第65話 結晶砲崩壊
「予備の結晶を奪われました! 次弾の装填は不可能です!」
報告に駆け込んだ兵士を、タルデは振り返りもしなかった。遠距離結晶砲の砲身には、先ほどの砲撃で生じた亀裂が幾筋も走っている。冷却を担う管はひしゃげ、継ぎ目から青白い光が漏れ出していた。
「装着式兵器の動力を外してください。結晶銃の予備もすべて持ってくるんです」
「しかし、あれだけの数を一度に投入すれば、砲身が耐えられません」
「一度撃てれば充分ですよ。最大出力でエザーレ村を狙います」
兵士の顔から血の気が引いた。
これまでの砲撃は、狙った一点を破壊するためのものだった。だが、限界まで結晶を投入し、蓄えた魔力を一度に放てば、着弾点からどこまで被害が広がるかわからない。村の入り口だけでなく、家々も、畑も、そこにいる人間も、すべてが射程に入る。
「待て!」
ダスクが兵士たちを押し退け、結晶砲の前へ出た。
「あそこにはエザーレの住民がいる。騎士団へ武器を向けていない者も大勢いるんだ。村ごと撃つなど、許されるはずがない!」
「兄上、落ち着いてください。道を塞ぎ、魔族を庇っているでしょう? それはもはや反逆そのものですよ」
「その通りだ」
ゆっくりとルーナが歩み寄ってくる。その瞬間、周囲のざわめきが消滅した。戦場において、これほどまでに音が消えることがあるのだろうか、と。誰もが息を呑む存在感を放ちながら、その周囲に漂うのは無の空気だった。
丘の上から見下ろせば、村人たちが街道に築いた障害物が見える。その前にはエザフォスが立ち、左右では魔族たちが騎士団の進路を阻んでいた。さらにその中央を、魔王の娘とその仲間がこちらへ向かって駆けている。
ルーナはその光景に視線を向けたまま、ダスクに向けて語りかけた。
「ここで魔王を逃せば、反乱は王国中に広がる。お前はさらに多くの町を戦場にするつもりか?」
「だからといって、王国の民をこちらから殺すのですか」
「魔王とともに征く道を選んだのは、彼らだ」
ダスクの奥歯が軋んだ。剣の柄へ手をかけたものの、それを誰へ向ければよいのか決められずにいる。騎士団の指揮官として命令に背けば、兵は完全に統率を失う。従えば、自分たちを信じていたはずの民へ砲口を向けることになる。
迷っているあいだにも、兵士たちは装着式兵器から結晶を外し始めた。命令に従っているというより、周囲が動くから自分も手を動かしているような、鈍い動きだった。
「急ぎなさい!」
タルデの怒声が彼らを追い立てる。
集められた結晶が次々と砲身の基部へ押し込まれる。大きさも純度も異なる結晶を無理やり繋いだため、内部で魔力がぶつかり合い、不規則な光が明滅した。中枢部の金属が膨らみ、獣の唸りにも似た低い音を上げる。
ダスクが砲身の前へ踏み出そうとする。その胸元へ、ルーナの剣先が向けられた。
「退け、ダスク」
「ルーナ将軍」
「今、止めれば魔王を救うことになる」
「今、撃てば騎士団が守るべきものを失います」
二人の視線が交わる。
ルーナの瞳は揺れなかった。しかし剣先だけが、呼吸に合わせてごく僅かに上下していた。
「最大出力、装填完了!」
兵士の声が響く。
タルデは高く腕を振り上げた。
「砲身をエザーレ村の中央へ向けなさい!」
***
結晶砲の周囲に満ちた風が、突然、弾けた。
オニロは走りながら息を呑み、丘の上を見上げる。砲身の奥へ吸い込まれる空気が渦を作り、周囲の砂や枯れ草を巻き上げていた。先ほどの砲撃とは比べものにならない熱が、風を通じて皮膚の上を這ってくる。
