4.結婚式前の誓いと問題
伯爵家に向かう馬車の中、アンドレアは窮屈な空間にうんざりしていた。
子爵家の領地から伯爵家の領地まで、馬車で六日間ほどだった。
レオンハルトはいつも馬車ではなく馬でアンドレアを訪ねていたため、アンドレアも愛馬のオードリーで単身向かえるならば半分の日程で済むと計算をしていた。
アンドレアは当初、単身馬で挙式予定の教会近くの宿まで向かい、子爵家の使用人達を迎えればいいと本気で思っていた。
そうしようと思っている、と言ったアンドレアを、ジョアンナは目の奥が笑っていない微笑みで諭した。
『アンドレア・ブラックリッジ子爵令嬢。冗談が好きなのも考えものね。馬車は用意してあるから、安心しなさい』
『……はい』
こうしてアンドレアは慣れない馬車での移動を余儀なくされていた。
実家からはマリアが付いてきたが、挙式が終わればすぐに子爵家に帰す予定だった。
伯爵家の関係者だけがいる状態が望ましい、とアンドレアもジョアンナも考えていたからだ。
旅も終盤にさしかかり、疲労が蓄積しているアンドレアを気遣うようにマリアが声をかけた。
「お嬢様、明日には伯爵領に入りますよ。教会近くの伯爵家所有の別邸で体を休めるようにと言われております。お嬢様の誕生日は宿場ではなく伯爵家の別邸で迎えられそうですね」
「……そうね、ありがたいことね。姉上もきっとそれを見越しての日程を組んでくださったのね」
同じ姿勢で過ごしていたため違和感を訴え始めた体を宥めるように、アンドレアは心地よい姿勢になるように体を動かした。
「ええ、レオンハルト様と初めて迎えるお嬢様のお誕生日ですもの、きっと思い出になるようにとジョアンナお嬢様のお心遣いですよ」
婚姻の日程を整えているとき、両家の都合のいい日はアンドレアの誕生日の翌日だった。
『貴女と出会って初めての誕生日ですから、盛大にお祝いしましょう』
交流の日、そう言ったレオンハルトは張り切って準備をしているだろう。
その日から、何度か会う中でレオンハルトの言葉は親しみのあるものに変わっていった。
『――アンドレア嬢、だと堅苦しいな。俺だけの呼び方にしたい』
そう言ったレオンハルトからはまだ愛称を呼ばれたことがなかった。
その日が来るのが待ち遠しく、アンドレアは口元を緩めた。
「楽しみね、私が用意したプレゼントも気に入ってくださるかしら」
予定より遅く、レオンハルトは先月伯爵家の家督を継いだ。
その準備で慌ただしく、レオンハルトは二か月間ブラックリッジを訪れることはできなかった。
その間にレオンハルトは誕生日を迎えたため、アンドレアは祝いの手紙を送り、結婚式前に会ったらプレゼントを渡そうと思って準備をしていた。
ファルコに会うのも二か月振りで、アンドレアは逸る気持ちを抑えるように大きく息を吐いた。
マリアはその溜息を緊張だと勘違いしたのか、アンドレアを励ますように笑った。
「きっとお喜びになりますよ。ファルコによく似合う手綱ですもの」
「そうだと嬉しいわ。黒い鬣に琥珀の手綱が良く似合うと思うの」
うんうんと頷くマリアは、アンドレアとレオンハルトの仲睦まじさを微笑ましく思っていた。
♦♦♦
「さぁ、こちらで間違いないですね。……騒がしいようですが」
指定された屋敷は教会にほど近く、伯爵家の持ち物に相応しい外観だった。
門番に通されて玄関前で馬車を降りたアンドレアとマリアは、扉の近くが騒がしいことに気が付いた。
「……すぐに医者を!……アンドレア嬢!出迎えが遅れて申し訳ない。道中変わりなかったですか?」
「お陰様で、無事にお会いできて嬉しく思います。……騒がしいようですが?」
慌てた様子のレオンハルトは、二か月前よりも疲労の色が濃く表れていた。
だが、その瞳がアンドレアを映した時、嬉しさに輝いたことをマリアは見逃さなかった。
「あらあら、前途は明るいですわね……」
マリアの呟きは騒がしさにかき消されたが、近くにいた門番の耳にはしっかりと届いていた。
「ああ、実は侍女長が腰を痛めてしまいまして。最低限の使用人しか連れて来なかったので騒がしく……。すみませんが中でお待ちください。母上!アンドレア嬢が到着しました!」
「まぁ!アンドレアさん、お会いできて嬉しいわ!ゆっくりと自己紹介をしたいのだけど、ごめんなさいね、侍女長を医者に診せないと……。誰か!テリアを支えてちょうだい!」
レオンハルトに母と呼びかけられた女性は、アンドレアが想像していたよりも柔らかな雰囲気を纏っていた。
その近くに、テリアと呼ばれた女性が蹲っており、レオンハルトがアンドレアの後ろ、扉の外に指示を飛ばしていた。
「今すぐ医師を、どちらか一人残ればいいだろう」
「はい!」
年若い門番が返事をして走り去って行く後ろ姿を見送り、レオンハルトはアンドレアの元に駆け寄った。
