四 隣に
何度かファントムオーガと遭遇したが、蠢いているだけのスライム状のファントムオーガのみだったので大事には至らず、何とか食料と飲料水を持ち帰る事が出来た。購買に置いてあった大きな紙袋に適当に詰めてきたので、三食分くらいはありそうだ。
昼食も摂らず、ひまりがカバンの中に入れいていたお菓子を少量食べただけで、疲労はピークに近い上に全速力で走ったのだからエネルギーは殆ど残っていない。
育ち盛りの高校生達は、持ち帰ったパンやおにぎりを貪るように食べ始めた。
「ふーん。ここじゃ、こんな食いもんがあんだな」
まじまじと、慶太が適当に置いて行った個包装されたおにぎりを手に取り見ているルネに、オレンジジュースとお茶のペットボトルを手にした悠飛は近付いた。
「ルネは、日本は初めてなの?」
「ああ、そうだな。こっちの世界は広くてな、あんま機会がなかったんだ。前んとこは、イタリアっつったかな。あとは、ナミビア、サンマリノ、フィジー」
「本当にいろんな国に行ってるんだね。はい、これ」
左手に持っていた緑茶のペットボトルを差し出せばルネはすぐに手に取ったのだが、またしても見慣れないと言うように底を見たり中を覗いて見たり、興味深げに緑茶を見ている。
「ルネが右手に持ってるのはおにぎりで、左手に持ってるのが緑茶だよ。おにぎりを食べるならお茶の方が良いと思って」
「そうなのか。茶ってーと、紅茶みたいなもんか?」
「うーん、似てるけど少し違うかな。同じ茶葉から作ってはいるけど、味は別物だし」
「……水以外はよく分かんねえ」
「そうだね。食べる物によって飲み物も変わるって感じだよ」
ルネの暮らす世界では、主な飲み物は水なのだろう。小説にそこまで詳しく書かれている訳ではないが、ジュースが存在しているような世界ではなかったように思う。味のついたものを飲む機会などまるでなく、まだ地球でも殆ど水以外は口にしていないという事か。
「おにぎりもいろいろあるよ。梅、鮭、ツナマヨ。ルネはどういう食べ物が好きなの?」
「そうだな……腹に溜まるもんか、肉だな」
「お肉ね……ちょっと待ってて」
今、ルネが手にしているのは梅のおにぎりだ。肉が好きだという事と日本が初めてという事で、絶対に他の物の方が良いと思い、ステージ上に広げられている袋の方へ向かった。そしておにぎりの山の中から目当ての物を見つけ出すと二つ手に取り、ルネの許へ戻る。
「こっちが牛カルビで、こっちがからあげマヨ。どっちもガッツリ系で美味しいよ」
そう言って差し出せば、パッケージの写真を見たルネはキラキラと目を輝かせ、ごくりと生唾を呑んだ。
手渡し、袋の開け方を教えてあげると細かい作業にイライラした様子だったが、何とか開ける事ができ、一口頬張り味を確認するようにゆっくり咀嚼している。
「どう?」
「うめえな! こんなの初めてだ。エルグランドの料理はもっと味気ねえし、オレはこういう方が好きだ」
言い、バクバクと豪快に食べ進めていく。気に入ってくれたようで良かったと、おにぎり一個を軽く完食し二個目に入ったルネの隣で、悠飛はツナマヨのおにぎりにパクついた。
おにぎり三つをぺろりとたいらげ、初めて飲んだ緑茶も美味いと一気に飲み干すルネに、本当に豪快だと悠飛は笑った。
それから体育館を見回せば、食事が出来、喉を潤す事が出来たからなのか、雰囲気が先程よりもずっと明るくなっている。
時刻は間もなく九時になる。今頃、各家庭で親は、帰りの遅い我が子を心配しているのだろうと思う。まだ高校生なのだ。独り暮らしならいざ知らず、夜九時に連絡も入れずに遊び歩く事などない。特に今日は外が嵐になっているのだから、安否が確認できなければ気が気ではない筈だ。
早く帰る為にするべきは、原因となっているファントムオーガを見つけて浄化する事。
今、この場に居る者の中に、教師を殺したいほど憎んでいる者がいるのだ。
立ち上がると悠飛は、体育館手前の方の床に座って談笑している可純とひまりに近付いた。
「柳さん、水沢さん」
「……悠飛くん」
声をかければ二人は悠飛を見上げる。疲労の色は見えるけれど、先程より顔色は良い。
そう思いながら、傍にしゃがみ込む。
「どう、少しは食べられた?」
「うん! 食べないと元気出ないもん!」
「そうですね。あまり気は進みませんでしたが、食べたらやはり違いました」
「そう、良かった」
少しでも良い。食べる事が出来れば気分も違うから。時間が経てば、それだけ心も体も消耗する。体力がなくなれば気力もなくなり、それだけファントムオーガになる危険性が増す事になる。
一人でも多く、負に呑み込まれるのを抑えたい。
「何か変わった事とかもない?」
突然の質問に少しばかり不思議そうなひまりと可純だったが、すぐにひまりが首を横に振る。
「わたしは平気だよ。こんなこと言うと変かもしれないけど、柳さんとお友達になれて、こんなことに巻き込まれても悪いことだけじゃなかったの」
今まで話す機会がなかったから、と言うひまり。二年に進級して今のクラスになってからまだ二ヶ月。二年生にもなるとすでに友達が出来ていて、行事などがないと他の生徒と話をする事はあまりない。
悠飛とて、ひまりや可純とこうして話すのは初めてとなる。
「そうですね。私も、他の人と話すのは初めてかも知れないです。いつも、特定の子としか居なくて。他の人の所に行きたくてもその子を放っておく事もできないので、確かに良い機会でした」
それは恐らく、沙耶花の事だろう。彼女達は朝から放課後まで、休み時間でさえ離れている姿を見る事がない。沙耶花が可純に寄っていく事が多かったが、可純も沙耶花を放っておけないといった様子だった。
互いに互いを必要としているかのように。
とにかく今は休息を取らないとねと言い、話してくれたひまりと可純から離れる。今のところ、二人に異常は見られないから。
先程と変わらずにステージ脇の階段近くに居る菜々の方を見ると、甘い菓子パンを食べているのが見受けられ、その隣で北城がサンドウィッチを頬張っている。
そちらの方へ向かい、隣同士に座りながら食事を摂っている彼女らの傍にしゃがんだ。
「北城先生、食べられたみたいで良かったです」
「ええ、まあ。私も藍原先生も、職員室の中とか見ていないから。あの化物くらいだったら映画みたいなものでしょう。映画観て、ご飯が食べられないなんてないもの」
同様の事を生徒達も思っているだろうが、ここまで平然と言いのけられるものだろうか。楽観的なのか天然なのか、どちらにせよ、あまり深く考えてはいないようだ。
黙々と菓子パンを食べ続けている菜々を余所に、食べ終わったらしい北城に誘われたので悠飛はその場から少し離れる事にした。体育館右側の壁の方まで行くと隣に立ち、ルネよりも少し高いだけの身長の北城を見下ろした。
「僕に、何か用でもありましたか?」
「え? どうして?」
「何か、話したいように見えたから。違っていたらすみません」
そう言って苦笑を浮かべると、北城は両の手のひらで自身の頬を覆う。
「そんなに、分かり易い顔してたかしら。やだ、もう、恥ずかしい……」
北城は教育実習生としてこの学校にやって来て、これまで三週間ほど見てきたが、その言動の端々が可愛らしい人だと思った。少しドジで、おっちょこちょいで、それでも笑顔で明るく頑張っていて、見ていると幸せな気分になる人。
「でもそうね、一度、ちゃんとお話してみたいと思っていたのよ……私ね、子どもが好きなの。だから教師を目指したのよ」
「じゃあ、小学校の教師志望ですか?」
「ううん。志望は高校なの。私、高校教師になりたいの」
「でも高校生だと、子どもというほど子どもじゃないですよ?」
子どもが好きで教師を目指すと言うのであれば、やはり小学校の教師が一番ではないだろうか。そう思って言葉にしてみたのだが、北城は首を横に振った。
「私がこの道を目指そうと思ったきっかけが、高校の時だったの。高校生って、将来の事がぐっと近くなるでしょう? 悩む事も多いもの。だから、寄り添ってあげたくって」
高校二年生の今、悠飛にも将来の事は嫌でもついて回る。
大学に行くのか専門学校に行くのか、そのどちらにも行かず就職するのか、アルバイトをしながら夢を追いかけるのか、働かずに過ごすのか――それらの選択を迫られる時期だ。
大学に行くなら勉強に専念しなければならず、就職するにもそれなりの準備が必要となる。
高校二年からでは遅いという人も居るくらい、とても重要な時期。この先の人生を大きく左右する選択の時。
