幕間 初日の裏側
公開後一部修整しました
【ゼルキンサイド】
ゼルキンが鉄の採集所から暴動の連絡を受け取ったのは、次期当主であるレオンハルトの結婚式当日だった。
鉱夫達が暴れている、当主一族との直接の対話を要求されている、という内容だった。
伯爵とレオンハルトは、結婚式のために集まっていた一族の男たちに声をかけ、それぞれが馬に乗り慌ただしく教会を後にした。
『いいか、ゼルキン。くれぐれも妻を頼むぞ』
真剣な表情のレオンハルトの隣、眉を下げている子爵令嬢は気弱そうに見えた。
次期当主のレオンハルトの命は忠実に遂行することが当たり前だが、ゼルキンは現当主のヴォルフラムからも指示を出された。
馬上のヴォルフラムは早口でゼルキンに言いつけた。
『過去十年、毎月採集所に割り当てた予算を残らず洗い出してくれ。纏めてではなくても構わん。出来上がった順に送ってくれ。――採集所で暴動が起きていることは内密にな。問題が起きたとでも言っておけ』
ゼルキンは騎士の家系ではなかった。
ゼルキンの祖父が伯爵家初代当主、レオンハルトの曾祖父に書類仕事をさせてほしいと頼み込んで伯爵家に仕えるようになっていた。
ゼルキンの祖父が盗賊に襲われていたところを、初代が偶然にも助けたことに恩義を抱いたことによる始まりだった。
生憎と彼等は武術の才能はなかったが、書類仕事に関しては有能だった。
彼はヴォルフラムが生まれた時から傍にいた。
そんな彼の苦悩を近くで見ていたため、少しでも助けになれば、とその忠誠心と仕事ぶりで執事長にまでなったのだった。
レオンハルトの命の通り、アンドレアが快適に過ごせるように采配をしなければいけない。
その後はヴォルフラムの命令を進めるため、過去に纏めたものを引っ張り出して計算をしなおさなければならない。
アンドレアを部屋に案内し、やることを頭の中で整理していると部屋の前にテリアが直属の部下として置いている者たちがいた。
「ゼルキン様、お嬢様のお世話は私共にお任せください。旦那様と若旦那様がご不在ですから、執事長様もお忙しいでしょう?年が近い私達がお世話をいたしますわ」
親世代のごり押しで採用したメイド達だったため要職にはつけていなかったが、この非常事態にありがたい申し出だと、ゼルキンはそう思ってしまった。
「では、アンドレア奥様にご紹介を……」
「いえ、奥様からお嬢様に直接ご挨拶をする許可はいただいているのでこのまま向かいます」
「そうですか……。くれぐれもよろしくお願いしますよ」
「ええ、お任せください」
中心にいる金の髪をしたメイドは、後ろに三人の同僚を従え、貼り付けたような笑みを浮かべていた。
ゼルキンは一瞬胸をよぎった違和感を考えようとしたが、ヴォルフラムに言いつけられた業務を全うするために、過去の羊皮紙を引っ張り出していった。
暫くは寝る暇もなく部屋に籠ることになるだろうと予想はできたが、ゼルキンは一秒も惜しいと早速取り掛かることにした。
その日、ゼルキンは遂に私室に戻ることも横になって休むこともなかった。
♦♦♦
【メイドサイド】
ヘレンは伯爵家に仕える騎士の娘だった。
遡れば伯爵家初代当主の血縁だと、父親は誇らしげにヘレンに話していた。
『ヘレンと若様は丁度いい年齢だから、若様に気に入られれば伯爵夫人だぞ』
酔ったヘレンの父親はいつもそう言っていた。
幼い頃から可愛がってくれた伯爵ならば、自分が選ばれてもおかしくないのでは、とヘレンはそう思うようになっていた。
身分差があることは否めないが、母方の親戚に貴族であるグレイル家と関係のある家があるからと、その親戚を紹介された。
ホワイトリッジ家と同じく鉄鉱石が採れる土地の貴族で、ホワイトリッジ家とグレイル家が関係を強化すれば更に両家が発展していく、と囁かれた台詞よりも、ヘレンをグレイル家の養女としてレオンハルトの妻に推薦してもいい、という台詞の方がヘレンの心を揺さぶった。
なぜ、グレイル家がそこまでヘレンのためにしてくれるのか、ヘレンは考えようともしなかった。
ヘレンの両親は、ヘレンの父が伯爵家の親戚だからだと本気で思っていた。
いつレオンハルトから声をかけられるか、愛の言葉を囁かれるか、父親の口利きで働き始めた伯爵邸で、遠くからレオンハルトを見詰めて頬を上気させて待っていた。
父親も他の親戚達にレオンハルトとヘレンの婚約を後押しするように頼んでくれていた。
伯爵が不在がちのため話は進まなかったが、侍女長の直属にいるのだから他のメイドよりも抜きん出ているはずだった。
それなのに――。
ヘレンは悔しさに息が苦しくなった。
