6.二日目の問題
二日目。短編内容に加筆しています
二日目の朝、日が昇る前にアンドレアは目を覚ました。
どんなに疲れていても、毎朝同じ時間に目が覚めるのは既に身に染み付いた習性だった。
アンドレアは暫くベッドの上で耳を澄ませていた。
階下で人が動く気配はしているが、部屋に近づいてくる足音はなかった。
メイドが熟睡している可能性を考え、目を閉じて隣の控えの間の気配を探った。
「……控えの間にもいない、か」
目を開いたアンドレアはベッドの中で軽く手足を伸ばした。
上半身を起こして待っていたが、洗顔の水は届けられず、着替えの準備にも誰も訪れなかった。
試しにベッドの横にある呼び鈴の紐を引いたが、やはり誰も来る気配はなかった。
やれやれ、とアンドレアはベッドを降りると一人でワンピースに着替えたのだった。
ジョアンナに持たされたワンピースは、一人でも簡単に着られて肌触りもよく、アンドレアの機嫌が少し良くなった。
着替え終わった頃、部屋の扉が乱暴に開かれた。
アンドレアがちらりと視線を向けると、金の髪のメイドが朝食を載せたトレーを持っていた。
そのメイドは面倒そうに溜息を吐いてから、トレーをテーブルに叩きつけるように置いた。
銀のトレーの上には、硬そうなパンと見るからに色の薄いスープ、干からびたチーズが載っていた。
しかもスープは乱暴に置かれたため、トレーの上に少し零れていた。
「お嬢様、私共は忙しいんですよ。朝から呼び鈴を鳴らすのは止めていただけますか」
メイドが吐き捨てるように言うと、その物言いにアンドレアの柳眉がピクリと動いた。
しかしメイドがそれに気付くことはなかった。
「朝食がお済みの頃に食器を下げに来ますけど、ご自分で厨房に持って行ってもいいんですよ。田舎の子爵家ではそのようになさるのでしょう?」
嘲るように言うメイドにアンドレアは表情も変えず何も言わなかった。
確かにアンドレアの実家である子爵家は田舎だが、役目を放棄するような無責任な使用人は皆無だった。
アンドレアが何も言わないことに気をよくしたメイドは更に言葉を続けた。
「全く、何で旦那様も子爵家の、それも年増のお嬢様を迎え入れたのか、理解に苦しみます。馬車はいつでも用立てるようにしてますから、お帰りの際は声をかけてくださいね。ゼルキン様も旦那様の補佐をしているのでお忙しいのですから、くれぐれも弁えてくださいよ」
言いたいことだけ言ったメイドは足音を立てながら部屋を出て行ったのだった。
残されたアンドレアは、閉まった扉を眺め呟いた。
「……ヘレン、だったわね。明日が楽しみだわ」
微かに笑ったアンドレアだったが、武人のレオンハルトが見ればその瞳に滾る怒りを見逃さなかっただろう。
肩をすくめたアンドレアはテーブルにつくと、文句も言わずに運ばれた朝食を口に運んだのだった。
硬いパンと薄いスープに、砦にいたころの食事を思い出した。
その記憶につられ、感情が砦にいた頃に引き戻されそうになった。
好戦的な気持ちが沸き上がりそうになるのを、アンドレアは軽く頭振って自分を落ち着かせると再び食事を再開したのだった。
朝食の後、暇を持て余していたアンドレアは荷物の整理をしていた。
本来であればメイド達に指示を出すだけでいいはずだが、朝食の食器すら誰も下げに来ないのでアンドレアは一人で作業をしていた。
(食器を下げに来ると言っていたが、あの様子だと来ないな)
予めレオンハルトから貰っていた情報はあくまでも血縁や事実のみのため、為人は直接会ってから判断すると決めていた。
そして、アンドレアはヘレンの性格をあの短時間で判断したのだった。
小物をチェストに、ワンピースを数着クローゼットに仕舞った。ドレスはジョアンナの判断で後から送られてくる予定だった。
そのため、子爵家から持ち込んだ荷物は多くはなかった。
だからこそ、荷物の整理はアンドレア一人でも十分だったのだ。
加えて、結婚式当日、採取地に向かう寸前のレオンハルトから渡された邸内の地図があった。
それもあり、大切な荷物をあんな態度のメイドに任せられないというのも、一人で荷物を整理した理由の一つだった。
アンドレアは片付いたクローゼットを見てから日の高さを確認した。
太陽の位置から大体の時間を計り、昼時の時間だろうと思っていた。