「話を聞いてあげるだけでも違うと思うから、一人一人に親身になって接してあげたいの」
微笑を浮かべる北城。その顔は、とても輝いて見える。それはまるで将来の夢を語る少女のようで、宝物を見つけた子どものようで、キラキラとしたその笑顔は本当に素敵で、悠飛は思わず感じた事を口に出していた。
「素敵ですね。北城先生に、とても合ってます」
瞬間、北城が弾かれるように悠飛を見上げてくる。
「……本当に? 本当にそう思う?」
「ええ、本当にそう思います。北城先生、まだ二週間しか経ってないのに生徒の名前は絶対に間違えないですよね。それって、凄い事だと思うんです。努力してるんだなって、思います」
笑いかければ、北城もとても嬉しそうな顔をして笑った。
その満面の笑みは思わず引き込まれそうな程にキラキラと輝いていて、見ているだけで心がぽかぽかと温かくなるようだ。
「ありがとう、何だか元気出てきちゃった。こうして私の夢を応援してくれるの、藍原先生以外では初めて。本当にありがとう、悠飛くん。私、他の子の所にも行ってみるわね」
そう言って手を振り、北城は悠飛から離れてひまりと可純の方へ向かって駆けていく。北城の後ろ姿を見ながら悠飛は今一度、笑みを浮かべた。本当に真っ直ぐで生徒想いな人だ、と。
それから悠飛は再度、体育館の中を見やる。
慶太、輝、司、祐の四人はステージ上で和気あいあいとしていて、そこも問題はないように思う。
そして悠飛は、中央付近に置いたパイプ椅子に座っている実紅と、足の様子を診ている彰斗、その様子を静観している藍原の方へ向かった。
「彰斗。芦名さん、どうかしたの?」
「視聴覚室から歩かせてしまっただろう。傷が開いて血が溢れていてな……購買に行くついでに保健室から道具を持って来られたから、再度応急処置をしていた」
脹脛ともなれば、足に力を込めただけで傷が開いてしまう。その為、玄関から教室、教室から視聴覚室に行く際には誰かが彼女をおぶり、なるべく安静にさせていたのだ。けれども警戒しながら廊下を歩く際に戦える彰斗の手を塞ぐ事も、最後尾にいた藍原に託す事も出来ずに、仕方なしに歩かせていたのだが、結果として傷は開いてしまった事になる。
真っ赤に染まったガーゼが床に沢山置かれており、普段は勝気で負けん気が強く涙など見せない実紅が、痛みからか涙目になっている。
「縫合するまでとはいかないが、傷が閉じるまで絶対安静が良いだろうな。ここから動かずにいられれば良いが」
「大丈夫だ。もし移動する事があっても、俺がおぶってやろう!」
ドンと、任せとけとでも言うかのように胸を叩いた藍原。
しかし、実紅は眉間に皺を寄せた。
「えー、先生はヤだよ。心配しかないし」
「芦名、お前な。ヒトが折角気を利かせたのに、その言い草はないだろう」
「だってビックリして落とされそうだし」
「ああ、それは困るな。先生の手は借りない方向でいくしかあるまい」
「黒田……お前まで」
がっくりと項垂れてしまった藍原に、悠飛は苦笑を浮かべる。
フォローの言葉が出てこない。ここまで信用されていないと可哀想に思えてくるが、それでも雷や風の音にビクビクしている藍原の姿を見ているからか、実紅や彰斗の方が正論に思えてしまう。
食い下がらない藍原を彰斗が冷静に宥めていて、そんな光景を見ていると不意に、ぼそりと実紅の口から言葉が漏れた。
「ホント、しっかりしてくれないとあの子の事、思い出して嫌になる……」
突然の言葉。
何かが、彼女の中で変わったような気がした。
「芦名さん?」
名を呼び、更に声をかけようとしたけれど、すぐに別の声が実紅の名を呼んだ。
「実紅ちゃん、だいじょうぶ?」
近寄ってきたのは、可純と談笑をしていた筈のひまりで、心配そうに実紅の事を見ている。そう言えば、実紅とひまりもいつも一緒に居たように思う。今日も慶太と司と、共に遊んでいたと言っていた。
彰斗が治療をしているのを見て心配になったのだろう。
「……何が」
「え? そのケガだよぉ。また、痛くなっちゃったのかなぁって」
「何それ……憐み?」
実紅の声音は、明らかにおかしい。感情の起伏がなく、低音で、何の感情も抱いていないかのよう、否、まるで自嘲しているかのよう。
不安気なひまり。俯いている実紅。
「さっきまで柳さんと楽しそうにお喋りしてたじゃん。ウチの事なんか放っといて、あっちでずっと喋ってればいいじゃん」
「でも、でもお友達だもん、痛かったら心配になるよ」
「心配? アンタが? アンタみたいに、ドジで、鈍間で、何にもできないような子がウチの事を心配? ふざけないでよ!」
勢いよく立ち上がったせいで、パイプ椅子が音を立てて床に倒れた。
大きな音が体育館内に響き渡り、全員の視線が実紅に向く。
足に相当な力が込められているのだろう。つい今し方、応急処置を施してもらったばかりだというのに、実紅の脚の傷から血が溢れ包帯が赤く染まっていく。
「どうしちゃったの、実紅ちゃん。動いちゃダメだよ。血が……」
「アンタのせいよ。全部、全部アンタのせい。ウザいのよ、いつもいつもヘラヘラして、笑ってりゃ許されるとでも思ってんの? ウチがいなきゃ何にもできない癖に! アンタなんかいなけりゃ良かったのに! 消えろ! ウチの前から消えろ!!」
有りっ丈の怒声で罵声を浴びせかける実紅。あまりの変貌ぶりに呆然としているひまり。
これはもう、間違えようがなかった。実紅の影が大きく膨れ上がったのを見て、悠飛は咄嗟に床を蹴った。
「水沢さん!」
小さな体を抱き締めて跳ぶと、その勢いで床を滑った。
顔を上げ、今し方ひまりが立っていた所を見ると、床が大きく陥没していた。そしてそこには、まるで巨大な熊のような屈強な体をした、ハンマーのような右手を持った三メートルほどはある漆黒の影が立っている。これまで見た、どのファントムオーガとも違う、実紅が生み出したファントムオーガ。
実紅の傍に居た彰斗と藍原も、突然の奇行とファントムオーガの出現に実紅から距離を置いていて、ルネはすぐさま出現させたシュバルツクロワを手にし、ファントムオーガと対峙している。
悠飛がひまりを助けていなければ、ひまりは今頃、あのハンマーに潰されていた。
直前の出来事から、ひまりに矛先が向けられると推測して跳び出した。腕の中のひまりは焦点の合わない目で呆然としていて、彼女の心も危ぶまれる。
「悠飛、無事か」
すぐさま駆け寄って来た輝に体を起こすのを手伝ってもらい、床に座り込んだ。慶太と祐も傍まで来ている。
「僕は平気。でも、水沢さんが……」
「途中からしか聞こえなかったけど、友達にあんなこと言われたらショックだよ。でも大丈夫、ひまりのことは任せて」
慶太はそう言うと、悠飛からひまりを預かり立ち上がらせた。
「ケイ、よろしくね。輝と瀬戸内さんには、他のみんなを任せてもいいかな」
「当然っしょ!」
「しくじるんじゃないよ」
頼もしい言葉を受けて悠飛も立ち上がると、熊型のファントムオーガとすでに戦闘を開始しているルネを見る。直後、ハンマーに押されて体育館左側の壁の方へルネは放り投げられていて、彰斗にステージの方へ行くよう伝えると悠飛は、投げられ壁にぶつかったルネの方へ駆けて行く。
「ルネ!」
壁から床に落ち、床に座り込んでいるルネ。
「あー、やっべ。オレ、スピード系には強えけど、パワー系は苦手なんだよな」
言いながら、口元に笑みを浮かべるルネ。その表情は、どこか余裕がないように見える。
その言葉に、悠飛は目を閉じて微笑を浮かべた。
「何だかんだ言っても、ルネも女の子なんだね」
「あ? それ、ケンカ売ってんのか?」
「違うよ。今の言葉、ちょっと嬉しくて」
「嬉しい? 何で」
「ルネは一人で何とかするって言ったでしょ。僕達には頼らずに。でも今、ルネは弱音を吐いた。それって、僕が手伝っても良いって事だよね」
藍原に、巻き込むつもりはなかったから一人でどうにかすると言っていたルネ。けれど今、ルネは確かに悠飛に、パワー系の相手は苦手だと言った。ルネの性格であれば、一人でやると決めたのならば言い訳せずにやり切るだろう。弱音を吐くなど考えられない。
だから悠飛は、ルネが悠飛に助けを求めているのだと解釈した。手助けをしてほしいと、そう聞こえたから。
そんな悠飛に対して不満気に口を尖らせていたルネだったが、はあっと大きく溜め息に似た息をつく。
「しゃあねえな。そんなに手伝いてえんなら、手伝ってもらおうじゃねえか」
「そう言ってくれるの、待ってたよ」
