悠飛達について行く事しか出来ない。任せられた悠飛は頷き、慶太を引き連れて保健室を後にした。そのまま東階段へ向かい、二階を目指して階段を上って行く。

 応接室は西側に位置しているので職員室の前を通らなければならないのだが、もう気にしている余裕はない。階段を昇りきった二階の廊下前、そこで、先頭の悠飛は足を止めた。

「どうかした? 悠飛」

 立ち止まった悠飛に、慶太が不思議そうに声をかける。

 しかし悠飛が答えるよりも早く、ルネは腰のカーネリアンコアに触れてシュバルツクロワを形成していて、悠飛もピアスに触れた。ピアスから放たれた三色の光の粒子がそれぞれ、炎の弓、太陽の矢、星のカギを形成し、カギを左手首にかけると悠飛は弓矢を握る。

「ケイ、僕から離れないでね」

「ごめん、任せた」

 慶太の言葉に頷き、悠飛もルネも廊下へ跳び出した。瞬間、悠飛の眼前でルネの握ったシュバルツクロワと黒い影で出来た狼がぶつかった。

 一歩後退して距離をとるとルネはシュバルツクロワを振り回して狼を吹き飛ばし、更に後を追うようにすぐさま床を蹴った。

「すっげー」

「ルネの動きは、華麗だよね」

「うん。身軽だからかな。何か、羽が生えてるみたいだ」

 空中で体を捻りながら回転したり、右から左へ即座に方向転換したり、壁を蹴って跳び上がり上から攻撃したり。

 軽業師か、サーカス団の人か、翼の生えた妖精か――勇ましくも優美なルネの戦いに見惚れそうになった悠飛だが、握りしめた弓を構えて狼に向けると、矢を引いた。ルネにばかり戦わせる訳にはいかない。今の悠飛には戦う術があり、ルネの隣に立っていられるだけの力があるのだから。

 鋭く伸びた爪がルネに迫った事で大きく後ろ、悠飛の方へ跳び、身を屈めて床に手をついて着地したタイミングで、悠飛は引き絞った矢を放つ。

 矢はルネの頭上を通り過ぎ、ルネへ襲い掛かろうとジャンプしていた狼型ファントムオーガの右前脚を貫いた。

 致命傷を与えて消す訳にはいかない。何とかして動きを封じなければと狼型のファントムオーガを見据える。

 獣型であるならば、いけるかもしれない。

「ルネ、教室に閉じ込めよう! 獣型なら、ドアを開ける事は出来ない筈だよ」

「だな。時間稼ぎは任せろ!」

 ニッと笑って、ルネはファントムオーガが悠飛達の方へ行かないように、適度に攻撃を加えつつ足止めをしている。

 その間に、悠飛は弓矢をマテリアへ変換させてピアスに戻すと、慶太と共にすぐ隣にある一年七組の教室へ入った。教室後方の用具入れから柄の長いホウキを二本手に取り、慶太と一本ずつ持って後方のドアから廊下へ出た。

 ドアを閉め、つっかえ棒の要領で外側からドアが開かないように慶太の持っているホウキを置き、その場に慶太を置いて悠飛は教室前方のドアを開ける。

「ルネ! ここから中に!」

 悠飛の声を合図に、ルネはシュバルツクロワを振るって狼型のファントムオーガを、教室とは反対に位置する窓の方へ弾き飛ばした。同時に飛び出したルネは床を蹴ってドアの開いている教室の前に降り立つ。

 そして、窓にぶつかった狼型のファントムオーガは衝撃に怯む事無く床に降り、体勢を低くすると床を蹴って跳び出した。ルネの方ではなく、悠飛に向かって。

 目前に迫るファントムオーガ。だが、横から出て来た人物が悠飛の前に立った事でその姿が遮られる。悠飛が持っていた筈のホウキを手にしたその人物は、長めに持ったホウキの柄で狼型のファントムオーガを叩きつけた。

「ケイ……!」

 それは悠飛の後ろに隠れていた筈の慶太で、驚いたような声を上げる悠飛だが、視線の先でファントムオーガが体を起こしているのが見えた事で駆け出した。今、ファントムオーガは近くに居たルネではなく、悠飛に向かって来た。

