『忘れずに生きて行く!〜俺をどん底から救ってくれた被災地の方々〜』
先週末、仙台・石巻でのボランティア理事会。
今週は陸前高田市に行こうと予定は立てていたが、まさかの水曜日に車がお釈迦になる大事件。
ほんと交通ルールだけはしっかり守って欲しい…。
その話はさておき。
この時期なぜ、ボランティア理事会や活動が多いかと言うと、福島や東北地方は、今まで支援して貰った恩を熊本に返そうとしているからだ。
ここまで復興は進んでいる!5年も経つと、自分の事より、「あの時助けてもらったから!」という恩返しの思いが出てくるのだ。
元も俺も被災者なのだが。
福島県の青年ボランティア連盟に入り5年。そして昨年からは、副会長を任命して頂き活動も今までに無いほど活発に動かさせて頂いている。
思えば、5年前……。
震災の津波被害、奇跡の一本松を見た事がきっかけで俺は動いた。
その頃、俺は栃木県の那須塩原に住んでいた。
当時焼き鳥屋で働いていたが、震災の影響などもあり退職し、再び地元の会津に舞い戻った。
地元の会津に戻り就活を始めたが、四大卒でも就職は厳しかった。なかなか自分に見合った仕事が見つからない上に、己のプライドも高く、給料が低ければ自らオファーを断った事もあった。
恐らく逃げていたのだろう…。
俺はあの時の俺と対面したのであれば、間違いなく殴っているだろう。
毎日毎日、スロットなどの博打…。それで稼いだ金でスナック、居酒屋三昧…。
昼頃までゆっくり寝て、午後一からスロットの時もあった。
手っ取り早く稼げる仕事を探しては金を握っていたのかもしれない。確かに、1日で数十万稼げる仕事があれば誰でもやるであろう。
今頃気づき、苦笑いであの頃の俺を振り返る今の俺がいるのだが。
そんな時ハッとされられる出来事があった。
まず俺の母親が緑内障で病に倒れた。
新潟の病院に手術を伴う入院。
ここで気づけばよかったのだが…。
俺の自由奔放さはここで止まらず、変わらない豪遊生活が続く。
次に親父が高血圧で倒れた。
倒れた時も俺は「自分の事しか考えず」飲みに歩く毎日。
気付いた時は両親の身体はボロボロだった。
就職に失敗し、人生の敗北者の様に毎日己を責め続けた。
気づいた時には貯金はゼロ。
俺の心もボロボロだったのかもしれないが、そんな俺を支え続けてきた両親はもっとボロボロだったのだ。
そこでようやく重い尻が動いた俺。
遅いのかもしれないが…。
あの時気づけて良かった。
就職で認められなかったのなら、自ら動けば良い!そう考えた。少しでも、実家と土地を守る為に。
俺は親の代わりに、祖父が残してくれた荒地を一から耕し、トラクターを操り、作物を育て、更には自ら足を運び首都圏に営業をした。
今思えば壮絶なる経験をさせてもらったのだが。
簡単に言えばこの様な形で今の俺がいる。
その営業や仕事の中で出逢ったのが、現在「福島県・青年ボランティア連盟〜助け愛・いつでも俺達が後ろにいる〜」の会長を務めるH氏。
俺は、この団体の副会長を務めている。
勿論!給料なんて無い!
給料なんていらない!
給料は被災地の方々からの「ありがとう!やっと来てくれた!これ頼みたかったのよ!」
この言葉が給料であり、活力になるのだ。
先週仙台でH氏と会った時、彼が俺に開口一番放った言葉。
「サカイも復興したな!笑」
「あっ!ありがとうございます!」と咄嗟に返答したが、H氏は更に続ける。
「サカイ!お前はいいなっ!お前の顔今までで最高な顔してるよ!ボランティアやって、被災地の方々から笑顔貰って、有意義な毎日、仕事、お前は幸せだよ!あと、女ができると何も言わねーんだけど!」
「最後の一言は余計だよ!笑」
と引きつり笑いだった俺だが。
こんな会話の中から、俺は被災地陸前高田や石巻へボランティアを続けてきて良かったと思わされる。もの凄く感謝ばかりだ!確かに人助けなのだが、見返りなくただまっすぐに一生懸命に支援活動をしてきた結果。
真っ暗なクソみたいな人生に光を当ててくれた被災地の方々やH氏、青年ボランティア連盟の仲間。
俺は陸前高田、石巻へのボランティア、勿論熊本に対しても今後ボランティア活動を続ける。
「なーに!偽善者!良さげな事ばっか言って!」と言われても構わない。
何も動かないよりは自分ができる事を、ただひたすらに一生懸命やっていた方がいい!
俺をどん底から引きづりあげてくれた方々への恩返しを俺は今やっているだけだ。