前に立って手を差し出せばルネは素直に掴んでくれて、力強く引っ張り上げた。目と目が合い、互いに笑い合い、振り向くと熊型のファントムオーガを見据える。
「解放はできんのか?」
「やり方とかコツがあるなら教えてほしいかな」
「時間がねえからな。簡単にしか言わねえぞ」
そう言い、話し始めた説明は本当に簡単なもので、聞いた直後、ルネはすぐさま床を蹴って跳び出した。彰斗・輝・祐が皆の方へファントムオーガが来ないよう牽制していた為に、まだ誰も襲われてはいない。
戦うルネの背を見つめながら、先程のルネの言葉を思い出す。
『コアの武器解放に必要なのは、イメージだ。その武器でどうしたいのかをイメージしろ。コアはそれに応える』
イメージ。それは、体内を巡るマテリアが形を成す為に必要不可欠なもの。
『一人にコアは一つ、コアが作れる武器もまた一つ。シュバルツクロワとブランシュクロワは対になってて二つで一つだから、ああして分かれてるだけだ。どっちも十字架だしな。おめえのコアは三つ。考えろ』
目を閉じ、左手で右耳につけているピアスに触れる。
負から、強い光から解放したい。負に呑み込まれそうな友を。光の強さに負けてしまいそうな友を。その為の力。傷つけるだけではない力が欲しい。
想いに応えるかのようにピアスについているコアが光を放ち、三色の光が形を成していく。
目を開いて見ると目の前に浮いているのは、中央に紅い宝石が埋め込まれている炎を模した弓と、矢羽の部分が太陽を模していて鏃に藍色の宝石が埋め込まれた矢。そして、中央に黄色い宝石が嵌めこまれ星が鏤められている懐中時計型の、アンティーク調のカギだった。短いチェーンのついているカギを左手首にかけ、左手で弓を掴み、右手で矢を持った。
これが、悠飛の意志の形。強すぎる光から友を護る為の力。
「これで僕も戦える」
弓を扱う事など初めてだったが、それでも不安はなかった。ただの弓ではなく、悠飛の意思とマテリアから生み出された弓はまるで自分の体の一部のようで、どう扱えばいいのかは考えなくても分かる。
扱えないなど、微塵も感じない。
真っ直ぐに、ルネと戦いハンマーを振り回している熊型のファントムオーガを見据え、弓矢を構えて矢を引き絞る。ただ一点に狙いを定め。
「ルネ、離れて!」
悠飛の声に反応してルネがファントムオーガを蹴って跳び上がったのを見た直後、矢を放った。弾かれた矢はスピードを上げ、先端から炎を纏い、一直線にファントムオーガへ向かっていくとハンマーとなっている右手を貫いた。矢が貫通したところが途端に燃え上がり、ハンマーの腕がぼとりと床に落ちる。
「いい狙いだ! 感謝するぜ、ユウヒ!」
空中で瞬時にシュバルツクロワをマテリアへ変換させて腰のカーネリアンコアへ戻し、左耳のピアスに触れればスピナーであるデュオンヘリオスが出現した。スピナーを回転させ、軽い音を立てて実紅の前に降り立つルネは、デュオンヘリオスをつけていない左手で、沸々と怒りを湧き上がらせ立ち尽くしている実紅の肩に触れた。
「芦名実紅。憤怒の鬼師」
瞬間、実紅の影が大きく揺らめくと実紅の胸にくすんだ黄緑色の薔薇が咲き、目は宝石のジェダイトのようになる。鬼師が姿を現した。腕が燃え上がり悶え苦しんでいるファントムオーガは動けずにいる。チャンスは、今しかない。
右手を振り上げれば、回転した刃が左胸に咲いた黄緑色の薔薇の花に、デュオンヘリオスをつけた右手で覆うように触れた。艶やかな黄緑色の薔薇の花は、実紅の憤怒。
呆然と立ち尽くす実紅の顔には、先程までの怒りはない。
「憤怒は優しさへと還り、信頼となる……天昇! ロー・アクィラェ!」
デュオンヘリオスの刃が回転すると中央のエメラルドコアからフェーデマテリアが溢れ出し、実紅の体を包み込んだ。
暖かく柔らかな光に包み込まれた実紅の、宝石のような目から黄緑色の光の粒子が出てきてフェーデマテリアに溶けていく。そして熊型のファントムオーガも黄緑色の光の粒子に変わり、実紅の影の中に入っていった。
その場に立ち尽くしている実紅。
危険がなくなったと判断したのだろうか。実紅を見ていた、ステージ上で慶太の腕の中に居たひまりが、ハッとしたように駆け出すとステージから飛び降り、着地に失敗して転んでも構う事無く走り出すと実紅に駆け寄った。
「実紅ちゃん!」
突然のひまりの行動に慌てて慶太が後を追い、弓矢をマテリアへ変換した悠飛も近付いた。
息を切らし、実紅の前に立つひまりを、実紅は呆然と見ている。
「ひまり……ごめんね」
感情を宿していないような目で、実紅はぽつりとそう言った。
下唇を噛み、ぎゅっとスカートを掴み、ひまりは声を振り絞る。
「ホントだよ……実紅ちゃん、酷いよ」
「……ひまり……」
「でも、もっと酷いのはわたしだもん。わたし、実紅ちゃんに甘えてたの。失敗しても実紅ちゃんが何とかしてくれる、遅れても実紅ちゃんは待っててくれるって、ずっと甘えてた。だから、ごめんなさい!」
思いきり頭を下げ、そして頭を上げたひまりの目には涙が溜まっている。
「わたし、実紅ちゃんのこと頼らなくても大丈夫なように頑張るから、もう迷惑かけないように頑張るから、お友達でいたい! 実紅ちゃんと一緒にいたいの! 嫌なことあったら何でも言ってほしいの。だって、それがお友達でしょ?」
そう言って、彼女は笑った。
向日葵のように、明るく笑った。
その笑顔は眩しくて、愛おしくて、実紅は目を細めて微笑を浮かべる。
「そうだね。ウチも、ひまりと一緒にいたい。イライラして当たり散らしたのに、友達だって言ってくれて、ありがと」
「えへへ。初めてお礼、言われちゃった」
楽しそうに、幸せそうに笑い合う実紅とひまり。先程までの険悪さは微塵も感じない、ほのぼのとした空気。
そこで漸く、ルネもデュオンヘリオスをマテリアに変換した。
一段落したのだと、そう誰もが感じていた。
けれども一人の生徒が、悠飛の横を通り過ぎた。
「くだらねえ。全部、どうでもいい」
ぼやくような呟きにその人物を見れば、彼は真っ直ぐに体育館の扉の方へ向かって歩いている。慌てて後を追いかけ、その腕を掴んで引き止める。
「待って。どこ行くの、司?」
それは、白藤司。
腕を掴まれ止められた事で振り返ったその目は、死んだ魚のように光の宿っていないものだった。
「司……」
「邪魔すんなよ、悠飛。全部、終わらせるんだ。お前以外、全部」
途端に、悠飛が掴んでいた筈の左手で首元のシャツを掴まれたかと思うと、司が再び歩き始めてしまった為に引き摺られるように歩かされる。シャツを掴んでいる司の手を外そうとしても、万力で締められているようにピクリとも動かない。
「司、待って、司!」
焦るような悠飛の声に、司の様子がおかしい事にルネと輝が気付き、急いで二人を追った。
「おい、どこ行こうってんだよ」
「どうしたん、司。悠飛、嫌がってるやん」
冷静なルネと輝の言葉だが、ルネは経験から、輝は先程の実紅の様子から司の身に起こっている事を悟っていた。
振り返った司の表情で、それは核心に変わる。
何の感情も宿していないその表情は、鬼師となった実紅と同じ。心が空っぽになってしまったかのような、そんな表情のない顔。
「くだらないんだよ、全部。何もかもがくだらない。何でも言い合えるのが友達? そんなもんまやかしだろ。怖いとか不安とか護るとか友達とか、全部くだらねえんだよ。生きる事も、くだらねえ」
「何、言ってるん……」
一歩、輝が距離を詰めようとした瞬間、司は左手で悠飛が着ているシャツの襟の両側を掴み、悠飛を持ち上げてその首を締め上げる。
「っ!」
途端に息が出来なくなり、顔を歪める悠飛。左手一本で悠飛を軽々と持ち上げている司。
「ちょぉ、何して、そんなんしたら悠飛死ぬって!」
「白藤、やめるんだ!」
教師として止めなければならないと駆け寄って来た藍原も、司を宥めようと声を荒げている。
しかしそれでも、司の表情が変わる事はない。
「だからどうした」
「どうしたって……」
「もう、何も感じない。何だっていいんだ、どうなったって変わんない。全部、黒いんだ。でも悠飛がいれば明るいんだよ。生きてる価値がある人間なんて、悠飛だけだ。だから悠飛以外、全部どうでもいい」
何を言っているのだろうか。支離滅裂だ。全てどうでもいいのに悠飛だけ居れば良いと口にし、その悠飛を今正に司が殺そうとしている。言葉も行動も、全てが矛盾している。まるで頭と体が別物であるかのように、思考と言葉と行動が連動していないかのように。