伯爵家の騎士団にいた父親は、採集所での任務を与えられたため滅多に会うことはなくなった。
それでも、たまに受け取る手紙にはレオンハルトとの婚約を仄めかす言葉が綴られていたというのに。
いつの間にか、片田舎のブラックリッジ領との婚約が整っていた。
結婚式に向かうレオンハルトは、家督を継いだばかりのためか少しやつれていたが、それが却って彼の精悍な顔つきを際立たせていた。
屋敷に現れた令嬢は、小柄で、柔和な顔立ちで、とても騎士の妻が務まるようには見えなかった。
ヘレンも騎士の娘として、それなりに剣の訓練はしてきたのだ。
それを、剣も扱えないような、レオンハルトよりも年上の田舎の女がレオンハルトの花嫁になることが、ヘレンにはどうしても受け入れられなかった。
伯爵夫人がレオンハルトを怒鳴りつけていたため、レオンハルトはこの結婚に乗り気ではないと、そう信じていた。
「……ちょっとあんた!どこ行ってたの!?仕事は山ほどあるのよ!!」
「奥様のお召替えと入浴のお手伝いです。寧ろ、ヘレン様は奥様にご挨拶もせずにどちらに?」
渡り廊下で最近雇われたリズと出会ったヘレンは、怒りに任せてリズを怒鳴りつけた。
しかし、リズは肩を震わせながらもヘレンに向かって疑問をぶつけた。
「奥様!?結婚式当日に花婿に見向きもされない女が奥様ですって?それにあんた、誰に向かってそんなこと言ってるのよ!」
「あんた入ったばかりで生意気なのよ……!」
ヘレンの後ろにいた背の高い栗色の髪のメイド、コレットがリズを地面に向かって突き飛ばした。
「どんくさいわね、エプロンに土がついたわよ」
笑いながら窓掃除に使ったバケツをリズの頭上で逆さまにしたのは、ストロベリーブロンドのベティだった。
「ほんと、とろいからこれもよけられないのじゃない?」
「……マーゴ様、泥団子を使うような仕事はメイドにはありませんが」
水に濡れた髪の上から、ぬかるんだ土を落とされたリズがマーゴと呼んだ赤髪のメイドを睨み付けた。
「……本当に、生意気だわあんた。商人風情が、騎士の家系の私達に口答えするんじゃないわよ」
ヘレンはリズの腕を掴んで立たせると、掃除道具を置いている部屋に彼女を押し込めた。
「コレット、ベティ、マーゴ、この女の手足縛っておきましょう」
「そうしましょう、この子のエプロンの紐でいいわね」
「私鋏あるわよ」
「ほら、押さえてるから早くして」
「離してください!」
リズは必死に抵抗をするが、抵抗虚しく数の前では身動きがとれなかった。
手足をエプロンの紐で縛られたリズは、必死に四人を睨み付けたが、彼女達は笑いながらそのままリズを置き去りにしてしまった。
「……商人風情から物を買っているくせに……!」
濡れたエプロンの紐は固くリズの手首に食い込んでいた。
「縛り方も知らないで、何が戦場では、だよ……!」
紐は引っ張ると締まってしまう。
リズは慎重に手首を擦り、結び目を押しつぶして隙間を作った。
その隙間に指を押込み、結び目が少し緩んだところで更に指を押し込んだ。
「あと……っ少し……」
最後に思い切り力を込めると、水分を含んだ布はぼたりと地面に落ちた。
痛む手首を見るがあまり赤くなってはいなかった。
ふっと息を吐いたリズは足首の紐をほどくとドアに手をかけそっと押した。
扉は外に重しがあるようで、開けづらくなっていた。
「……バケツかな」
ベティが持っていたバケツを外に置いたのだとリズは舌打ちをした。
後で片付けようとした、と幾らでも言い訳がつくものを外に置いたと容易に想像できた。
物の取り扱いに厳しいテリアが不在のため、置忘れを叱責する存在もいないだろう。
(……テリア様は体調を崩して暫く戻れない……奥様は手配をしていると言っていたのに、まさかあの人達のことだったのかな……)
暫く扉を押していたが、どうにも開かなかったためリズは座り込んで爪を噛んだ。
リズは採用されたばかりだが屋敷の見取り図は頭の中に入っていた。
渡り廊下に掃除用具を仕舞うこの部屋の近くには井戸がある。
誰かが井戸に近寄った時に声を上げれば気付いてくれる可能性がある。
その誰かがヘレン達ではないことを祈るしかなかった。
濡れたお仕着せが体温を奪っていくが、リズは静かに座ってひたすら待っていた。
耳を澄ませていると、外からヘレン達ではない声がした。
「あれ、誰だよバケツ置きっぱなしにしてるの」
聞き覚えのある声にリズは声を上げ、中から扉を叩いた。
「ジャックさん!そこいますか?」
「え?誰?どこ?中?」
「そのバケツどけてください!ついでに閂してあったら外してください!」
