第68話 戦いのあと
騎士団が去った翌朝、エザーレ村には槌の音が響いていた。
砲撃で崩れた防壁から、村人たちが使えそうな石を拾い集めている。焼け落ちた家では、炭になった柱を取り除き、残った壁へ新しい梁を渡す作業が始まっていた。騎士団の兵器が刻んだ轍には夜の雨が溜まり、泥の底で砕けた結晶の欠片が青白く光っている。
戦いには勝った。だが、それだけで元の暮らしが戻るわけではない。
魔王城から提供された木材や食料、傷薬が、村の広場へ運び込まれていた。城の備蓄を使うことを決めたのはエザフォスだった。ラティオと共に魔王城へと戻り、運べる限りのものをエザーレ村へと運んだ。
トゥルマリナは焼けて脆くなった柱を炎で灰にし、再利用できる金具だけを残していた。ラティオは風を使い、人の手では持ち上がらない梁を屋根まで運ぶ。オニロは倒れかけた家の周囲を歩き、どの壁を残せば崩落を防げるかを村人たちへ伝えていた。
セラスも手伝おうとしたが――
「何してるの」
石へ手を伸ばした途端、ミリーに腕を掴まれた。
「このくらいなら持てるよ」
「持てるかどうかは聞いてないよ。その手で持っていいのかって言ってるの」
セラスは包帯に覆われた両手を見下ろした。指を曲げただけで、焼けた皮膚の奥に痛みが走る。
「でも、みんな働いてるじゃない」
「だからって、怪我人まで働いたら傷薬が余計に減るでしょう」
「魔術なら手を使わなくても――」
「昨日、魔力を使い果たした人が何を言ってるの」
ミリーに押し戻され、セラスは広場の端に積まれた石へ腰を下ろした。ふくれっ面でミリーを見上げる。
「少しくらい、手伝いたいのに」
まるで子どものような駄々のこね方をするセラスを、ミリーが笑う。
「じゃあ、そこで見てて。倒れそうな人がいたら教えて」
「それ、手伝ってることになる?」
「何もせず勝手に倒れられるよりは、ずっと助かるよ」
ミリーはそう言い残し、割れた煉瓦を抱えて歩いていった。少し先では、ローカ村の生存者たちがエザーレ村の人々と並び、瓦礫を荷車へ載せている。
「使える煉瓦は、こっちへ積んでくれ!」
「おーい、だれか杭を持ってないか!」
「ちょっと、そっちのロープ、誰か持っててくれないかい?」
ローカ村からやってきた人たちは、今回の戦いを経て、エザーレ村の人々と昔からずっと一緒に暮らしてきたかのように溶け込んでいる。ミリーも献身的に動いて、村人たちを元気づけようとしていた。魔王様を長く祀ってきたこの村が、これからどうなってしまうのかはわからない。それでも、魔王城から一番近い村に住む彼らとは、きっと長い付き合いになるはず――セラスは離れた場所からそれを眺めて、かすかに笑った。
***
昼を過ぎた頃、ルビアが村を出て行こうとしているのをセラスは見かけた。慌てて駆け寄ろうとして、立ち上がった拍子によろめくと、ルビアは呆れたように眉を上げる。
「見送りに来て倒れないでよ」
「倒れてないよ」
「危うく地面と抱き合いそうになってたけど」
セラスは言い返せず、服についた土を払うふりをした。
「本当にオゲーラへ戻るの?」
「ええ。騎士団が撤退したことは、もう周辺の街にも伝わり始めているはずよ。エザーレ村や魔王について、どんな噂が広まっているのか調べてくる」
今回の敗北を、ルーナがそのまま王都へ報告するとは限らない。魔王が人間の村を守った事実が隠され、騎士団が卑劣な魔族に襲撃されたことになる可能性もある。エザーレ村が魔王に支配されたと触れ回れば、次に派遣されるのは騎士団だけでは済まないかもしれない。
「オゲーラは私をちゃんと知ってくれている。だから魔族について嫌な噂は流れないとは思うけど……それでも、また昔のようになってしまう可能性はなくもないから」
「危なくない?」
「まあ、危険かもね。でも、何も知らないままでいるほうが危ないわ」
「そっか……」
「それより――」
と、ルビアがセラスの後ろに視線を向ける。つられて振り返ると、そこにはオニロの姿があった。
「オニロとは、仲直りできたのね」