「お待たせいたしました、騒がしくして申し訳ありません。母には後ほど改めてご紹介しますので、まずはお部屋で休んでください」
アンドレアに腕を差し出したレオンハルトは、彼女のために整えた部屋へと案内をした。
すっきりとした調度品と落ち着いた色合いはアンドレア好みで、レオンハルトの気遣いに彼女は頬を緩めた。
ソファに対面で腰を掛け、アンドレアは口を開いた。
「お久しぶりです、侍女長は大丈夫なのですか?」
「お久しぶりですね。ええ、実は張り切りすぎた侍女長が獲物を運ぼうとして腰を……」
「獲物?何のです?」
「実は、初めてお会いした日、アンドレア嬢が鹿がお好きと言っていたので狩ってきました。それを侍女長が自分で下処理をすると運ぼうとして……私が自分で運ぶと言ったんですが……」
照れたように頬をかいたレオンハルトは、すぐに眉を下げて侍女長が腰を痛めた原因を説明した。
「まあ、それは災難なことですね。……侍女長はレオンハルト様から見てどんな方ですか?」
「……信用に値する人物です。母上の目の届かないところまでよく皆の面倒を見ています。ああ、ありがとうございます、マリアさん」
二人の前に紅茶を置いたマリアに、レオンハルトは礼を言うと視線をマリアからアンドレアにすっとずらした。
アンドレアはその視線に気づくとすぐにマリアに声をかけた。
「ばあや、隣で少し休んでおきなさい。また明日から忙しくなるでしょうから」
「けれど……」
「マリアさん、今日は私にアンドレア嬢を独占させてください。マリアさんには後で食事をお持ちするように言いつけてありますから、部屋でお待ちください」
「あらあら、お気遣いありがとうございます。それでは私は休ませていただきますね。お嬢様、何かあったらお呼びくださいね」
「ええ、呼び鈴は……そこね、大丈夫、また後でね」
礼をして隣の部屋に向かったマリアを見送り、アンドレアはレオンハルトに改めて向き直った。
「それで?詳しく聞こうじゃないか」
「ああ、そっちがしっくりくるな。侍女長、テリアと言うんだが、周りをよく見ている。母上の侍女の様子に最初に気が付いたのも彼女なんだ。そもそもな、伯爵家の侍女になるには体力測定のようなことをしているんだが、どう見てもそんな体力もなさそうな少女が何人か採用されていた。」
言葉遣いを戻したアンドレアとレオンハルトはそれぞれに姿勢を少し崩した。
ティーカップに口をつけてレオンハルトは続けた。
「テリアの直属という形で監視下に置いていたんだが……案の定、というわけだ。血縁関係を盾にねじ込まれてきたんだろう」
「なるほど……問題は侍女長が動けなくなったこと、か?」
「そうだ。本邸に残してきた執事長は疑わしい奴らを要職には付けない。今も本邸でテリアの代わりに指示を出しているだろう。ただ、情に絆されやすい」
そこまで言うとレオンハルトは深いため息を吐いた。
その溜息を聞きながら、アンドレアは少し冷めた紅茶に口をつけた。
「恐らくは、侍女達は執事長に貴女のお世話をしたいと申し入れるだろうな。本当ならばテリアが様子を見ながら一人ずつ貴女に付ける予定だったんだが」
「構わんよ。寧ろ一気に片をつけられていいじゃないか」
ティーカップを置いてにやりと笑うアンドレアは軽く首を回した。
「義母上にもご挨拶をしたいが……」
「ああ、この部屋に来ることになっている。そのまま屋敷に帰るそうだ。自分がいたら休まらないだろうから、とな。だが、テリアは動かせないだろう……」
「ちょうどいい、療養ということでここにいればいいさ」
言葉を交わしていると、ノックの音が響いた。
レオンハルトが扉を開けると、レオンハルトの母が立っていた。
「改めて、初めまして、アンドレアさん。フロリアよ。これからよろしくね」
「初めまして、アンドレアと申します。よろしくお願いいたします」
礼をとるアンドレアを優しく見つめたフロリアは、アンドレアの肩に手をそっと置いた。
その温もりと柔らかさに、アンドレアはスマラグダを思い出した。
「貴女が来てくれて嬉しいわ。もっとゆっくりお互いを知りたいけれど、時間がないから単刀直入に聞くわ。私はどう動けばいいのかしら?」
「話が早くて助かります。義母上は結婚式当日から、侍女長が心配だとこちらに留まってください。当日のことはご存知ですか?」
「ええ、聞いているわ。でもそれだと貴女が一人になってしまうじゃない」
アンドレアをソファに促したフロリアは、アンドレアの隣に座り心配そうに彼女の瞳を覗き込んだ。
「好都合ですよ。義母上から見て、執事長はどんな人柄ですか?」
アンドレアの問いに考え込んだフロリアは静かに口を開いた。