 より強い光を求めたのだろう。だったら、悠飛がするべき事は一つしかない。

 床に倒れたファントムオーガの横を通り過ぎ、空いたドアの前に立っているルネの隣までやって来ると、ルネは何も言わずに床を蹴って悠飛から離れた。直後、悠飛が教室の中に入れば、起き上がった狼型のファントムオーガは悠飛を追いかけるように中に入って来た。

 さっとドア横の壁に隠れた悠飛とは違い、狼型のファントムオーガは机や椅子を巻き込んで床に倒れ込む。あとは教室から出るだけだとドアに右手をかけた。

「来い!」

 瞬間、強く右手を引かれたかと思うと入れ違いに教室に一歩足を踏み入れたルネがシュバルツクロワを突き出して、背後に迫っていた狼型のファントムオーガを再び教室の奥に押しやった。

 このチャンスを逃す手はなく、ルネがドアを閉めれば、近寄って来た慶太が持っていたホウキでつっかえ棒をしてドアを固定する。

 数秒も経たずに中から、壁にぶつかるような音が聞こえてくるが、それでもドアが開くような気配はない。

「……成功だ」

「よっしゃ! やったな、悠飛!」

「助かったぜ」

「職員室の時の事を思い出したんだ。最初に見たファントムオーガも、ドアを閉めただけで外には出て来られないみたいだったから、もしかしたらと思ってね」

 脅威を取り除く為には倒さなければならないが、倒せば影が薄くなってしまう。それを避ける為にどうすれば良いのか考えた結果だ。

 ホッと胸を撫で下ろす。

 不安が一つ消えた事で、少しだけ気持ちが軽くなったように思う。

「悠飛、避けて!」

 突如、慌てたような慶太の声が聞こえたかと思うと悠飛の腕が引っ張られ、直後、悠飛が元いた場所には大きな口を開けた、鮫のような頭をした人型のファントムオーガがいる。

 だらんと腕を垂らし、腰を屈め、牙をむき出しにしたままグルルルと威嚇するように喉を鳴らして悠飛を見ている。慶太が腕を引いてくれなければ、巨大な口から呑み込まれていたかもしれない。

「どこから出やがった。くそっ、こんな立て続けに……ホント異常だな」

「また新しいファントムオーガ……誰か、鬼師になったんだ」

「こんなとこで足止めされてる時間なんか、ねえんだよ!」

 未だ握っていたシュバルツクロワを、鮫顔のファントムオーガの胴体の横っ腹にぶつけるように水平に振り切ったのだが、シュバルツクロワは空を切った。

 ハッとして見上げれば天井に張り付いていて、悠飛はピアスに触れて再び出現させた弓を引き絞り、鮫顔のファントムオーガに向かって矢を放った。しかしすでに天井にはおらず、今度は床を泳ぐように、身を屈めたまま悠飛の方へと向かって来ていた。そのスピードは、目で捉えるのがやっとという程のもので、距離が縮まるのはほんの一瞬の出来事だった。

 だが、ぐしゃりと転ぶように床に蹲った鮫顔のファントムオーガ。

 見れば、ルネが槍投げの要領で投げ飛ばしたシュバルツクロワが左太ももに突き刺さっている。

 それでも動きが止まった時間は数秒にも満たず、すぐさま行動を再開した鮫顔のファントムオーガに悠飛は再度、矢を放った。矢は鮫顔のファントムオーガの顔の横を掠めただけで、失速させるまでには至らない。

 避ける間もなく、鮫顔のファントムオーガは悠飛の目の前で床に拳を突き立てていて、ミシミシとヒビが入り陥没した床は、そのまま大きな穴を開けた。ガクンと、体が落ちる感覚があったかと思うと、悠飛の体は床のコンクリートと共に落ちていく。咄嗟に伸ばした、悠飛の手と慶太の手が触れる事はない。