「……うん。仲直りっていうか……覚悟した、っていうか」
「そう」
ルビアは静かに頷いただけで、それ以上は言わなかった。それでも、彼女の視線が物語るものを、セラスはきちんと受け止めた。
心配してくれる人がいて、力になってくれる人がいる。魔族の人生は長い。だからこそ、一度こんがらがった糸は簡単には解れない。
セラスとオニロはぐちゃぐちゃになってしまう前に一度離れたから、元の通りになることができた。でも。
「……ねえ、ルビア」
「ん?」
「また、遊びにきてよ。……トゥルマリナの作るパン、すごく美味しいから」
そう告げると、ルビアは困ったように笑った。
「……そうね。色々落ち着いたら迎えに来てって、ラティオに言っておいて」
「うん!」
そう笑ったセラスの頭を優しく撫でて、ルビアは立ち去ってく。オゲーラから応援で来てくれていた人間たちと合流して、馬車に乗り込んで街道を遠ざかって行った。
セラスが助けた街は、王都の騎士団を共通の敵と認めたおかげで魔族と人間が互いに手を取り合える場所になった。それはきっと、魔王を共通の敵として戦争が収まった人間の世界と同じことなのだろう。
結局、何か敵と定める相手がいなければ同じ方向を向くことは出来ないのだろう。セラスにはそう思えた。しかし、それでもバラバラで憎しみ合っているよりもずっといい。
「セラス」
呼びかけられて振り返ると、ミリーが立っていた。頬には煤がつき、髪にも細かな木屑が絡んでいる。ずっと後片付けを続けていたのだ。
「行っちゃったんだね、ルビアさん」
「うん」
「オゲーラも、エザーレ村みたいになっていくのかな」
「どうかな……そうなったらいいなって、思うけど」
「なるよ。きっと、できる」
セラスの傷に響かないよう、ミリーがそっとセラスの手を握った。温かい、生きた人間の温もりがセラスにゆっくりと沁み入ってくる。
「これからは、セラスが魔王様になって、この村を――世界を、護ってくれるんでしょう?」
セラスは目を見開いた。
魔王になると決めてからも、その言葉を聞くたびに胸の奥が重くなった。自分の力で本当に誰かを護れるのか。護ろうとして、また傷つけるのではないか。その恐れは、戦いに勝っても消えなかった。
けれど今、目の前には護るべきものがある。
煤だらけになって働く友人がいる。故郷を失いながら、新しい壁へ煉瓦を積む者たちがいる。焼けた家から立ち上る煙の向こうでは、壊れた屋根に新しい梁が渡されようとしていた。
「うん!」
セラスは笑った。
「私が護るよ。この村も、ここで生きていくって決めたみんなも」
***
魔王城へ戻った頃には、窓の外が夜の色に沈んでいた。
広間にはセラスとオニロ、エザフォス、ラティオ、トゥルマリナの五人だけ。こうして静かな魔王城に揃うのは決して久しいことではないはずなのに、もう何年もしていなかったような気がする。
トゥルマリナがエザフォスの右腕へ新しい包帯を巻き、結び目を強く締めた。
「痛い」
「当たり前でしょう。砲撃を素手で受け止めたのよ」
「ほかに方法がなかったのだ」
「次に同じことをしたら、反対の腕も私が折るわ」
エザフォスは何も言い返さず、巻かれた包帯を眺めていた。ラティオがそれを見て苦笑いする。
「俺も全力で回復させたつもりなんだけどね。エザフォスの傷も、セラスの傷も、これ以上は難しいからさ」
「……精霊の結晶を兵器とすれば、魔族の回復力をも封じるのだろう」
「ああ、俺もこんな風になるとは想像もしていなかった……また色々、研究していかないとな」
ラティオの呟きに、セラスは少し離れた席でじっと手元を見つめた。精霊の力に関しては、ラティオですらまだ知らないことがある。だからこそ、人間が精霊の結晶を機械の動力として、更に兵器にまでしようとしたこの状況が危険なのだと、セラスでもわかる。
静かに息を吐く。そんなセラスの隣に、オニロがそっと腰を下ろした。
「セラス、話がある」
エザフォスとラティオ、トゥルマリナもオニロへと視線を向ける。自分たちの出した結論に、大人たちも注目しているのだ。