チッと、ルネが舌打ちをする。
「死にてえんなら、てめえ一人で死にやがれ。そいつは関係ねえだろ」
ルネの言葉に、司は首を捻った。
まるで、ルネの言葉が理解できないと言うかのように。
すぐに司は興味を失くしたかのように踵を返すと、ボーっとした様子のまま扉の前に立ち、悠飛のズボンのポケットを探ってカギを取り出した。
「やめろ!」
ルネの制止の声に振り返る事無く、苦しみにもがき足をバタつかせている悠飛に構う事無く、体育館の扉を開け放った。
途端に、重苦しく冷たい空気が体育館の中に吹き込んだ。体育館の外ではスライム状のファントムオーガが廊下を埋めつくして蠢いている。
不意に、パッと司が手を放した事で悠飛は重力に従って床に落ちた。力無く倒れ込むと貪るように息をし、咳き込んでいる。
「悠飛!」
酸素が足りずにボーっとする頭。けれども聞こえてきた親友の声に、悠飛は顔を上げて輝の方を見る。
心配そうな青褪めた顔の輝。その隣に立っているルネはシュバルツクロワを出現させている。背後から流れてくる空気に、悠飛は扉が開いてしまった事を知った。扉を閉じなければ……体を起こそうと腕に力を込めた瞬間、下から腹を強く蹴り上げられた。
「かはっ」
勢いに床を滑り、ぐったりとして床に倒れ込む悠飛。
「立花!」
「司、お前!」
今すぐにでも悠飛に駆け寄りたかったが、先程のように悠飛の首を絞められれば、抵抗する力のない今、本当に命を落としかねない。
それを見越しての行動か、司は黙って悠飛に近付くと悠飛の体を自分の肩に担いだ。まるで抵抗する事のない悠飛は気を失っているのだろう。
「お前、悠飛をどうするつもりなんよ。一体、何がしたいん?!」
「何も。真っ黒なんだ。ただ、真っ黒なんだ。俺は、何がしたいんだ……」
ぶつぶつと何かを呟きながら司は体育館を出、そのまま蠢くスライム状のファントムオーガの方へ向かって行ったが、ファントムオーガは司を避けるかのように道を開けていて、司が通り過ぎると廊下を埋め尽くしてしまった為に司と悠飛の姿はすぐに見えなくなった。
唖然と呆然が入り混じる輝達の横で、ルネは苛立ちをぶつけるようにダンッと強く床を踏みつける。
「やってくれるぜ。あれがあいつのファントムオーガっつーんなら納得だ」
「……そういう事ね、何となく理解した。けどルネ、これからどうするん?」
「今のオレは腸煮えくり返っててよ、手加減する余裕なんざねえんだよ。悪いがあのガキ、命救うだけで手一杯だぜ」
「詳しい事は分からんけど、悠飛が最優先でいいんじゃね? 俺らも自分らの身は自分らで何とかするわ」
「話早くて助かるぜ。さっき、結界ん中にファントムオーガが出たせいでここの結界は機能しなくなった。ヤバくなったら、オレかユウヒを捜せ。それかバラけて隠れてろ。喰われねえようにだけ気ぃつけろよ」
「りょーかい」
もぞもぞと蠢き続けていたファントムオーガは体育館の扉までずるずるとその体を引き摺りやって来て、そして体育館の中に数ミリかかったところで、水が押し寄せるように一気に体育館の中になだれ込んできた。
「ったく、うぜえんだよ! てめえらの相手なんざしてるヒマねえんだ! 失せろ!」 何度かファントムオーガと遭遇したが、蠢いているだけのスライム状のファントムオーガのみだったので大事には至らず、何とか食料と飲料水を持ち帰る事が出来た。購買に置いてあった大きな紙袋に適当に詰めてきたので、三食分くらいはありそうだ。
昼食も摂らず、ひまりがカバンの中に入れいていたお菓子を少量食べただけで、疲労はピークに近い上に全速力で走ったのだからエネルギーは殆ど残っていない。
育ち盛りの高校生達は、持ち帰ったパンやおにぎりを貪るように食べ始めた。
「ふーん。ここじゃ、こんな食いもんがあんだな」
まじまじと、慶太が適当に置いて行った個包装されたおにぎりを手に取り見ているルネに、オレンジジュースとお茶のペットボトルを手にした悠飛は近付いた。
「ルネは、日本は初めてなの?」
「ああ、そうだな。こっちの世界は広くてな、あんま機会がなかったんだ。前んとこは、イタリアっつったかな。あとは、ナミビア、サンマリノ、フィジー」
「本当にいろんな国に行ってるんだね。はい、これ」
左手に持っていた緑茶のペットボトルを差し出せばルネはすぐに手に取ったのだが、またしても見慣れないと言うように底を見たり中を覗いて見たり、興味深げに緑茶を見ている。
「ルネが右手に持ってるのはおにぎりで、左手に持ってるのが緑茶だよ。おにぎりを食べるならお茶の方が良いと思って」
「そうなのか。茶ってーと、紅茶みたいなもんか?」
「うーん、似てるけど少し違うかな。同じ茶葉から作ってはいるけど、味は別物だし」
「……水以外はよく分かんねえ」
「そうだね。食べる物によって飲み物も変わるって感じだよ」
ルネの暮らす世界では、主な飲み物は水なのだろう。小説にそこまで詳しく書かれている訳ではないが、ジュースが存在しているような世界ではなかったように思う。味のついたものを飲む機会などまるでなく、まだ地球でも殆ど水以外は口にしていないという事か。
「おにぎりもいろいろあるよ。梅、鮭、ツナマヨ。ルネはどういう食べ物が好きなの?」
「そうだな……腹に溜まるもんか、肉だな」
「お肉ね……ちょっと待ってて」
今、ルネが手にしているのは梅のおにぎりだ。肉が好きだという事と日本が初めてという事で、絶対に他の物の方が良いと思い、ステージ上に広げられている袋の方へ向かった。そしておにぎりの山の中から目当ての物を見つけ出すと二つ手に取り、ルネの許へ戻る。
「こっちが牛カルビで、こっちがからあげマヨ。どっちもガッツリ系で美味しいよ」
そう言って差し出せば、パッケージの写真を見たルネはキラキラと目を輝かせ、ごくりと生唾を呑んだ。
手渡し、袋の開け方を教えてあげると細かい作業にイライラした様子だったが、何とか開ける事ができ、一口頬張り味を確認するようにゆっくり咀嚼している。
「どう?」
「うめえな! こんなの初めてだ。エルグランドの料理はもっと味気ねえし、オレはこういう方が好きだ」
言い、バクバクと豪快に食べ進めていく。気に入ってくれたようで良かったと、おにぎり一個を軽く完食し二個目に入ったルネの隣で、悠飛はツナマヨのおにぎりにパクついた。
おにぎり三つをぺろりとたいらげ、初めて飲んだ緑茶も美味いと一気に飲み干すルネに、本当に豪快だと悠飛は笑った。
それから体育館を見回せば、食事が出来、喉を潤す事が出来たからなのか、雰囲気が先程よりもずっと明るくなっている。
時刻は間もなく九時になる。今頃、各家庭で親は、帰りの遅い我が子を心配しているのだろうと思う。まだ高校生なのだ。独り暮らしならいざ知らず、夜九時に連絡も入れずに遊び歩く事などない。特に今日は外が嵐になっているのだから、安否が確認できなければ気が気ではない筈だ。
早く帰る為にするべきは、原因となっているファントムオーガを見つけて浄化する事。
今、この場に居る者の中に、教師を殺したいほど憎んでいる者がいるのだ。
立ち上がると悠飛は、体育館手前の方の床に座って談笑している可純とひまりに近付いた。
「柳さん、水沢さん」
「……悠飛くん」
声をかければ二人は悠飛を見上げる。疲労の色は見えるけれど、先程より顔色は良い。
そう思いながら、傍にしゃがみ込む。
「どう、少しは食べられた?」
「うん! 食べないと元気出ないもん!」
「そうですね。あまり気は進みませんでしたが、食べたらやはり違いました」
「そう、良かった」
少しでも良い。食べる事が出来れば気分も違うから。時間が経てば、それだけ心も体も消耗する。体力がなくなれば気力もなくなり、それだけファントムオーガになる危険性が増す事になる。
一人でも多く、負に呑み込まれるのを抑えたい。
「何か変わった事とかもない?」
突然の質問に少しばかり不思議そうなひまりと可純だったが、すぐにひまりが首を横に振る。
「わたしは平気だよ。こんなこと言うと変かもしれないけど、柳さんとお友達になれて、こんなことに巻き込まれても悪いことだけじゃなかったの」
今まで話す機会がなかったから、と言うひまり。二年に進級して今のクラスになってからまだ二ヶ月。二年生にもなるとすでに友達が出来ていて、行事などがないと他の生徒と話をする事はあまりない。
悠飛とて、ひまりや可純とこうして話すのは初めてとなる。
