第9話 魔王の力
耳をつんざくような爆音と、あらがえないほど強力な爆風と、焼けただれてしまいそうな熱風。
室内にあっという間に炎が広がり、爆風は祭壇を吹き飛ばし、ステンドグラスも粉々に砕けた。ガラス片が降り注ぐ。若者たちは皆転げ出すように神殿を飛び出していった。セラスもまた神殿を出ようとする。瞬間。
炎に包まれた巨大な木片が、セラスの頭上に落下する。
――逃げ切れない!
もうダメだ――と、セラスは覚悟を決めた。が――
「水よ!」
オニロの声が響くと同時に、神殿が大水に包まれる。炎は水に飲まれ、爆風も一気に収束した。
彼が火を消してくれたのだ。セラスはパッと表情を明るくする。しかし背後から聞こえてきたのは凍り付くような声だった。
「お前、魔族か!?」
リーダーの若者が声を震わせる。煤で顔が汚れ、膝を擦りむいた子どもたちもまた、泣き叫びながら青年たちにしがみつく。
「怖い……!」
「嘘でしょ、なんで魔族が……!」
「やだ、やだ、なにもしないで!」
「……え?」
セラスは思わず硬直する。魔族だから、怖い? でも、オニロが魔術を使わなかったら彼らは爆発で死んでいたかもしれないのに。
胸の奥にぐちゃぐちゃとした感情が渦巻く。だが、オニロがセラスの腕を引いた。
「セラス、今はこっちに集中しろ!」
そのまま神殿のほうへと身体を向けられる。背後から怯える声は続いていたが、セラスは聞かないようにオニロだけに意識を向けた。
「水をかけただけじゃ、たぶんまた暴発する」
オニロの言葉に悲鳴が上がる。うるさいな、と言いかけたのをぐっと飲み込んで、セラスはオニロを見上げた。
「火は消したんじゃないの?」
「一時的に消しただけだ。さっきの爆発から考えれば、ちょっと時間が経ったらまた燃え広がる可能性がある」
「じゃあもっと水をかければ――」
「それよりもっと確実に抑えたい。だからセラス、お前の地の魔術でこの神殿を埋めてくれ」
「埋める……」
オニロはセラスを神殿の入口まで移動させると、扉の中を指差した。供物も祭壇も全てが粉々になった上、水までかかっている。だが、確かにそこにはまだ煙が立ち上っていた。――火の気配を感じる。
「深いことは考えなくていい。ただこの建物の内側を全部土でいっぱいにするイメージで魔術を使え」
「そ、そんないい加減な感じでいいの!?」
「問題ない。魔術で一番大事なのはイメージすることなんだよ。あとは魔力の出力調整だけだ」
「でも私、そういうの苦手なんだけど……!」
身体の中に、大量の魔力があるのは感じる。それをめいっぱい出力するだけなら考えずに出来る。けれど流れる魔力の量が多すぎて、細かいコントロールをするのは難しいのだ。
しかしオニロは「大丈夫」と笑った。
「細かい調整は俺がする。だからお前は何も考えずに放出すればいい」
「ほ、ホントに……?」
「俺は地属性の魔術は使えないんだよ。お前が頼りだ。ってわけで、よろしく」
あまりにも軽い物言いに唖然としてしまったが、そこまで言うならどうにかなるのだろう、とも思えた。こうなったらもう仕方がない。責任はオニロに押しつけて、自分に出来ることをやればいい。
セラスは両手を前に突き出すと、静かに目を閉じて呼吸する。体内を流れる魔力の奔流の中から地属性の気配を探り、それを手のひらに集中させる。
ざわざわと何かがざわめいた。風――違う。セラスの周囲に集まってきた、地の精霊たちだ。静かで重厚なその気配が、セラスの全身を包み込んでいく。その瞬間、地の気配が一気に暴発しそうになって、セラスは息を呑んだ。でも。
「大丈夫、落ち着け」
耳元で聞こえたオニロの声で、フッと身体が軽くなる。そうだ。魔力に振り回されている場合ではない。セラスは真っ直ぐに神殿の入口を見据える。
ぷすぷすと上がっていた煙が、急激に勢いを増してくる。赤い炎がボッと増すのがわかった。
――あの村の炎が脳裏をよぎる。
一瞬、呼吸が止まった。だが、すぐに思いきり息を吐き出す。
今ここで怖じ気づいたら、この村も同じようにめちゃくちゃになってしまう――そんなこと、認められない!