「わ、わかった!」
「どけました?」
「あ、ああ」
「ありがとうございます!」
リズは掛け声と共に思い切り扉を蹴り飛ばした。
古い扉はバタンッと音を立てて勢いよく開いた。
辺りは暗く、既に夜になっていた。
「リズ……?どうしたんだい?そんな格好で」
「いえ、事故です。ありがとうございました」
リズはジャックに頭を下げ、バケツを元の場所に戻すと閂をかけた。
「それ、片付けないのか?」
「ええ、ベティ様が使っていたので後で取りに来ると思います」
「そうなんだ……」
失礼します、と歩き出すリズは内心で舌を出していた。
ベティがジャックに恋をしているのは知っていた。
そしてジャックはキツイ女性が苦手だということも。
「へんっざまあみろ!」
怒りに燃えるリズは着替えるために急いで私室に戻った。
乾いてこびり付いた泥は中々落ちなかったため、時間がかかってしまった。
急いで厨房に向かい、放置され冷めきったアンドレアの食事を見てリズは悔しさに唇を噛んだのだった。
夜中、リズは部屋に戻る途中でジャックに再び出会した。
「大丈夫だったかい?」
「はい。ありがとうございます、慣れてますから。それよりも、明日奥様の言いつけで買い物に行くんですが……ゼルキン様がお忙しいようで、馬車は無理でしょうか?」
「ゼルキン様の許可があれば馬車を用立ててあげられるんだけど……。荷馬車でも良ければ許可はいらないから準備しておくよ」
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
リズはジャックに頭を下げ、今度こそ部屋に戻ったのだった。
♦♦♦
【レオンハルトサイド】
馬上にいるレオンハルトの顔は険しく前を見つめていた。
「レオン、随分と機嫌が悪そうだな」
軽装に着替えたヴォルフラムは同じく軽装のレオンハルトの隣に並んだ。
「何でもないですよ」
「そうかぁ?お嬢は綺麗だったなー」
「ええ、本当に」
息子を揶揄するように言ったヴォルフラムに、レオンハルトは真顔で答えた。
「俺は幸せですよ。なのに……」
「まぁ、何だ。さっさと終わらせるぞ」
「最速で終わらせます。早くアンドレア嬢にいい報告ができるように」
レオンハルトはアンドレアから贈られた手綱を強く握った。
「……結婚してんのに嬢もねぇだろ」
「今はまだいいんです」
初めて愛称を呼ぶのは二人きりになった時だとレオンハルトは決めている。
「変な気を起こす愚か者が少ないといいのですが」
「そうだなぁ。俺はお嬢が相手を始末してないか心配だがなぁ」
「それは大丈夫ですよ。待っててくれるって言ってましたから」
「……そうか」
頼もしい息子夫婦にヴォルフラムは一呼吸置いてから頷いた。
暫く無言で進んでいたが、ヴォルフラムはそう言えば、と再び口を開いた。
「フロリアとテリアが別邸にいて、お嬢の侍女はどうなるんだ?」
「母上に任せきりだからそうなるんですよ。……母上が信用できる侍女を手配すると言ったら、アンドレア嬢は断ったそうですよ」
「何だって?」
「都合がいいからこのままで、だそうです」
アンドレアの獰猛な瞳を思い出し、ヴォルフラムは黙り込んだ。
「アンドレア嬢に相応しい男にならなければと思っています」
「うん、伯爵家は安泰だな」
ここにきて息子の新たな一面を知り、ヴォルフラムはあまり屋敷に滞在できなかった日々を惜しく思っていた。
それでも、息子が父として慕ってくれていたのは、フロリアの教育がよかったのだろう。
片が付いて、息子夫婦の新婚旅行の後になるだろうが、フロリアとゆっくり旅行するのもいいだろう。
未来への計画を立てながら本邸から馬で二時間進んだ頃、景色が変わり活気のある町に近づいていた。
「この町に来るのも久しぶりですね」
「そうだな。ゼルキンからの報告を待つ間に、今年の予算の使い道をじっくり聞き取りしねぇとな」
ヴォルフラムとレオンハルトの遥か後方、結婚式に参列していた一族が続いていた。
「口煩いが、汚いことは嫌いな連中だ。楽しみだな」
結婚式に招いたのは近しい血縁の者たちだけだった。
来たばかりの花嫁が仕切ることを是としない可能性が大きいため、一緒に連れて行けとアンドレアに言われていた。
「ここで、終わらせます」
「……そうだな」
スピードを上げた二人の背は、後方の者たちからは遂に見えなくなっていた。
続
リズが扉を蹴り飛ばした理由は腹いせです。
ジャックはキツい人ではなく意地悪な人が苦手です。
ヘレン達の父は採集所にいますがヘレン達はまだ暴動を知りません。