「そうですね。私も、他の人と話すのは初めてかも知れないです。いつも、特定の子としか居なくて。他の人の所に行きたくてもその子を放っておく事もできないので、確かに良い機会でした」
それは恐らく、沙耶花の事だろう。彼女達は朝から放課後まで、休み時間でさえ離れている姿を見る事がない。沙耶花が可純に寄っていく事が多かったが、可純も沙耶花を放っておけないといった様子だった。
互いに互いを必要としているかのように。
とにかく今は休息を取らないとねと言い、話してくれたひまりと可純から離れる。今のところ、二人に異常は見られないから。
先程と変わらずにステージ脇の階段近くに居る菜々の方を見ると、甘い菓子パンを食べているのが見受けられ、その隣で北城がサンドウィッチを頬張っている。
そちらの方へ向かい、隣同士に座りながら食事を摂っている彼女らの傍にしゃがんだ。
「北城先生、食べられたみたいで良かったです」
「ええ、まあ。私も藍原先生も、職員室の中とか見ていないから。あの化物くらいだったら映画みたいなものでしょう。映画観て、ご飯が食べられないなんてないもの」
同様の事を生徒達も思っているだろうが、ここまで平然と言いのけられるものだろうか。楽観的なのか天然なのか、どちらにせよ、あまり深く考えてはいないようだ。
黙々と菓子パンを食べ続けている菜々を余所に、食べ終わったらしい北城に誘われたので悠飛はその場から少し離れる事にした。体育館右側の壁の方まで行くと隣に立ち、ルネよりも少し高いだけの身長の北城を見下ろした。
「僕に、何か用でもありましたか?」
「え? どうして?」
「何か、話したいように見えたから。違っていたらすみません」
そう言って苦笑を浮かべると、北城は両の手のひらで自身の頬を覆う。
「そんなに、分かり易い顔してたかしら。やだ、もう、恥ずかしい……」
北城は教育実習生としてこの学校にやって来て、これまで三週間ほど見てきたが、その言動の端々が可愛らしい人だと思った。少しドジで、おっちょこちょいで、それでも笑顔で明るく頑張っていて、見ていると幸せな気分になる人。
「でもそうね、一度、ちゃんとお話してみたいと思っていたのよ……私ね、子どもが好きなの。だから教師を目指したのよ」
「じゃあ、小学校の教師志望ですか?」
「ううん。志望は高校なの。私、高校教師になりたいの」
「でも高校生だと、子どもというほど子どもじゃないですよ?」
子どもが好きで教師を目指すと言うのであれば、やはり小学校の教師が一番ではないだろうか。そう思って言葉にしてみたのだが、北城は首を横に振った。
「私がこの道を目指そうと思ったきっかけが、高校の時だったの。高校生って、将来の事がぐっと近くなるでしょう? 悩む事も多いもの。だから、寄り添ってあげたくって」
高校二年生の今、悠飛にも将来の事は嫌でもついて回る。
大学に行くのか専門学校に行くのか、そのどちらにも行かず就職するのか、アルバイトをしながら夢を追いかけるのか、働かずに過ごすのか――それらの選択を迫られる時期だ。
大学に行くなら勉強に専念しなければならず、就職するにもそれなりの準備が必要となる。
高校二年からでは遅いという人も居るくらい、とても重要な時期。この先の人生を大きく左右する選択の時。
「話を聞いてあげるだけでも違うと思うから、一人一人に親身になって接してあげたいの」
微笑を浮かべる北城。その顔は、とても輝いて見える。それはまるで将来の夢を語る少女のようで、宝物を見つけた子どものようで、キラキラとしたその笑顔は本当に素敵で、悠飛は思わず感じた事を口に出していた。
「素敵ですね。北城先生に、とても合ってます」
瞬間、北城が弾かれるように悠飛を見上げてくる。
「……本当に? 本当にそう思う?」
「ええ、本当にそう思います。北城先生、まだ二週間しか経ってないのに生徒の名前は絶対に間違えないですよね。それって、凄い事だと思うんです。努力してるんだなって、思います」
笑いかければ、北城もとても嬉しそうな顔をして笑った。
その満面の笑みは思わず引き込まれそうな程にキラキラと輝いていて、見ているだけで心がぽかぽかと温かくなるようだ。
「ありがとう、何だか元気出てきちゃった。こうして私の夢を応援してくれるの、藍原先生以外では初めて。本当にありがとう、悠飛くん。私、他の子の所にも行ってみるわね」
そう言って手を振り、北城は悠飛から離れてひまりと可純の方へ向かって駆けていく。北城の後ろ姿を見ながら悠飛は今一度、笑みを浮かべた。本当に真っ直ぐで生徒想いな人だ、と。
それから悠飛は再度、体育館の中を見やる。
慶太、輝、司、祐の四人はステージ上で和気あいあいとしていて、そこも問題はないように思う。
そして悠飛は、中央付近に置いたパイプ椅子に座っている実紅と、足の様子を診ている彰斗、その様子を静観している藍原の方へ向かった。
「彰斗。芦名さん、どうかしたの?」
「視聴覚室から歩かせてしまっただろう。傷が開いて血が溢れていてな……購買に行くついでに保健室から道具を持って来られたから、再度応急処置をしていた」
脹脛ともなれば、足に力を込めただけで傷が開いてしまう。その為、玄関から教室、教室から視聴覚室に行く際には誰かが彼女をおぶり、なるべく安静にさせていたのだ。けれども警戒しながら廊下を歩く際に戦える彰斗の手を塞ぐ事も、最後尾にいた藍原に託す事も出来ずに、仕方なしに歩かせていたのだが、結果として傷は開いてしまった事になる。
真っ赤に染まったガーゼが床に沢山置かれており、普段は勝気で負けん気が強く涙など見せない実紅が、痛みからか涙目になっている。
「縫合するまでとはいかないが、傷が閉じるまで絶対安静が良いだろうな。ここから動かずにいられれば良いが」
「大丈夫だ。もし移動する事があっても、俺がおぶってやろう!」
ドンと、任せとけとでも言うかのように胸を叩いた藍原。
しかし、実紅は眉間に皺を寄せた。
「えー、先生はヤだよ。心配しかないし」
「芦名、お前な。ヒトが折角気を利かせたのに、その言い草はないだろう」
「だってビックリして落とされそうだし」
「ああ、それは困るな。先生の手は借りない方向でいくしかあるまい」
「黒田……お前まで」
がっくりと項垂れてしまった藍原に、悠飛は苦笑を浮かべる。
フォローの言葉が出てこない。ここまで信用されていないと可哀想に思えてくるが、それでも雷や風の音にビクビクしている藍原の姿を見ているからか、実紅や彰斗の方が正論に思えてしまう。
食い下がらない藍原を彰斗が冷静に宥めていて、そんな光景を見ていると不意に、ぼそりと実紅の口から言葉が漏れた。
「ホント、しっかりしてくれないとあの子の事、思い出して嫌になる……」
突然の言葉。
何かが、彼女の中で変わったような気がした。
「芦名さん?」
名を呼び、更に声をかけようとしたけれど、すぐに別の声が実紅の名を呼んだ。
「実紅ちゃん、だいじょうぶ?」
近寄ってきたのは、可純と談笑をしていた筈のひまりで、心配そうに実紅の事を見ている。そう言えば、実紅とひまりもいつも一緒に居たように思う。今日も慶太と司と、共に遊んでいたと言っていた。
彰斗が治療をしているのを見て心配になったのだろう。
「……何が」
「え? そのケガだよぉ。また、痛くなっちゃったのかなぁって」
「何それ……憐み?」
実紅の声音は、明らかにおかしい。感情の起伏がなく、低音で、何の感情も抱いていないかのよう、否、まるで自嘲しているかのよう。
不安気なひまり。俯いている実紅。
「さっきまで柳さんと楽しそうにお喋りしてたじゃん。ウチの事なんか放っといて、あっちでずっと喋ってればいいじゃん」
「でも、でもお友達だもん、痛かったら心配になるよ」
「心配? アンタが? アンタみたいに、ドジで、鈍間で、何にもできないような子がウチの事を心配? ふざけないでよ!」
勢いよく立ち上がったせいで、パイプ椅子が音を立てて床に倒れた。
大きな音が体育館内に響き渡り、全員の視線が実紅に向く。
足に相当な力が込められているのだろう。つい今し方、応急処置を施してもらったばかりだというのに、実紅の脚の傷から血が溢れ包帯が赤く染まっていく。
「どうしちゃったの、実紅ちゃん。動いちゃダメだよ。血が……」
「アンタのせいよ。全部、全部アンタのせい。ウザいのよ、いつもいつもヘラヘラして、笑ってりゃ許されるとでも思ってんの? ウチがいなきゃ何にもできない癖に! アンタなんかいなけりゃ良かったのに! 消えろ! ウチの前から消えろ!!」