しかし、誰もアンドレアに飲み物も軽食も運んでくることはなかった。
レオンハルトはよく体を動かすため、すぐに空腹になる、と一日三食以上摂ることをアンドレアは交流の中で聞いていた。
レオンハルトが不在の今、同じ回数の食事が用意されるとはそもそも思っていなかった。
しかし、スケジュールの確認にすら訪れないメイド達にアンドレアは呆れていた。
ジョアンナに頼んで作ってもらった巾着袋を開き、子爵家から持ち込んだ干し肉とワインを取り出した。
ベッドに腰掛けると、行儀悪くワインを革袋から直接飲み、干し肉を齧った。
塩気の効いた干し肉は不味くはなかったが、アンドレアはリズの帰りを待ち侘びていた。
ゼルキンが弁えていれば、リズには馬車の使用が許可されるだろう。
馬車を使えば夕方にはリズが戻るだろうと予測していたが、もしゼルキンが部屋から出てきていなければ……。
「忙しいとは言え、私の様子をリズやヘレンに確認くらいするわよね……?」
その細やかな希望は虚しく散り、ゼルキンがアンドレアの元を訪れることはなかった。
そして、ジャックに荷馬車を用意して貰ったリズが屋敷に戻ったのは夜になってからだった。
「奥様、お待たせいたしました……!ゼルキン様がお部屋から出てこられず、遅くなって申し訳ありません……」
急ぐようなノックに入室の許可を出すと、息を切らせて荷物を抱えたリズが部屋に入ってきた。
リズが運んできた荷物の中身はパンやリンゴ、飴等の食料品だった。
大きな鞄にぎっしりと詰まって重いだろうに、彼女はしっかりと鞄を抱えていた。
額に薄っすらと汗を浮かべた少女に、アンドレアは優しく声をかけた。
「お帰りなさい、疲れたでしょう?沢山頼んで悪かったわね。今日はもういいから休みなさい。ああ、それだけ下げて貰えるかしら?」
結局ヘレンは食器を下げには来なかった。
夕食も運ばれず、入浴の準備もないままその日を終えようとしていたアンドレアは、リズの帰りを心から喜んだ。
リズに労いの言葉をかけると、朝の食器を下げることだけを言いつけて下がらせようとした。
銀のトレーに載せられた粗末な皿にリズの顔が曇った。
「申し訳ございません奥様。明日の朝は私がお食事を持ってきます」
まだ若いリズはアンドレアに敵愾心を持ってはいないようだった。
リズは申し訳なさそうに銀のトレーを手にしようとした。
己の役割を全うしようとする姿勢は初日からで、アンドレアはリズのその姿を気に入っていた。
「ええ、よろしくね。明日は私からゼルキンに会いに行くから、安心してちょうだいね。ああ、ちょっとこちらへ来て。これは今日のお礼よ、受け取って」
「……ありがとうございます!早く旦那様達がお戻りになればいいのですが」
アンドレアはリズから受け取った荷物から小さな瓶に入った飴を取り出し、トレーを持つ前のリズに手渡した。
嬉しそうにその瓶を受け取ったリズは、大事そうに飴をお仕着せの隠しにしまった。
そして今度こそ丁寧に銀のトレーを持ち上げ、アンドレアに一礼をして部屋を出て行った。
リズが出て行った扉を見詰め、遠ざかる足音を耳を澄ませて聞いた。
足音が聞こえなくなったことを確認し、アンドレアは早速鞄からリンゴを取り出すと自分のワンピースの裾で拭い豪快に齧りついた。
その姿は貴族の令嬢と言うよりも傭兵のような雰囲気を纏っていた。
「明日で終わりだ」
ゆっくりとリンゴを飲み込んで、アンドレアは呟いた。
レオンハルトから渡された見取り図を一日中眺めた。
ゼルキンがいる部屋も、厨房も、厩舎や井戸に至るまで、館の間取りは全て覚えた。
誰にも邪魔をされずに覚えられたのだから放置も悪くないと皮肉に笑った。
「旦那様の帰宅前に大掃除だな」
最後の仕上げはレオンハルトを待つ約束をしたが、下準備はやってしまおうと決めていた。
リンゴの芯を屑籠に放り込むと、アンドレアは朝起きたままになっているベッドに横になった。
♦♦♦
【リズサイド】
「まったく、奥様の食器も下げないなんて、職務怠慢もいいところじゃない」
薄暗い厨房に行くとそこには誰もいなかった。
リズは仕方なく薄暗い中でアンドレアの食器を洗い、片隅に置いてあった自分の分の食事を手にした。
冷めたスープで少し硬くなったパンを流し込み、空腹を満たす。
(――奥様の器は乾いていたけれど、夜のお食事を運んだ時間が早かったのかしら?)