「そうねぇ……。真面目は真面目ね。ただ、何というか、騎士というものに強い思い入れがあるように見えるわ」
「騎士、ですか」
アンドレアが呟くと、レオンハルトは思い当たる節があったのか頷いた。
「なるほど、納得しますね。アンドレア嬢には信じられないかもしれませんが……。恐らくは、伯爵家が騎士だということに誇りを持っているのは執事長でしょうね。彼は自分が騎士に向かないとわかっていますから」
「騎士の信念、ね。自分に信念があるからと言って相手も同じ信念があるなんて思わないけれどね」
ヴォルフラムと共に伯爵家を支えてきたフロリアは皮肉に口元を歪めた。
「そう、夫もレオンハルトも立派な騎士よ。それは身内の贔屓目だとしても私はそう思っているわ。ただ、使用人達が騎士かと言うと、そう呼んでいいのかしらね」
「血縁関係はありますからね。騎士の家系ではありますね」
「薄いけれどね。寧ろ血筋が近い方が固執していないわ」
フロリアとレオンハルトの会話を聞いていたアンドレアは少し考えてから口を開いた。
「当主が立派な騎士だから自分も立派な騎士だと思ったのでしょうか」
「あぁ、そういうことかしら。そんな勘違いをする者がいるとは想像もしていなかったわ……。執事長、ゼルキンと言うのだけれど、彼は憧れこそあれ自分がそうだとは思っていないわね。だからこそ、使用人達も考える訳がないと思ったのかしら。――本当に、真面目で信頼はできるのよ。ただ、彼をこの別邸には連れて来られなかった。伯爵家への忠誠心は疑ってないけれどね」
フロリアが疲れたように呟くとアンドレアは顎に指をあてて考えこんだ。
「書類仕事は任せられてもテリアのような視点はない、ということでしょうか」
「――比較の問題かしら」
「比較?」
「そう、ゼルキンもテリアも忠実で、信頼もしているわ。ただ、この二十年で伯爵家から追放した一族は、追放されても仕方がない、と思えたのよ。領民を虐げる、鉄鉱石を横領して別の家に売りつける、その他にもね」
フロリアの言葉を引き継ぐようにレオンハルトが口を開いた。
「ああ、今は仕事が遅いくらいが目立つ問題ですからね」
「そう、酷い時を知っているから、それに比べたら追放する程ではないと思っているのかしらね。旦那様が留守がちだったからある程度の権限を与えていたのよ。それが今になってもどかしくなるなんて、喜ばしいけれど煩わしいわね」
アンドレアは再び目を伏せて思考を巡らせた。
その様子に気づいたレオンハルトは黙ってアンドレアの次の言葉を待っていた。
「わかりました。ゼルキンは信頼できる、ということが分かれば十分です。――それで、明後日の結婚式なんですが……」
「ええ、皆を引き連れて行く段取りはできているわ」
「父上も私も準備はできています。明後日、久しぶりに会えると喜んでいましたよ」
レオンハルトの言葉にアンドレアは笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、私も楽しみですよ」
その笑顔の裏にあるものに気付いたのはレオンハルトだけだった。
「今日はゆっくりしてちょうだいね。明日はドレスの最終チェックをしましょうね。――明後日の式はあまり気にしないでね」
「大丈夫です、結婚式当日を選んだのは私ですから」
堂々と言い切るアンドレアを目を細めて見つめたフロリアは、安堵の息を吐いた。
レオンハルトから結婚式当日に領地に向かうと聞いた時、フロリアは持っていた扇をレオンハルトに投げつけて叱責した。
折角迎える花嫁を何だと思っているのか、と屋敷全体に響いた怒号の本当の意味を知る人物は少ない。
アンドレアはフロリアの怒号が響いたとレオンハルトから聞いた時、フロリアのことが好きになっていた。
「ありがとう、アンドレアさん」
フロリアはアンドレアに会うまでは色々な思いを抱いていたが、レオンハルトのために動くアンドレアを信用すると決めていた。
そして、実際に言葉を交わして、自分の選択に間違いはなかったと確信していた。
「いえ、勝手に結婚式当日という日を選んだことは、申し訳ありません」
「いいのよ、寧ろこちらが謝らないとね。折角の結婚式なのに、ごめんなさいね。大々的なお披露目はちゃんとやらせてちょうだいね。王都で両家を集めて、皆に紹介する日が楽しみだわ」
アンドレアの肩を一度強く抱き、フロリアは立ち上がった。
「さぁ、私はこれで失礼するわ。明日からよろしくね」
扉を出るフロリアの背を見つめ、アンドレアは深く頭を下げた。
続
まだ結婚式しないのか、とは作者が一番思っています、すみません。
レオンハルトは未だにアンドレアを愛称で呼べていません。アンドレアはいつ呼ばれるかな、とドキドキしながら待っています。
言葉遣いは今のところ二人の時だけ砕けてます。