有りっ丈の怒声で罵声を浴びせかける実紅。あまりの変貌ぶりに呆然としているひまり。
これはもう、間違えようがなかった。実紅の影が大きく膨れ上がったのを見て、悠飛は咄嗟に床を蹴った。
「水沢さん!」
小さな体を抱き締めて跳ぶと、その勢いで床を滑った。
顔を上げ、今し方ひまりが立っていた所を見ると、床が大きく陥没していた。そしてそこには、まるで巨大な熊のような屈強な体をした、ハンマーのような右手を持った三メートルほどはある漆黒の影が立っている。これまで見た、どのファントムオーガとも違う、実紅が生み出したファントムオーガ。
実紅の傍に居た彰斗と藍原も、突然の奇行とファントムオーガの出現に実紅から距離を置いていて、ルネはすぐさま出現させたシュバルツクロワを手にし、ファントムオーガと対峙している。
悠飛がひまりを助けていなければ、ひまりは今頃、あのハンマーに潰されていた。
直前の出来事から、ひまりに矛先が向けられると推測して跳び出した。腕の中のひまりは焦点の合わない目で呆然としていて、彼女の心も危ぶまれる。
「悠飛、無事か」
すぐさま駆け寄って来た輝に体を起こすのを手伝ってもらい、床に座り込んだ。慶太と祐も傍まで来ている。
「僕は平気。でも、水沢さんが……」
「途中からしか聞こえなかったけど、友達にあんなこと言われたらショックだよ。でも大丈夫、ひまりのことは任せて」
慶太はそう言うと、悠飛からひまりを預かり立ち上がらせた。
「ケイ、よろしくね。輝と瀬戸内さんには、他のみんなを任せてもいいかな」
「当然っしょ!」
「しくじるんじゃないよ」
頼もしい言葉を受けて悠飛も立ち上がると、熊型のファントムオーガとすでに戦闘を開始しているルネを見る。直後、ハンマーに押されて体育館左側の壁の方へルネは放り投げられていて、彰斗にステージの方へ行くよう伝えると悠飛は、投げられ壁にぶつかったルネの方へ駆けて行く。
「ルネ!」
壁から床に落ち、床に座り込んでいるルネ。
「あー、やっべ。オレ、スピード系には強えけど、パワー系は苦手なんだよな」
言いながら、口元に笑みを浮かべるルネ。その表情は、どこか余裕がないように見える。
その言葉に、悠飛は目を閉じて微笑を浮かべた。
「何だかんだ言っても、ルネも女の子なんだね」
「あ? それ、ケンカ売ってんのか?」
「違うよ。今の言葉、ちょっと嬉しくて」
「嬉しい? 何で」
「ルネは一人で何とかするって言ったでしょ。僕達には頼らずに。でも今、ルネは弱音を吐いた。それって、僕が手伝っても良いって事だよね」
藍原に、巻き込むつもりはなかったから一人でどうにかすると言っていたルネ。けれど今、ルネは確かに悠飛に、パワー系の相手は苦手だと言った。ルネの性格であれば、一人でやると決めたのならば言い訳せずにやり切るだろう。弱音を吐くなど考えられない。
だから悠飛は、ルネが悠飛に助けを求めているのだと解釈した。手助けをしてほしいと、そう聞こえたから。
そんな悠飛に対して不満気に口を尖らせていたルネだったが、はあっと大きく溜め息に似た息をつく。
「しゃあねえな。そんなに手伝いてえんなら、手伝ってもらおうじゃねえか」
「そう言ってくれるの、待ってたよ」
前に立って手を差し出せばルネは素直に掴んでくれて、力強く引っ張り上げた。目と目が合い、互いに笑い合い、振り向くと熊型のファントムオーガを見据える。
「解放はできんのか?」
「やり方とかコツがあるなら教えてほしいかな」
「時間がねえからな。簡単にしか言わねえぞ」
そう言い、話し始めた説明は本当に簡単なもので、聞いた直後、ルネはすぐさま床を蹴って跳び出した。彰斗・輝・祐が皆の方へファントムオーガが来ないよう牽制していた為に、まだ誰も襲われてはいない。
戦うルネの背を見つめながら、先程のルネの言葉を思い出す。
『コアの武器解放に必要なのは、イメージだ。その武器でどうしたいのかをイメージしろ。コアはそれに応える』
イメージ。それは、体内を巡るマテリアが形を成す為に必要不可欠なもの。
『一人にコアは一つ、コアが作れる武器もまた一つ。シュバルツクロワとブランシュクロワは対になってて二つで一つだから、ああして分かれてるだけだ。どっちも十字架だしな。おめえのコアは三つ。考えろ』
目を閉じ、左手で右耳につけているピアスに触れる。
負から、強い光から解放したい。負に呑み込まれそうな友を。光の強さに負けてしまいそうな友を。その為の力。傷つけるだけではない力が欲しい。
想いに応えるかのようにピアスについているコアが光を放ち、三色の光が形を成していく。
目を開いて見ると目の前に浮いているのは、中央に紅い宝石が埋め込まれている炎を模した弓と、矢羽の部分が太陽を模していて鏃に藍色の宝石が埋め込まれた矢。そして、中央に黄色い宝石が嵌めこまれ星が鏤められている懐中時計型の、アンティーク調のカギだった。短いチェーンのついているカギを左手首にかけ、左手で弓を掴み、右手で矢を持った。
これが、悠飛の意志の形。強すぎる光から友を護る為の力。
「これで僕も戦える」
弓を扱う事など初めてだったが、それでも不安はなかった。ただの弓ではなく、悠飛の意思とマテリアから生み出された弓はまるで自分の体の一部のようで、どう扱えばいいのかは考えなくても分かる。
扱えないなど、微塵も感じない。
真っ直ぐに、ルネと戦いハンマーを振り回している熊型のファントムオーガを見据え、弓矢を構えて矢を引き絞る。ただ一点に狙いを定め。
「ルネ、離れて!」
悠飛の声に反応してルネがファントムオーガを蹴って跳び上がったのを見た直後、矢を放った。弾かれた矢はスピードを上げ、先端から炎を纏い、一直線にファントムオーガへ向かっていくとハンマーとなっている右手を貫いた。矢が貫通したところが途端に燃え上がり、ハンマーの腕がぼとりと床に落ちる。
「いい狙いだ! 感謝するぜ、ユウヒ!」
空中で瞬時にシュバルツクロワをマテリアへ変換させて腰のカーネリアンコアへ戻し、左耳のピアスに触れればスピナーであるデュオンヘリオスが出現した。スピナーを回転させ、軽い音を立てて実紅の前に降り立つルネは、デュオンヘリオスをつけていない左手で、沸々と怒りを湧き上がらせ立ち尽くしている実紅の肩に触れた。
「芦名実紅。憤怒の鬼師」
瞬間、実紅の影が大きく揺らめくと実紅の胸にくすんだ黄緑色の薔薇が咲き、目は宝石のジェダイトのようになる。鬼師が姿を現した。腕が燃え上がり悶え苦しんでいるファントムオーガは動けずにいる。チャンスは、今しかない。
右手を振り上げれば、回転した刃が左胸に咲いた黄緑色の薔薇の花に、デュオンヘリオスをつけた右手で覆うように触れた。艶やかな黄緑色の薔薇の花は、実紅の憤怒。
呆然と立ち尽くす実紅の顔には、先程までの怒りはない。
「憤怒は優しさへと還り、信頼となる……天昇! ロー・アクィラェ!」
デュオンヘリオスの刃が回転すると中央のエメラルドコアからフェーデマテリアが溢れ出し、実紅の体を包み込んだ。
暖かく柔らかな光に包み込まれた実紅の、宝石のような目から黄緑色の光の粒子が出てきてフェーデマテリアに溶けていく。そして熊型のファントムオーガも黄緑色の光の粒子に変わり、実紅の影の中に入っていった。
その場に立ち尽くしている実紅。
危険がなくなったと判断したのだろうか。実紅を見ていた、ステージ上で慶太の腕の中に居たひまりが、ハッとしたように駆け出すとステージから飛び降り、着地に失敗して転んでも構う事無く走り出すと実紅に駆け寄った。
「実紅ちゃん!」
突然のひまりの行動に慌てて慶太が後を追い、弓矢をマテリアへ変換した悠飛も近付いた。
息を切らし、実紅の前に立つひまりを、実紅は呆然と見ている。
「ひまり……ごめんね」
感情を宿していないような目で、実紅はぽつりとそう言った。
下唇を噛み、ぎゅっとスカートを掴み、ひまりは声を振り絞る。
「ホントだよ……実紅ちゃん、酷いよ」
「……ひまり……」
「でも、もっと酷いのはわたしだもん。わたし、実紅ちゃんに甘えてたの。失敗しても実紅ちゃんが何とかしてくれる、遅れても実紅ちゃんは待っててくれるって、ずっと甘えてた。だから、ごめんなさい!」
思いきり頭を下げ、そして頭を上げたひまりの目には涙が溜まっている。
「わたし、実紅ちゃんのこと頼らなくても大丈夫なように頑張るから、もう迷惑かけないように頑張るから、お友達でいたい! 実紅ちゃんと一緒にいたいの! 嫌なことあったら何でも言ってほしいの。だって、それがお友達でしょ?」