「ユウヒ!」

 ルネの声を遠く聞きながら、悠飛は下の階へと落ちていった。手を離れた弓矢がマテリアとなりコアへ戻っていく。

 そのまま足から降り立った悠飛は、足元に散らばる瓦礫にバランスを崩して少し転がったものの、落下が一階分だけだった事と転がったおかげで大した衝撃にはならなかった。上半身を起こして見上げると、開いた穴から二階が見え、顔を覗き込ませている慶太が見えた。

「悠飛、無事?!」

「うん、何とか……落ちたのが二階からで良かったよ。ケイは何ともない?」

「オレは平気。ルネが今、さっきのファントムオーガと戦ってるんだけど……」

 東階段はすぐ近くなので、二階に戻る事は出来るが、ルネ達は今、西階段の方に立っている。そして、視界に映っている二階の穴は窓側の壁から教室側の壁まで一部が崩れていて、歩いて渡るスペースはない。

「あの穴じゃ通れそうにないね。僕は、西階段から二階を目指すから、ケイとルネはそのまま柳さんの所に行って!」

「分かった!」

「ケイ、後で合流しようって、ルネに伝えてもらえるかな?」

「もちろん! 気を付けてな!」

 返事をし、慶太はすぐに顔を引っ込めてしまったので姿が見えなくなった。戦っているらしい音だけが聞こえているが、すぐに二階に戻りルネ達と合流するには西階段に行くしかない。

 だから瓦礫を避けながら、駆け足で廊下を進んで行く。玄関前に落ちた悠飛は、そのまま体育館のある方へと向かっている。慶太が、一階廊下はファントムオーガで塞がっていたと言っていたが、恐らく司のスライム状のファントムオーガだっただろうから、浄化した今は通れると踏んでいる。

 案の定、走って行けば階段が見えてきた。このまま西階段を上がればすぐに合流できると思っていた悠飛だったが、声が聞こえてきた事で、視線を階段よりも奥へと向ける。

「今の声、輝……?」

 聞き慣れた友人の声だ、間違いない。

 階段の向こうには、体育館へ続く廊下と、その奥には美術室がある。声は恐らく美術室から聞こえてきた。

 狼型のファントムオーガと鮫顔のファントムオーガ――二体のファントムオーガが出現したのだから、また別の誰かが鬼師になった事を示している。

 西階段を通り過ぎ、体育館へ続く廊下も通り過ぎ、悠飛は奥にある美術室のドアを開けた。

「っ、輝!?」

 美術室は、酷い有様だった。

 机や椅子は乱雑に散らばっていて、脚が折れている物もある。画材は破れ、石膏像は粉々に砕け、破片が散っている。

 そして輝は、祐から繰り出される蹴りを避け、藍原は腕を抑えて壁にもたれかかり呆然としている。

「何がどうしたの、これ……」

「悪いんけど、説明、してる、ヒマないんよ! っぶね!」

 ブンと回し蹴りが輝の頭上を通り過ぎ、そこから踵落としを繰り出され、咄嗟に飛び退いて避ければ祐はチッと舌打ちをする。

「何で壊れないの。うざったい」

 目が据わっている。これだけ美術室が荒れているのは、祐が暴れた結果なのだろう。

 背を向けないように、視線を逸らさないように、悠飛は教室の端を通って藍原へと近付いた。

「大丈夫ですか、先生」

「あー、まぁな。止めようとしたが、俺程度じゃ相手にならんな」

 中学・高校と空手で全国大会に出場し優勝もしている実力者なのだから、何の武術の心得もない人間に相手が務まる筈もない。護身術と柔道を少し習っただけの悠飛も、祐の相手にはならないだろう。刑事の兄から格闘術を叩き込まれている輝とて、避けるのが精一杯なのだから。

 それにしても、体育館に居た時には祐に異変など感じなかった。そして、祐は植物の名を持っていない。けれどこの異常さはやはり、鬼師化と見るべきだろうか。輝と藍原に異常が見られないのであれば、狼型か鮫顔のファントムオーガどちらかの鬼師は、祐という事になるのだから。

