5.屋敷にある問題、初日
結婚式当日は雲一つない青空だった。
眩しい太陽を手の平越しに見上げ、アンドレアは目を眇めた。
朝早くマリアを子爵家に送り返し、正真正銘一人きりだったが不安はなかった。
教会には既に伯爵家の親族が集まっていた。
レオンハルトの元に向かうアンドレアの横には、正装姿のヴォルフラムが立っていた。
「久しぶりだなぁお嬢、綺麗なもんだ」
「そうだろう?レオンハルト様も似合うと言ってくれたんだ。……爺さんも元気そうだな」
堂々と答えるアンドレアにヴォルフラムは嬉しそうに笑った。
純白のドレスは柔らかく広がり、アンドレアの小柄な体躯を引き立てていた。
「……悪いな、この日で。口煩い奴らは連れて行く、遠慮なくやってくれ」
「執事長に命令し慣れている奴らを連れて行ってくれるだけで十分だ。後は、爺さんもフロリア様もレオンハルト様も、私が何をするかは知らなくていい。戻って来たら、後始末はレオンハルト様に任せるさ」
扉の前、一年振りに対面した二人は言葉を交わしていた。
ヴォルフラムはアンドレアに会いに行こうとしたが、レオンハルトとフロリアから止められてしまった。
アンドレアが託した伝言は一つだけ。
『結婚式当日、扉の前で』
そのため、ヴォルフラムは花嫁となるアンドレアを訪れることができなかった。
「義理の父親の訪問を断る花嫁なんざ信じられんぞ」
「いいじゃないか。さぁ、私はどんな立場だと思われるんだろうな」
『花嫁を何だと思っている』と叱責されたレオンハルトと、花嫁に会いに行くこともない伯爵。
味方になり得るフロリアは別邸から戻らない。
本邸にいる者たちはどう思うのか。
そうなる状況に思い至ったヴォルフラムは苦笑いを浮かべた。
「――こうなることも計算の内か?」
「まさか。テリアが腰を痛めたのは偶然だ。都合がいいと思ったことは否定しないがな」
扉が開き、レオンハルトの元にゆっくりと歩みを進めるアンドレアとヴォルフラムの後ろから、静かな雰囲気に似つかわしくない、荒々しい足音が響いてきた。
その音を聞いているアンドレアは、ベールの下でそれは楽しそうに笑っていた。
隣のヴォルフラムだけが、その笑みの深さに気付いていた。
「大変です!採集所で暴動が起きました!」
――レオンハルトとヴォルフラムが揃って結婚式を途中退席した事実は、すぐに本邸を駆け巡ったのだった。
♦♦♦
緊張感に満ちた空気の中、軽装に着替えたレオンハルトを見送る直前、アンドレアは執事長のゼルキンだけを紹介された。
『いいか、ゼルキン。くれぐれも妻を頼むぞ。アンドレア嬢、暫く留守にしますが……』
『ええ、お気を付けていってらっしゃいませ、旦那様』
『……はい、なるべく早く戻ります。――これを。遠慮は不要だからな』
『最後の仕上げは待っているから安心しろ』
アンドレアの耳元で、彼女にだけ聞こえる声で囁いたレオンハルトは、ある物を手渡した。
アンドレアがそれを仕舞ったことを確認した彼は、伸ばしかけた手を一度握り締めて慌ただしくファルコに跨った。
琥珀の手綱を握りしめた姿を眺め、やはりレオンハルトの瞳の色と合わせて正解だった、とアンドレアはのんびりと考えていた。
みるみる小さくなるレオンハルトの背中を見送ったアンドレアは、ウェディングドレス姿のまま一人で馬車に乗り伯爵家に足を踏み入れた。
エントランスでは使用人が頭を下げていたが、ヴォルフラムとレオンハルトの慌ただしい出発のせいか、その数はレオンハルトから聞かされていた使用人の人数よりも少ないように思えた。
「さあ、それでは部屋に案内してちょうだい。荷物はどうなっているのかしら?」
「ご案内いたします。荷物はお部屋に運んでありますので、後で身の回りのお世話をする侍女を紹介いたします」
ゼルキンの案内に従い歩みを進めるアンドレアは、背中に刺さる視線に気が付いた。
好意的な感情ではない強さに緩みそうな口元を引き結んでいた。
固く見える表情は、婚家に一人残された花嫁の悲哀だとゼルキンに思わせるものだった。
「ええ、お願いね」
柔和な笑みを浮かべるアンドレアを遠くから見詰める視線に、ゼルキンは遂に気付くことはなかった。
♦♦♦
ゼルキンに案内された部屋は。レオンハルトの部屋と扉一枚で隔てられた夫婦のための部屋だった。