そう言って、彼女は笑った。
向日葵のように、明るく笑った。
その笑顔は眩しくて、愛おしくて、実紅は目を細めて微笑を浮かべる。
「そうだね。ウチも、ひまりと一緒にいたい。イライラして当たり散らしたのに、友達だって言ってくれて、ありがと」
「えへへ。初めてお礼、言われちゃった」
楽しそうに、幸せそうに笑い合う実紅とひまり。先程までの険悪さは微塵も感じない、ほのぼのとした空気。
そこで漸く、ルネもデュオンヘリオスをマテリアに変換した。
一段落したのだと、そう誰もが感じていた。
けれども一人の生徒が、悠飛の横を通り過ぎた。
「くだらねえ。全部、どうでもいい」
ぼやくような呟きにその人物を見れば、彼は真っ直ぐに体育館の扉の方へ向かって歩いている。慌てて後を追いかけ、その腕を掴んで引き止める。
「待って。どこ行くの、司?」
それは、白藤司。
腕を掴まれ止められた事で振り返ったその目は、死んだ魚のように光の宿っていないものだった。
「司……」
「邪魔すんなよ、悠飛。全部、終わらせるんだ。お前以外、全部」
途端に、悠飛が掴んでいた筈の左手で首元のシャツを掴まれたかと思うと、司が再び歩き始めてしまった為に引き摺られるように歩かされる。シャツを掴んでいる司の手を外そうとしても、万力で締められているようにピクリとも動かない。
「司、待って、司!」
焦るような悠飛の声に、司の様子がおかしい事にルネと輝が気付き、急いで二人を追った。
「おい、どこ行こうってんだよ」
「どうしたん、司。悠飛、嫌がってるやん」
冷静なルネと輝の言葉だが、ルネは経験から、輝は先程の実紅の様子から司の身に起こっている事を悟っていた。
振り返った司の表情で、それは核心に変わる。
何の感情も宿していないその表情は、鬼師となった実紅と同じ。心が空っぽになってしまったかのような、そんな表情のない顔。
「くだらないんだよ、全部。何もかもがくだらない。何でも言い合えるのが友達? そんなもんまやかしだろ。怖いとか不安とか護るとか友達とか、全部くだらねえんだよ。生きる事も、くだらねえ」
「何、言ってるん……」
一歩、輝が距離を詰めようとした瞬間、司は左手で悠飛が着ているシャツの襟の両側を掴み、悠飛を持ち上げてその首を締め上げる。
「っ!」
途端に息が出来なくなり、顔を歪める悠飛。左手一本で悠飛を軽々と持ち上げている司。
「ちょぉ、何して、そんなんしたら悠飛死ぬって!」
「白藤、やめるんだ!」
教師として止めなければならないと駆け寄って来た藍原も、司を宥めようと声を荒げている。
しかしそれでも、司の表情が変わる事はない。
「だからどうした」
「どうしたって……」
「もう、何も感じない。何だっていいんだ、どうなったって変わんない。全部、黒いんだ。でも悠飛がいれば明るいんだよ。生きてる価値がある人間なんて、悠飛だけだ。だから悠飛以外、全部どうでもいい」
何を言っているのだろうか。支離滅裂だ。全てどうでもいいのに悠飛だけ居れば良いと口にし、その悠飛を今正に司が殺そうとしている。言葉も行動も、全てが矛盾している。まるで頭と体が別物であるかのように、思考と言葉と行動が連動していないかのように。
チッと、ルネが舌打ちをする。
「死にてえんなら、てめえ一人で死にやがれ。そいつは関係ねえだろ」
ルネの言葉に、司は首を捻った。
まるで、ルネの言葉が理解できないと言うかのように。
すぐに司は興味を失くしたかのように踵を返すと、ボーっとした様子のまま扉の前に立ち、悠飛のズボンのポケットを探ってカギを取り出した。
「やめろ!」
ルネの制止の声に振り返る事無く、苦しみにもがき足をバタつかせている悠飛に構う事無く、体育館の扉を開け放った。
途端に、重苦しく冷たい空気が体育館の中に吹き込んだ。体育館の外ではスライム状のファントムオーガが廊下を埋めつくして蠢いている。
不意に、パッと司が手を放した事で悠飛は重力に従って床に落ちた。力無く倒れ込むと貪るように息をし、咳き込んでいる。
「悠飛!」
酸素が足りずにボーっとする頭。けれども聞こえてきた親友の声に、悠飛は顔を上げて輝の方を見る。
心配そうな青褪めた顔の輝。その隣に立っているルネはシュバルツクロワを出現させている。背後から流れてくる空気に、悠飛は扉が開いてしまった事を知った。扉を閉じなければ……体を起こそうと腕に力を込めた瞬間、下から腹を強く蹴り上げられた。
「かはっ」
勢いに床を滑り、ぐったりとして床に倒れ込む悠飛。
「立花!」
「司、お前!」
今すぐにでも悠飛に駆け寄りたかったが、先程のように悠飛の首を絞められれば、抵抗する力のない今、本当に命を落としかねない。
それを見越しての行動か、司は黙って悠飛に近付くと悠飛の体を自分の肩に担いだ。まるで抵抗する事のない悠飛は気を失っているのだろう。
「お前、悠飛をどうするつもりなんよ。一体、何がしたいん?!」
「何も。真っ黒なんだ。ただ、真っ黒なんだ。俺は、何がしたいんだ……」
ぶつぶつと何かを呟きながら司は体育館を出、そのまま蠢くスライム状のファントムオーガの方へ向かって行ったが、ファントムオーガは司を避けるかのように道を開けていて、司が通り過ぎると廊下を埋め尽くしてしまった為に司と悠飛の姿はすぐに見えなくなった。
唖然と呆然が入り混じる輝達の横で、ルネは苛立ちをぶつけるようにダンッと強く床を踏みつける。
「やってくれるぜ。あれがあいつのファントムオーガっつーんなら納得だ」
「……そういう事ね、何となく理解した。けどルネ、これからどうするん?」
「今のオレは腸煮えくり返っててよ、手加減する余裕なんざねえんだよ。悪いがあのガキ、命救うだけで手一杯だぜ」
「詳しい事は分からんけど、悠飛が最優先でいいんじゃね? 俺らも自分らの身は自分らで何とかするわ」
「話早くて助かるぜ。さっき、結界ん中にファントムオーガが出たせいでここの結界は機能しなくなった。ヤバくなったら、オレかユウヒを捜せ。それかバラけて隠れてろ。喰われねえようにだけ気ぃつけろよ」
「りょーかい」
もぞもぞと蠢き続けていたファントムオーガは体育館の扉までずるずるとその体を引き摺りやって来て、そして体育館の中に数ミリかかったところで、水が押し寄せるように一気に体育館の中になだれ込んできた。
「ったく、うぜえんだよ! てめえらの相手なんざしてるヒマねえんだ! 失せろ!」
長めに持ったシュバルツクロワを振り回せば、十字架の尖った部分がスライム状の体を切り裂いていく。体育館の壁を蹴って宙へ跳び上がり、ドアから中に入った全てのファントムオーガの中心部目掛けてシュバルツクロワを投げつけた。
「天昇! アルファ・ドラードゥス!」
床に突き刺さったシュバルツクロワを中心に、スライム状のファントムオーガは白い光の粒子へ変化していく。蠢くだけのファントムオーガが逃れる術はなく粒子化は進んでいき、次々に白い光の粒子に変わると数秒で全てが光の粒子となり、光は空気に溶けるように消えていった。
床に降り立ったルネはシュバルツクロワを握り、すぐさま廊下へ駆け出して行った。
イライラが止まらない。
胸に渦巻くもやもやが消えない。
ここまで苛立つのは初めてかもしれない。それは、ファントムオーガを消したせいではない。
首を絞められ苦しむ姿、解放され咳き込む姿、腹を蹴り上げられ苦痛の声を漏らした姿。その時の悠飛の顔や声や姿が頭から離れず、思い出す度にイライラは募っていく。
「くそっ、これが好きってヤツなのかよ。好きは苛立ってしょうがねえよ、姉様!」
愚痴にも似た言葉を漏らし、それでもルネは走って行く。
どこにいるのか分からないが必ず見つけ出すと、苛立ちながらも心に誓って。
頭が痛い。体が揺れている。
目を開くと床は遠くて、誰かの足が見える。動いているという事も、流れる床と振動で分かる。
「……司……?」
それが誰なのかを悠飛は知らなかったが、直感的にそう思って声を出すと、どさりと乱暴に床に下ろされた。壁に背中を打ち付けて痛んだが、それでも座った状態のまま言葉を紡ぐ。
「司、どうして……?」
まだハッキリとしない頭と視界で、見下ろしてくる司を見上げる。
「分かんない。分かんないんだ。でも、悠飛がいなきゃいけない気がする。何で?」
ああ、これが、魅かれるという事か。
司の言葉を聞きながら、悠飛はルネの言っていた話とエンドレステイマーを思い出していた。