リズは翌朝の段取りを頭で整理した。
(洗顔のお水を運んで、お召替えを手伝って、それから朝食をお持ちして……)
アンドレアから渡された飴玉を大事に仕舞うと、ベッドに横になり早々に目を閉じた。
明日の朝、仕事前に水浴びをしようと決めていた。
♦♦♦
【レオンハルトサイド】
町で一番上等なホテルの会議室で、ヴォルフラムとレオンハルトが並んで座り、その前には採集所で働く鉱夫の代表が座っていた。仲間の鉱夫達はその後ろに俯いて並んでいた。
ヴォルフラムとレオンハルトの後方には一族の男達が並んで立っていた。
「さて、騒ぎが起きたと聞いて昨日急いで来たんだが、経緯を聞こうか」
会話の口火を切ったのはヴォルフラムだった。
鉱夫の代表は体格が良く、鋭い視線の男だった。
その男は怒りを押し殺すような、震える声を抑えて語り出した。
「俺は採集所の親方をやってるガンズってもんです。俺たちは、旦那様方には感謝してるんです。怪我で動けなくなったら生活に困らない見舞金をくださる、食料の配給もしてくださる。その上給金と年末の手当もきちんと決めてくだすっている。これ以上を望んだら罰が当たるってぇのは承知なんですよ」
「うむ。鉱夫が危険な仕事だと言うのは重々承知している。それはお前たちの当然の権利だから気にする必要はない」
ヴォルフラムは鷹揚に頷き、レオンハルトも静かにガンズの言葉を聞いていた。
「ただ、俺たちゃ学がねぇ。手前の名前しか字が読めない、計算もできねぇ奴らが殆どだ。だから、伯爵様の代理人を信じるしかねぇ。……だが、最近ブラックリッジの鉱夫が仕事を覚えに来てるんだが、どうも俺たちの貰っている賃金が張り出してある契約書と違うんじゃねえかってんですよ」
採集所の休憩室に、鉱夫達の給金が張り出してあることをレオンハルトは思い出していた。
「入ったばかりの奴らは一日銀貨二枚、五年以上働けば銀貨三枚、十人一組で作ってる組長は銀貨四枚。ありがてえことに俺は親方ってことで銀貨五枚ってことになってるようなんで」
ガンズ達は働いた日数分、それぞれの名前を掘った木札を渡される。月に一度その木札を代理人に渡し、日給分が計算されると給金が渡されるようになっていた。
読み書きができない鉱夫達が、働いた日数を記録するための苦肉の策だった。
「俺の給金は交代で休みなく働いて三十日分だ。そこで、ブラックリッジの奴がおかしいって言ってきた。親方が三十日働いて、その重さの筈がねぇ、と」
ガンズは顔を歪めて続けた。
「女房に聞いたら、買うものも値段も変わってねぇが、金の減りが早くなったのは最近になってからだってんで。ブラックリッジの奴らに恥を忍んで数えて貰った。百五十枚あるはずの金が百二十枚しか入ってねぇと。他の奴らにも声をかけた。皆十枚くらいは抜かれていた。俺たちは恵まれてはいるが、命懸けで働いた金を何の理由もなく減らされるのは納得いかねえ」
悔しそうに顔を歪めるガンズにヴォルフラムとレオンハルトも険しい表情を浮かべていた。
「ここに、一番新しい予算が書いてある。ブラックリッジから来ている鉱夫達は考えなくていい。その上で、鉱夫達の人数は変わっていない、と報告は受けているがどうだ?」
ガンズはヴォルフラムの言葉に深く頷いた。
「間違いありやせん。ここの町では俺を入れて三十人。ブラックリッジの五人はいれてねえです」
「そうか……こちらが組んでいる予算も変わらないんだがな」
「……だが、俺は嘘は言ってねぇです」
拳を握り締めるガンズを心配そうに見る鉱夫達にヴォルフラムは表情を和らげた。
「勿論だ。俺が受け取っている報告書にも正しい数字が書かれている。過去の予算も洗い出しているが、恐らく正しい数字だろう。……変わったことはあるか?」
一瞬戸惑う素振りを見せたガンズだったが、意を決したようにヴォルフラムを真っ直ぐ見据えた。
「……オットー様が来た頃でしょうかね。女房に体調の悪い日があるのか、働けない日があるのかって聞かれるようになったのは。おかしいと思っても、俺たちは何がおかしいか分からねえし証拠がねえ。だが、オットー様は『娘が若様の女房になるから入用だ』ってぼやいてたんでさぁ」
「オットー……。ああ、ヘレンの父親か。あいつがここに来たのは三年前か……」