別邸と同じく、アンドレア好みに準備された部屋に、レオンハルトの気遣いが溢れていた。
「奥様、お召替えを……」
「ありがとう。すぐ入浴はできるのかしら?」
「……はい、あの、浴室はこちらでございます」
メイドの手を借りてウェディングドレスを脱いだアンドレアは、部屋の奥にある扉を潜ると浴室をぐるりと見渡した。
浴槽には温かい湯が張られているが、手伝いのメイドはドレスを脱がせてくれた一人しかいなかった。
焦げ茶の髪をきっちり後ろで纏めた少女は、顔を青くしてアンドレアの前に膝をついた。
そばかすが散った頬はまだあどけなく、新人だろうと容易に想像できた。
「申し訳ございません。私一人ではありますが、精一杯お世話をさせていただきます」
「……よろしくね」
程よい温度の湯に体を沈め、アンドレアは大きく息を吐いた。
「失礼いたします」
本来であれば年上のメイドの指示で動く少女は、慣れないながら丁寧な手つきでアンドレアの豊かな黒髪を洗い、湯上りの背に香油を塗りこんだ。
「お召し物はこちらでよろしいでしょうか」
「ええ、それでいいわ」
メイドが差し出した青いナイトドレスを身に纏い、アンドレアは鏡台の前に腰をかけた。
アンドレアの後ろに立ち、まだ濡れた髪を梳かす手つきは覚束ないが心地よい力加減だった。
鏡越しに見えるメイドの緊張した面持ちをアンドレアは微笑ましく思い、優しく声をかけた。
「名前は?」
「あたし、いえ、私は、リズと申します」
「そう、ありがとう、リズ。お陰でさっぱりしたわ」
アンドレアがにっこり笑うとリズは顔を赤くした後浮かない表情を浮かべた。
「すみません、人を増やすように執事長様に伝えておきます」
「ありがとう、でも今はいいわ。暫く貴女に全て任せるわね」
「精一杯努めて参ります……!」
お食事をお持ちします、と頭を下げて部屋を出るリズをアンドレアが見送ったのは夕方のことだった。
――しかしその日、アンドレアの元に食事が運ばれたのは夜中と言っていい時刻だった。
何度も頭を下げるリズが押してきたワゴンには、豪華だが冷めきった料理が並んでいた。
「申し訳ございません。私の手際が悪く、奥様にはご迷惑を……」
「いいわ、冷めても美味しそうだもの。貴女も忙しかったみたいね?」
リズのエプロンは真新しくなっていた。
汚れてしまったエプロンを取り替えていたのだろう。
髪型も急いで纏めたのか、所々ほつれていた。
項にうっすら残る黒い汚れと、微かに残る土の匂いにアンドレアは何が起こったのか薄々気付いていたが、リズは言い訳もせずに必死に手を動かして準備をした。
アンドレアは部屋から厨房までの経路を思い浮かべていた。
使用人が通る渡り廊下の近くであれば、リズが多少大きな声を出してもゼルキンの部屋には届かないだろう。
アンドレアは不快な気持ちが込み上げ、低く呟いたが、その声はリズの耳にははっきりとは届かなかった。
「……泥水をかけられて閉じ込められた、というところ、か」
「奥様?何かおっしゃいましたか?」
「……美味しそうね、と言ったのよ、ありがとう」
いえ、と小さい声で呟くリズは涙を堪えているようだった。
言い訳もせず、泣き言も言わず、ただ奥歯を食いしばっているリズの姿を、アンドレアは好意的に受け入れた。
メイドとしての立ち回りは拙いかもしれないが、その姿勢を受け入れたのだ。
「貴女には悪いけど、今日だけ我慢してちょうだい。明日、街に降りて買い物をしてきて。遠いから朝早くから行かないと間に合わないわね。夜は遅くてもいいから、戻ったらすぐに私の部屋に来てくれる?」
アンドレアは準備を終えたリズに銀貨と銅貨を数枚渡し、彼女に買い物を言い付けた。
戸惑うリズを尻目にアンドレアは席に着くとスプーンを手に取った。
「ですがそれでは……」
「一人で着られるワンピースも持ってきたから大丈夫よ。貴女に買い物を言い付けたと、ゼルキンに伝えてちょうだい」
「わかりま……、えっと、畏まりました、奥様」
リズが退室した後、ベッドに横になったアンドレアは大きく欠伸をして目を閉じた。
リズがいなくても明日の朝食は届くだろうか、とどこか他人事のように考えていた。
続
短編と少し言い回しとか変えていますが大筋はそのままです。