ファントムもファントムオーガも鬼師も、強い光に引き寄せられる。そして司は、より強い光を宿した悠飛に魅かれている。その光は、マテリアという名で呼ばれている。
マテリアの中でも強い、調和・希望・勇気という三つのマテリアを体内に宿している悠飛。通常のテイマーよりもずっと強い光。そしてそれは、悠飛の姉がルネの世界であるエルグランドに行ってしまった影響からくるものだ。
その光が、鬼師となった司を狂わせている。マテリアを持たない者には光が強すぎるのだ。
「司。司が求めてるのは僕じゃないよ……司が欲しいのは光でもない……ねえ、司……司は何がしたいの?」
「何が、したい?」
「司は、何の為に生きるの? ……ううん。何をして、生きたいの?」
「何をして、生きたい……? ない、何もないんだ」
どこか脅えたような表情に見える司の顔。
ああ、何もない事が怖いんだ。それでも心は何も感じていないんだ。
そっと手を伸ばし、だらんと下ろされている司の手の指に触れた。
「白藤司。空虚の鬼師」
ぶわっと、広がるように司の影が揺らめき、司の胸に藍色の薔薇が咲いた。そして悠飛を見下ろす目は、宝石のトルマリンへ変貌する。
司の心の中には今、何もない。虚無感だけが心を支配している。何もない心では考える事すら出来ず、自分が何を言っているのか、何をしているのかを理解する事も出来ずにいる。それが今の司。
壁に手を当てて体を起こし、真っ直ぐに司を見る。
「司。ちゃんと司の中にもあるよ。司が好きな事、やりたい事、ちゃんとあるよ」
藍色の薔薇へ左手を伸ばすと、左手首にかかったままになっている懐中時計型の星のカギが揺れた。カギが手のひらにくるようにチェーンを指にかけ、カギごと左手で藍色の薔薇に触れた。
「空虚な心は調和へと還り、希望で満たされる……天昇、アスミディスケ」
静かに言葉を紡ぐと、左手のカギについているトパーズコアからホープマテリアが溢れ出し、司の体を包み込む。
そこへ駆けつけたルネは、浄化されている司の姿に足を止めた。
宝石のような目から藍色の光の粒子が出てくると、体を包み込んでいるホープマテリアへ溶けていく。
そして悠飛の足から力が抜け、再び座り込んでしまった。
光種がなくなった事で心の戻った司が、悠飛の前にしゃがみ込む。
「悠飛、大丈夫か? ごめん、俺……」
「気にしないで。ちょっと、疲れちゃっただけだから……司はさ、本当にないの? やりたい事」
優しく訊ねると、司はしゃがんだまま目を伏せる。何だかとても言い辛そうだ。
そっと微笑み、悠飛が代わりに言葉を紡ぐ。
「僕はね、ゲームクリエイターとか向いてるんじゃないかって思うよ」
「ゲーム、クリエイター?」
「うん。司、遊び考えるの好きでしょ。遊びには全力だし。それも、才能だと思うな」
いつもやる気のない司が唯一、生き生きとしているのが遊んでいる時。既存の遊びに追加要素を加えたり、オリジナルの遊びを考えたり、そうして楽しそうに遊んでいる姿がとても印象的だった。
「けどそんな、子どもの遊び……」
「ゲームをするのは大抵、子どもだよ。それに、ワクワクしたりドキドキしたり、そういうのって生きていく上で大切な事だと思う。司の考えたゲームでみんなが遊ぶ姿を思い浮かべただけでも、楽しくならない?」
勉強にも食にも趣味にもスポーツにも睡眠にも娯楽にも、特に何にも興味を示していない司の唯一の楽しみ。だからこそ、極めていける。普通の人よりも沢山遊んだからこそ分かる事がある。沢山ゲームをしたからこそ気付ける事がある。
それはきっと、司の特別なもの。
悠飛の言葉を聞いていて司の目が輝いている事が、その証明ではないだろうか。
「こんな俺でも、できるかな」
「司にしか、きっと出来ないよ」
「そっか、俺にしか、か……そんな事、考えた事なかった……ありがと、悠飛、ありがとう……」
遊んでいる時以外には初めて見たかもしれない司の笑顔に、悠飛も満面の笑みを浮かべた。そして司はそっと目を閉じ、そのまま床に倒れ込む。沙耶花の時と同じだ。きっと、ルネが司の影から生まれたファントムオーガを倒したのだろう。あの状況下で皆を護る為に。
影が消えた事で司の存在も薄くなっている。けれど本当にゲームクリエイターを目指すのであれば、その名はゲームの中に残り続ける。そうすればきっと、影が薄い事など気にならなくなる。
そうなれば良いと、悠飛はそっと目を閉じた。
「悠飛!!」
大声で名を呼ばれたと思った次の瞬間、がばっと体を抱き締められた。慌てて目を開ければ、鮮やかな山吹色の髪が見える。
「ルネ……ちょっと痛いよ」
苦笑を浮かべながらそう言うが、余計にぎゅっと抱き締められた。
どうしたのかと、悠飛はもう一度、声をかける。
「ルネ? どうかしたの?」
「ワリィ。ちょっと、このままいさせてくれ……何かずっとイライラしてて、ユウヒがあいつにいろいろされてんのがムカついて、もやもやして……」
「その言い方だと、何だかいろいろ誤解されそうなんだけど……」
「でもこうしてたら落ち着くっつーか、何かもやもやがどっかいくんだ。だから、もうちょっとこのままが良い」
更に抱き締める腕に力が込められた。
正直なところ、蹴られた腹や絞められた首やぶつけた背中が痛んだけれど、抱き締めてくれる事が嬉しくて、悠飛もルネの背に腕を回し、ぽんぽんとあやすように優しく叩いてあげる。
足を延ばして座った状態の悠飛に覆いかぶさるように片膝を立てて抱き締めてくるルネに、男女が逆転しているのではないかと思って苦笑が漏れた。
どこまでも、ルネは男らしい。こんなに可愛らしい顔で、可愛らしい服を着て、可愛らしい髪型をして、可愛らしい声をして……けれども彼女の行動も口調もとても男らしい。瀬戸内祐も男前だと思ったが、ルネもきっと負けてはいない。女子高に行ったらモテるのだろうなと、少し考えてしまった。
けれどこうして抱き締めてくる彼女の体はやはり線が細くて柔らかくて、女の子なのだと思う。
暫しそうして抱き合っていて、ルネの力が弱まった事で悠飛は声をかける。
「どう、落ち着いた?」
「ああ、サンキュ」
ゆっくりと体が離れた事で、どういたしましてと言おうとした悠飛だったが、その言葉は突如、ルネに頭を叩かれた事で紡がれる事はなかった。
突然の事に、目をぱちくりとさせる。
「えっと……ルネ?」
「迂闊すぎんだよ。言ったよな? 光が強いから狙われたって。オレの話、聞いてなかったわけじゃねえよな」
「そういう訳じゃないけど……そうだね、今回は僕の責任っていう事でいいのかな」
「いいや、オレの責任でもある。だから、お前もオレを殴れ」
これは一体、どうすればいいのやら。
謝っても退いても怒っても、きっとルネは納得しないのだろう。
どうするのが一番いいのかを考え、悠飛は立ち上がると壁に背をつけ、つられるように立ち上がったルネを見る。いつでも来いと言わんばかりに目を閉じて準備をしているルネに、思わず苦笑を浮かべた。
手を伸ばし、ルネの頭を優しく撫でる。
するとルネは眉を顰め、開らかれた目はとても恨めしそうなものだった。
「な、何の真似だよ」
「心配してくれたみたいだから、お礼と思ってね。ありがとう、ルネ。ちゃんと気を付けるよ。だから、ルネの後ろじゃなくて隣に居ても良いかな? 自分の身は自分で護るよ。もちろん、ルネの事も」
そう言って笑いかければ、ルネはとても不服そうな顔になった。
護るのは良いが、護られるのは苦手といったところだろうか。
「後ろじゃ見えねえし、別に隣にいたっていいけど。けどオレは、お前に助けてもらおうなんて思ってねえからな!」
「うん。僕がルネを助けたいだけだから」
「――っ! おめえのこと好きだけど、何か嫌いだ!」
何故だか顔を真っ赤に染めて頬を膨らませ、顔を背けてしまったルネ。
そんなルネの事が可愛く見えて、そして同時に悠飛は知ってしまった。
この短い時間の中で、ルネという少女に自分が惹かれているという事に。ルネが助けなど要らないと言ったあの時から、ルネの存在が自分の中で大きくなっていた事に気が付いた。たった数時間を共に過ごしただけなのに。
吊り橋効果とはこういうものだろうかと、頭のどこかで考えた。だとすれば、ルネ以外の女子生徒に同じ事が起こってもいい筈だが、悠飛の心の中にいるのはルネだけだ。他の者はやはり、クラスメイトで友達でしかない。
この気持ちを伝えるかどうかは分からない。だから今は、今だけは、彼女の隣に立っていたい。
この事件が終わるまでの間だけは、隣に居たい。