「輝、瀬戸内さんの動きを止められる?」

 祐の猛攻を避け続けている輝に声をかけると、輝は傍にあった机を祐の足元に転がしてバランスを崩させた。

「結構キッツいこと言うな。本気の祐の足止めとか、死にに行くようなもんなんけど」

「分かってる。数秒でいいんだ」

「……ま、のってやっけどな!」

 机に躓きバランスを崩した祐だったが、すぐに体勢を立て直すと床を蹴って輝の方に向かって跳び出した。その勢いを殺す事無く輝に向かって拳を突き出していて、輝は鋭い突きを両の掌を重ねて受け止めた。

 直後、すぐさま右足が側頭部目掛けて振り上げられ、それをガードするように左腕で受け止める。それでも躊躇う事無く冷静に足を引いた祐は再び右拳を繰り出していて、顔面に向かっていた拳を、首を傾けて避けると左手で祐の腕を掴み、引き寄せた。そして強く、祐の体を抱き締める。

「離せ。壊す、壊すんだ」

「いっくらやっても俺は壊せんよ。祐は俺んこと、大好きだかんな」

「壊す。壊したい。壊さないと」

「ウソっしょ、それ。ホントに壊したいんなら、こんな風に黙って抱かれてるわけないやん。それに、泣きもせん」

 小刻みに震えている祐の体。抱き締めているから顔は見えないけれど、それでも泣いているのだとすぐに分かる。

 だから、そう言って優しく包み込むように抱いた。力で抑える訳ではなく、ただ優しく抱きしめる。

「壊し、たくない……けど、壊さなきゃいけないんだ」

「それって祐の意思じゃないやん。ちょっとだけ待っててな。もう、大丈夫なんから」

 言い、輝は悠飛を見た。視線を受けて悠飛は頷き、左手首にかかっている星のカギを手のひらにくるようにチェーンを指にかけ、すぐ傍まで近付くと輝が抱き締めている祐の背に指で触れる。

「瀬戸内祐……破滅の鬼師」

 祐の背後に立っている悠飛には、祐の目も胸元も見る事は出来ないけれど、彼女の影が大きく揺らめいた事で鬼師として開花したのだという事を知った。

 そのまま、手のひら全体を祐の背に当てる。

「破滅の心は勇気へと還り、希望で満たされる……天昇、アスミディスケ」

 言葉を紡ぐと、左手のカギについているコアから黄色い光の粒子――ホープマテリアが溢れ出し、祐の体を包み込んだ。閉じられた祐の目から紅の光の粒子が出てくると、体を包み込んでいるホープマテリアへ溶けていく。そして空気に溶けるようにホープマテリアは消えていった。