「地の精霊よ、私に力を!」
セラスを包む精霊たちが一斉に膨れあがる。魔力の奔流に流されて、身体がふらりと傾いだ。しかし、オニロがしっかりと支えてくれる。
「均衡を――」
オニロの手のひらが背中に添えられる。直後、まるで温かな湯船に浸かるような心地良い感覚がセラスを包む。勢いよく押し流そうとしていた魔力も精霊も、たちまち落ち着きを取り戻してゆったりとした波が生まれていく。そして――
――ドォン……と。
低い地鳴りの音がして、虚空から現れた土たちが土石流のように神殿の入口を塞いでいった。燃え上がろうとしていた炎もあっという間に押しつぶされる。供物も、祭壇も、その残骸も。何もかもが土に埋め尽くされて、その姿を――消した。
もう誰も中には入れない。炎の気配も火薬の匂いも、全てが消失する。
「……た、すけ……られた……?」
魔力の奔流がわずかに体内に残っている。それに頭をクラクラさせながら呟くセラスに、オニロがしっかりと頷いた。
「ああ。もう大丈夫。お前が助けたんだよ」
「私が……」
胸の奥に、熱い感情が流れてくる。それは決して暗い色をしていない。自然と頬が綻んで、指の先まで充実感で満たされる。しかし。
「なに、今の……」
怯えるような声が聞こえて、セラスはハッとして振り返る。若者たちは、誰もが皆怯えていた。年が上の青年たちは背中に子どもたちをかばい、強く睨み付けてくる。
恐怖、狼狽、驚愕、畏怖――温度差はいくらかあったが、どれも負の感情であることに間違いはなかった。
なんで――と、セラスは口から出そうになったのをぐっと堪える。
「……人間は魔族を怖がるもんなんだよ」
オニロが囁く。それは聞いたことがある。けれど、こんな目を向けられるとは思わなかった。
神殿を焼きそうになったのは彼らのほうなのに。
自分たちはそれを止めてあげただけなのに。
……胸の奥がキシキシと重たい音を立てる。呼吸が上手くできない。頭がガンガンする。
セラスは顔を上げていられず俯いた。それなのに、オニロは平然とした声で若者たちに語りかける。
「そこ、どいてくれるか? 別にお前たちを攻撃したりしないから」
「そっ……そんなの、信じられるかよ!」
「さっきは俺たちの言うことに耳を貸してくれてたのに? 結構共感してくれてただろ」
「そ……――」
若者は口を半開きにして言葉を失ってしまう。ついさっきまで、大人たちへの不満だとかこのやり方の是非だとか、そういう話で理解を得られたはずだった。それなのに、自分たちが魔族だとわかった瞬間に敵意を剥き出しにしてくる。
確かにおかしい。でも、何がおかしいのか。説明してよと言ったとしても、彼はきっと、何も言うことはできないはずだ。そんなこと、想像するまでもなくわかる。
わかるけど。セラスはギュッと拳を握る。
その拳を、オニロの手のひらがそっと包み込んだ。
「行こう」
小さな声でそう言って、歩き出す。人間たちは、全員がその場に硬直したまま動かなかった。
後ろを向かずに歩いていても、囁き声が聞こえてくる。何を話しているのかは、オニロの魔術がないからまったくわからない。けれどきっと、聞かないほうがマシだろう。
「……宿に戻るの?」
「荷物を取りにな。で、すぐに村を出よう」
「どこに行くの」
「どうするかな。とりあえず、どっかで野宿でもするか」
「ええー……」
不満はこぼしたけれど、反対はしなかった。する気もなかった。もうこんな場所には一秒もいたくない。
村を滅ぼしたって、村を助けたって、向けられる目は同じなのだ。それなら――
「ちょっと、あんたたち!」
声をかけられて立ち止まる。宿の女将だ。セラスはオニロの影に隠れて背中を向けた。
「今、あっちのほうで爆発音が聞こえたとかで、じいさまたちが見に行ったら、あんたたちが魔術を使ってた、って……」
セラスはオニロの服をギュッと掴む。オニロの声も、少しだけ硬かった。
「……安心してください。すぐ荷物纏めて村を出るので」
「いやいやいや、とんでもない! あんたたち、村を助けてくれたんだろ!?」
「え……?」
セラスは思わず呟いて、女将のほうをそっと覗く。彼女はまるで祈るように手を合わせ、泣きそうな顔で頭を下げた。
「やっぱり魔族ってのは優しいね。それにすごいよ! 人間じゃ諦めるしかないようなことだって、簡単に解決しちゃうんだから!」
「……おばさん、私たちのこと怖くないの?」
「怖いもんかね! 若いもんたちは噂話に踊らされて妙に怖がってるけどね。なんたってこの村は魔王様に助けてもらった村なんだから!」
ニッ、と笑った女将を見て、セラスは鼻の奥がツンとする。信仰だとか、祀るだとか、そういうのはよくわからない。しかし今、女将が屈託なく笑っていることは見間違えようのない事実だ。
「若いもんたちは近づかせないようにするからさ、ウチでゆっくりしてってよ。そうそう、私の特性アップルパイもあるんだ。よかったら食べないかい?」
その笑みは、温かかった。だからセラスは目尻に浮かんだ雫をぐいっと拭ってから、同じように笑ってみせた。
「うん、食べる!」