だからこそ、セラスはしっかりとオニロの顔を見て、頷いた。わずかな沈黙の後、セラスが先に口を開く。
「……私、怖かったんだ。オニロは私の右腕になるために生まれたって、ずっと言われてきたでしょう。そこで私まで隣にいてほしいって言ったら、オニロはほかの道を選べなくなるんじゃないかと思った」
「それで、俺に何も聞かずに離れると決めたのか」
「……うん」
「俺の選択肢を奪うのが怖かったから?」
セラスが頷くと、オニロは短く息を吐いた。
「……ホント、自分勝手だよなあ、お前は」
苦笑いしながらオニロがセラスの顔を覗き込む。
「俺は、お前の右腕になるために作られたから隣にいるわけじゃない。誰かに言われたからでもない。俺が自分で見て、考えて、決めた。そのために、騎士団との戦いでは別行動したんだ」
「うん。おかげで、騎士団を崩すのが早かったから……感謝してる」
そう告げると、オニロはニッと笑った。
「役に立つだろ、俺は」
「だね。やっぱ、オニロがいないと困るや」
素直に告げるセラスに、オニロは胸を張る。
「これでわかっただろ? 俺はセラスの右腕になる。お前が魔王になったあとも隣にいる。それが俺の選んだ道だ」
セラスの唇が僅かに震えた。俯きかけて、それでも視線を逸らさずに答える。
「でも、私が間違えたら止めてね」
「止めるよ」
「私、ちゃんと止まれないかもしれないよ」
「止まるまで何度でも止める。っていうか、これまでもそうしてきただろ?」
あまりに迷いなく言い切られ、セラスは笑った。オニロの口元にも、ごく小さな笑みが浮かぶ。
二人の話が終わるのを待っていたラティオが、エザフォスをちらりと見てから、セラスのほうへと歩み寄る。
「だとしたら、そろそろ話すべきなんじゃないかな――どうしてセラスとオニロが生まれることになったのか」
エザフォスの表情が強張った。
「ラティオ」
「これ以上、先延ばしにはできないよ」
「今、話す必要はない。戦いを終えたばかりだ」
「戦いが終わったからこそだ。君も聞いただろう。この子は魔王になると決めた。受け継ぐことを選ぶなら、その始まりに何があったのかも知らなければならない」
エザフォスが深く息を吐き、眉間に皺を寄せた。だが、もう抵抗しようとはしない。――まるで、覚悟を決めたように。
トゥルマリナは何も言わなかった。ただ、包帯を巻き終えた手をエザフォスの腕から離し、伏せられた横顔を見つめている。
セラスは三人を順番に見た。
「ママのこと?」
エザフォスの指が僅かに動く。
セラスが母について知っているのは、リーリエという名の人間だったことと、自分を産んだあとに亡くなったことだけだった。幼い頃、自分が生まれなければ母は死なずに済んだのかと尋ねたことがある。
エザフォスは、違うと答えた。お前のせいではないと、壊れ物に触れるように抱き締めてくれた。
それから、母の死が語られることはなかった。
「パパは、何を隠してるの?」
「隠していたわけではない」
「それなら教えて」
エザフォスは答えなかった。包帯に覆われた右腕を、左手で押さえている。その姿は砲撃を受け止めたときよりも、ずっと頼りなく見えた。
「私が魔王になる前に知るべきことなら、知りたい」
「知れば、お前は自分を責める」
「知らなければ、責めなくて済むの?」
セラスの問いに、エザフォスは目を伏せた。
母の死について考えないようにした日は、何度もあった。けれど、考えなかったことと、忘れられたことは違う。触れることを許されなかった疑問は、形を変えながら胸の底に残り続けていた。
「パパ。私、知りたいよ」
広間に沈黙が落ちた。
夜の冷たい光が窓から差し込み、玉座へ続く階段を白く縁取っている。エザフォスは長いあいだ娘を見つめていたが、ついに何も言わなかった。
その沈黙を引き取るように、ラティオが口を開く。
「リーリエはね、セラス」
エザフォスの左手が、止めようとするように持ち上がる。だが、その手が届くより早く、言葉は広間へ放たれた。
「君を産めば自分が死ぬと、最初から知っていたんだ」