 もう大丈夫だと悠飛は手を離して数歩後退し、距離を置く。

「祐……平気?」

「……輝……」

 抱いていた体を少しだけ離すと、即座に祐の膝蹴りが輝の腹部にヒットした。

「いっ!」

 衝撃に、祐の手を離して腹を抱えると輝はその場にしゃがみ込んだ。

 突然の祐の行動に、まさか浄化が失敗したのかと思って見ていれば、祐は痛みに悶えている輝を見下ろす。

「誰が誰のこと大好きだって? 調子に乗るんじゃないよ」

「いやぁ、だって、図星っしょ」

 腹を抱えたまま輝は、にへらっと笑い、瞬間、物凄い形相で輝を睨み付けた祐はボキボキと指を鳴らし始めた。

「このまま正拳突きしたら頭割れるか試しても、文句なんかないでしょ」

「わ、ごめん、何でそんなマジギレ、ちょぉ勘弁!」

「恨むならアタシに喧嘩を売った自分を恨むんだね」

「いや、そんなん言っても事実やん、俺んこと大好きやん!」

「煩い! そんなに地獄に落ちたいって言うんだったら、今ここで息の根止めてあげるよ!」

 逃げる輝と追いかける祐。

 先程までとは雰囲気がまるで違うのだが、やっている事は変わらず祐の猛攻を輝が避けるというもので、藍原の許まで戻った悠飛に藍原が声をかけてくる。

「立花、あれは良いのか?」

「まあ、中学の頃からあんな感じなので、放っといても平気かと」

 仲が良い証拠だと言うものの何だか納得していない様子の藍原だったが、祐もあれで本気ではない事が窺えるので良しとしたようだった。

「ところで、先生。ずっと輝達と一緒だったんですか?」

「いや、はぐれた後はここで隠れてたんだが、少し経って近江達が来てな。それから暫くして、瀬戸内の様子がおかしくなったんだ」

「そうですか……鬼師化、悪魔に憑りつかれる人は名前に植物が入ってる人だけだったんですが……どうして瀬戸内さんが……」

 鬼師になる者は一様に名前のどこかに植物が入っており、影響を与えているのが悠飛だという事も間違いはない。慶太の一件から見てもそうだ。

 だとすると、他にも理由があるのだろうか。まだ、見落としている何かがあるのだろうか。

 そうして思案していると、祐の拳を受け止めた輝がこちらに声を投げかけてきた。

「植物なら、祐の名前にも入ってるやん」

「え?」

「瀬戸内の瀬の字。分解したら真ん中に、木って入ってるやん。それって違うん?」

 そうだ。何も漢字の意味だけに限定する必要はない。漢字を構成する文字の中に入っているだけで影響が出たとしても、おかしくはないのだ。

 だとするならば、候補者はまだ増える。

 他の者の名を頭に浮かべ、悠飛はハッと息を呑んだ。

「……先生……教えてほしい事があります」

「ん? 何だぁ?」

 問いかけてくる藍原に、悠飛は率直に訊きたい事を伝えた。

 短く、簡潔に。

 すると藍原は眉を顰め、何を言っているのかというような怪訝な顔になる。

「誰の事を言ってるんだぁ? それに、今日は朝から居なかっただろう」

 その言葉は衝撃を与えると共に、悠飛に答えをも与えてくれていた。


 美術室を後にした悠飛は西階段を駆け上がっている。目指すべき場所へと向かう為に。

 二階へ続く階段の中腹で、悠飛は窓の外にその姿を見止めた。相変わらず雨風が叩きつけてくる窓から見える屋上に立っている、その人物の姿を。

 急がなくてはと更に上って行けば、突如スマートフォンが着信を知らせて鳴り響き、ポケットから取り出して耳にあてる。

「ケイ、どうしたの?」

『悠飛、今どこ? 伝えたいことあって』

「西階段を上がってるよ。今、二階を過ぎた所」

『そうなんだ。実はさ……』

 足を止め、慶太の言葉に耳を傾ける。

 紡がれる言葉はスゥッと頭の中に入っていき、一つの答えを導き出す。それはまるで、悠飛の考えを肯定するかのように。

 聞き終えて、悠飛は一つ息をついた。

「ありがとう、ケイ。全部繋がったよ。ルネに、屋上で会おうって伝えてくれるかな。もう、待ってるみたいだから」

 承諾する慶太の言葉を聞いて通話を切ると、再度、階段を駆け上がっていく。

 これまで聞いた話と、今日まで見てきた姿を思い出す。そんな風には全く見えなかったのに、どうして――。

 その答えは、会ってみなければ知り得ない。

 屋上へは、東階段からでなくては向かえない。四階まで駆け上がり、廊下を駆け抜け、そして屋上へ続く階段を上ろうとした時、階下から上がってくるルネと慶太の姿を見止めて足を止めた。

「間に合ったみてえだな」

「うん。良いタイミングだよ」

「じゃあオレ、みんなのこと集めて教室にいるね」

 言って今し方、上って来た階段を降り始めた慶太に、悠飛は声を投げかける。

「ケイ、いいの?」

「言っただろ、オレは普通だって。だから、普通のオレにできることをするよ。悠飛もルネも気を付けてな。そんで、終わったらみんなで打ち上げしような!」

 ニカッと太陽のような笑みを浮かべ、慶太は階段を駆け下りて行った。打ち上げなど、まるで文化祭後のようではないか。

 けれどおかげで、緊張が解れたように思う。

 それはルネも同じだったのか、ルネと顔を見合わせて笑い合った。

「そんじゃ、行こうぜ」

「うん。終わらせよう」

 一階分の階段を一気に駆け上がり、普段はカギのかかっている屋上へ続くドアのノブを回してみると簡単に回り、ドアを開けて外に出た。


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