「俺たちは計算もできねぇ。ブラックリッジの奴らに聞いた最近の五回分の給金全部、三十枚抜かれてた。俺たちの仕事ぶりに不満があって下げられたのか、判断もつかねえ」
ヴォルフラムとレオンハルトは苦い顔を浮かべ、二人の後ろに控えている一族の男達は色めき立った。
「俺たちの仕事は命懸けだぁ。仲間を疑うことはしたくねえが、信用できねえ奴のために坑道を進むのはもっとできねえ」
「そうだろうな。この件は俺が責任持って調べる。もしお前たちの給金を抜いていたことが事実なら、それはちゃんと返すようにするから安心しろ」
ヴォルフラムが言うと、ガンズ達は深く頭を下げた。
「ありがとうございます。申し訳なかったです。……代理人に言っても潰されるなら、伯爵様の耳に届くように暴れるしかねぇと思ったから火薬を爆発させちまった。暴動の責任は全部俺なんです」
「暴動、暴動な。そんなもん、俺は知らん」
「……へ?」
「何だ、鉱夫ってのは声がでかい、動作もでかい。ちょっと驚いた時の身振りが大きいから見間違えたんだろう」
なあ、とレオンハルトに声をかけるとレオンハルトも頷いた。
「怪我人もいない、単に火薬が町外れで爆発しただけです。火薬の取り扱いに問題があったのでしょう。驚いて騒ぐのも無理はない」
「だけどよ……」
「親方ぁ!親方だから、俺たちついて行けるんだ!伯爵様!親方はお咎めなしってんでいいってことですよね?」
「引っ込めフレイム!お前ぇが口出すな!」
ガンズの後ろにいた男が一人、声を上げた。
ガンズはフレイムと呼んだ男を叱り飛ばしたが、フレイムは祈るようにヴォルフラムを見つめていた。
ヴォルフラムはしっかりと頷いた。
「暴動じゃないのだからそれに関しては何も言わん。だが、火薬の取り扱いを間違えた責任は追及せねばならん。が、責任ってのは上の人間が取るもんだ。例えば代理人補佐とかな?」
ヴォルフラムの言葉に鉱夫達は深く頭を下げた。誰も何も言わなかったが、その肩は震えていた。
「今日はもういいだろう。明日からまたよろしく頼んだ」
「もちろんでさ。俺たちはこれしかできねえんだ。なあ皆!」
「おうよ!」
ガンズが声を張り上げると、後ろの男たちは野太い声で返事をした。
「頼もしいな。何かあったらまた来てもらうことになるが、今日はゆっくり休むといい」
「ありがてえ。では、俺たちはこれで」
ガンズ達が部屋を出て行った後、ヴォルフラムは一族の男達に向き直り低く告げた。
「聞いたか?オットーの娘が伯爵子息に嫁ぐってぇのはいつ決まったんだ?当主は誰だ?ガンズ達が命懸けで鉄を掘っているからこそ、俺たちの暮らしは成り立っているんだ。お前たちのごり押しでオットーをここに配置した。代理人補佐で正解だったなぁ?給料袋を運ぶ奴が信用できなくて、ガンズ達が変わらず働いてくれると思ったか?ああ!?」
怒りが滲むヴォルフラムの声に皆口を噤んでいた。
「二度と、俺の――伯爵家当主の決定に口を挟むな。もし意見があるなら、俺たちが納得するだけのもんを出せ。そして、ブラックリッジとの縁組は俺たちにとってはいいものだと思っている。もう花嫁も迎え入れたんだ、余分なことは言うな。即刻、俺の前にオットーを連れて来い、いいな?」
一族の男達が一斉に駆け出していく様子を見てから、ゆっくりと立ち上がったヴォルフラムとレオンハルトはそのまま部屋を出た。
「郊外で火薬を暴発させても怪我人はなし。鉄鉱石の採取方法を覚えに来た者たちは読み書き計算ができる。ガンズ達が信用してるってことは人柄もいいってこった。お嬢だけの計画じゃねえかもな」
採掘技術を学びに来ている者たちの選別は、アンドレア以外の手が入っているだろうとヴォルフラムは考えていた。
だが、これで疑わしい家を潰すことができる。その家を推した一族のことも黙らせることができる、と震えそうな唇を引き結んだ。
「動いたな」
「はい、一気に進めましょう」
部屋に戻る二人の足取りは軽かった。
続
ここまでヘレンはアンドレアを奥様と呼んでいません。
認めたくないのでしょうね。ヘレンが認めなくても何も変わらないんですけどね。
リズは朝一出かけていたのでまさか昼も夜も食事がないとは思ってもいません。意地悪だけどまさかそんなバカなことはやらんだろうと思っていますが、ちゃんとやらかした子達です。