「まずい。とんでもない数の精霊の結晶を使ってるぞ、あれ!」
「またパパが受け止めることは……」
「エザフォス様ならどうにか出来るか……いや、でも、あの量は――」
オニロが言葉を飲み込む。それだけ無茶苦茶な量だ、ということだ。
「オニロ、急ごう!」
二人は丘の斜面へ駆け込んだ。
結晶砲を守っていた兵士たちが銃を構える。だが、引き金へかけた指には迷いがあった。オニロが放った風が銃口を跳ね上げ、その隙にセラスが地面へ手を向ける。
兵士たちの足元だけが盛り上がった。体勢を崩した彼らは斜面へ転がったが、突き出した土がその身体を受け止める。セラスは倒れた者たちを一度だけ振り返り、すぐに先へ進んだ。
「まだ間に合う!?」
「いや、もう――!」
砲口の光が膨れ上がる。
セラスの視界の奥で、エザーレ村が青白く照らされた。家の前に立つ村人たちも、傷ついた腕を下げたパパも、その光の中ではひどく小さく見える。
胸の底が冷たくなった。
「撃て!」
タルデの命令と同時に、光が溢れた。
轟音が大気を叩き割る。砲口から放たれた魔力は巨大な光の奔流となり、斜面の草を根こそぎ?ぎ取りながらエザーレ村へ向かった。
「右へ走れ、セラス!」
オニロが叫ぶ。
「砲撃の中心は触るな! 中心を包んでる熱に弱い場所がある!」
セラスには、迫る光のどこを指しているのかわからない。目を開けているだけで涙が溢れ、肌が焼けるように痛んだ。
それでも走った。
オニロの風が背中を押し、砲撃と並ぶように斜面を駆け上がる。彼は目を細め、荒れ狂う熱の流れを追い続けていた。
「砲撃は真っ直ぐ進んでない! 内側で回ってる。三つ目の渦が外へ膨らむところだ!」
「どこ!?」
「俺の風を追え!」
一筋の風が、光の表面へ触れた。
押し潰され、引き裂かれながらも、風はそこに留まる。見えなかった砲撃の流れに、細い道筋が浮かび上がった。
セラスは両手を前へ伸ばした。
地面の奥では、大地の精霊たちが騒いでいた。村へ戻ってきた水の精霊が、地中を流れる細い水脈を震わせる。炎の気配が胸の奥で熱を持ち、オニロの風がそのすべてを繋いでいく。
これまでセラスは、精霊の力を自分の中へ引き込み、大きく膨らませて放ってきた。だが、四つの力を同時に掴もうとすれば、互いに押し合い、指の間から零れ落ちてしまう。
無理に一つへ纏めてはいけない。
大地には大地の重さがあり、水には水の流れがある。炎は燃えようとし、風はどこまでも駆けていこうとする。そのすべてを自分の形へ変えるのではなく、それぞれが進みたい場所を重ねればいい。
「力を貸して」
声は轟音に掻き消された。
それでも、足元から応えるものがあった。
大地が盛り上がり、無数の石が宙へ浮かぶ。石は互いに寄り集まり、砲撃の中心を貫く一本の槍となった。その表面を地中から噴き上がった水が覆い、白い蒸気を上げる。
「いいぞ、あそこを狙え!」
オニロの風が砲撃の熱が膨らむ一点へ狙いを定めていく。
残る炎が、セラスの掌で揺れていた。
かつてエレギア村を焼いたものと同じ赤い光だった。恐れが指先を強張らせる。あの日の叫び声が、炎の向こうから蘇る。
だが、今、目の前にある炎は村を向いていない。
壊すべきものは、オニロが示してくれている。
「セラス、今だ!」
掌を押し出した。
四つの力が、砲撃へ突き刺さる。
最初に砕けたのは、光の表面だった。
硝子に亀裂が入るように、青白い光の中を無数の筋が走る。水が熱を奪い、急激に冷えた魔力の層を大地の槍が貫いた。内側へ達した炎が爆ぜ、オニロの風がその衝撃を村とは逆の空へ押し上げる。
砲撃が途中から折れ曲がった。
巨大な光の奔流が天へ昇り、雲を穿つ。遅れて凄まじい衝撃が地上へ落ち、セラスとオニロの身体を吹き飛ばした。
オニロは空中でセラスの腕を掴み、風を二人の背中へ回した。斜面を何度も転がりながらも、岩へ叩きつけられる直前で勢いが弱まる。
「止まった……?」
セラスは地面に伏したまま、空を見上げた。
四つの力に引き裂かれた光が、夜明け前の星のように空一面へ散っていく。村へ落ちる前に、一つ、また一つと消えていった。
だが、オニロは砲身を見たまま立ち上がらない。
「まだだ。流れが戻る」
最大出力の砲撃は、放たれたあとも砲身の中枢と魔力の道で繋がっていた。行き場を失った力が道を逆流し、亀裂だらけの砲身へ押し寄せる。
「中枢の接続を切りなさい!」
異変に気づいたタルデが叫んだ。
兵士たちが結晶を外そうとする。しかし、異なる兵器から集められた結晶は、溶けた金属に呑まれ、すでに一つの塊となっていた。
砲身の亀裂から光が噴き出す。
タルデは自ら中枢へ駆け寄り、制御盤のレバーを掴んだ。焼けた金属が掌を焦がしても手を離さず、必死に押し戻そうとする。
「動きなさい! 貴様は王国の未来でしょう!」
結晶砲は、低い軋みを返した。
次の瞬間、砲身が中央から裂けた。
逆流した魔力が中枢へ流れ込み、繋ぎ合わされた結晶を内側から砕いていく。青白い閃光が丘を覆い、兵士たちは地面へ伏せた。ダスクが咄嗟にルーナの腕を引き、崩れた土壁の陰へ飛び込む。
爆発は一度では終わらなかった。
砲身の根元、冷却装置、動力を送る導管が次々と破裂する。長大な砲身が支えを失い、断末魔のような金属音を響かせながら地面へ崩れ落ちた。
やがて光が収まり、丘の上を黒い煙が覆った。
タルデは地面に膝をついていた。焼け焦げた制御盤へ片手を置き、目の前の残骸を見つめている。何度レバーを動かしても、結晶砲はもう何の音も返さない。
王都から運び込まれた巨大な砲身は二つに折れ、中枢を満たしていた結晶は、光を失った破片となって土の上に散らばっていた。
「そんな……」
タルデの唇から、掠れた声が零れる。
「人間が、魔王を倒すための力が……」
丘の下で、セラスはゆっくりと立ち上がった。
焼けた両手は震え、足にも力が入らない。隣ではオニロが肩で息をしながら、それでも結晶砲の残骸から目を離さずにいる。
風が煙を押し流した。
その向こうに、傷つかずに残ったエザーレ村が見える。街道を塞いでいた村人たちが、こちらを見上げている。エザフォスもまた、セラスのほうを見つめながら佇んでいた。
セラスは胸の前で、黒く汚れた両手を握った。
死んだ精霊を閉じ込めて作られた兵器を、戻ってきた精霊たちの力が打ち砕いた。命令で繋がれた力は崩れ、自由に集まった四つの気配が、今もセラスとオニロの周囲を巡っている。
「壊れたな」
オニロが息を切らしながら言った。
「うん」
「王都騎士団の切り札だぞ」
セラスは折れた砲身を見つめた。
あれほど大きく見えた兵器は、もう二度と村へ砲口を向けることはない。
「私たちで、壊したんだよ」
丘を渡った風が、二人の髪を揺らす。
王都騎士団の決戦兵器は、エザーレ村を焼くことなく沈黙した。




